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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第4章 幽霊屋敷

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第45話 屋敷へ向かう道

ギルド《灯守の会》の受付ホールでは、出発の準備が進んでいた。


 アナは腰の小物入れを何度も確認し、アイファは新しい灰色の服の袖口を気にしながら、壁際で静かに立っている。

 シグレだけは、これから幽霊屋敷へ向かうというのに妙に楽しそうだ。


 その中で、サイカがふと口を開いた。


「すまないが、私は付いていけないぞ」


「なんだ、怖いのか」


 ユキがそう言った瞬間、サイカの拳がユキの頭に落ちた。

 ごん、と鈍い音がして、ユキの頭がわずかに沈む。


「なんでサイカさんは一緒じゃないんですか?」


 アナが、不安そうにサイカを見る。


 サイカがいれば、多少の怪異など拳ひとつで吹き飛ばしてくれそうな安心感がある。

 実際、本人もやりかねない。


 だが、サイカは短く首を振る。


「私は別件だ」


「別件……ですか?」


「この件は、お前たちに任せる。危険だと判断したら、無理をせず戻ってこい」


「無理をする前提で言うな」


「この前、誰が一番無理をしたと思っている。お前に言っているんだ、ユキ」


 ユキは少しだけ気まずそうに視線を逸らし、何もない所を注視する。


 サイカは最後にアナの頭へ軽く手を置く。


「怖いなら、無理に前へ出るな。だが、お前の耳と鼻は役に立つ。自分にできることをしろ」


「は、はい!」


 アナの犬耳がぴんと立つ。


「アイファ。お前もだ。勝手に飛び出すな」


「分かった」


「本当に分かっているか?」


「たぶん」


「たぶんでは困る」


 サイカが眉間を押さえる。


「アイファ、サイカに怒られる才能あるね」


 ふふっ、とシグレは今日も楽しそうだ。


 ◇


 レイシアから受けた依頼は、近隣の村外れにある古い屋敷の調査。


 夜になると窓辺に人影が立つ。

 しかもその姿が、すでに死んだはずの人間に見えるという。


 幽霊屋敷。


 その言葉を聞いてから、アナの犬耳はずっと不安げに伏せられている。


「ゆ、幽霊って、本当にいるんでしょうか……」


「さあな。斬れるなら問題ない」


 ユキが淡々と返す。


「斬れなかったらどうするんですか!」


「その時考える」


「考えるの遅くないですか!?」


 アナの声が裏返る。


 その横で、シグレが楽しそうに笑っている。


「大丈夫だよ、アナ。幽霊ってだいたい、気づいたら後ろに立ってるだけだから」


「それが怖いんです!」


「今も後ろにいたりして」


「ひゃっ!?」


 アナが跳ねるように振り返った。


 もちろん、そこには誰もいない。

 ただ、受付ホールの壁と、呆れた顔をしたリーナがあるだけだった。


「シグレさん、やめてください……!」


「反応がいいからつい」


「ついで怖がらせないでください!」


 アナが涙目で抗議する。


 その隣で、アイファは真顔のまま首を傾げていた。


「……幽霊は、刃が通るだろうか」


 その表情は、真剣そのものだ。


 そうして、ユキ、アナ、シグレ、アイファの四人はギルドを後にする。


 村までは、徒歩で半日ほどの距離だという。


 王都ほど整えられた道ではないが、荷馬車が通る程度には踏み固められている。

 両側には畑と低い林が続き、遠くには薄く森の影が見える。


 最初のうちは、空も明るく、風も穏やかだった。


 アナはまだ幽霊屋敷のことを気にしているらしく、時折、後ろを振り返っている。

 シグレはそれを見つけるたびに、わざと足音を消して近づこうとするので、そのたびにユキが止めるくだりができた。


「そういえば」


 しばらく歩いたところで、アナがふと思い出したように声を上げる。


「マスターのレイシアさん、お綺麗でしたねー。私もあんなふうになりたいです」


 その言葉には、素直な憧れが滲む。


 レイシアの美しさは、ただ顔立ちが整っているというだけではなかった。

 穏やかなのに逆らいにくい。

 笑っているのに底が見えない。


 ああいう大人になりたい、とアナが思うのも無理はなかった。


 だが、いやだからこそシグレは悪戯っぽく笑った。


「じゃあ、あと何十年、いや何百年後かなー」


「なんでそんなこと言うんですかー!?」


 アナが悲鳴のような声を上げる。


「私、そんなに時間かかりますか!?」


「綺麗になるだけなら、もっと早いんじゃない? でもレイシアみたいになるなら、すごい時間かかりそう」


「うう……シグレさんが時々すごく意地悪です……」


「いつもだろ」


 ユキがぼそりと呟く。


「ユキ、何か言った?」


 シグレがにっこりとユキを見つめた。


「何も」


 アナが頬を膨らませる横で、ユキは淡々と言葉を紡いだ。


「だがあながち間違ってない。あいつは白妖族だ。年齢は百を余裕で超えてる」


「えー!」


 アナの犬耳が勢いよく立った。


「百!? レイシアさん、そんなにお年上なんですか!?」


「少なくとも、人間の感覚で考える相手じゃないな」


「恐るべし、白妖族……」


 アナは心底驚いたように呟いたあと、ふと黒妖族であるアイファへ視線を向ける。


「もしかして、アイファさんも……?」


「私はまだ十九だ」


 アイファの即答。


「種族の中では、私はまだまだひよっこだ」


「十九!? 私十七なので、そんなに変わらないんですね!」


「そうなのか」


