第50話 死者に会える屋敷
ぱち、ぱち、ぱち。
地下牢の奥で、誰かの拍手が聞こえる。
「すごいね。ここまで来るなんて」
暗がりの向こうから、幼い声が響く。
リカナよりは少し年上だろうか。
アナよりは明らかに幼く聞こえた。
こんな場所にいるというのに、その声音は妙に明るい。
場違いなほど、楽しげだ。
地下牢の奥から、一人の少年が姿を現す。
白を基調とした助祭服。
胸元や袖口には、金の細い刺繍が走っている。
その意匠には見覚えがあった。
かつてユキたちの前に現れた、白衣の男――オルフェリオの装いと、どこか似ている。
少年はにこりと笑った。
「ようこそ。死者に会える屋敷へ」
少年の左耳には、紫水晶の耳飾りが揺れている。
薄暗い地下の光を受けながら、淡い影がゆらめいていた。
ユキは刀を構えたまま、目を細める。
「何者だ」
「僕はミロ」
少年は嬉しそうに名乗った。
「この屋敷を任されてるんだ。まあ、任されてるって言っても、そんなに難しいことはしてないけどね。みんな、勝手に来てくれるから」
「この屋敷は、お前の仕業か」
「うん」
ミロはあっさり頷く。
その軽さは、異様だ。
リカナも、アイファも、村人たちも眠らされている。
鉄格子の中には、いくつもの身体が横たわっている。
それなのに、ミロは悪戯を褒められた子供のように笑っていた。
ユキの声が少しずつ沈む。
「その格好。オルフェリオと同じだな」
ミロの笑みが、深まる。
「知ってるんだ」
「魔女の福音か」
その言葉と同時に、ユキの眼光が鋭さを増した。
空気が変わる。
冷たい地下の空気に、さらに薄い刃が混じったように。
アナもその変化を感じ取ったのか、リカナの牢の前から半歩下がり、自然と腰の剣に手をかける。
「うん。そうだよ」
ミロは、まるで友人に所属を尋ねられたかのように軽く頷いた。
「そういう君は、オルフェリオさんの報告にあった魔女の弟子ユキだね。で、その刀が《魔女の置き土産》のシグレかな」
ミロの視線が、ユキの手元に向く。
子供が珍しい玩具を見るような目だった。
欲しいものを見つけた時の、無邪気な目。
「いいなぁ。僕もそれ、欲しいなぁ」
その一言で、ユキの表情から熱が消える。
ユキが嫌悪の言葉を口にする、その前にアナが声を荒げた。
「シグレさんを物みたいに言うのは、やめてください!」
その声は震えていた。
恐怖ではなく、怒りで。
「シグレさんは、ユキさんの大切な相棒で、友達です。欲しいとか、そんな風に言うものじゃありません!」
アナの目に力強い闘志が宿る。
(そういうこと。あんたなんか、絶対にごめんだね)
シグレの声が、地下に響いた。
ユキだけに向けた念話ではない。
ミロにも届くように、はっきりとした拒絶を込めた声だ。
ミロは少しだけ目を丸くしたが、それでもすぐに楽しそうに肩をすくめた。
「あーあ。振られちゃった」
言葉は軽い。
けれど、その目はまだシグレを見ている。
諦めた目ではなく、欲しいものを一度棚に戻しただけの目。
「でも、いいもん。僕にはこれがあるしね」
ミロは左耳の耳飾りに指を添える。
紫水晶の奥で、まるで小さな心臓のように淡い光が脈打つ。
「それに」
少年は笑った。
「殺して奪えば、そんなの関係ないし」
ミロの口が、三日月のように歪む。
アナが息を呑んだ。
ミロは腰から、細身の長剣を抜く。
その形は、オルフェリオが持っていたものとよく似ていた。
細く、軽く、儀礼用にも見える。
だが、刃は確かに人を斬るためのものだ。
ユキは一歩も動かない。
ただ、刀の角度をわずかに変える。
「……シグレ。何か感じるか」
(うん、分かるよ)
シグレの声から、いつもの軽さが少しだけ消えている。
(似てる。でも、どっちもお母さんの置き土産じゃない。耳飾りも、剣も)
「そうか」
「すごいね」
ミロが楽しそうに笑った。
「そんなことも分かるんだ」
少年は耳飾りを撫でたまま、首を傾げる。
「うん。これは確かに、偉大なる魔女セレスティアの置き土産じゃないよ」
偉大なる魔女。
その言葉が落ちた瞬間、ユキの殺気が急激に強まる。
アナは、反射的に呼吸を止めてしまった。
