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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第2章 奇跡の村

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第14話 ほどける糸

黒刃が森を覆い尽くしたまま、夜は深く沈んでいた。


 無数の刃に縫い止められた村人たちは身動きできず、荒い息だけを漏らしている。


 すでに糸は断たれ、青白い光は空気の中にほどけるように消えていた。


 森は、異様なほど静かだった。


 その中心で、青年だけが立っている。


 首元の銀のペンダントは、まだかすかに脈を打っていた。

 弱く、不安定に。

 まるで失った何かを探すように、青い石が頼りなく揺れている。


 その隣で、女性の身体がふらりと傾いた。


 糸は、もうない。


 支えるものを失った身体は、抗うことなく重力に従う。

 膝から崩れ、静かに地面へ落ちていく。


「……っ」


 アナが駆け出した。

 間一髪で、その身体を抱きとめる。


 軽い。

 思っていたより、ずっと軽い。


 骨ばった肩。

 細い腕。

 立っていた時には見えなかった衰えが、腕の中で生々しく伝わってくる。


 女性の瞳は虚ろなままだ。

 だが、先ほどまでの不自然な張り詰めはもう消えていた。


 ただ静かに、呼吸だけが続いている。


 立ってはいない。

 歩いてもいない。

 ただ――生きている。


 その事実だけが、夜に残る。


 青年は動かない。

 手にしたペンダントを、ただ見つめている。


「……立ってた」


 掠れた声が落ちた。


 誰に向けたものでもない。

 自分に言い聞かせるでもなく、ただ零れた声。


「俺の方に……歩いたんだ」


 青い石が、かすかに明滅する。


 先ほどまでの力はもうない。

 行き場をなくした鼓動のように、細く、弱く、頼りなく揺れているだけだった。


 青年は、理解してしまった。


 理解したからこそ、叫ばない。

 否定もしない。

 怒りすら続かない。


 ただ、その場に膝をついた。

 土が、わずかに沈む。


 視線は落ち、焦点を結ばない。

 ペンダントを握る手にも、もう力は入っていなかった。


 ユキはゆっくりと歩み寄る。


 黒刃はなお空間に静かに突き立ったまま、森を封じている。

 だが、その圧はもう誰かを追い詰めるためのものではない。


 終わったものを、ただ逃がさず留めているだけの静けさだった。


「……お前の願いは、間違ってはいない」


 低く、落ち着いた声が夜に溶ける。

 青年の肩が、わずかに震えた。

 ユキは続ける。


「ただ、使い方が違っただけだ」


 短い沈黙。


 そしてもう一つ、静かに置くように言った。


「そして――壊すのは、ただの俺のエゴだ」


 それ以上は言わない。


 責めもしない。

 慰めもしない。

 赦しもしない。


 ただ、そこにある事実だけを残す。

 青い光が、さらに弱まった。


 脈動は間延びし、やがて感じ取れないほど薄くなる。

 糸はもう現れない。

 呼びかけても、応じない。


 奇跡は、起きない。

 青年はもう一度だけペンダントを握った。


 祈るように。

 縋るように。


 最後の最後まで、何かが残っていると信じたい手つきで。

 だが石は沈黙したまま、冷たい光を返すだけだった。


 ゆっくりと、青年の指が緩む。

 銀の鎖が指の間から滑り落ち、ペンダントが地面へ落ちる。


 乾いた音が、静かな森に小さく響いた。


 青年は、それを拾わなかった。

 拾えなかったのかもしれない。


 ただ呆然と、前を見ている。

 アナは女性を抱えたまま、何も言えずに唇を閉じた。


 言葉をかけるには、あまりにも遅く。

 責めるには、あまりにも痛々しい。


 夜風が、そっと吹き抜ける。


 ユキはしゃがみ込み、落ちたペンダントを拾い上げた。


 重い。


 だが、先ほどまで感じていた脈打つ熱はない。

 掌にあるのは、ただの冷たい金属の感触だけだった。


 青い石は、静かだった。

 ユキはしばらく、それを見つめる。


 支えるために生まれた力。

 願いに寄り添うための師の形見。

 そのはずだったものが、今はもう何も語らない。


 月光が石の表面を淡く撫でる。


「……」


 ユキは何も言わない。

 ただ、指先にわずかに力を込めた。


 まだ、壊してはいない。

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