表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第3章 王女の護衛

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/58

第35話 眠れる街道

街道には、異様な静けさが落ちていた。


つい先ほどまで刃と魔装がぶつかり合い、怒号と悲鳴が飛び交っていた場所だというのに、今は誰も動かない。


地面に倒れ伏したまま、すう、すう、と穏やかな寝息を立てている。


その光景の中で、シグレはまずアナの前にしゃがみ込んだ。


「見て、ユキ。アナの寝顔、めっちゃ可愛いよ。耳がぴくぴくしてる」


「遊ぶな。起こせ」


「えー、でも見てよ」


シグレは楽しそうに笑いながら、アナの頬を指先でちょんちょんとつつく。


アナは小さく眉を寄せたが、目を覚ます気配はなく、伏せていた犬耳だけが、ぴく、と控えめに震えた。


「ほら。可愛い」


「……早くしろ」


ユキはため息をつき、次にサイカの方へ視線を向ける。


青銀の鎧を纏った龍人族は、片膝をついた姿勢から横倒しになっていた。


その寝顔は、眠っているとは思えないほど険しい。眉間には深い皺が刻まれ、口元はきつく引き結ばれている。


「……それに対して、なんでこいつはこんな険しい顔で寝てるんだ」


その瞬間。


「……貴様ら……喧嘩するな……馬鹿者が……」


低く、重い寝言がこぼれた。

シグレの紅い瞳が、ぱっと輝く。


「絶対、ユキとアッシュのことだよ」


「違う」


「絶対そうだって。普段から苦労してるんだね、サイカ」


「いいから起こすぞ」


ユキがサイカの肩へ手を伸ばそうとした、その時。


「ちょっと待って」


シグレの声が、妙に真剣だった。

故に、ユキの手が止まる。


「……なんだ」


「私、サイカの尻尾触りたい」


沈黙。


ユキは呆れた表情でゆっくりとシグレを見る。


「……今か」


「今しかないんだよ」


シグレは真顔だ。

ふざけている時の顔ではない。

本当に、心の底から大事なことを訴えている顔だった。


「だって、いつも触れそうにないんだもん。起きてる時に触ったら、絶対怒られるでしょ」


「起きてなくても怒られると思うが」


「だから今、少しだけ」


「……」


ユキは深くため息をついた。


「知らんぞ」


「やった」


「許可はしてない」


シグレは聞く耳を持っていない。

そっとサイカの尾へ近づき、指先を伸ばす。


青銀の鱗に覆われた尾は、戦闘中に何度も地面を打ち、敵を薙ぎ払っていたものだ。

見た目だけなら、しなやかな鞭というより、冷たく硬い武器に近い。


シグレは恐る恐る、その表面へ触れた。


「おお……」


感動したように、紅い瞳が細まる。


「鱗の硬さだけかと思いきや、鱗の薄いところはひんやりしてて、ちょっと柔らかい。これはこれは……」


「もういいだろ」


「待って。これは研究として重要」


「何の研究だ」


「龍人族の触り心地」


「やめろ」


「ユキだって、本当は触りたいでしょ」


シグレが、少しだけ力を込めた。

次の瞬間。


ばっ、と。


サイカの拳が、シグレの目の前で止まった。

空気が弾ける。

風圧でシグレの前髪がふわりと揺れた。


「……さて」


低い声が落ちる。

サイカは片目を開けている。拳を構えたまま、眠りから覚めたばかりとは思えないほど静かな声音で言う。


「どういう状況か、聞こうか」


シグレは無言で正座した。


「ごめんなさい」


ユキは額に手を当てる。


「……起きるのが早いな」


「尻尾を触られて起きない龍人族がいると思うか」


そんな常識は知らない。ユキはそう言いかけて、飲み込んだ。


サイカは拳を下ろし、ゆっくりと身体を起こし、その目の奥にはすでに戦士の光が戻っている。


まず周囲を見渡す。

倒れているアナ。セリス。トウヤ。護衛たち。

そして、血溜まりの中に倒れたセヴランの亡骸と、オルフェリオが消えた方角へ視線を向けた。

サイカの表情から、わずかな眠気が完全に消える。


「……説明しろ」


