第42話 着せ替え人形
「まずは、これです!」
アナが最初に持ってきたのは、白と黒を基調にした服だった。
黒いワンピースに、白いエプロン。
袖口と裾には細かなフリルがつき、首元には小さなリボンまである。
どう見ても旅装ではない。
戦闘用でもない。
アイファは、それを無表情のまま見つめる。
「……これは、なんだ」
アナが即答する。
「メイド服です!」
「めいど」
聞き慣れない言葉を、アイファがそのまま繰り返す。
壁際にもたれていたユキは、眉間を押さえた。
「おい。服を買うんじゃなかったのか」
「服ですよ?」
「そういうことじゃない」
「可愛い服も服です」
アナはきっぱりと言い切った。
その横で、シグレが楽しそうに頷く。
「いいね。まずは定番からだね」
「何の定番だ」
「着せ替えの」
「勝手に始めるな」
だが、もう遅かった。
アナに背中を押され、アイファは試着室へ消えていく。
しばらくして布が開くと、そこには見事にメイド服姿のアイファが立っていた。
褐色の肌に、銀灰の髪。
すっと伸びた長い耳。
無表情のまま立つ彼女に、白黒の可愛らしい服は妙に似合ってはいた。
「……動きづらい」
だが、当人の第一声はそれだった。
「それはそうだろ」
ユキが呆れる。
「でも、すごく似合ってます!」
アナは両手を合わせて感動している。
シグレはアイファの周りをゆっくり回り、満足そうに頷いた。
「うんうん、いいね、いいね。無口メイド。ちょっと強そうすぎるけど」
そして、シグレが悪戯っぽく笑う。
「じゃあ、アイファ。言ってみて」
「何を」
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「言わない」
即答。
「惜しい」
「惜しくない」
ユキが低く返す。
アイファは視線を逸らす。
長い耳の先が、ほんの少しだけ赤くなっていた。
「照れてますね、アイファさん」
「照れていない」
「耳、赤いよ」
シグレが追い打ちをかける。
「……店内が暑い」
「まだ朝だぞ」
ユキがぼそりと言うと、アイファは口を閉じた。
◇
その後も、アナとシグレの勢いは止まらなかった。
淡い青のワンピース。
少し大人びた外出着。
踊り子のような露出が多めの衣装。
店主が奥から出してきた、飾りの多い舞台衣装のような服。
アイファはそのたびに試着室へ入り、無表情で出てくる。
ただ、最初よりも少しだけ反応は増えていた。
「……これは、袖が邪魔だ」
「これは、首が苦しい」
「これは、足音が消しにくい」
「これは、敵が笑う」
「買い物に敵を出すな」
ユキが突っ込むと、アイファは真面目な顔で首を傾げた。
アナがくすくす笑い、シグレは完全に楽しんでいる。
けれどアイファも、ただ遊ばれているだけではなくなっていた。
鏡を見る時間が、少しずつ長くなっている。
裾をつまみ、袖を動かし、靴の感触を確かめる。
似合うかどうかは分からない。
けれど、自分がこれから着るものを、自分で確かめようとしている。
かつて彼女は、自分を道具だと言い聞かせて、命じられた役目を果たすことだけが、自分に残されたものだと思っていた。
だが今は、服を選んでいる。
戦うためでも、潜むためでも、誰かに命じられたからでもない。
自分がこれから身に纏うものを、どうしていいか分からないながらも、選ぼうとしている。
ユキは壁際でそれを見ながら、何も言わなかった。
「ユキ」
不意に、アイファが声をかける。
「なんだ」
「これは、どうだ」
そう言って試着室から出てきたアイファを見て、空気が少しだけ変わった。
灰色を基調にした、身体に沿う細身の装いだった。
上衣は袖のない作りで、首元から胸元にかけて大きく開いているが、黒に近い灰色の布地と細い白の縁取りが、全体の印象を引き締めていた。
腰回りは短くまとめられ、足さばきを邪魔しない。
脚には、太ももまで届く長いブーツが伸びている。
腕には肘上まで覆う長い手袋。
肩はあえて出ているが、その分、軽さと動きやすさがある。
全体的に灰色と黒色にまとめられており、装飾は少ない。
けれど、褐色の肌と銀灰の髪にはよく映えていた。
黒衣の頃にあった暗殺者めいた刺々しさはなく、鋭さは残したまま、どこか静かで凛とした雰囲気が前に出ている。
アナが両手を胸の前で握る。
「すごく、似合ってます!」
シグレも珍しく茶化さず、素直に頷いた。
「うん。いいね。アイファって感じがする」
アイファは鏡を見る。
