第46話 あの屋敷にいる
依頼主の村長の家は、幽霊屋敷と呼ばれる古い屋敷から少し離れた場所にあった。
村の中心からは外れているが、周囲の家々よりもやや大きく、古びてはいても手入れは行き届いている。
家の窓から見える景色の奥に、あの問題の屋敷がある。
ユキたちは村に到着してすぐ、その屋敷へ向かった。
外壁はところどころ剥がれ、窓のいくつかは割れている。庭は荒れ、伸び放題の草が足首に絡みついた。
見ただけでは、昼間の屋敷はただの廃屋にしか見えなかった。
その確認を終えてから、ユキたちは村長の家へ向かった。
「村長のダイクと申します」
そう名乗ったのは、白髪の多い老人だった。
腰は少し曲がっているが、声はしっかりしている。深く刻まれた皺と、日に焼けた肌。
「この度は、調査依頼を受けていただき、ありがとうございます」
「ユキだ」
「アナです。よろしくお願いします」
「シグレだよー」
「……アイファだ」
それぞれが名乗ると、ダイクは丁寧に頭を下げた。
部屋の中は質素だった。
木のテーブルと椅子。壁際の棚には古い書物と薬草の瓶が並び、暖炉の上には家族のものらしい小さな絵が置いてある。
案内された椅子に腰を下ろすと、ダイクは温かい茶を出してくれた。
アナは両手で器を包みながら、落ち着かなさそうに周囲を見回している。
幽霊屋敷の近くにある家、というだけで緊張しているのが分かりやすかった。
シグレはいつものように楽しそうで、アイファは壁際に立ったまま、窓の外へ視線を向けている。
ユキは茶には手をつけず、すぐに口を開いた。
「あの屋敷にはもう行った」
ダイクの顔が、わずかに強張る。
「……そうですか」
「ああ。特に変わった様子はなく、古いだけの屋敷に見えたな」
「ええ。昼間は、ただの屋敷なのです」
ダイクはゆっくり頷いた。
「ですが、数か月前から、夜になると何者かが姿を現すと村で噂になりましてな。二階の窓辺に、誰かが立っているのを見た者がいるのです」
「誰か?」
「ええ。ただの人影なら、ここまで大事にはならなかったでしょう」
ダイクの手が、膝の上でわずかに握られる。
「その姿が、すでに死んだはずの人間に見えるのです」
アナの犬耳がぴくりと震えた。
「し、死んだはずの人……」
「はじめは、見間違いだと思われていました。夜ですからな。古い屋敷を見て、恐ろしさから妙なものを見た気になったのだろう、と」
「だが、人が消えた」
ユキが言うと、ダイクは苦い顔で頷いた。
「はい」
部屋の空気が、少し重くなる。
「噂を確かめようとした若い者が何人か、夜に屋敷へ入りました。最初はすぐに逃げ帰ってきて、何もなかったと笑っていた者もおります。ですが……そのうちの一人が、戻らなくなった」
「一人だけか?」
「最初は一人でした。その後、探しに行った者が三人」
「戻っていないんだな」
「……はい」
アナが息を呑む。
「屋敷の主は」
ユキが尋ねる。
「すでに他界しております」
「家族は?」
「おりません。いえ、正確には、遠い親族はいるのでしょうが、この村にはもう残っておりませんな」
「なら、夜に誰かが入り込んでいる可能性は?」
「それも考えました。村の者が昼間に何度か調べましたが、寝泊まりした跡も、火を使った跡もなかったそうです」
「そうか」
ユキは短く返し、窓の外へ目を向ける。
ここからでも、森の奥にある屋敷の屋根が見える。
昼間はただの廃屋。
夜だけ、死んだはずの人間が窓辺に現れる。
まだ判断するには、情報が足りない。
その時だった。
がちゃ、と勢いよく扉が開く。
「おじーいちゃーん!」
元気な声が、重く沈んだ空気を一瞬で裂いた。
小さな女の子が部屋へ飛び込んでくる。
茶色の髪を二つに結び、大きな目をきらきらと輝かせていた。
年は六つか七つほどだろう。頬は赤く、服の裾には外で遊んできたのか草の種がついている。
「こら、リカナ」
ダイクの声が、すぐに祖父のものへ変わる。
ほんの少し前まで沈んでいた顔に、柔らかな笑みが浮かんだ。
「お客さんの前だよ。静かにしなさい」
「ご、ごめんなさい……」
リカナと呼ばれた少女は慌てて口を押さえる。
だが、すぐにユキたちを見回し、興味津々といった顔になった。
「お客さん?」
「うむ。村のことで、遠くから来てくださった方々だ」
ダイクはそう言って、リカナの頭を優しく撫でた。
「みなさん、孫のリカナです」
その顔は、完全に祖父のものだった。
