プロローグ
森は、静まり返っていた。
地面を埋め尽くしているのは、無数のモンスターの死体。
裂けた肉からはまだ生温い血が流れ、夜気の中に鉄の匂いを濃く滲ませている。木々の隙間を抜ける風だけが、その惨状の上を静かに撫でていた。
そのすべてを――
たった一人で斬り伏せた男が、死屍累々の中心に立っている。
長めの黒髪は無造作に流れ、前髪がわずかに目元へ落ちていた。切れ長の瞳は、灰を溶かしたような黒。細身ながら無駄なく引き締まった体躯を、黒を基調とした軽装が包んでいる。
腰にあるのは、一本の刀。
それだけだった。
「……これだけやって、収穫なしか」
低く吐き捨てるように呟き、青年――ユキは小さく肩をすくめた。
彼が探しているものは、モンスターではない。
この世界には、《魔装》と呼ばれる力がある。
持ち主の身体能力を引き上げ、魔力を形にし、時には戦場の流れすら変える武器。
それは戦う者にとって珍しいものではない。
だが、ユキが追っているのは、ただの魔装ではなかった。
「アッシュの野郎……またガセ掴ませやがって。帰ったらぶっ飛ばす」
(まぁまぁ。わざとじゃないんだからさ)
澄んだ声が、夜の静寂に落ちた。
ユキは腰の刀へ視線を落とす。
「シグレ。戻っていいぞ」
刀身が淡く光を帯びる。
その光は霧のようにほどけ、やがて人の輪郭を形作っていった。
現れたのは、一人の少女。
長い黒髪に、紅く透き通る瞳。整った顔立ちはどこか幼さを残しながらも、見る者の心に冷たい刃を思わせる完成された美しさを宿している。
白い肌は夜の中でなお際立ち、黒を基調とした衣装に包まれた細身の体は、華奢でありながら危うい存在感を放っている。
人の姿をしている。
だが、その佇まいには、どこか人ならざる研ぎ澄まされた気配があった。
――意思を持つ魔装、《シグレ》。
しかし、その神秘的な雰囲気は、次の瞬間あっさり崩れた。
「げっ……ちょっと、モンスターの血、踏んだんだけど!」
シグレは足元を見て、露骨に顔をしかめる。
「だからいつも言ってるでしょ!? 戻すならもっと綺麗な場所にしてって! ユキのばか!」
ぽかぽかと遠慮なく肩を叩いてくる。
「はいはい。気が利かなくて悪かったですね」
悪びれもしないユキの返答に、シグレはむっと頬を膨らませる。
「もう歩く気なくなった。刀に戻る」
「勝手に戻れ」
「冷たっ!」
その反応は、妖しく美しい魔装というより、拗ねた年頃の少女そのものだった。
ユキは半目になる。
「……いつからこんなあざとい魔装になったんだか」
「何よ。文句あるの?」
「親の顔が見てみたい」
「ユキの方がお母さんに詳しいでしょうが!」
言い終えるなり、シグレの拳が迷いなくユキのみぞおちへ突き刺さる。
「ぐっ……」
ユキがわずかに身体を折る。
「お前、年々遠慮なくなってないか……?」
「気のせいでしょ」
シグレはそっぽを向いたまま言い、それからふいに表情を和らげた。
「ほら、戻るよ」
その姿が淡い光に溶ける。
輪郭が崩れ、粒子のようにほどけ、次の瞬間には再び一本の刀となってユキの腰へ収まった。
(まったく。だいたいユキが悪いんだから)
「はいはい」
投げやりに応じながらも、ユキの声音からは、先ほどまでの苛立ちが少しだけ薄れている。
死体の山を背に、ユキは森の中を歩き出す。
月明かりが木々の合間から差し込み、濡れた地面に白く落ちている。
夜の森は深く、静かで、先ほどまで激戦があったことなど嘘のようだった。
しばらく進んだところで、腰の刀から再び声が響く。
(でも、今回のモンスターたちが妙に統率取れてた理由は分かったね)
「ああ」
(頭がジェネラルオークだった。あれなら、あれくらい群れをまとめててもおかしくない)
シグレの声が、少しだけ落ち着いたものになる。
(少なくとも、お母さんの置き土産が絡んでたわけじゃない)
ユキは小さく息を吐いた。
魔装の中でも、別格の存在がある。
かつて聖女と呼ばれ、今では魔女と忌まれる者――セレスティア。
ユキの師であり、シグレを生み出した人。
彼女が遺した十二の魔装だけは、他の魔装とは根本から異なっていた。
《魔女の置き土産》。
ただ力を増幅するだけの武器ではない。
持ち主の願いに応え、その願いを現実へ近づける異質な魔装。
人を救うために作られたはずの力。
けれど、今では争いを呼び、誰かを傷つける道具として世界に散らばっている。
それこそが、ユキの探し物だった。
落胆はある。
だが、焦りはもう飲み込んでいた。
「あの人の子供たちは、そう簡単には見つからない」
その言葉に、シグレは少しだけ黙った。
セレスティア。
世界が彼女を魔女と呼んでも、ユキにとっては違う。
師であり、恩人であり――
誰よりも優しかった人だ。
ユキは、師の形見を探している。
奪うためではない。
守るためでも、継ぐためでもない。
「いずれ全部見つける」
歩みは止まらない。
月明かりの下、ユキは静かに、けれど揺るぎなく前を向いたまま言う。
「そして必ず――壊してみせる」
壊したいわけではない。
壊さなければならないだけだ。
それが、セレスティアと交わした最後の約束だった。
夜風が森を抜ける。枝葉がかすかに揺れ、腰の刀の鞘を月の光が淡く照らした。
ユキの誓いを聞いたのは、深い森と、妖しく光る月だけだった。
――魔女の置き土産を壊して回る旅。
それが今、静かに始まる。
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