 アイファは少しだけ不思議そうにアナを見た。


「ただ、見た目的にはあと何十年かは、あまり変わらないだろうがな」


「良いなー!」


 アナが羨ましそうに声を上げる。


「私も今のまま、ずっと若くいたいです!」


「……そんなに良いことではない」


 アイファの声が、少しだけ低くなった。


「祖母が言っていた。長く生きるということは、数え切れないほどの友人を見送るということだと」


 風が、道端の草を揺らした。


 さっきまで軽かった空気が、ほんの少しだけ静かになる。


 アイファの表情は変わらない。

 だが、その言葉の奥には、彼女の生まれた場所や、失ってきたものの影があった。


 アナは気まずそうに耳を伏せた。


「……たしかに、そうですね」


 羨ましい。


 その一言だけで済ませられる話ではないのだと、アナにも分かったらしい。


 少しの沈黙。


 それを破ったのは、やはりアナだった。


「そういえば、ユキさんはおいくつなんですか?」


「ユキは二十二だよーん」


 ユキが答えるより早く、シグレが楽しそうに言う。


「まだまだ子供だよーん」


「なぜお前が答える」


「いいじゃん。減るものじゃないし」


「お前のせいで、俺の何かは確実に減っている」


「何が?」


「気力だ」


 シグレはくすくす笑った。


 アナは感心したようにユキを見上げる。


「二十二歳なんですね。もっと大人っぽい気もしますし、でもたまに子供っぽい気もします」


「後半はいらない」


「す、すみません」


「でも分かる」


 シグレが頷いた。


「ユキ、変なところで子供だもんね」


「黙れ」


「たとえば、セラのことになるとすぐ怒るところとか」


 ユキの足が、わずかに止まりかけた。


 だが、すぐに何事もなかったように歩き出す。


 アナはその横顔を見てから、今度はシグレへ向き直った。


「シグレさんは、何歳になるんですか?」


 その聞き方に、シグレが少しだけ目を瞬かせた。


 いつ作られたのか、ではない。


 何歳になるのか。


 魔装としてではなく、ひとりの相手として尋ねられた言葉だった。


 シグレはほんの少しだけ黙った。

 それから、嬉しそうに笑った。


「生まれてからなら、もう八年か九年くらいかな。ん? いや、もっとかも」


「分からないんですか?」


「うん。あんまり気にしてなかったから」


 シグレは自分の黒髪を指先で軽く揺らす。


「それに私は、お母さんを基に作られてるからね。私を辿れば、お母さんの分も歳に入るのかな?」


「入るわけないだろ」


 ユキが即答した。


「えー、冷たい」


「お前はお前だ」


 短い言葉だった。


 シグレは一瞬だけ目を細め、それからいつもの調子で笑った。


「へー」


 アナが首を傾げる。


「セラさんは、おいくつくらいだったんですか?」


 その名が出た瞬間、ユキの表情が少しだけ静かになった。


 シグレが、代わりに答えた。


「たしか、もう覚えてないって言ってたよね。セラもエルフだったから」


「そうだったんですか!? 初耳です!」


 アナが驚いて声を上げる。


 アイファも、わずかに耳を動かした。


「聖女セレスティアは、エルフだったのか」


「ああ」


 ユキは短く答えた。


「ギルドマスターも、同胞って言ってたね」


 シグレが言う。


 ギルドマスターであるレイシアは確かに、セレスティアのことを偉大なる同胞と呼んだ。


 そして、魔女ではなく、聖女と。


 その言葉を思い出したのか、ユキの目が少しだけ細くなる。


「セラは、あまり自分の年齢を言いたがらなかった」


「女心だね」


「たぶん違う」


「じゃあ何?」


「面倒だったんだろ。聞かれるたびに説明するのが」


 シグレは少し考え、納得したように頷いた。


「あー、セラならありそう」


 アナは不思議そうに二人を見ていた。


 ユキとシグレが話すセレスティアは、世界が語る魔女とは違う。


 恐ろしい存在でも、争いを生んだ災厄でもない。


 少し面倒くさがりで、けれど誰かのために手を伸ばしてしまう人。


「へー、そうだったんですねー」


 アナはそれを、少しずつ知っていく。


 道はやがて、畑の多い平地から、森へ続く細い道に変わっていった。


 木々の影が濃くなり、風の音も変わる。

 葉擦れの奥に、鳥の声が混じっていた。

 けれど村が近いはずなのに、人の気配はどこか薄い。


 アナの犬耳が、ぴくりと揺れた。


「……なんだか、静かですね」


「ああ」


 ユキも周囲へ視線を向ける。


 アイファが低く言う。


「警戒している気配がある」


「村全体が、か」


「たぶん」


「たぶんでは困る」


「……かなり」


 ユキは小さく息を吐いた。


 シグレが、さっきまでの軽い笑みを少しだけ薄める。


「幽霊屋敷の噂、思ったより村に効いてるのかもね」


「噂だけならいいがな」


 ユキは前を見た。


 森の隙間の向こうに、小さな村の屋根が見え始めている。


 そのさらに奥。


 木々に半ば隠れるようにして、古びた屋敷の影が、かすかに立っていた。


 まだ遠い。


 けれど、そこだけ空気の色が違って見えた。


 アナが喉を鳴らす。


「……あそこ、ですかね」


「たぶんな」


 ユキは刀の柄に軽く指を置いた。


 幽霊か、魔装か、人間か。


 まだ何も分からない。


 ただひとつだけ確かなのは、誰かが消えているということだけ。


 それだけで、ユキが背を向けない理由には十分だった。

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