第40話 ともだちのはなし
夕暮れの光が、王都の石畳を赤く染めている。
一時間後、宿の前にユキが出ると、すでにサイカたちは揃っていた。
だが、様子がおかしい。
アナは目元を赤くして、鼻をすすっていた。
サイカも平然を装って腕を組んでいるが、目尻がわずかに濡れている。
アイファは二人の間で、どこか困ったように立っている。
ユキは半眼になる。
「……なんで、お前らはそんなに涙目なんだ」
サイカは腕を組んだまま、重々しく答える。
「アナにも部屋に来てもらってな、さっきまでアイファの身の上の話を聞いていたら、涙が止まらなくてな」
「わかります……お辛かったですよね、アイファさん……」
アナがまた涙ぐむ。
アイファは視線を下げ、小さく呟いた。
「……すまない」
「お前が謝るのかよ」
ユキは思わず突っ込む。
「私の話で、泣かせた」
「そういう問題じゃないだろ」
「……そうか」
「そうだ」
シグレがくすくすと笑う。
「いいねー、出会ってもう仲良くなってる」
「シグレさん、笑うところじゃありません!」
「ごめんごめん。でもアナ、目が真っ赤だよ」
「だって……!」
「ほら、また泣く」
「泣いてません!」
「泣いてるだろ」
ユキが淡々と言うと、アナは両手で目元を拭った。
「泣いてません!」
サイカが小さく口元を緩める。
少し前まで敵として刃を交えていたアイファが、今は同じ宿の前に立ち、同じ夕飯へ向かおうとしている。
奇妙な光景だった。
「はぁ、行くぞ」
ユキが歩き出す。
「はい!」
アナが元気よく返事をする。
「……了解した」
アイファも小さく頷いた。
シグレの声が弾む。
「王都飯、楽しみだね」
「お前、食う必要ないだろ」
「必要と楽しみは別だよ、ユキ」
「それはそうだが」
「分かってるならいいじゃん」
ユキは言い返すのをやめた。
王都の夕暮れは、昼間よりもさらに賑やかだ。
通りには灯りがともり始め、店先では焼いた肉や魚、香草を混ぜたスープ、甘い菓子の匂いが混ざり合っている。
アナの耳は、ずっと忙しなく揺れている。
「すごいです……どこからいい匂いがしているのか分かりません……!」
「全部だろうな」
「全部……!」
「そこで感動するのか」
「しますよ!」
サイカが前方を指す。
「あそこにしよう。王都ではそれなりに知られている店だ。値段も、殿下の宿ほど馬鹿げてはいない」
「ついに馬鹿げてるって言っちゃったよ、この人」
シグレが少し引いた様に目を細め、呟く。
店は大通りから少し入った場所に佇んでいた。
木造の看板には、肉と葡萄の絵が描かれている。中からは人々の笑い声が漏れ、扉を開けた瞬間、焼き立ての肉の匂いが一気に流れ出した。
アナが目を輝かせる。
「わあ……!」
「耳が正直すぎるぞ」
「仕方ありません!」
店内は賑やかだった。
冒険者らしき者、商人、旅人、王都の住人。様々な人間が木の卓を囲み、料理と酒を楽しんでいる。厨房では店員が忙しなく動き、器の音と会話の声が幾重にも重なっている。
サイカが慣れた様子で席を取り、ユキたちは奥の卓へ案内される。
「今日は私の奢りだ、好きなものを頼め。アイファも遠慮するな」
年長者のサイカが豪快に言うと、
アナの尻尾がぶんぶんと振られ、アイファの耳がピクピク動く。
料理が運ばれてくると、卓の空気はさらに柔らかくなる。
大皿に盛られた厚切りの肉。香草と一緒に焼かれた野菜。白い湯気を立てるスープ。焼き立てのパン。魚の揚げ物に、甘い果実のソース。
旅の途中の固い保存食や、野営の簡単な食事とはまるで違う。
アナは目を輝かせたまま、両手を胸の前で握る。
「王都のご飯……!」
「落ち着いて食え」
「はい!」
ユキに言われ、アナは勢いよく頷いた。
だが、すぐに熱いスープを口にして、耳と尻尾を跳ねさせる。
「熱っ……でも美味しいです!」
「落ち着けと言ったばかりだろ」
「美味しかったので……!」
「理由になってない」
サイカは器用に肉を切り分け、アナとアイファの皿へ置いてやる。
