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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第4章 幽霊屋敷

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第49話 招く声

「……アナ、お前には何が見える?」


ユキは、門の前に立つ白い影から目を逸らさないまま問いかけた。


声は低い。

だが、その奥にかすかな震えが混じっていた。


アナは困惑したまま、屋敷の庭を見回す。


朽ちた門。

枯れた草。

黒ずんだ外壁。

風に揺れる木々。


そこに、人影はない。


「私には……何も見えていません」


(私にも見えてないよ)


シグレの声が、ユキの頭の中に響く。


「どういうことだ」


ユキは奥歯を噛みしめる。


「俺の目の前には、セラがいる」


アナの目が大きく開かれた。


「セラさんが……?」


「ああ」


短く答え、ユキは視線だけを横へ動かす。


アイファは、庭先の一点を見つめたまま動かない。

銀灰の瞳が揺れている。普段なら感情を読み取りにくい顔が、今は痛々しいほど崩れていた。


「恐らく、アイファの前にも弟がいるんだろう」


「……リクが」


アイファが、かすれた声で呟く。


「弟が、そこにいる」


その声は、信じられないものを見た者の声だった。


「やっぱり……リクは生きていたんだ」


アイファの足が、一歩だけ前へ出る。


「セヴランが、嘘をついていた。あいつが、私を従わせるために……」


「アイファさん!」


アナが叫ぶ。


だが、アイファには届いていない。


人は、信じたいものを信じる。

見たいものを見る。

それが大事なものであればあるほど、失ったものであればあるほど、目の前に差し出された偽物から目を逸らせなくなる。


アイファの耳が、小さく揺れた。


「……聞こえる」


「何がだ」


「リクが呼んでる」


アイファは、夢の中を歩くような足取りで、さらに一歩踏み出す。


「お姉ちゃん、こっちへおいでって……」


その言葉を聞いた瞬間、ユキの背筋に冷たいものが走った。


同時に、彼の耳にも声が届く。


――ユキ。


懐かしい声だった。


――こっちにいらっしゃい。


何度も聞きたかった声。

もう二度と聞くことはできないはずの声。


優しく、少し困ったように、自分を呼ぶ声。


門の前に立つセラが、手を伸ばしている。

春の日差しのような金の髪が、夜風の中で揺れていた。

白い衣の裾が、ふわりと浮く。


昔と同じだった。


あの頃、ユキが一人で無茶をして、傷だらけで帰ってきた時。

セラはいつも、怒る前に少しだけ困った顔で笑った。


その手に触れれば、もう一度、名前を呼んでもらえる気がした。

もう一度、叱ってもらえる気がした。

もう一度だけ、あの人の隣に立てる気がした。


だからこそ、ユキは奥歯を噛みしめる。


「……くそっ」


そんな都合のいい奇跡を、セラは残さない。


セラはもういない。

あの人は、もうどこにもいない。


「シグレ!」


(うん?)


「魔装解除。俺をぶん殴れ」


一瞬で頭を冷やす方法など、ユキにはひとつしか思いつかなかった。


(うん!よく分かんないけど、ユキの頼みならしょうがないね!)


