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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第3章 王女の護衛

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第22話 戦争の一端

家を出ると、空気はまだ冷たかった。


 潜伏先の周囲には、人の気配が薄く散っている。

 外から見れば、ただ静かな郊外の一角にしか見えない。


 だが、家を出た瞬間、その気配の一つがはっきりと形を持って現れた。


「お待たせいたしました、殿下」


 柔らかな声だった。


 道の脇の木陰から歩み出てきたのは、一人の青年。

 年の頃はユキたちより少し上にみえる。

 陽の光を受けると淡く茶がかって見える髪を後ろで軽く束ね、涼しげな目元には人を威圧しない穏やかさがある。


 整った顔立ちは貴族の子息と言われても通りそうだったが、その立ち姿には隙がない。

 腰には剣ではなく、小型の盾を収めた魔装が下げられている。


 さらにその後方には、同じ鎧を纏った護衛たちが十人ほど控えていた。


 無言のまま周囲へ目を配り、気配を消しすぎず、だが目立ちもしない。

 潜伏先を守ってきた者たちだけが持つ、実戦慣れした静かな緊張がそこにある。


 セリスの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。


「トウヤ」


 呼ばれた青年は、軽く一礼する。


「外周の確認は終わっています。すぐに出られます」


 サイカが短く頷いた。


「ご苦労」


 アナは小さく瞬きを繰り返す。


「この人は……?」


「トウヤだ」


 サイカが答える。


「セリス殿下の護衛の一人で、殿下が作った魔装ハクジュンの使い手だ」


 トウヤはそこで初めてユキたちへ視線を向ける。


 穏やかな笑みを浮かべてはいる。

 だが、目だけはきちんと相手を見ている目だった。


「トウヤです。サイカ殿から話は聞いています」


 そう言って、まずアナへ、次にユキへと順に視線を移す。


「助力、感謝します」


 アナは慌てて頭を下げた。


「い、いえ! こちらこそ、よろしくお願いします!」


 ユキは短く相手を見る。


「……守りの魔装持ちか」


「ええ」


 トウヤは気負いなく頷く。


「正面から防ぐことに関しては、それなりに自信があります」


 その返しに、サイカが淡々と補足した。


「潜伏先が今まで保っていたのは、護衛達だけの力ではない。トウヤの守りがあったからだ」


 セリスは腕を組み、少しだけ顎を上げる。


「当然よ。トウヤがいなければ、とっくに潜伏先なんて捨てていたわ」


 口調はいつものように棘がある。

 だが、その声音にはトウヤへの信頼が滲んでいた。


 アナが目を輝かせる。


「すごいですね……!」


「見てみますか?」


 トウヤはそう言って、腰の魔装へ手を添えた。


「《ハクジュン》魔装顕現」


 小さく名を呼ぶ。

 次の瞬間、彼の目の前に白い光が走った。


 半透明の障壁が、空間そのものからせり上がるように展開する。

 大きさは人一人を余裕で覆えるほど。

 表面は滑らかで、朝の光を受けて薄く白く輝いていた。

 一枚だけではない。

 その背後にさらに二枚、三枚と層が重なり、見る者に“突破の困難さ”を直感で理解させる。


 アナが思わず息を呑む。


「わぁ……」


「目の前にだけ張る分、融通は利きません」


 トウヤは障壁を消しながら言う。


「ですが、通すものと通さないものを選ぶのは得意です」


 サイカが続ける。


「守るだけなら、そう簡単には崩れん」


 一拍置いて、声が低くなる。


「……ただし、相手が《ソラネ》なら話は別だ」


 場の空気が、少しだけ沈んだ。

 トウヤも表情を変えないまま頷く。


「上から来られると、こちらに“守る向き”を選ばせられます」


 爽やかな見た目に反して、言葉はきわめて実戦的だった。


「正面なら止められます」


「ですが、空からの高速接近、死角からの離脱、複数方向への揺さぶり。そういう相手には、守りを固めるほど、どうしても後手に回ります」


 ユキは短く鼻を鳴らす。


「そいつは厄介だな」


「かなりな」


 サイカが即答する。


「だからお前を呼んだ」


 セリスはそれ以上口を挟まなかった。


 だが、ユキとトウヤを交互に見たあと、小さく息を吐く。


「……出発するなら早くして」


 その一言で、一行は動き出した。


 トウヤが先に立ち、サイカが周囲を見ながら歩く。

 セリスはその中央。

 アナは少し緊張した様子で周囲を見回し、ユキは最後尾寄りで黙って歩いていた。


 王都へ向かう道は静かだった。


 陽はすでに高くなりつつあり、細い街道を照らしている。

 草地を渡る風は冷たさを失いはじめていたが、隊列の空気はまだ硬い。