しばらく黙って、自分の姿を見つめていた。
そして、そっと裾を直す。
「……動きやすい」
「第一声がそれか」
ユキは呆れたが、悪い気はしない。
アイファがこちらを見る。
「変ではないか」
「変じゃない」
「目立たないか」
「変な意味では目立たない」
「戦えるか」
「戦える」
「……似合っているか」
その問いだけ、少し声が小さかった。
ユキは一瞬、言葉を止める。
アナとシグレの視線が、にやにやしながら突き刺さってくる。
非常に鬱陶しい。
だが、ここで適当に流すのも違う気がする。
ユキは短く息を吐く。
「似合ってる」
それだけ言うと、アイファは目を伏せた。
「……そうか」
声は小さい。
表情もほとんど変わらない。
けれど、長い耳がまた赤くなっていた。
「可愛い……」
アナが小さく呟く。
「可愛くはない」
「可愛いよ」
シグレが追い打ちをかける。
「可愛くはない」
「耳、赤いし」
「店内が暑い」
「二回目だぞ」
ユキが言うと、アイファは口を閉じる。
結局、その灰色の服に決まった。
他にも替えの服や外套、靴下、手袋、小物袋など、必要なものをいくつか選ぶ。
アナは楽しそうに見繕い、シグレは余計な衣装まで勧めようとして、そのたびにユキに止められた。
会計の時、サイカから預かった革袋だけでは少し足りなかった。
アナが慌てて自分の財布を出そうとするより早く、ユキが足りない分を置く。
「ユキさん?」
「必要経費だ」
「でも……」
「ギルドに戻ったら、サイカに請求する」
「ユキさんらしいです」
アナがくすっと笑う。
アイファは買った服の包みを大事そうに抱えながら、小さく言った。
「……私が返す」
「分かってる」
「必ず借りは返す」
「しつこい」
ユキが言うと、アイファは少しだけ眉を下げる。
「……すまない」
「謝ることでもない」
アイファは、まだその違いが分からないような顔をしていた。
それでも、包みを抱える手には力がこもっている。
まるで、自分のものを初めて手にした子どものように。
◇
店を出る頃には、朝だった王都の空が少し高くなっていた。
果物を売る声、馬車の車輪が石畳を叩く音が混ざり合っている。
アイファは新しい灰色の服のまま、少しぎこちなく歩き、時折、ブーツの具合や袖の位置を確認している。
「歩きづらいですか?」
アナが尋ねる。
「いや。歩きやすい」
アイファは首を横に振る。
「だから、少し変だ」
「歩きやすいのが変なんですか?」
「……あまり慣れていない」
「じゃあ、慣れましょう」
アナは明るく言った。
「これからたくさん歩きますし!」
アイファは少し考えたあと、小さく頷く。
「では、慣れる」
そのやり取りを聞きながら、ユキは前を歩く。
「そういえば、明日にはギルドへ帰るんですよね」
アナがふと思い出したように言う。
その言葉で、少しだけ空気が変わった。
王都での滞在は長くない。
セリスを王城まで送り届け、報酬の手続きも済ませた。
今のユキたちにできるのは、一度ギルドへ戻り、情報を整理し、次に動くことだった。
《ソラネ》と《イサナ》は奪われたまま。
魔女の福音という名も、オルフェリオという男の存在も、胸に棘のように残っている。
「そうだな」
ユキは短く答える。
「明日、帰る」
「リーナさんたち、驚きますかね。アイファさんが増えてたら」
「驚くだろ」
「アッシュさんも驚きそうです」
「面倒くさそうだな」
ユキは心底嫌そうな顔をすると、代わりにシグレが楽しそうに笑う。
「アッシュなら絶対言うよ。ユキなんかには勿体ないってね」
「なんかアイツムカつくな」
王都の宿が見えてくる。
来た時と同じ道を戻るだけのはずなのに、今朝とは少し違った。
灰色の服を着たアイファが、少しぎこちない歩幅でついてきている。
アナがその隣で笑い、シグレが楽しそうに茶化し、ユキが呆れながら前を歩く。
何一つ終わってはいない。
《ソラネ》も、《イサナ》も、魔女の福音も、まだ先にある。
それでも今は、こんなふうに誰かの服を選び、くだらないことで騒ぎ、並んで帰る時間がある。
こういう時間も、悪くない。
宿の扉に手をかけながら、ユキはそんなことを思った。
王女護衛編終了です!!
ここまで読んでいただきありがとうございました!
面白い&続きが気になると思ってくださいましたら、ブックマークと星⭐︎評価のほどよろしくお願いします!
まだまだ続きますのでこれからもよろしくお願いします!




