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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第2章 奇跡の村

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第15話 約束

夜明けは、まだ遠い。


 森にはかすかな青が滲みはじめている。

 だが空はまだ夜の名残を色濃く抱え、湿った土の匂いと冷たい夜気が静かに漂っていた。


 《黒界千刃》は、すでに消えている。


 先ほどまで森を覆っていた無数の黒刃は跡形もなく消え、残されたのは、ただ戦いの終わった静けさだけ。


 村人たちは地に横たわり、深い眠りに落ちたように、誰一人動かない。

 傷はなく、ただ、糸に操られていた緊張だけが抜け落ち、顔にはようやく本来の安らぎが戻っていた。


 青年は、その場に膝をついたまま動かない。

 肩を落とし、視線も上げず、ただ土を見つめている。


 女性はアナに支えられ、静かに呼吸を続けている。

 先ほどまで無理やり立たされていた身体は、今はただ重力に従っているだけだ。

 自分の意思では動けないけれど、それでも確かに生きていた。


 ユキは少し離れた場所に立ち、手の中のペンダントを見つめている。


 青い石は、もはや脈打たない。


 先ほどまでそこにあった鼓動のような光は失われ、今はただ、かすかな残り火のような輝きを宿しているだけだった。


「……」


 しばらくの沈黙のあと、ユキは低く呼びかける。


「……《トモエ》」


 静かな声だった。


 戦闘の最中のような鋭さはない。

 責める色も、断ち切る冷たさもない。


 ただ、優しく名を呼ぶ。


「魔装顕現」


 柔らかく、告げる。

 その瞬間、青い光がふわりと広がった。


 石の奥から淡い光が溢れ、夜気の中にぼんやりと輪郭を描いていく。

 やがてそこに、一人の女性の姿が浮かび上がった。


 足は地に触れていない。


 輪郭は曖昧で、風が吹けば今にも崩れてしまいそうなほど薄い。


 それでも、確かにそこに“いる”とわかる。


 年若い少女ではない。


 どこか包み込むようなやわらかさを宿した、静かな雰囲気の女性だった。

 その佇まいは穏やかで、支えるために生まれた力だったことを、何も語らずとも感じさせる。


 《トモエ》はユキを見上げた。


 怒りもない。

 悲しみもない。

 責める気配も、縋る気配もない。

 ただ、静かな眼差しだけがそこにはあった。


 そして、ほとんど風の音のような声で、ひとことだけ落とす。


(……歩けて、よかった)


 それだけだ。


 長い説明はない。

 言い訳も、弁明も、願いの押しつけもない。

 ただ、願いの残滓が、そう告げただけだった。


 ユキは目を閉じ、ゆっくりと息を吸う。


 そして腰のシグレを抜く。


 目を開き、迷いなく、刀を振る。


 刃が青い光に触れた瞬間、それは音もなく、ゆっくりとほどけていった。


 無理やり断ち切られるのではなく、役目を終えた糸が解けるように。


 《トモエ》の姿が、光へ溶ける。


 輪郭が崩れ、青白い粒子となって、夜明け前の空気へ静かに散っていく。


 銀の石に、細い亀裂が走る。


 ぱきり、と小さな音。

 それだけを残して、ペンダントは静かに砕けた。


 その、直後。


 ユキの背後に、白い影がそっと差した。


 金の髪が風に揺れている。

 穏やかな瞳が、静かにこちらを見つめていた。


 セラ。


 声はない。

 ただ、微笑んでいる。


 責めず、急かさず、泣きもせず。

 ただ、そこに立っている。


 そして次の瞬間、その気配がそっとユキの背に重なった。


 抱きしめるのではなく。

 縋るのでもなく。


 支えるように。


 そのぬくもりを感じた気がした瞬間――

 ユキの頬を、一筋の雫が伝う。


 声はなく、表情も変わらない。


 顔を歪めることもなく、嗚咽を漏らすこともなく、ただ無言のまま、雫は落ちた。


 アナが、少し離れた場所からそれを見ている。


「……?」


 思わず目を瞬かせる。


 見間違いかもしれない。

 そう思えるほど、ほんの一瞬だった。


 青年は何も言わない。

 地面を見つめたまま、動かない。


 刀の奥で、シグレも何も言わなかった。


 女性は眠ったまま。

 村人たちも、まだ静かに倒れたままだ。


 森は、ただ静かだった。


 ユキは砕けた欠片を拾い上げる。

 掌の中に残るのは、もうただの冷たい破片だけだ。

 それでもしばらく、彼はそれを見つめていた。


 やがて低く呟く。


「約束だからな」


 誰に向けたものでもない。

 けれど、その言葉は確かに誰かへ届くようだった。

 ユキは背を向ける。


 東の空が、わずかに白みはじめていた。


 夜が、終わる。

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