第21話 忌々しい魔女
目の前にあるのは、どこにでもありそうな小さな家だ。
だが、静かすぎていた。
人の気配は薄い。
外から見える範囲にも不自然さはない。
けれど、だからこそ整いすぎている。
視線を巡らせれば、周囲にわずかな警戒の痕跡がある。
「ここだ」
サイカが短く告げる。
アナは家とサイカの横顔を見比べ、不安そうに耳を揺らす。
「本当に……ここに王女様がいるんですか?」
「潜伏先としては悪くない。目立たず、捨てやすい」
「捨てやすいって言い方がちょっと怖いです……」
サイカはそれ以上答えず、扉の前へ立った。
軽く呼吸を整え、二度、三度と控えめに扉を叩く。
「……殿下、サイカです」
わずかな沈黙。
次の瞬間、家の奥からばたばたと慌ただしい足音が響く。
鍵の外れる音。
そして、扉が勢いよく開いた。
「サイカー! おかえり!」
飛び出してきた少女が、そのまま迷いなくサイカに抱きついた。
年はアナとそう変わらない。
淡い金の髪は丁寧に結われているはずなのに、潜伏生活のせいか少し乱れている。
けれど、その顔立ちは整っており、磨かれた白磁のような肌、意思の強そうな瞳、着飾っていなくても隠しきれない育ちの良さ。
高貴という言葉が、そのまま形になったような少女。
「何日ぶりだと思ってるのよ。遅いわ」
「二日だ」
「私にとっては長いの」
口を尖らせながらも、声音はどこか甘い。
サイカにだけ向けられた無防備さだった。
だが、第二王女セリス・ルシアの視線がその背後へ流れた瞬間、その空気は途切れる。
アナを見て、ほんの少し眉をひそめ、次にユキを見たところで、表情が目に見えて冷えた。
「……助っ人って、これ?」
棘のある声。
アナが思わず肩をすくめる。
ユキは何も答えない。
サイカだけが、慣れた様子でため息を落とした。
「中で話す」
「別に外でもいいでしょう」
「よくない」
ぴしゃりと言われ、セリスは不満げに唇を尖らせた。
それでも抱きついていた腕を離し、くるりと背を向ける。
「……入りなさい。立ち話は目立つもの」
家の中は外見通り簡素だった。
小さな机に椅子が四つ。
壁際には最低限の棚。
飾り気はないが、布の質や食器の選び方に育ちの良さが残っている。
質素な場所に押し込まれていても、王族は王族なのだと分かる空間だった。
セリスはサイカの近くに立ったまま、ユキたちには座ることも勧めない。
視線だけで値踏みしてくる。
サイカが口を開く。
「紹介する。ユキとアナだ。今回の護衛に加わる」
「は、はじめまして! わ、わたしはア、アナと申しましゅ――」
噛んだ。
綺麗に、見事に噛んだ。
一瞬、部屋が静まり返る。
その沈黙を破ったのは、ユキの腰の刀だった。
(ほらやっぱり、噛んだ)
シグレがくすくすと笑う。
「う、うるさいです……!」
アナは耳まで真っ赤にして抗議する。
両手を胸の前で握りしめ、上半身は消えてしまいたそうに俯いていた。
セリスは目を丸くする。
「……今、刀が喋った?」
「喋るぞ」
「喋りますね」
(喋るね)
ユキとアナ、そしてシグレの声が重なる。
セリスは怪訝そうに目を細めたが、すぐに興味を引っ込めた。
むしろ、余計に警戒を強めたようだ。
「ますます胡散臭いわね」
サイカが机の端に手を置く。
「本題に入る。殿下が狙われている理由は、王族だからというだけではない」
サイカは静かに、だがはっきりと告げた。
「その人たちにそこまで話す必要があるの?」
セリスは吐き捨てるように言う。
「ある。ここから先、同じ道を行く」
サイカの声音は淡々としていた。
反論を許さない硬さがある。
「魔装は本来、熟練の鍛冶師や専門技師にしか作れない」
「だが、ごく稀に例外が生まれる。理を越えて、技術を超えて、強力な魔装を形にしてしまう者だ」
アナが息を呑む。
ユキは黙って聞いていた。
「かつての聖女セレスティアがそうだった。そして――殿下もその一人だ」
部屋の空気がわずかに変わる。
サイカは続けた。
「すでに実戦でも役に立っている。今外で待機している護衛たちの守りが崩れにくいのは、殿下が生み出した防御特化の魔装があるからだ」
「おそらく敵は王女という身分だけではなく、その資質そのものを狙っている」