先ほどまでの重苦しい表情が嘘のように、目元が柔らかく緩んでいる。
アナはすぐに表情を明るくした。
「リカナちゃん、こんにちは。アナです」
「シグレだよー」
「……アイファだ」
「ユキ」
ユキとアイファの挨拶は、あまりにも短い。
子供に対する挨拶としては、無愛想という他ない。
アナがじとっとした目で二人を見る。
「……なんだ」
「なんでもないですよっ」
アナはわざとらしくそっぽを向いた。
リカナはそんな空気にも怯まず、ぱっと笑った。
「私はリカナ! よろしくね!」
大人数の大人に囲まれているにもかかわらず、物怖じしない。
明るく、はきはきしていて、愛想がいい。
リカナはダイクの袖を掴み、ぐいぐいと引っ張った。
「おじいちゃん、遊んでー!」
「これこれ。今は大事なお話をしているから、またあとでな」
「いやいやー! 今がいいのー!」
「リカナ」
ダイクは困ったように笑う。
その笑顔は優しい。
だが、どこか痛々しかった。
話は進みそうにない。
ユキは小さく息を吐く。
「アナ、シグレ」
「はい?」
「ん?」
「リカナに遊んでもらってこい」
「えっ、遊んであげるではなく?」
「情報は後で共有してやる」
「そこじゃないです」
「じゃあ私も?」
シグレが自分を指差す。
ユキは頷いた。
「お前も行け。こっちは俺とアイファで聞く」
「いいよー。遊んでもらうってところがちょっと不満だけど」
シグレは笑いながら立ち上がった。
リカナの顔がぱっと明るくなる。
「お姉ちゃんたちが遊んでくれるの!?」
「うん! リカナちゃん、お部屋行こ!」
アナがすぐにリカナの手を取った。
リカナは嬉しそうに頷き、アナとシグレを引っ張るようにして部屋を出ていく。
扉が閉まる。
明るい声が遠ざかったあと、部屋にはまた静けさが戻った。
ユキは村長へ視線を戻す。
「話の続きを頼む」
「……はい」
ダイクの顔から、祖父の笑みがゆっくりと消えていく。
◇
リカナの部屋には、いくつもの人形が並んでいた。
布で作られたもの。木を削って作られたもの。少し古びたものもあれば、まだ新しい布の匂いが残っているものもある。
小さな机の上には、ままごと用の器が丁寧に並べられていた。
「わあ、リカナちゃん。このお人形、かわいいね!」
「でしょ! でしょ!」
リカナは嬉しそうに胸を張った。
「これはね、お姫さま! こっちは騎士さま! それで、こっちは森に住んでる魔法使い!」
「じゃあ私はどれ?」
シグレが聞くと、リカナは真剣な顔で人形を見比べた。
そして、少し黒っぽい布を巻いた人形を差し出す。
「シグレお姉ちゃんは、これ!」
「わあー、ありがとう。かわいいね」
シグレは笑って受け取った。
乗り気かと言われると、そこまでではない。
だが、子供の相手はそれなりに上手かった。
アナは完全に乗り気だった。
「じゃあ、私はこの子にします!」
「アナお姉ちゃんは、こっちのわんちゃんも!」
「わんちゃん……!」
アナの犬耳がぴんと立つ。
シグレはその様子を見て、少しだけ笑った。
リカナは本当に楽しそうだった。
「おじいちゃんとばっかり遊んでたから、他の人と遊ぶの楽しいね!」
目を輝かせるリカナに、アナの表情がふと柔らかくなる。
けれど、その言葉の端に、何かが引っかかった。
おじいちゃんとばっかり。
アナは少し迷ってから、できるだけ優しい声で尋ねた。
「リカナちゃん……お母さんとお父さんは?」
シグレが横目でアナを見る。
聞かなきゃいいのに。
そう思った。
けれど、アナのそういうところを、シグレは嫌いではない。
リカナは人形を抱えたまま、きょとんとした顔で答える。
「パパとママはね、お仕事で帰ってこられないんだって」
アナは小さく息を吐いた。
少しだけ、胸を撫で下ろす。
リカナの明るさが、その言葉をひどく普通のものに見せていたからだ。
「そうなんだ。寂しくない?」
「ちょっと寂しいけど、でもリカ、知ってるんだ!」
「知ってる?」
シグレが聞き返す。
リカナはぱっと顔を輝かせた。
「うん!」
そして、人形を抱えたまま窓へ駆け寄る。
小さな手が、村外れを指した。
その先にあるのは、森に半ば呑まれた古い屋敷。
昼間見た時は、ただ古びているだけに見えた場所だった。
「パパとママはね」
リカナは嬉しそうに笑った。
「今、あそこのお屋敷にいるんだよ!」
アナは言葉を失った。
シグレの顔からも、笑みが消えていた。




