表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第1章 新人冒険者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/58

第1話 犬耳の新人

「えぇぇっ!? じゃあ私、今クエスト受けられないんですか!?」


昼間だというのに酒と汗の匂いが抜けきらない冒険者ギルドに、少女の悲鳴にも似た声が突き刺さった。


ざわついていた空気が、ぴたりと止まる。


酒をあおっていた冒険者も、依頼書を眺めていた者も、受付で順番を待っていた者も、ほとんど同時に視線をそちらへ向けた。


その中心に立っていたのは、一人の少女だった。


栗色の髪。頭の上には、感情そのままにぴんと立った犬耳。ぶんぶんと上下に動く尻尾。


装備は冒険者見習いらしい軽装でまとめられている。だが、革の留め具にも、腰の小物入れにも、まだ使い込まれた跡はない。


いかにも、今さっき村を出てきました、と言わんばかりの初々しさだった。


「アナさんっ! 声が大きいです!」


受付の向こうで、リーナが慌てて身を乗り出した。


穏やかな顔立ちをした受付嬢だが、さすがに今の絶叫には焦ったらしい。すばやくアナの口を押さえる。


「んーっ、んーっ!」


アナはなおも抗議しようともがいた。


だが次の瞬間、自分に集まった無数の視線に気づく。


ぴたり、と動きが止まった。


数秒の沈黙。


やがて、ぴんと立っていた犬耳が、しゅんと力なく垂れる。


「……ごめんなさいぃ」


あちこちから、堪えきれなかったような笑い声が漏れた。


その姿は、どこから見ても叱られてしょげた子犬だった。


リーナは小さく咳払いを一つして、気を取り直すように説明へ戻る。


「当ギルド《灯守の会》では、新人冒険者が単独でクエストへ向かうことは禁止されています」


事務的な口調ではあるが、声音は柔らかい。


「慣れない土地で無茶をして、そのまま命を落とす新人は珍しくありません。特に最初のうちは、自分で思っている以上に周りが見えていないものです」


リーナは、受付台の上に置かれた依頼書を軽く揃えた。


「ですから、初回のクエストには必ず先輩冒険者の同行が必要になります。これは規則なんですよ」


「そ、そんなぁ……」


アナの肩が、目に見えて落ちた。


「でも私、村から出てきたばっかりで……知り合いとか、いないですし……」


語尾がみるみる弱くなる。


同行してくれる相手がいない。


それはつまり、今の彼女には何も始められないということだった。


リーナは困ったように眉を下げ、ギルドの中を見回した。


そして、何かを思いついたように奥へ向かって声を上げる。


「……アッシュさーん!」


「ん?」


奥の席から振り向いたのは、茶髪の青年だった。


腰には片手剣。軽装の上からでも分かる程度には鍛えられているが、まとっている空気はどこか柔らかい。


人当たりの良さそうな笑みを浮かべたまま、片手をひらひらと上げて近づいてくる。


「どうした、リーナ」


リーナから事情を聞いたアッシュは、「あー」と困ったように頭をかいた。


「悪い。俺、これから別件のクエストなんだよ」


「そうでしたか……」


リーナが残念そうに目を伏せる。


すると、アッシュはアナの方へ向き直り、気さくに笑った。


「俺はアッシュ。このギルドで剣士をやってる。今回は無理だけど、困ったことがあったら声くらいはかけてくれていいからな」


「は、はい! ありがとうございます!」


アナはぺこりと勢いよく頭を下げた。


律儀で素直。


その反応だけで、彼女がどんな性格なのかはだいたい分かる。


そんなやり取りの最中、アッシュがふと思い出したように口を開いた。


「あ、そうだ。そろそろユキが帰ってくる頃じゃないか?」


その名が出た瞬間だった。


リーナの表情が、ほんのわずかに曇る。


アナは気づかなかった。


だが、ギルドにいた何人かは「ああ」とでも言いたげな顔をした。


ちょうどその時、入口の扉が開く。


昼の光を背にして、一人の青年が入ってきた。


黒髪。細身の体躯。黒を基調とした軽装。腰には一本の刀。


見た目だけなら、そこまで珍しい冒険者ではない。


問題は、その空気だった。

纏う気配が、あからさまに不機嫌なのである。


気だるげな足取りで入ってきた青年に、アッシュが片手を上げた。


