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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第3章 王女の護衛

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第34話 ツギハギの奇跡

「っ、全員耳を塞げ!」


 ユキの叫びは、最後まで届かない。


 叫びの前に、オルフェリオの指先で、白磁の笛が淡く光る。


「《イサナ》――魔装顕現」


 オルフェリオが、祈るように名を呼ぶ。


 次の瞬間。


 ぴい、と。


 ひどく澄んだ音色が、朝の街道に響いた。

 どこまでも透明で、やわらかく、優しい音。


 子どもを寝かしつける子守唄のように。

 疲れ切った誰かの瞼へ、そっと指を添えるように。


「ユキさ――」


 アナの声が、途中で途切れる。


 振り返るより早く、彼女の身体が崩れ落ちた。

 犬耳が力なく伏せ、膝から地面に沈む。


 トウヤも、セリスを庇おうと半歩踏み出した姿勢のまま膝をつき、白い障壁が揺らぎ、薄く砕ける。


 セリスは何かを言おうと唇を動かしたが、声になる前に瞼が落ちた。


 サイカの大剣が地面を抉る。


「……っ」


 龍人族の膂力をもってしても、抗えたのはほんの一瞬だった。


 青銀の鎧が朝の光を弾き、尾がわずかに跳ねたが、次の瞬間にはその巨躯も片膝をつき、重い呼吸を落として動かなくなる。


 周囲の護衛たちも同様に一人、また一人と武器を取り落とし、街道に倒れていく。


 盗賊たちも例外ではない。

 つい先ほどまで息を荒げていた者たちが、土の上で無防備に寝息を立てている。


 立っているのは、ユキだけだった。


「……クソっ」


 ユキは奥歯を噛み締める。


 耳を塞ぐのは、ぎりぎり間に合った。


 だが、頭の奥に、まだ音の残滓がまとわりついている。

 瞼の裏を重く撫でるような感覚が、意識の底を引きずり落とそうとしていた。


 それでも、ユキは倒れない。


 刀を握る指に力を込め、正面の男を睨み据える。

 オルフェリオは、感心したように目を細めていた。


「さすがですね。耳を塞ぐのは間に合いましたか」


 穏やかな声だった。


「……どういうことだ」


 対してユキの声は、低く掠れている。


「《イサナ》は、壊したはずだ」


 その名を口にした瞬間、胸の奥が鈍く軋んだ。


 かつて壊した置き土産。

 もう二度と誰かを眠らせることはないはずだった魔装。


 セラが安らぎのために作り、歪められ、そしてユキが終わらせたはずのもの。


 それが今、目の前にある。


 折れた跡を残したまま。

 壊された事実を嘲笑うように。


「さあ」


 オルフェリオは、白磁の笛を指先で弄ぶ。


「それは、貴方が知る必要のないことです」


「ふざけるな」


 ユキが一歩踏み出す。


 足元の土が、ぎり、と軋んだ。

 刀の切っ先が、オルフェリオの喉元へ向く。


「《ソラネ》を置いていけ。《イサナ》もだ」


「おや、欲張りですね」


「黙れ」


「ですが、残念です。私はそろそろ、この辺でお暇させていただきます」


 オルフェリオは、まるで訪問先で茶を飲み終えた客のように、軽く一礼した。


 その態度が、ユキの神経を逆撫でする。


「俺が逃がすと思うか」


 ユキの殺気が膨れ上がる。


 朝の空気が冷たく沈み、倒れた者たちの髪がかすかに揺れた。

 今すぐ踏み込めば届く距離ではない。

 だが、届かない距離でもない。


 ユキなら斬れる。


 少なくとも、斬りかかることはできる。


 その瞬間、頭の奥でシグレの声が響いた。


(ユキ、落ち着いて)


「……」


(今は、駄目)