地下牢の空気が、さらに重く沈み、眠っているはずの村人たちの呼吸音まで、遠くなったように感じる。
「その呼び方をするな」
「どうして? みんなそう呼んでるよ」
ミロは本当に不思議そうに言った。
「魔女セレスティア。たくさんの奇跡を残した人。世界を変えた人。僕たちの福音の始まりになった人」
「黙れ」
ユキの声は短い。
その奥には、確かな怒りがある。
ミロは少しだけ肩を竦めた。
一瞬、怖がっているようにも思える。
けれど、すぐにまた歪んだ笑顔を見せる。
「まあ、いいや。確かに、これは置き土産じゃない。でも、すごいんだよ。置き土産と遜色ないくらい、よくできてる」
だってね、とミロは続ける。
その笑顔は、幼い。
幼いまま、どこかが決定的に壊れている。
「会いたい人に会わせてあげられる。聞きたい声を聞かせてあげられる。泣いてる人を笑顔にしてあげられるんだから」
「笑顔?」
アナの声が震える。
「この人たちを眠らせて、閉じ込めて、それで笑顔にしているつもりなんですか」
「うん。だって、起きたら泣いちゃうでしょ?」
ミロは当然のように答えた。
「死んだ人には会えない。戻ってこない。分かってるのに、みんな会いたがる。だったら、夢の中で会わせてあげた方が優しいよ」
その言葉には、悪意がなかった。
だからこそ、歪んでいた。
悪いことをしている自覚がない。
人の痛みは理解しているのに、その痛みを終わらせる方法が、歪んでいる。
「眠ったまま、見たい夢を見てた方がいいでしょ」
ユキは黙って、刀を握り直す。
そして、アナもまた剣の柄を強く握った。
目には恐怖がある。
それでも、逃げる気配はない。
「アナ。下がってろ」
「はい」
アナはリカナの牢を庇う位置へ下がった。
ミロはにこにこと二人を見ている。
「勘違いしないでよ。君と戦うのは、僕じゃない」
「何?」
「僕、弱いし、痛いの嫌いなんだ。剣を抜いたのは用心。君、顔怖いし」
ミロは悪びれずに言った。
弱い。
確かに、目の前の少年自身からは、強者の気配は感じない。
剣を構える姿にも、長く鍛えた者の重みはなかった。
ユキが本気で踏み込めば、距離を詰めるのに数秒もいらないだろう。
だが、だからといって危険ではないということは、既にユキの経験と勘が告げている。
ミロは左耳の耳飾りに指を添える。
「君と戦うのは、あの子だよ」
紫水晶が、淡く光る。
「魔装顕現――《カナタ》」
その瞬間、地下牢の空気が揺れた。
光は強くない。
むしろ、薄い霧のように広がっただけだった。
それでも、アナは思わず目を細める。
耳の奥に、誰かの囁きが触れた気がした。
ユキも一瞬、視界を細める。
直後。
殺気。
右前方。
鉄格子の向こう。
ユキは考えるより早く刀を抜いた。
ぎり、と刃が噛み合う音が響く。
黒刀シグレと、逆手に握られたナイフがぶつかっていた。
「またお前かよ……」
ユキは、半ばうんざりしたように呟く。
「っ……!」
アナが息を呑む。
刃をぶつけてきたのは、アイファだった。
さっきまで牢の中で眠っていたはずの女が、逆手に握ったナイフに殺気を込めている。
ユキは刀越しに、アイファの顔を見る。
その瞳は確かに開いていた。
けれど、その瞳にはユキが映ってはいない。
その銀灰の瞳に映るのは、かつて愛する弟を奪い、自分を道具として扱った男の姿。
「セヴラン……!」
アイファの声が、憎悪に掠れる。
瞳には、怒りと憎しみが焼きついていた。
「いいね。その子、すごくよく見えてる」
ミロが奥で楽しそうに笑う。
アイファのナイフに、さらに力がこもった。
ユキの黒刀が、ぎしりと鳴る。
次の瞬間、アイファは獣のような速さで踏み込み、ユキの喉元へ刃を滑り込ませる。
ユキとアイファの、戦いが再び始まった。
記念すべき50話突破です!!
ここまで読んでいただいた皆さんありがとうございました。
まだまだ、終わる気配もなく、完結まで何話かかるかわかりませんが、今後も読んでいただけると幸いです。
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