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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第3章 王女の護衛

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第38話 王城の宝物庫

王都へ向かう馬車の準備は、すでに整いつつある。


護衛たちは負傷者の確認を終え、盗賊たちの拘束と後処理を進めていた。


サイカはその様子を見届けながら、手早く指示を飛ばす。

トウヤはセリスの傍を離れず、アナは落ち着かない様子で、ちらちらと新しく同行することになった女へ視線を向けている。


ダークエルフの女――アイファは、無言で立っている。


褐色の肌に、銀灰の髪。長い耳は風を拾うようにわずかに揺れている。

拘束は解かれたが、武器は持たされていない。


「乗れ」


ユキが短く言う。

そしてアイファは、無言のまま馬車へ足をかけた。


幌付きの馬車。

中には既にセリス、トウヤ、アナが乗り込み、シグレも当然のようにユキの隣を確保している。

サイカは大剣を外に預けるように置きながら、それでも身体の大きさだけで十分に場所を取っていた。


アイファはしばらく馬車の中を見つめる。


そして、ぽつりと言う。


「……狭い」


「文句を言える立場か?」


ユキが言うと、アイファは少しだけ考えたあと、無表情で首を横に振る。


「なら、私は飛んで行く」


一瞬、全員の動きが止まった。


「待て……お前、《ソラネ》はもうないぞ」


ユキがそう言いかけた時には、アイファは既に馬車の外へ足を踏み出し、そのまま空へ乗るように地面を蹴ろうとしていた。


おそらく、本人にとってはそれが自然な動きだったのだろう。

空に足場を作り、そのまま馬車の上か、街道の少し上を並走するつもりだったに違いない。


だが、当然ながら何も起きない。


「……あ」


小さな声が漏れた。


次の瞬間、アイファの身体が見事に前へ傾く。


受け身を取るには遅すぎた。


べしゃっ、と乾いた音を立てて、彼女は街道に前のめりに転んだ。


「だ、大丈夫ですか!?」


アナが慌てて身を乗り出す。


アイファは地面に突っ伏したまま、しばらく動かなかった。

やがて、ゆっくりと顔だけを上げる。


鼻先に土がついている。


「……問題ない」


「いや、問題しかない転び方だったぞ」


ユキが呆れたように言う。


「この子、思ったより面白いね」


「もしかして、ドジっ子?」


シグレは口元に手を当て、にこにこと楽しそうに笑っている。


「ドジではない」


アイファは低く答えたが、長い耳の先がほんの少しだけ赤くなっていた。


サイカが肩を震わせる。


「《ソラネ》頼みの身体感覚が、まだ抜けていないらしいな」


「……すぐ直す」


「そうしろ。次に同じことをしたら、今度は私が首根っこを掴んで馬車に放り込む」


「…分かった」


アイファは真顔で頷く。


素直ではあるらしい。

アナは心配そうに手を差し出し、アイファは一瞬だけその手を見つめた。

取っていいのか分からない、というような沈黙。


やがて彼女は、ぎこちなくアナの手を掴む。


「……助かる」


「い、いえっ」


アナの犬耳が小さく跳ねる。



馬車の中へ収まる頃には、張り詰めていた空気が少しだけ緩んでいた。


馬車は動き出す。

車輪が湿った土を噛み、朝の街道をゆっくりと進み始めた。

幌の隙間から差し込む光が、揺れるたびに車内の顔を淡く照らす。


しばらく、誰も話さなかった。

やがて、シグレが隣で頬杖をつきながら、楽しそうとも寂しそうともつかない顔で口を開く。


「今回は、情報だけが収穫だったね。置き土産は、結局ひとつも壊せなかった。」


「あ、収穫はもう一つあった。ドジっ子ダークエルフ」


アイファは車内の端で膝を抱えるように座っている。

視線は外へ向けられていた。けれど、耳だけはわずかにこちらを向いている。


聞いていないふりをして、聞いている。

そんな不器用さがあった。


「情報だけで十分、とは言えないな」


ユキは窓の外へ視線を向ける。


《ソラネ》を壊せなかった。


空を駆けるために作られたナイフ。

翼を失った少女へ、セラが願いを込めて渡した置き土産。


それが、また奪われた。

その事実が、胸の奥に重く残っている。


「ユキ」


ふいに、セリスが口を開く。

ユキは視線だけを向ける。


セリスは少し迷ったように唇を結んでいた。

だが、すぐに顔を上げる。


「もう一つ、情報をあげるわ」


「情報?」


「ええ」


セリスはトウヤを一度見た。

トウヤの表情が、わずかに硬くなる。


「まさか殿下、それは……」


本来、口にするべきではない。

その目がそう告げている。


だが、セリスは静かに首を横に振る。


「いいのよ」


「しかし」


「ユキには、知る権利があるわ」


セリスはそう言ってから、改めてユキを見る。


「戦争に使われた《魔女の置き土産》――《アマネ》と《ツムギ》。その二つは、王城の宝物庫にあるわ」


車内の空気が、わずかに変わる。


アナは意味を測りかねるように瞬きをし、アイファは目を細める。

サイカは腕を組んだまま、黙ってセリスを見た。


ユキだけは、すぐに表情を消した。