 ユキの指が、刀の柄を強く握り込む。


 分かっている。


 本当は分かっているからこそ、腹の底が煮えるようだった。


 アナも、セリスも、トウヤも、サイカも倒れている。

 護衛たちでさえ。

 全員が意識を失い、無防備な身体を街道に晒している。


 ここでユキがオルフェリオへ踏み込めば、彼らを守る者がいなくなる。


 オルフェリオは、それを理解している。

 そして、その上で笑っていた。


「刀に諭されては、貴方も立つ瀬がありませんね」


「……聞こえているのか」


「いいえ。ですが、表情を見れば分かります」


 オルフェリオは柔らかく微笑む。


「貴方は今すぐにでも、私を斬りたい。ですが、そうすることはできない。とても分かりやすい葛藤です」


「……」


「私も、腕に自信がないわけではありません」


 白い長衣の袖が、風に揺れる。


「ですが、正面から貴方に勝つことは難しいでしょう。魔女の弟子であり、《シグレ》を持つ貴方を相手にするには、少々分が悪い」


 そう言いながら、オルフェリオは一歩だけ横へ動いた。


 その先には、眠ったまま倒れているセリスがいる。


 ユキの眉がわずかに動く。

 オルフェリオは、それを見逃さなかった。


「ただ、この状況でしたら」


 穏やかな声が、冷たく変わる。


「少なくとも、確実に五人は殺せます」


 街道の空気が止まった。


「王女殿下を含めてね」


 オルフェリオは、いやらしく笑った。


 それは、初めて見せる露骨な悪意だった。

 慈悲めいた微笑みでも、祈るような表情でもない。

 相手の怒りを理解した上で、踏みにじることを楽しむ顔。


 ユキの視界が、赤く滲む。


「……チッ」


 舌打ちが、低く落ちた。


 刀は下ろさない。

 だが、踏み込むこともしない。


 それが、今のユキにできる唯一の選択だった。


「賢明なご判断です」


 オルフェリオは満足げに頷く。


「ご安心ください。貴方とは、いずれまた巡り会うでしょう」


「誰が、お前と」


「運命とは、そういうものです」


 言い終えた瞬間、オルフェリオの姿がぶれた。


 速い。


 ただの神官ではない。

 白い長衣が朝の光を引き裂き、風だけを残して距離を詰める。


 ユキは即座に反応し、刀を振るう。

 黒い軌跡が、オルフェリオの首筋へ走った。


 だが、届かない。


 オルフェリオは半身をずらし、刃の間合いを紙一重で抜けた。

 そのまま、ユキの耳元へ顔を寄せる。


「今度は、貴方のよく知る彼女も一緒に」


 囁きは、毒のように甘かった。


 ユキの目が見開かれる。


「――ッ!」


 刀が横薙ぎに走る。


 だが、そこにはもう誰もいない。

 白い長衣の裾だけが、風に溶けるように離れていく。


「おっと、怖い怖い」


 数歩離れた先で、オルフェリオが肩をすくめていた。

 手には《ソラネ》。


 もう片方の手には、継ぎ目のある白磁の笛。


「では、さようなら。魔女の弟子、ユキ」


 オルフェリオは、優雅に一礼する。


「貴方に、魔女のご加護があらんことを」


「セラを――」


 ユキが踏み出す。


「魔女と呼ぶな!」


 だが、その声が届くより早く、オルフェリオの気配が掻き消えた。


 まるで最初からそこにいなかったかのように。

 朝の街道から、白い影だけが消える。


 残されたのは、眠り落ちた仲間たち。

 倒れた盗賊たち。

 そして、地面に広がるセヴランの血だけだった。


「……クソが」


 ユキは吐き捨てる。


(ユキ)


 シグレの声が、静かに響く。


(今回ばかりは、仕方ないよ)


「……分かってる」


(いくらユキでも、この状況じゃ、王女さんやアナたちを守れない)


「分かってる」


 同じ言葉を繰り返し、ユキは深く息を吸う。


 肺の奥が焼けるように痛む。

 さっきまでの戦闘の疲労も、イサナの音色の残滓も、今さらになって身体を重くしてくる。


 それでも、ここで崩れるわけにはいかない。


 そして、ユキは、ゆっくりと息を吐いた。


「シグレ」


(なに?)


「戻れ」


 ユキの手の中で、黒刀が淡く揺らぐ。


 次の瞬間、刃の輪郭がほどけ、黒い霞のように広がった。

 それは人の形を取り、長い黒髪と澄んだ紅の瞳を持つ少女の姿へ変わる。


 シグレは肩を回すようにして、周囲を見渡した。


「うわ。見事に全滅だね」


「サイカたちを起こすのを手伝え」


「えー、結構いるけど」


 シグレが面倒くさそうに唇を尖らせる。


 周囲には、サイカ、アナ、セリス、トウヤ。

 さらに護衛たちが何人も倒れている。

 少し離れた場所には、盗賊たちも転がっていた。


 全員が、穏やかな寝息を立てている。


 つい先ほどまで殺し合っていた者たちが、同じ音色に眠らされた光景は、奇妙なほど静かだった。


 ユキは盗賊たちへ一瞥を向ける。


「盗賊共は放っておけ」


「はーい」


 シグレは軽く手を上げると、まずアナの方へ歩いていった。


 ユキはその場に立ったまま、オルフェリオが消えた方角を見る。


 《ソラネ》は奪われた。


 イサナは、壊したはずだった。


 そして、オルフェリオは最後に言った。


 ――今度は、貴方のよく知る彼女も一緒に。


 その言葉が、胸の奥に棘のように残る。


「……魔女の福音」


 低く、名を刻むように呟く。


「必ず、俺が壊す」


 陽の光が、街道に差し込んでいる。


 だが、その光は少しも暖かくなかった。

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Xの方から伺わせていただきました! 読みやすいライトノベル系のファンタジーという印象を受けます。 安易にテンプレート展開には頼らず、キャラクター同士の因縁やヒューマンドラマを盛り込み物語としての構成…
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