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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第3章 王女の護衛

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第18話 龍人の誘い

ギルドへ戻る頃には、陽はすでに高く昇っていた。


 石畳を踏む音が、やけに重く、森の夜の静けさが、まだ身体の奥に沈殿している。


 朝を越えて戻ってきたはずなのに、どこか足取りだけが夜のままだった。


 二人は《灯守の会》の扉を押す。


 瞬間、空気が変わった。


 酒と汗の匂い。

 紙と鉄の乾いた気配。

 依頼書の擦れる音と、混ざり合う笑い声。

 生きている場所の熱。


「おかえりなさい」


 受付のリーナが、穏やかに微笑む。


「依頼は……完了ですね」


「ああ」


 短い返答。


 それ以上は問わない。

 彼女は、必要以上に踏み込まない。

 達成と損失の重さを、冒険者本人たちより近くで見てきたからこその距離感。


 奥から声が飛ぶ。


「おう、ユキ、アナちゃん。首尾はどうだった?」


 アッシュが片手を上げる。


 軽い調子だ。

 だが、その視線はきちんと二人の顔色を見ていた。


「今回はアタリだった」


 短い返答。


 その一言だけで、アッシュの目の色がわずかに変わる。


「……そうか。良かったな」


 軽さの奥に、理解がある。


「ユキ、お前ちゃんと寝てるか? くま酷いぞ」


「寝てる」


「嘘だな」


 いつもなら何かしら言い返すところだ。

 だが珍しく、ユキは返さなかった。

 ただ、ほんの少しだけ眉が寄る。


(ホントは、寝れてないんじゃなくて、泣いてたんだもんねー)


 刀の奥で、シグレがくすりと笑う。


 ユキは無視をした。


 アナは静かに椅子へ腰を下ろす。

 犬耳が、ほんの少しだけ垂れている。


 森の夜は軽くない。

 願いの歪みを目にするということは、誰かの人生の裏側を覗くということだ。

 それを知ってしまった者だけが、こうして少しだけ黙る。


 ✧


「そういえば」


 リーナが帳面を閉じる。


「サイカさんが、ユキさんにお話があるそうです」


 空気が、わずかに張った。

 アッシュが口笛を吹く。


「へぇ……珍しいな。サイカが?」


「サイカさんって、どなたですか?」


 アナが小さく尋ねる。


「龍人族の女性で、ギルド上位の実力者です」


 リーナは淡々と答える。


「女性では最強と言っても差し支えないでしょう」


「もしかして、ユキさんよりも……?」


 アナの目が、わずかに期待で輝く。


「そういえばユキ、この前思いっきり投げ飛ばされてたよな」


 アッシュが笑いを堪えながら言った。


 ユキは無言。

 しかし、ほんの僅かに空気が冷える。


(あの時は、私なしの互いに素手限定だったからねー)


 シグレが楽しげに囁く。


 その時。


「その通りだ」


 低く、落ち着いた声。

 場の空気が、自然と割れる。


 長い蒼銀の髪。

 額から伸びる二本の白い鋭角。

 背に負う巨大な剣。

 しなやかに揺れる尾。


 そして、龍人族特有の、濃密な存在感。


 ただ立っているだけなのに、そこだけ空気の密度が違う。

 床が一段低くなったような錯覚すらあった。


「流石の私でも、本気のユキとシグレ相手では敵わないだろうな」


 強者だけが持つ、余裕のある謙遜だ。

 そのまま視線をアナへ向ける。


「おや、新人かな。私は龍人族のサイカだ。よろしく頼む」


 差し出された手。

 鍛えられた指先は美しく、無駄がなかった。


 武人の手だと一目でわかるのに、不思議と威圧感だけでは終わらない。


「あ、あわわ……新人のアナです!」


 小さな手が震えながら握り返す。


「まるで龍と子犬だな。アナちゃん、サイカに食われちまうぞ」


 アッシュが横から笑う。


「アッシュ、また殴られたいのか?」


「失礼しましたー!!」


 腰が直角に折れた。


 ギルドのあちこちで軽い笑いが起こる。

 だが、その中心にいるサイカの芯はまったく揺れていなかった。


「それで、話とは?」


 呆れたユキが切り出す。


 ✧


「私は現在、とある人物の護衛任務についている」


 サイカの声は低く、安定していた。


「そこで少し厄介なことになった。ユキ、お前の力を借りたい」


「断る。俺も暇じゃない」


 即答。

 アッシュは肩をすくめる。


「まぁユキならそう言うよな」


 ユキはサイカを見たまま続ける。


「それに、お前の実力なら単独で十分だろ」


 それは持ち上げでも何でもない。

 純粋な事実として言っている声音だった。


 サイカも小さく頷く。


「私もそう思っていたのだがな」


 その一言に、場の空気が少しだけ変わる。


「護衛任務中、複数人の盗賊に襲われた」


「それだけなら問題はなかった」


 声は落ち着いている。

 だが、その落ち着きが逆に事態の重さを示していた。


「問題は――」


 一拍。


「奴ら全員が魔装を所持していた」


 空気が沈む。

 ギルドの喧騒が、少し遠のいたように感じられた。


 魔装は珍しくない。

 だが、複数人の盗賊が揃って持っているとなれば話は別だ。


「大半は粗悪なものだった。私でも対処可能だった」


「だが、一人だけは違ったのだ」


 サイカの目が細まる。


「その者は、自らの魔装を――《ソラネ》と呼んでいた」


 その瞬間。


 空気が、軋む。


 ユキから放たれた圧が、静かに場を支配する。

 床が微かに震え、壁がかすかに鳴った。

 卓上のグラスに満ちた水が、小さく波打つ。


 誰も、動かない。

 サイカだけが、その圧を正面から受け止めたまま言葉を続ける。


「夜の空を自在に駆けていた」


 低い声。


「まるで、重さを持たぬかのように」


(ユキ)


 シグレの声が、静かに響く。


 それは宥める声ではなく、確認するような、確信を重ねる声だった。


 ユキはゆっくりと息を吐く。


 怒りではない。

 確信だ。


「ああ」


 その目は、完全に覚悟を帯びている。


「セラの置き土産だ」


 その一言で、ギルドの熱が一段下がった。


 笑い声は消え、紙をめくる音さえ遠い。

 誰もが、今ここで次の戦いの名が告げられたことを理解する。


 空を渡る魔装。


 《ソラネ》。


 次の置き土産が、はやくも見つかったのだ。

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