第2話 喋る魔装
ギルドを出た瞬間、アナは胸の奥で小さく呻いた。
(どうしてこうなったのだろう)
成り行きで受けることになった、初めてのクエスト。
その先導をしているのは、黒髪の青年だった。
無駄のない背中。大きな歩幅。迷いのない足取り。
ギルドの中でも、ひときわ異質な存在――ユキ。
その背を追いながら、アナは半ば小走りになっていた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
必死に追いすがるたび、犬耳が上下に揺れる。
だが、前を歩くユキは振り返りもしない。
「置いていくぞ」
返ってきた声音に、冗談めいた響きはなかった。
アナの足が一瞬止まる。
「ひ、ひどい!」
腰の刀から、くすりと笑う声が漏れる。
(新人かわいそう)
ぴたり、とアナの足が止まる。
「……今、刀がしゃべりましたよね?」
「気のせいだ」
(おい)
「やっぱりぃ!?」
ユキは気にした様子もなく、そのまま前へ進んでいく。
街門を抜けると、背後の喧騒はみるみる遠ざかっていった。
石畳を踏む音は、やがて土を踏む音へ変わる。街のざわめきの代わりに、草原を渡る風の音が耳へ届いた。
アナの髪と犬耳が、風に揺れる。
視線の先には、濃い緑を湛えた森が広がっていた。
今回の依頼の目的地だ。
アナはちらりとユキの腰を見る。
正確には、その刀を。
あれは絶対にしゃべった。
聞き間違いではない。
「ユキさん」
「なんだ」
「その刀って……」
わずかな沈黙。
そして、待ってましたと言わんばかりの声が響いた。
(やっと聞いた)
「ひゃっ!?」
アナは思わず飛び上がる。
「やっぱり、しゃ、しゃべったぁ!?」
ユキは面倒そうに頭をかいた。
「魔装だ」
あまりにあっさりした説明だった。
だが、その一言の意味は軽くない。
《魔装》。
持ち主の力を増幅し、時には戦局すら変える武器。
モンスターと戦う冒険者にとって、それは決して珍しいものではない。だが、こうして自分から声をかけてくる魔装など、アナは見たことも聞いたこともなかった。
(自己紹介していい?)
「好きにしろ」
刀が淡い光を帯びる。
その光はやわらかくほどけ、空気の中に人の輪郭を描き出した。
次の瞬間、ユキの隣に一人の少女が立っていた。
長い黒髪が風に揺れる。
白い肌。透き通るような紅い瞳。どこか人ならざる美しさを宿した少女が、面白がるようにアナを覗き込んでいる。
「魔装のシグレです」
アナの思考が、きれいに止まった。
「え?」
「えぇぇぇぇ!?」
叫びは、森へ続く街道の上に虚しく吸い込まれていく。
対して、シグレは得意げに胸を張った。
「驚いた?」
「驚きますよ!?」
「だよね」
満足げに頷くシグレの横で、ユキは淡々と口を開く。
「特別な魔装は人の姿を取れる」
「つまり私すごい」
「ドヤ顔やめろ」
「誰の武器だと思ってるの」
「俺の」
「言うと思った」
二人のやり取りは淀みがなかった。
軽口の応酬なのに、不思議と噛み合っている。
アナだけが完全に置いていかれていた。
それでも、不思議と怖さはない。
むしろ、少しだけ羨ましいと思った。
二人の間には、長い時間をかけて積み上げた信頼がある。言葉にしなくても通じるものが、そこには確かにあった。
そんなことを考えているうちに、三人は森の入口へ辿り着く。
街道の乾いた土は、いつの間にか柔らかな腐葉土へと変わっていた。
木々は高く伸び、頭上で枝葉を絡め合っている。差し込む陽光は細く砕かれ、地面にまだらな影を落としていた。
一歩、森に足を踏み入れた瞬間。
空気が変わる。
光が薄れ、温度が落ちる。
外の草原とは別の世界に入ったような感覚に、アナは思わず息を詰めた。
「……います」
小さく呟く。
犬耳が、ぴくりと震えていた。
その表情からは、先ほどまでの慌ただしさが消えている。彼女なりに、ちゃんと気配を読んでいるのだと分かった。
ユキは何も言わない。
だが、その右手はすでに刀の柄へかかっていた。
草むらが揺れる。
次の瞬間、飛び出してきたのはゴブリンだった。
一体、二体、三体。
醜い唸り声を上げながら、一斉に距離を詰めてくる。
「来ます!」
アナが声を上げた時には、もう遅かった。
「――シグレ」
少女の姿が光へ溶ける。
輪郭がほどけ、一直線に刀へと収束していく。
「魔装顕現」
抜刀。
黒い光が、一閃した。
音が届くよりも早く、三つの首が宙を舞う。
次いで、鈍い落下音。
胴体が一拍遅れて崩れ落ちた。
森が静まり返る。
アナの思考は止まり、呼吸だけがわずかに遅れて戻ってきた。
「……え?」
ユキは納刀しながら、何事もなかったように言った。
「終わりだ」
(ドヤッ)
「強すぎません!?」
思わず漏れた叫びに、ユキの返答はそっけない。
「普通だ」
「普通じゃないです!」
アナが全力で否定した、その時だった。
森の静寂が、不意に軋んだ。
ぞわり、と空気が揺れる。
奥から、重い気配が押し寄せてくる。
先ほどのゴブリンたちとは比べものにならない圧。
アナの喉が、ひゅっと鳴る。
(ユキ)
シグレの声が低くなる。
(これは、普通じゃない)
木々の隙間を押し広げるようにして、巨大な影が姿を現した。
地面が、ぎしりと軋む。
現れたのは、キングゴブリン。
並の個体とは比べものにならない巨体。膨れ上がった筋肉。濁った眼光。その存在だけで、周囲の空気が重く沈んでいく。
だが、異様なのはそれだけではなかった。
その手に握られた斧。
歪な刃の表面を、黒い魔力が脈打つように這っている。
禍々しい。
一目で、普通ではないと分かる代物だった。
(ユキ)
シグレの声が、さらに沈む。
(あれ、魔装だ)
ユキの目が細くなった。
「魔装持ちか」
その声音は、いつも通り淡々としていた。
だが、視線だけは違う。
ただ敵を見ている目ではない。危険度を測り、価値を見極め、斬るべきものかどうかを見定める目だった。
「こんな街の近くに出ていいレベルじゃないな」
低く落ちた言葉に、森の空気がさらに張りつめる。
アナは思わず息を呑んだ。
目の前にいるのは、自分が初めて受けたクエストで遭遇していい相手ではない。
そんなことくらい、戦いの素人でも分かる。
それでも。
前に立つユキの背中は、わずかも揺らいでいなかった。




