第38話 王城の宝物庫
王都へ向かう馬車の準備は、すでに整いつつある。
護衛たちは負傷者の確認を終え、盗賊たちの拘束と後処理を進めていた。
サイカはその様子を見届けながら、手早く指示を飛ばす。
トウヤはセリスの傍を離れず、アナは落ち着かない様子で、ちらちらと新しく同行することになった女へ視線を向けている。
ダークエルフの女――アイファは、無言で立っている。
褐色の肌に、銀灰の髪。長い耳は風を拾うようにわずかに揺れている。
拘束は解かれたが、武器は持たされていない。
「乗れ」
ユキが短く言う。
そしてアイファは、無言のまま馬車へ足をかけた。
幌付きの馬車。
中には既にセリス、トウヤ、アナが乗り込み、シグレも当然のようにユキの隣を確保している。
サイカは大剣を外に預けるように置きながら、それでも身体の大きさだけで十分に場所を取っていた。
アイファはしばらく馬車の中を見つめる。
そして、ぽつりと言う。
「……狭い」
「文句を言える立場か?」
ユキが言うと、アイファは少しだけ考えたあと、無表情で首を横に振る。
「なら、私は飛んで行く」
一瞬、全員の動きが止まった。
「待て……お前、《ソラネ》はもうないぞ」
ユキがそう言いかけた時には、アイファは既に馬車の外へ足を踏み出し、そのまま空へ乗るように地面を蹴ろうとしていた。
おそらく、本人にとってはそれが自然な動きだったのだろう。
空に足場を作り、そのまま馬車の上か、街道の少し上を並走するつもりだったに違いない。
だが、当然ながら何も起きない。
「……あ」
小さな声が漏れた。
次の瞬間、アイファの身体が見事に前へ傾く。
受け身を取るには遅すぎた。
べしゃっ、と乾いた音を立てて、彼女は街道に前のめりに転んだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
アナが慌てて身を乗り出す。
アイファは地面に突っ伏したまま、しばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと顔だけを上げる。
鼻先に土がついている。
「……問題ない」
「いや、問題しかない転び方だったぞ」
ユキが呆れたように言う。
「この子、思ったより面白いね」
「もしかして、ドジっ子?」
シグレは口元に手を当て、にこにこと楽しそうに笑っている。
「ドジではない」
アイファは低く答えたが、長い耳の先がほんの少しだけ赤くなっていた。
サイカが肩を震わせる。
「《ソラネ》頼みの身体感覚が、まだ抜けていないらしいな」
「……すぐ直す」
「そうしろ。次に同じことをしたら、今度は私が首根っこを掴んで馬車に放り込む」
「…分かった」
アイファは真顔で頷く。
素直ではあるらしい。
アナは心配そうに手を差し出し、アイファは一瞬だけその手を見つめた。
取っていいのか分からない、というような沈黙。
やがて彼女は、ぎこちなくアナの手を掴む。
「……助かる」
「い、いえっ」
アナの犬耳が小さく跳ねる。
◇
馬車の中へ収まる頃には、張り詰めていた空気が少しだけ緩んでいた。
馬車は動き出す。
車輪が湿った土を噛み、朝の街道をゆっくりと進み始めた。
幌の隙間から差し込む光が、揺れるたびに車内の顔を淡く照らす。
しばらく、誰も話さなかった。
やがて、シグレが隣で頬杖をつきながら、楽しそうとも寂しそうともつかない顔で口を開く。
「今回は、情報だけが収穫だったね。置き土産は、結局ひとつも壊せなかった。」
「あ、収穫はもう一つあった。ドジっ子ダークエルフ」
アイファは車内の端で膝を抱えるように座っている。
視線は外へ向けられていた。けれど、耳だけはわずかにこちらを向いている。
聞いていないふりをして、聞いている。
そんな不器用さがあった。
「情報だけで十分、とは言えないな」
ユキは窓の外へ視線を向ける。
《ソラネ》を壊せなかった。
空を駆けるために作られたナイフ。
翼を失った少女へ、セラが願いを込めて渡した置き土産。
それが、また奪われた。
その事実が、胸の奥に重く残っている。
「ユキ」
ふいに、セリスが口を開く。
ユキは視線だけを向ける。
セリスは少し迷ったように唇を結んでいた。
だが、すぐに顔を上げる。
「もう一つ、情報をあげるわ」
「情報?」
「ええ」
セリスはトウヤを一度見た。
トウヤの表情が、わずかに硬くなる。
「まさか殿下、それは……」
本来、口にするべきではない。
その目がそう告げている。
だが、セリスは静かに首を横に振る。
「いいのよ」
「しかし」
「ユキには、知る権利があるわ」
セリスはそう言ってから、改めてユキを見る。
「戦争に使われた《魔女の置き土産》――《アマネ》と《ツムギ》。その二つは、王城の宝物庫にあるわ」
車内の空気が、わずかに変わる。
アナは意味を測りかねるように瞬きをし、アイファは目を細める。
サイカは腕を組んだまま、黙ってセリスを見た。
ユキだけは、すぐに表情を消した。
