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間話 静かな観測者
夜明け前の街道を、一台の馬車が進んでいた。
森を抜けた風が幌を揺らし、車輪が湿った土を静かに削る。夜の冷気はまだ残り、空は群青のままだ。
御者台の男は振り返らない。
だが、その視線はどこか森の奥へと向けられていた。
「……壊されましたか」
呟きは、風に溶けた。
幌の内側に置かれた木箱が、かすかに鳴った。
中はもう空だ。
男は革手袋の皺を丁寧に伸ばす。
動作は落ち着いている。
「まあ、仕方ありません」
淡々とした声音。
「あの村人には、少々荷が重すぎましたか」
帳面を閉じる。
最後の頁に、簡潔な文字が残っている。
――対象、消失。
――観測、終了。
馬が鼻を鳴らす。
男はわずかに口元を緩めた。
「お嬢様に叱られますね」
焦りはない。
ただ、事実として受け止めているだけ。
風が強まり、幌が大きく揺れる。
男は森を一瞥し、それから前を向いた。
「次は、もう少し丁寧に」
手綱が軽く引かれる。
朝日が昇る頃には、森は何事もなかった顔をしているだろう。
壊されたのは、一つ。
それだけに過ぎない。
馬車は静かに待ち合わせへと向かう。
観測は、まだ終わらない。
誰にも悟られず淡々と仕事に戻る。