「ほら、これも食べてみろ、うまいぞ」
「ありがとうございます!」
「……助かる」
アイファは小さく礼を言い、肉を見つめる。
それから、不器用にナイフを入れた。
アイファは少し考えたあと、肉を口へ運ぶ。
「……美味い」
「よかったですね!」
アナが嬉しそうに笑い、アイファは小さく頷いた。
そんな中、シグレは当然のように人の姿を取って、ユキの隣に座っていた。
長い黒髪。澄んだ紅の瞳。どこか刃のように整った美しさを持ちながら、その表情は誰よりも無邪気だ。
皿の上の肉を楽しそうに眺め、ひょいと口へ運ぶ。
アナはその様子を見て、ふと首を傾げた。
「そういえば、改めて思ったのですが」
「ん?」
シグレが顔を上げる。
「こうして一緒にご飯も食べられていますし……シグレさんは、やっぱり不思議ですね」
「私は本当は食べる必要はないけどね。栄養もいらないし」
そう言いながら、シグレはもう一切れ肉を食べる。
「でも、味は分かるんですか?」
「分かるよ。美味しいものは美味しいし、楽しいものは楽しい。必要はないけど、意味はある」
その言い方に、アナは感心したように頷いた。
「必要はないけど、意味はある……」
「うん。というより私はそっちが主な性能だからね」
「そっち、ですか?」
「人に近いこと。話すこと。感じること。そばにいること」
シグレは軽く笑い、今度はアイファの方を見た。
「アイファ。《ソラネ》も、私みたいに喋らなかったでしょ?」
アイファは少しだけ考える。
そして、静かに頷いた。
「……確かに」
「ほらね。私は特別なのです」
「自分で言うな」
ユキがぼそりと突っ込む。
シグレは気にした様子もなく胸を張った。
「実際、特別だもん」
「面倒くささも特別だな」
「それも個性だよ」
「嫌な個性だな」
アナはそのやり取りを見て、くすりと笑う。
そして、少し遠慮がちに口を開いた。
「…あの、もしかしたら聞いたら駄目なのかもしれないんですけど」
「なになに?」
シグレが楽しそうに身を乗り出す。
アナはちらりとユキを見たあと、シグレへ向き直った。
「シグレさんは、どんな願いから生まれたんですか?」
その瞬間。
ユキが椅子を引く。
「俺は帰る」
「ユキ、どうした」
サイカが真顔で問う。
「眠い」
「まだ肉に手をつけたばかりだろう」
「急に眠くなった」
「嘘が下手だな」
「体調が悪い」
「顔色は普通だ」
「用事を思い出した」
「王都に来たばかりで、どんな用事だ」
「……帰る用事だ」
「それは帰る理由にはならん」
サイカの冷静な追及に、ユキは黙った。
シグレだけが、にやにやとやけに楽しそうに笑っている。
「ユキ、帰っちゃ駄目だよ」
「シグレ」
ユキの声が低くなる。
いつもの呆れた声ではない。
少しだけ真剣で、少しだけ焦りが混じっていた。
「頼む。やめろ」
「うんうん、私はね」
「聞け」
「小さいユキの、友達が欲しいっていう願いから生まれたんだよ」
沈黙。
賑やかな店内の音が、一瞬だけ遠くなったように感じた。
次の瞬間、ユキの顔がみるみる赤く染まった。
普段の無愛想な顔からは想像できないほど、はっきりと分かる赤さだった。耳まで赤い。
「ユキにも、そんな時代があったのか」
サイカは腕を組んだまま、ふむふむと頷く。
「ユキさん、素敵です!」
今度はアナが目を輝かせる。
「どこがだ」
「だって、友達が欲しいって、とても可愛い願いじゃないですか!」
「可愛い言うな」
「でも本当に素敵です。セラさんは、ユキさんが寂しくないようにって思ったんですよね」
その言葉に、ユキは一瞬だけ黙った。
赤くなった顔を隠すように、視線を横へ逸らす。
シグレは頬杖をつきながら、楽しそうに笑った。
「そうそう。セラは、ユキが強くなることより、ひとりでいることの方を心配してたんだよ」
「シグレ」
「剣を持つ手より、誰かと並んで歩く時間の方を気にしてた。だから私は、ユキの刀で、ユキの相棒で、ユキの友達として作られたのです」