「盗賊以外を起こしてからだ。手伝え」


ユキがそう返すと、サイカは一瞬だけシグレへ視線を向けた。

正座したままのシグレが、すっと目を逸らす。



ユキとサイカは、黙々と仲間たちを起こしていった。

目覚めた者たちの顔には一様に戸惑いがある。


いつ眠ったのか分からない。

何が起きたのか分からない。


ただ、戦場だったはずの街道で、自分たちだけが無防備に眠らされていた。その事実だけが、遅れて背筋を冷やしていく。


アナは何度も耳を動かしながら周囲を見回し、セリスは青ざめた顔で自分の手を握りしめていた。トウヤの目には苦い屈辱が滲んでいる。


「――というわけだ」


皆がある程度落ち着いたところで、ユキは短く説明を終えた。


新たな置き土産によって全員が眠らされたこと。

魔女の福音を名乗る者――オルフェリオを逃したこと。

《ソラネ》と《イサナ》は奪われたこと。

必要な事実だけを並べ、ユキは短く息を吐く。


重い沈黙が落ちる。

その中で、アナが恐る恐る片手を上げた。


「一つ、質問いいですか?」


「なんだ」


アナは首を傾げ、困惑したような顔で言った。


「どうして、シグレさんは正座しているんです?」


皆の視線が、一斉にシグレへ集まった。


少し離れた場所で、シグレはまだ正座している。

ユキは疲れたように目を伏せた。


「……あいつは放っておけ」


サイカは一度だけシグレを見る。


「お前は話が終わったら説教だ」


「はい」


シグレはまた、素直に頷いた。


普段なら何かしら言い返すはずのシグレが黙っている。

その様子に、アナは余計に首を傾げたが、今は深く追及する空気ではなかった。


サイカは表情を引き締める。


「それにしても、音色を聞いた者を眠らせる置き土産イサナか。また厄介な」


「ああ」


ユキの返事は短い。だが、その一音には重さがある。


「だが、《イサナ》はすでに壊したはずだ」


その言葉に、アナ、セリス、トウヤの顔色が変わる。


「壊したはず、か」


サイカはその言葉を噛みしめるように繰り返した。


「考えられるとすれば、まずはお前が壊し損ねた可能性だが――」


そこで一度、サイカはユキを見る。


「いや。お前に限って、それはないだろうな」


ユキの実力も、執着もサイカは知っている。

ならば、とサイカは腕を組み、低く呟く。


「誰かが壊れた《イサナ》を修復したか」


その可能性に、空気がさらに重くなる。

だが、セリスはすぐに首を横へ振った。


「それは、ほとんどあり得ないわ」


魔装を作る資質を持つ者としての声。

王女としてではない。魔装を生み出せる者だからこそ分かる、冷静な断言だった。


「同じ性質を持つ魔装を新しく作る、という話ならまだ分かるわ」


「でも、壊れた魔装を修復するなんて芸当は別物よ。魔装は、金具や刃を継ぎ直せば戻るような代物じゃない。魔力の流れが崩れた時点で、同じものとしては成立しなくなる」


「魔装とは、そういうものよ」


セリスは唇を噛む。


「まして、聖女セレスティアの置き土産ならなおさら。あれは、ただ強い魔装というだけじゃない」


「願いと機能が深く結びついている。外側だけ直しても、同じものには戻らないはず」


するとトウヤが静かに問う。


「では、修復できる可能性としたら?」


セリスは一瞬だけ言葉を詰まらせた。


そして、苦い顔で続ける。


「作った本人か……あるいは、それに限りなく近い資質を持つ誰か」


その場にいた全員が、同じ名を思い浮かべた。


セレスティア。

かつて聖女と呼ばれ、今は魔女と呼ばれる女。

十二の置き土産を遺した者。


アナが戸惑ったようにユキを見る。


「そ、それじゃあ……セラさんが……?」


その声には、不安と期待どちらもあった。


だが、ユキは、静かに答える。


「セラはもう、この世にはいない」


短い言葉だ。

だが、それ以上の反論を許さない声でもある。


その言葉を、信じたくないのは、きっと誰よりもユキ自身だ。


だが、それでも彼は否定しなければならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