「王城の宝物庫か」
《アマネ》。
大勢の痛みを分かち合うために作られた置き土産。
《ツムギ》。
一人の傷を癒やすために作られた置き土産。
本来なら、どちらも優しい願いから生まれたものだ。
ひとりに苦しみを負わせないため。
誰かの傷を、少しでも救うため。
だが戦争では、その優しさが最悪の形で利用された。
その二つの置き土産が、王都にある。
「厳重に保管されているわ。もちろん、外へ出すことは許されない。王族でも、簡単には触れられない」
「だろうな」
ユキは短く言った。
声は平坦だったが、その奥に冷えたものがある。
シグレが、隣で楽しそうに目を細める。
「王城の宝物庫か。どうする、ユキ」
そして、いつもの調子で囁く。
「反旗を翻しちゃう?」
ユキは少しだけ間を置く。
それから、真顔で言う。
「そうだな。まずは王女でも誘拐するか」
「ちょっと」
セリスが半眼になる。
次の瞬間。
ごっちーん、と鈍い音が馬車の中に響く。
サイカの拳骨が、ユキの頭に容赦なく落ちた。
「ぐっ……!」
ユキが頭を押さえて悶絶する。
「馬鹿者。冗談でもそんなこと口にするな」
「始めたのはシグレだろ……」
「貴様も乗るな」
シグレは腹を抱えて笑っている。
「ふふっ、痛そう。ユキ、今のはいい音だったよ」
「お前のせいだろ」
アナも思わず口元を押さえ、トウヤは咳払いで誤魔化そうとしているが、肩がわずかに揺れている。
セリスも呆れた顔をしていたが、その目元には笑みが滲んでいた。
アイファだけは真顔で、言葉を繋ぐ。
「……王女の誘拐は、作戦としては悪くない」
空気がまた止まる。
そして、ユキが顔を上げる。
「ほら見ろ、経験者が言っているぞ」
「お前は黙っていろ」
サイカが今度はアイファの方へ拳を向ける。
アイファはびくりと肩を跳ねさせた。
そして、何事もなかったように視線を逸らす。
「……今のは、忘れろ」
「もう遅いね」
シグレがにこにこと笑う。
「この子、やっぱり面白い」
「私は面白くはない」
アイファはまた同じ言葉を返す。
だが、耳の先はやはり赤かった。
笑いが、馬車の中に小さく広がる。
戦いの後とは思えないほど、ささやかな時間だった。
けれど、それは決して無意味ではない。
ほんの少しだけ、前へ進むための余白がそこにはあった。
「いいわ、ユキ」
セリスが、不意に言った。
笑いの名残が消えないまま、それでもその声は真剣だった。
「今は無理でも、私が女王になったら、《アマネ》と《ツムギ》は貴方にあげる。壊してもらった方が、きっと国のためだわ」
「殿下、そのような約束は……」
トウヤが慌てて口を挟む。
けれど、セリスはまっすぐ前を向く。
「大丈夫よ、トウヤ」
その横顔には、以前のような刺々しさはない。
「その頃には私は、《魔女の置き土産》を超える魔装を沢山作っているはずだから」
アナが、ぱちりと瞬きをする。
セリスは胸を張る。
「誰かを縛るためじゃない。傷つけるためでもない」
「みんなを護るための魔装を、たくさん作るわ。だから、あんなものに頼らなくてもいい国にする」
その笑顔は、溢れんばかりに明るかった。
ユキは、少しだけ目を細める。
かつて彼女は、セレスティアを忌々しい魔女と呼んだ。
何をしても比べられ、届かなければ出来損ないと囁かれ、届けばいつか同じ災厄になるかもしれないと恐れられる。
その重さに押し潰されながら、彼女はセラを憎むことで自分を保っていた。
だが、今のセリスの瞳にあるのは憎しみではない。
誰かと比べられるためではなく。
誰かを超えたと証明するためでもなく。
ただ、自分の手で誰かを護るものを作りたいという、まっすぐな願いだけだ。
シグレが、ユキの隣で小さく笑う。
「変わったね、あの子」
「……そうだな」
ユキは短く答える。
すると、セリスがこちらを睨む。
「何よ。何か言いたそうね」
「いや」
ユキは視線を逸らす。
「少しは王女らしくなったと思っただけだ」
「今までも王女だったわよ」
「どうだかな」
「また殴られたいの?」
「誰にだ」
「サイカに決まってるでしょ」
サイカが無言で拳を鳴らす。
ユキは素直に黙った。
その様子に、アナが小さく笑う。
トウヤは困ったように、それでもどこか安心したように息を吐いた。
アイファはその輪の端で、まだ馴染めずにいる。けれど、逃げようとはしなかった。
馬車は進む。
街道の先に、やがて高い城壁が見える。
石造りの巨大な門。
朝日に照らされる王城の尖塔。
幾重にも重なる屋根と、人々の営みが生む薄いざわめき。
ルシア王国の中心。
王都。
セリス・ルシアが帰る場所。
そして、ニつの《魔女の置き土産》が眠る場所。
「着いたわね」
セリスが静かに言った。
ユキは幌の隙間から王城を見上げる。
壊せなかった《ソラネ》。
奪われた《イサナ》。
そして、宝物庫に眠る《アマネ》と《ツムギ》。
まだ何一つ、終わっていない。
けれど、道は続いている。
そうして、馬車は王都の門をくぐった。