「王城の宝物庫か」


《アマネ》。

大勢の痛みを分かち合うために作られた置き土産。


《ツムギ》。

一人の傷を癒やすために作られた置き土産。


本来なら、どちらも優しい願いから生まれたものだ。


ひとりに苦しみを負わせないため。

誰かの傷を、少しでも救うため。


だが戦争では、その優しさが最悪の形で利用された。


その二つの置き土産が、王都にある。


「厳重に保管されているわ。もちろん、外へ出すことは許されない。王族でも、簡単には触れられない」


「だろうな」


ユキは短く言った。

声は平坦だったが、その奥に冷えたものがある。


シグレが、隣で楽しそうに目を細める。


「王城の宝物庫か。どうする、ユキ」


そして、いつもの調子で囁く。


「反旗を翻しちゃう?」


ユキは少しだけ間を置く。

それから、真顔で言う。


「そうだな。まずは王女でも誘拐するか」


「ちょっと」


セリスが半眼になる。


次の瞬間。


ごっちーん、と鈍い音が馬車の中に響く。

サイカの拳骨が、ユキの頭に容赦なく落ちた。


「ぐっ……!」


ユキが頭を押さえて悶絶する。


「馬鹿者。冗談でもそんなこと口にするな」


「始めたのはシグレだろ……」


「貴様も乗るな」


シグレは腹を抱えて笑っている。


「ふふっ、痛そう。ユキ、今のはいい音だったよ」


「お前のせいだろ」


アナも思わず口元を押さえ、トウヤは咳払いで誤魔化そうとしているが、肩がわずかに揺れている。


セリスも呆れた顔をしていたが、その目元には笑みが滲んでいた。


アイファだけは真顔で、言葉を繋ぐ。


「……王女の誘拐は、作戦としては悪くない」


空気がまた止まる。

そして、ユキが顔を上げる。


「ほら見ろ、経験者が言っているぞ」


「お前は黙っていろ」


サイカが今度はアイファの方へ拳を向ける。


アイファはびくりと肩を跳ねさせた。

そして、何事もなかったように視線を逸らす。


「……今のは、忘れろ」


「もう遅いね」


シグレがにこにこと笑う。


「この子、やっぱり面白い」


「私は面白くはない」


アイファはまた同じ言葉を返す。

だが、耳の先はやはり赤かった。


笑いが、馬車の中に小さく広がる。

戦いの後とは思えないほど、ささやかな時間だった。


けれど、それは決して無意味ではない。

ほんの少しだけ、前へ進むための余白がそこにはあった。


「いいわ、ユキ」


セリスが、不意に言った。


笑いの名残が消えないまま、それでもその声は真剣だった。


「今は無理でも、私が女王になったら、《アマネ》と《ツムギ》は貴方にあげる。壊してもらった方が、きっと国のためだわ」


「殿下、そのような約束は……」


トウヤが慌てて口を挟む。

けれど、セリスはまっすぐ前を向く。


「大丈夫よ、トウヤ」


その横顔には、以前のような刺々しさはない。


「その頃には私は、《魔女の置き土産》を超える魔装を沢山作っているはずだから」


アナが、ぱちりと瞬きをする。

セリスは胸を張る。


「誰かを縛るためじゃない。傷つけるためでもない」


「みんなを護るための魔装を、たくさん作るわ。だから、あんなものに頼らなくてもいい国にする」


その笑顔は、溢れんばかりに明るかった。


ユキは、少しだけ目を細める。


かつて彼女は、セレスティアを忌々しい魔女と呼んだ。


何をしても比べられ、届かなければ出来損ないと囁かれ、届けばいつか同じ災厄になるかもしれないと恐れられる。


その重さに押し潰されながら、彼女はセラを憎むことで自分を保っていた。


だが、今のセリスの瞳にあるのは憎しみではない。


誰かと比べられるためではなく。

誰かを超えたと証明するためでもなく。


ただ、自分の手で誰かを護るものを作りたいという、まっすぐな願いだけだ。


シグレが、ユキの隣で小さく笑う。


「変わったね、あの子」


「……そうだな」


ユキは短く答える。

すると、セリスがこちらを睨む。


「何よ。何か言いたそうね」


「いや」


ユキは視線を逸らす。


「少しは王女らしくなったと思っただけだ」


「今までも王女だったわよ」


「どうだかな」


「また殴られたいの?」


「誰にだ」


「サイカに決まってるでしょ」


サイカが無言で拳を鳴らす。


ユキは素直に黙った。


その様子に、アナが小さく笑う。


トウヤは困ったように、それでもどこか安心したように息を吐いた。

アイファはその輪の端で、まだ馴染めずにいる。けれど、逃げようとはしなかった。


馬車は進む。

街道の先に、やがて高い城壁が見える。


石造りの巨大な門。

朝日に照らされる王城の尖塔。

幾重にも重なる屋根と、人々の営みが生む薄いざわめき。


ルシア王国の中心。


王都。


セリス・ルシアが帰る場所。

そして、ニつの《魔女の置き土産》が眠る場所。


「着いたわね」


セリスが静かに言った。

ユキは幌の隙間から王城を見上げる。


壊せなかった《ソラネ》。

奪われた《イサナ》。

そして、宝物庫に眠る《アマネ》と《ツムギ》。


まだ何一つ、終わっていない。


けれど、道は続いている。


そうして、馬車は王都の門をくぐった。

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