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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第3章 王女の護衛

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第20話 空を失った少女へ

馬車は南へ向かって進んでいた。


 朝の冷たさはすでに薄れ、陽はゆっくりと高く昇りつつある。

 窓の外では、緩やかな丘陵がどこまでも続き、ところどころに森の影が落ちている。


 街を離れてからしばらく経つが、王都へ続く街道はよく整えられており、車輪の揺れもさほど激しくはない。


 それでも、馬車の中には張りつめた空気が残っていた。


 村を出てからずっと続いている、静かな緊張だ。

 アナはしばらく窓の外を見ていたが、やがて不安そうに視線を戻す。


「……今の王女様の潜伏先は、大丈夫なんでしょうか」


 サイカは馬車の揺れに身を任せたまま、淡々と答える。


「問題ない。元々、王女殿下の信頼を得ている護衛達が残っている」


 一拍置いて、視線だけを前へ向けた。


「それに、護衛に特化した魔装持ちもいる。守るだけなら、そう簡単には崩れん」


 落ち着いた声音だった。

 安心させるために言っているわけではない。

 ただ事実として、今の防備を評価している声だ。


 アナは少しだけ肩の力を抜いた。


「そうなんですね……」


「ただし、“守るだけなら”だ」


 サイカが静かに続ける。


「相手が引けばいいが、狙いが明確で、なおかつ逃げ足まで速いなら話は別だ」


「ユキがちょうどギルドに帰っていて本当に助かった」


 その言葉に、馬車の空気がわずかに沈んだ。

 アナは唇を引き結び、それから思い出したように顔を上げる。


「そういえば……」


 視線がユキへ向く。


「次の置き土産って、ユキさんはご存知なんですか?」


 馬車の中が静かになる。


 ユキはすぐには答えなかった。

 窓の外へ向けていた視線を少しだけ落とし、やがて低く口を開く。


「……《ソラネ》は、もともと唯のナイフだ」


「ナイフ……?」


「ああ」


 短く頷く。


「空で狩りをする天翼族の少女に、セラが与えた」


 その一言で、アナの表情が変わる。


 ただの武器ではない。

 それがまた、誰かの願いから生まれたものなのだと直感的に分かってしまった。


 ユキは静かに続ける。


「天翼族は、生まれながらに翼を持っている」


 馬車の揺れに合わせて、声もわずかに揺れる。


「だが、その少女は狩りの最中に翼を失った」


 短い沈黙。


「天翼族の中で、一人だけ飛べなくなったんだ」


 その言葉は、事実だけを置いているようでいて、どこか重かった。


「空を飛ぶことが、生きることそのものに近い種族だ。飛べないというだけで立つ場所を失い、彼女は群れの中で孤立した」


 アナは小さく息を呑む。


 想像はできない。

 だが、想像できないからこそ、その痛みだけが胸に残る。


「そんな少女の願いを、セラが叶えた」


 ユキの声音が、ほんのわずかだけやわらかくなる。


 その脳裏には、遠い記憶が浮かんでいる。


 嬉しそうに空を渡る、青髪の少女の姿。

 もう一度自由に空を駆けることができた喜び。

 失ったはずの高さへ手を伸ばした、太陽の様な笑顔。


(よく笑う、可愛い子だったね)


 シグレの一言に、アナは何も返せなかった。


 笑っていた。

 きっと、どうしようもなく嬉しかったのだろう。


 サイカが腕を組む。


「元来、空を飛ぶ魔物は少ない」


 低い声が現実へ引き戻す。


「そして、空を自在に駆けられる種族も限られる。天翼族くらいのものだ」


 窓の外へ目を向けたまま続けた。


「つまり、それだけで厄介この上ない」


 アナが小さく頷く。


「……地上から届かない、ですもんね」


「ああ」


 サイカは即座に答える。


「ただし、大規模な戦闘には向かない。戦場全体を支配する類の力ではないからな」


 だが、と声が低く沈む。


「盗賊、まして暗殺者の手に渡ってしまえば、この上ないアドバンテージになる」


 馬車の中が静まり返る。


「接近も離脱も自由。追跡も困難。高所からの奇襲も可能。守る側からすれば、最悪に近い」


 サイカの言葉には実感があった。

 実際に相対した者の重みだ。

 アナの耳が、わずかに伏せられる。


「そんなの……反則みたいです」


「反則だから、置き土産なんだろ」


 アッシュほど軽くはないが、ユキの返しはいつも通りそっけない。

 それでも、その言葉の奥には冷えた確信がある。


「願いを叶える力は、元の形のままじゃ済まない」


「サイカ、お前が相対したソラネの所有者は、天翼族ではなかっただろう」


 サイカは静かに頷く。


「……あいつ本人のはずがない」


 ユキはそっと呟く。

 その表情は悔しさを纏っていた。

 シグレが刀の中で、小さく息をつく気配がする。


(空を飛ぶためだけの、ナイフが、空から殺すためのナイフになった)


 静かな声だった。


(ほんと、救いがないよね)


 誰もすぐには返さない。

 ユキは視線を窓の外へ戻したまま、低く言う。


「だから壊す」


 短い。

 だが、それで十分だった。


 馬車は緩やかな坂を越える。

 その先で、景色が少し開けた。


 森の切れ目の向こう。

 街道からわずかに外れた場所に、一軒の家が見えてくる。


 大きくはない。

 だが、周囲の地形にうまく溶け込むように建てられた、目立たない家だった。


 サイカが視線を向ける。


「着いたぞ」


 低い声が、静かに落ちる。


「あそこが、王女殿下の潜伏先だ」


 馬車の中の空気が、ぴんと張った。

 アナは思わず背筋を伸ばす。


 ユキは何も言わない。

 ただ、その家を見据えていた。


 次の戦いの匂いが、もうすぐそこまで来ている。

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