「おう、ユキ。おかえり」


ユキと呼ばれた青年は、ゆっくりと顔を上げる。


その目が、アッシュを捉えた。


「ちょうどいいところに――」


アッシュが言い終えるより早く、椅子が飛んだ。


ドゴォッ!! と鈍い音がギルドに響く。


「がっ!?」


吹き飛んだのはアッシュだった。


何が起きたのか理解するより早く、ギルド全体が一瞬だけ静まり返る。


ユキは何事もなかったかのように、まっすぐ受付カウンターへ向かった。


「ただいま」


「おかえりなさい、ユキさん」


リーナは慣れた口調で迎える。


「椅子はギルドの備品です」


「請求はアッシュで」


「承知しました」


床から悲痛な叫びが飛んだ。


「ふざけんな!!」


その瞬間、張りつめていた空気が一気にほどける。


あちこちで笑いが起こり、ギルドにはたちまち普段通りの喧騒が戻った。


どうやら、これがこの場所の日常らしい。


ただ一人、アナだけが完全に固まっている。

犬耳をぴくぴく震わせながら、目だけが忙しなく動いていた。


「それで、なんだアッシュ」


ユキは肩越しに、床から起き上がるアッシュを見る。


「なにか言いたげだったが」


自らを省みる姿勢は、まったく見られない。


やがて、床から這い上がったアッシュがげほっと咳き込みつつ口を開く。


「お前な……はぁ。この子、新人のアナちゃん。クエストに同行してやってくれ」


「嫌だ」


即答だった。


アナがびくりと肩を揺らす。


ユキは取りつく暇もない声音で続けた。


「新人の面倒とか柄じゃない」


「でもお前、どうせ暇だろ」


「暇じゃない」


「まだ探してるんだろ?」


一拍。


アッシュの口から落ちた言葉に、ギルドの空気がわずかに変わった。


「――《魔女の置き土産》」


それまで流れていた軽い笑いが、ほんの一瞬だけ遠のく。


ユキの視線が、静かに細まった。


冷えた、という表現が一番近い。


それまでの不機嫌さとは違う。もっと深いところにある、温度のない目だった。


アナは、その変化に気づけない。


リーナも、アッシュも、それ以上すぐには何も言わなかった。


沈黙を破ったのは、別の声だった。


(ユキ)


柔らかく、澄んだ少女の声。


だが、声の主はどこにもいない。


(面白いじゃん。新人ひとりくらい、面倒見てあげなよ)


アナの目が、まん丸になる。


「い、今、刀がしゃべりました!?」


ユキは表情一つ変えずに言った。


「気のせいだ」


(ひどい)


くすり、と小さな笑いが重なる。


(ほら。どうせ今は手がかりもないんでしょ?)


ユキの指先が、わずかに腰の刀の柄へ触れた。


その一瞬だけ、彼の目に何かがよぎる。


苛立ちか、諦めか。

あるいは、もっと別の感情か。


やがて、深いため息が落ちた。


「……一回だけだ」


「ほ、本当ですか!?」


アナの犬耳が勢いよく立ち上がる。


「ただし、勘違いするなよ」


ユキは視線も向けないまま言う。


「死にそうになっても、俺は助けない」


(ほんとは助けるくせに)


「うるさい」


反射みたいな返答だった。


そのやり取りに、ギルドのあちこちからまた笑いが漏れる。


アナだけは、まだ半分混乱したままだった。


それでも、その表情にははっきりと安堵が浮かんでいる。


こうして。


ユキの旅に、新しい面倒がひとつ増えた。


《魔女の置き土産》を壊して巡る、その道の途中。


犬耳の少女は、まだ何も知らないまま、彼の隣に立つことになる。


それがどんな旅になるのか。


その出会いが、どれほど大きな意味を持つのか。


この時の彼女は、まだ知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ユキが師であるセレスティアの形見《魔女の置き土産》を「壊す」と誓う導入が、とても印象的でした。 重い使命を背負っているはずなのに、シグレとの掛け合いには軽やかさと長年の信頼があり、二人の関係性が面白…
3話まで読ませていただきました! アナの新人らしい反応が可愛く、ユキとシグレの掛け合いも自然で、キャラ同士の距離感がとても読みやすかったです。 特に「魔装を壊して回る」という目的が、ただの討伐ではなく…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