「王女様が……魔装を……?」
アナが驚きに目を見開く。
セリスはその反応さえ気に障るように、眉をひそめた。
「だから何だというの」
「殿下」
「何か作れたところで、結局は比べられるだけよ」
低く、押し殺した声だった。
「少しでも上手くいけば、さすが王女殿下、あの魔女にも届くかもしれないと勝手に期待する。けれど同時に、いつかあの魔女のように争いを生むかもしれないと忌み嫌う」
「そして失敗すれば、やはり魔女の置き土産のような魔装は作れない、所詮は出来損ないだと囁かれる」
「どちらにしても、あの女の影がまとわりついて離れないのよ」
その声音には、怒りだけではないものが混じっていた。
長いあいだ積もり続けた苦さが、刺のように混じっている。
「五年前の戦争だってそうよ。みんな口を揃えて言った。魔女が火種を撒いたせいだって」
「あの戦争で、多くの人が死んで、国が傷ついて、それなのに今度は私まで――」
セリスの指先が、ぎゅっと服を掴む。
「あの忌々しい魔女のせいで、私は……何をしてもあの女と比べられるのよ」
その瞬間。
空気が、凍る。
ユキは一歩も動いていない。
だが、温度だけがはっきりと下がった気がした。
アナの耳がぴくりと震える。
そして、ユキの視線が真っ直ぐにセリスへ向く。
「王女だろうが、あの人を侮辱するのは許さない」
抑えた声音だった。
怒鳴っているわけではない。
声を荒げてもいない。
それなのに、刃を首筋へ添えられたような冷たさがあった。
セリスが息を止める。
ユキの奥底から、わずかな殺気が漏れる。
それは部屋を満たすほどではない。
ただ、この場にいる誰もが見過ごせない程度に、鋭く、静かに滲んだ。
「ユキ」
サイカが低く呼ぶ。
そのまま一歩前に出て、ユキの肩へ手を置く。
「抑えろ。ここでやる話じゃない」
数秒の沈黙。
やがてユキは薄く息を吐き、視線を外した。
張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩む。
アナはようやく息をつき、胸を押さえる。
セリスはサイカの背に半歩隠れるようにしながら、なおもユキを睨んでいた。
恐れと反発が入り混じった目だった。
そしてサイカは何事もなかったように話を戻した。
「ここに長居はできない。敵は潜伏先を絞り込みつつある。今から移動する」
「今すぐ?」
「今すぐだ。王都方面へ向かう。途中も安全とは言えない」
セリスは唇を噛んだ。
言いたいことは山ほどあるのだろう。
だが、現実を理解していない顔ではない。
数拍の沈黙のあと、渋々と頷く。
「……分かったわ」
「荷物は最低限でいい」
「それくらい分かってるわ」
準備はすぐに始まった。
アナは気まずそうにしながらも荷物をまとめるのを手伝い、サイカは外の動線を確認する。
ユキは窓際に立ち、黙って周囲の気配を探っていた。
セリスは終始サイカの近くにいて、一度もユキへ近づこうとはしない。
重い沈黙が落ちる。
その空気を、呑気で小さな声が割る。
(ひどい顔合わせだったね)
シグレだ。
アナがぎくりと肩を跳ねさせ、小声で返す。
「し、静かにしてください……!」
(事実でしょ?)
「事実でも今言わなくていいんです……!」
そのやり取りに、サイカがわずかに口元を緩めた気がした。
セリスは聞こえないふりをしている。
ユキだけは無表情のままだ。
やがて最低限の支度を終え、一行は家の外へ出る。
日差しはすでに傾き始めていた。
ここから先は、潜伏ではなく移動だ。
追手がいるなら、道中で接触する可能性も高い。
扉の前で、セリスがふと立ち止まる。
そしてユキを見ないまま言う。
「……勘違いしないで。私はあなたを認めたわけじゃない。サイカが連れてきたから従うだけよ」
ユキは一瞬だけ視線を向け、それだけで返した。
「別にいい」
あまりにも素っ気ない返答に、セリスが眉をつり上げる。
だが言い返す前に、サイカが前へ出た。
「行くぞ」
その一声で、一行は歩き出す。
最悪の空気のまま始まった護衛だった。
けれど、それでも止まるわけにはいかない。
王都へ――次なる騒乱の気配が待つ場所へ。
最悪の顔合わせを終えた一行は、静かに歩き出す。




