第18話 龍人の誘い
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ギルドへ戻る頃には、陽はすでに高く昇っていた。
石畳を踏む音が、重い。
森の夜の静寂が、まだ身体の奥に沈殿している。
《灯守の会》の扉を押す。
瞬間、空気が変わった。
酒と汗の匂い。
紙と鉄の乾いた気配。
依頼書の擦れる音と、混ざり合う笑い声。
生きている場所の熱だった。
「おかえりなさい」
受付のリーナが、穏やかに微笑む。
「依頼は……完了ですね」
「ああ」
それ以上は問わない。
彼女は、必要以上に踏み込まない。
達成と損失の重さを、冒険者よりも知っているからだ。
奥から声が飛ぶ。
「おう、ユキ、アナちゃん。首尾はどうだった?」
アッシュが片手を上げる。
軽い調子。しかし視線は鋭い。
「今回はアタリだった」
短い返答。
その一言だけで、アッシュの目の色が変わる。
「……そうか。良かったな」
軽さの奥に、理解がある。
「ユキ、お前ちゃんと寝てるか? くま酷いぞ」
「寝てる」
「嘘だな」
珍しく、ユキは言い返さない。
ただ、わずかに眉が寄る。
(ホントは、寝れてないんじゃなくて、泣いてたんだもんねー)
刀の内側で、シグレがくすりと笑う。
ユキは無視する。
アナは静かに椅子へ腰を下ろした。
犬耳が、ほんの少しだけ垂れている。
森の夜は、軽くはない。
願いの歪みを目にするということは、誰かの人生の裏側を覗くということだ。
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「そういえば」
リーナが帳面を閉じる。
「サイカさんが、ユキさんにお話があるそうです」
空気が、わずかに張り詰める。
アッシュが口笛を吹く。
「へぇ……珍しいな、サイカが?」
「サイカさんって、どなたですか?」
アナが小さく尋ねる。
「龍人族の女性で、ギルド上位の実力者です」
リーナは淡々と続ける。
「女性では最強と言っても差し支えないでしょう」
「もしかして、ユキさんよりも……?」
期待に目を輝かせるアナ。
「そういえばユキ、この前思いっきり投げ飛ばされてたよな」
アッシュが笑いを堪える。
ユキは無言。
しかし、ほんの僅かに空気が冷える。
(あの時は、私無しの互いに素手限定だったからねー)
シグレが楽しげに囁く。
そのとき。
「その通りだ」
低く、落ち着いた声。
場の空気が、自然と割れる。
長い紅の髪。
額から伸びる二本の黒角。
大振りの槍と、しなやかな尾。
龍人族特有の、濃密な存在感。
ただ立つだけで、床が一段低くなったように錯覚する。
「流石の私でも、本気のユキとシグレ相手では、敵わないだろうな」
強者故の、余裕ある謙遜。
「おや、新人さんかな。私は龍人族のサイカだ。よろしく頼む」
差し出された手。
鍛えられた指先は美しく、無駄がない。
「あ、あわわ……新人のアナです!」
小さな手が震えながら握り返す。
「まるで龍と子犬だな、アナちゃんサイカに食われちまうぞ」
「アッシュ、また殴られたいのか?」
「失礼しましたー!!」
腰が直角に折れる。
軽い笑いが起こる。
だが、芯は揺れていない。
「それで、話とは?」
ユキが切り出す。
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「私は現在、とある人物の護衛任務についている」
サイカの声は低く、安定している。
「そこで少し厄介なことになった。ユキ、お前の力を借りたい」
「断る。俺も暇じゃない」
即答。
「それに、サイカの実力なら単独で十分だろ?」
アッシュが補足する。
サイカは小さく頷く。
「私もそう思っていたのだがな。護衛任務中、複数人の盗賊に襲われた」
「それだけなら問題はなかった」
「問題は――」
一拍。
「奴ら全員が魔装を所持していた」
空気が、沈む。
ギルドの喧騒が遠のく。
「大半は粗悪なものだった。私でも対処可能だった」
「だが一人だけ違った」
サイカの目が細まる。
「その者は、自らの魔装を――“ソラネ”と呼んでいた」
瞬間。
空気が軋む。
ユキから放たれた圧が、床を震わせる。
壁が微かに鳴り、グラスの水面が波打つ。
誰も、動かない。
「……夜の空を自在に駆けていた。まるで、重さを持たぬかのように」
(ユキ)
シグレの声が、静かに響く。
ユキはゆっくりと息を吐いた。
怒りではない。
確信だ。
「ああ」
その目は、完全に覚悟を帯びている。
「セラの置き土産だ」
ギルドの熱が、一段下がった。
次の戦いは、もう逃げられない