黒刀が腰からほどけるように消えた。


次の瞬間、黒髪の少女がユキの傍らに現れる。

長い黒髪が夜風に揺れ、紅い瞳が楽しげに細まった。


そして、遠慮のない平手がユキの頬を打ち抜いた。


ばちん、と夜の庭に乾いた音が響く。


「っ……!」


ユキの顔が横を向く。

頬に熱が走り、視界が一瞬だけ白く弾けた。


「……痛いな、少しは加減しろよ……」


「ユキが言ったんだよ?」


シグレは悪びれもせずに言う。


ユキは頬を押さえ、ゆっくりと息を吐いた。


「ああ。助かった」


顔を上げる。


門の前に、セラはいなかった。


ただ、枯れた庭と朽ちかけた門があるだけだった。

ユキの目から、迷いが消える。


「アナ」


「は、はい!」


アナは何が起きたのか分からないまま、慌てて返事をする。

その直後、はっと顔を上げた。


「アイファさんは……!?」


庭先に、アイファの姿はなかった。


さっきまで確かにそこにいた。

けれど、今はもう、影ひとつ残っていない。


夜風だけが、枯れ草を揺らしている。


「馬鹿が」


ユキが低く吐き捨てる。


「ユキも馬鹿になるところだったよ」


シグレが横から言う。


「分かってる。……シグレ、戻れ」


「はいはい」


シグレの身体が黒い光にほどける。

次の瞬間、再び一振りの黒刀となり、ユキの手元へ収まった。


ユキは刀を腰に差し直し、アナへ視線を向ける。


「アナ。あいつの匂いか痕跡を辿れるか」


「やってみます」


アナは震える手で、胸元の小さな装飾具に触れた。


セリスから託された、初心者向けの補助魔装。

獣人であるアナの感覚を、わずかに押し上げるためのもの。


「ミハル、魔装顕現」


淡い光が、アナの耳元と瞳に宿った。


瞬間、夜の世界が変わる。


土の湿り気。

枯れ葉の擦れる匂い。

古い木材の黴びた気配。

ユキの衣服に染みついた鉄と魔力の匂い。

アイファの新しい灰色の服に残る布と革の匂い。


無数の情報が、一斉にアナの中へ流れ込む。


アナは一瞬よろめいたが、すぐに両足で踏み止まった。

犬耳をぴんと立て、鼻先をわずかに動かす。


「……あります」


「どこだ」


「アイファさんの匂いは、屋敷の中からします。ただ……足跡や気配はほとんど拾えません」


(アイファの技量が仇になったね。足音も気配も、かなり消してる)


シグレが言う。


(でも匂いまでは、さすがに消しきれないみたい)


「十分だ」


ユキは屋敷を見上げる。


昼間に見た時と同じ、古びた屋敷。

だが今は、窓の奥が暗い水面のように沈んで見えた。


「入るぞ」


三人は門を越えた。


庭の草を踏む音が、やけに大きく聞こえる。


ぎい、と蝶番が軋む。


中は、昼間と変わらない古びた屋敷だった。


広い玄関。

埃をかぶった床。

壁にかかった色褪せた絵。

奥へ続く廊下。


人の気配はない。


リカナの声も、アイファの声も、聞こえなかった。


「……普通、ですね」


アナが不安げに呟く。

ユキは刀の柄に手を添えたまま進む。


アナは床へ視線を落とし、鼻先で匂いを追った。

アイファの匂いは、まっすぐ廊下を進んでいる。

そして、突き当たりの壁際で不自然に途切れていた。


「ここです」


アナが足を止める。


そこは、何の変哲もない壁だった。

古い壁紙が貼られ、下の方には傷がいくつもある。

棚も扉もない。


だが、アナは確信したように言った。


「匂いが、ここで消えています」


ユキは壁に近づき、指先で軽く叩く。


こん、と乾いた音。


少し横へずらして、もう一度叩く。


今度は、低く空洞を含んだ音が返った。


「隠し扉か」


ユキは壁の傷へ目を向ける。

よく見れば、壁紙の継ぎ目がわずかにずれていた。


「アナ、下がれ」


「はい」


ユキは刀を抜く。


黒い刃が壁の継ぎ目をなぞる。


重い音を立てて、壁の一部が内側へ沈んだ。


その奥に、暗い階段が現れる。


地下へ続く石造りの階段だった。


冷たい空気が、下から流れ込んでくる。

湿った土と黴、そして人の匂いが混じっていた。


アナの顔色が変わる。


「人が……います。アイファさんだけじゃありません、何人も」


「リカナは?」


「分かりません、ただ、子供の匂いもあります」


ユキの目が細くなる。


「行くぞ」


階段を下りる。


石段は古く、足元は湿っていた。

壁には小さな灯りが点々と置かれている。誰かが使っている証拠だった。


地下へ近づくほど、空気は重くなる。


やがて、階段の先に広い空間が開けた。


そこは、地下牢のような場所だった。


鉄格子がいくつも並び、石床には古い鎖が散らばっている。

そのいくつかの牢の中に、人が倒れていた。


老人。

若い男。

村の女。

そして、小さな身体。


「リカナちゃん!」


アナが駆け寄る。


鉄格子の向こうで、リカナが眠っていた。

怪我は見えない。胸は小さく上下している。

ただ、深い眠りに落ちているように、呼びかけても反応しなかった。


「村長の話じゃ、行方不明者は3人だったが」


(うん、もう少しいるね)


別の牢には、アイファがいた。


壁にもたれるように座り、目を閉じている。

その表情は、不思議なほど穏やかだった。

まるで、まだ夢の中で弟の声を聞いているかのように。


「アイファさん……!」


アナの声が震える。


ユキは牢の前に立ち、奥の闇へ視線を向けた。


「出てこい」


その瞬間。


地下牢の奥で、誰かが静かに拍手をした。


ぱち、ぱち、ぱち。


場違いなほど穏やかな音が、冷えた石壁に反響する。


「すごいね。ここまで来るなんて」


暗がりの向こうで、白い衣の裾が揺れた。


ユキは刀を構える。


「……誰だ」


返ってきた声は、ひどく優しかった。


「ようこそ」


闇の奥で、誰かが微笑む気配がした。


「死者に会える屋敷へ」

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