 しばらく歩いたところで、アナが小さく口を開いた。


「……あの」


 誰に向けた問いか、自分でも曖昧な声音だった。


「五年前の戦争って……やっぱり、置き土産が関係してたんですよね」


 セリスの肩が、わずかに止まる。

 サイカが視線を前へ向けたまま答えた。


「ああ」


 短い返答。


「関係していた、どころじゃない。戦場の形そのものを変えた」


 アナは唇を引き結ぶ。


「第二王子も、その戦争で帰らぬ人となった」


 今度は、セリスが答える。


「兄上は前線にいたわ」


 声音は平坦だった。

 だが、その平坦さは感情が薄いからではない。

 押し殺しすぎて、凍っているだけだ。


「王族だから安全な後方にいた、なんて話じゃない。あの頃は、誰が前に立とうとおかしくないくらい、全部が壊れていたもの」


 トウヤがわずかに目を伏せた。

 サイカは補足するかのように続ける。


「第二王子は、戦線の維持に出ていた」


 一拍。


 アナが息を呑む。

 セリスは前を向いたまま、手をぎゅっと握る。


「みんな言ったわ」


 低い声だった。


「魔女の置き土産が戦争を広げたって。兄上を殺したのも、あの戦場で使われた置き土産だって」


 ユキは何も言わない。

 だが、その沈黙が逆に重かった。


 アナは恐る恐る尋ねる。


「……どんな置き土産だったんですか」


 今度はユキが答えた。


「一つじゃない」


 低く、静かな声。


「戦場を地獄に変えたのは、《アマネ》と《ツムギ》だ」


 アナがその名を小さく繰り返す。


「《アマネ》……《ツムギ》……」


 ユキは歩幅を変えないまま続けた。


「《アマネ》は、本来、大勢で痛みを分け合うための置き土産だ」


 アナが顔を上げる。


「痛みを……分ける?」


「ああ。元は、一人に苦しみを負わせたくないって願いから生まれた」


 その言葉には、置き土産への理解と、わずかな痛みが混じっていた。


「傷ついた誰かがいた時、痛みを少しずつ分けて、皆で支えるための力だった」


 優しい魔装だったのだと、説明されなくても分かる。

 だがユキの声は、そこから一段低く沈んだ。


「戦場では逆に使われた」


 風が止む。


「大勢の兵の痛みと負傷を、一人に集めた」


 アナの目が見開かれる。


「え……」


 シグレが静かに言葉を継いだ。


(本来は、一人で抱えなくていいように生まれた力だったのにね)


 その柔らかな声が、かえって残酷さを際立たせる。


(戦争じゃ、“一人に全部押しつけた方が効率がいい”って形にされたんだよ)


 アナの喉が詰まる。


「そんなの……」


 ユキは続ける。


「そこで使われたのが《ツムギ》だ」


「《ツムギ》は、一人の傷を癒やす置き土産だ。命を繋ぐための力だった」


「……その一人を、治すために?」


「ああ」


 ユキは頷く。


「《アマネ》で全軍の傷を一人に集める。《ツムギ》で、その一人を治す。治して、また傷を集める」


 短い沈黙。


「それの繰り返しだ」


 誰も、すぐには言葉を返せなかった。

 アナの背筋に、冷たいものが走る。


「それじゃ……」


「兵は倒れない」


 ユキが言う。


「倒れても、また立つ。痛みは別の誰か一人に押しつけられて、その一人は治され続ける」


 トウヤが低く息を吐いた。


「……死ねない軍隊、ですか」


 サイカが頷く。


「不死の軍隊と呼ぶ者もいた」


 セリスの指先が震える。


「兄上がいた前線にも、それがいた」


 今にも折れそうなくらい細い声だった。


「何度斬っても下がらない。何人倒しても前に来る。兵が壊れてるのに、軍が止まらない」


 アナは何も言えない。


 優しい願いから生まれた力。

 それが、戦争では終わらない地獄に変わった。


 あまりにも、この世界らしい反転だった。


 ユキは静かに言う。


「それが、あの人の置き土産を戦争に使った結果だ」


 一拍。


「正確には、人があの人の願いを戦争に使った」


 その言葉に、セリスは反論しなかった。

 できなかったのかもしれない。


「そこからだ、セラの置き土産が悪事に使われ、セラが魔女と呼ばれる様になったのは」


 ユキの顔に悔しさが滲む。


 そこからは、しばらく、誰も口を開かなかった。


 足音だけが続く。

 草を踏む音。

 装備の擦れる音。

 朝の風が、乾いた匂いを運んでくる。


 そして、その風が不意に止まった。

 ユキの足が、わずかに止まる。


 サイカの尾がぴたりと静止した。

 トウヤも笑みを消し、前方に障壁を出せる位置へ半歩ずれる。


 シグレの気配が、刀の奥で静かに張りつめる。


(気付くの遅いね)


 誰に向けた言葉でもないような、静かな囁き。

 アナがきょとんとする。


「え……?」


 次の瞬間、ユキが低く言った。


「……囲まれてるな」


 空気が、音を失う。

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