「……余計なことを」
ユキが低く呟く。
だが、その声は本気で怒っているようには聞こえなかった。
アイファはしばらく黙っていた。
卓の上の灯りが、銀灰の髪と長い耳を淡く照らしている。
やがて、彼女はぽつりと呟いた。
「……友達」
その声は小さかったが、誰の耳にも届いた。
「魔装は、友達になるのか」
「なるよ」
シグレは即答した。
「少なくとも私は、ユキの友達のつもり」
「勝手に決めるな」
ユキが言う。
「え、違うの?」
シグレがわざとらしく首を傾げる。
ユキは言葉に詰まる。
アナとサイカとアイファの視線が、一斉にユキへ集まった。
「……勝手にしろ」
ようやく絞り出した言葉に、シグレは満足そうに笑う。
「ほらね。照れてる」
「黙れ、折るぞ」
「刀を折るな」
サイカが即座に突っ込む。
「シグレさんを折っちゃ駄目ですよ!」
アナも慌てて止める。
アイファだけが、少し遅れて真顔で言った。
「……友達は、折らない方がいい」
「お前まで乗るな」
ユキが頭を抱える。
それを見て、シグレは腹を抱えるように笑った。
「あははははっ!」
本当に楽しそうな笑い声だった。
からかうためだけではない。
ユキが困っているのが面白いのも確かだが、それ以上に、今この場所にユキがいることが嬉しくて仕方ないような笑い方だった。
その空気に乗るように、アイファが真顔のままユキを見る。
「……ユキ」
「なんだ」
「私とも、友達になろう」
「っ――!」
ユキが声にならない何かを喉で詰まらせた。
そこへ、アナが追撃する。
「私はもう、ユキさんはお友達だと思ってますからね!」
「私もだぞ」
サイカまで当然のように言った。
「ユキとは随分と面倒な縁ができた。友人と言って差し支えあるまい」
「差し支えある」
「照れるな」
「照れてない」
「顔が赤いぞ」
「黙れ」
ユキは片手で顔を覆った。
戦場であれば、どれほど不利な状況でも刀を振るう男が、今はただ一つの卓で、仲間たちの言葉に追い詰められている。
アナが笑う。
サイカも小さく口元を緩める。
アイファは表情こそ薄いままだったが、どこか不思議そうに見ていた。
シグレは笑いながら、そっとユキを見る。
赤くなった顔を隠すようにそっぽを向き、けれど席を立とうとはしないユキ。
その周りには、アナがいる。サイカがいる。アイファがいる。
もう、ユキはひとりじゃない。
シグレは声に出さず、胸の奥で小さく呟く。
(よかったね、ユキ。願いが叶って)
(私がいなくても、ユキはもう大丈夫だよ)
その言葉は、誰にも届かない。
シグレはいつものように笑って、皿の上の肉をもう一切れ口へ運ぶ。
「うん、美味しい」
「お前、まだ食うのか」
「必要はないけど、意味はあるからね」
「便利な言葉にするな」
「いいじゃん。ユキも食べなよ。せっかく友達と食べるご飯なんだから」
「その言い方をやめろ」
「ユキさん、お肉取りますか?」
「いらない」
「照れていますね」
「照れてない」
「……ユキ、パンも食べるといい」
「アイファまで世話を焼くな」
「…友達、だから」
「やめろ」
ユキの声は、いつもより少しだけ弱かった。
その弱さがおかしくて、温かくて、アナがまた笑う。サイカも酒の入っていない杯を掲げるように持ち上げ、アイファはパンの上に肉を乗せたまま真剣に食べ方を考えている。
王都の夜は、賑やかだった。
戦いの話でも、復讐の話でも、壊すべき魔装の話でもない。
ただ、同じ卓を囲んで飯を食べているだけの時間。
外では、王都の灯りが夜へ溶けていく。
その灯りの下で、彼らは初めて、何かを壊すためではなく、ただ一緒に過ごすためだけの時間を持った。
ここが妄想で1番書きたかったシーンです。
そのおかげでいつもより文字数が増えてしまいました。。。
シグレが生まれた願いについて、どうだったでしょうか!?
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