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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第2章 奇跡の村

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第11話 支えるための力

村人たちが踏み出した瞬間、張り詰めた糸が夜を裂く。


 青と黒の光が、真正面からぶつかり合い、空気が震え、地面の上を薄く波打つような衝撃が走った。


 その瞬間、ユキの胸の奥に、柔らかな熱が灯る。


 懐かしい匂い。

 土と花が混ざる、春のやわらかな空気。

 夜の森にはあるはずのない、遠い日の記憶。


 ◇


 そこは、小さな庭だった。


 手入れの行き届いた、こぢんまりとした庭。

 低い柵があり、白い小石の小道があり、その脇には色とりどりの花が咲いている。


 春の陽を受けた花弁が、風に揺れて淡く光っていた。


 木製の椅子に、若い男が座っている。


 全身は包帯に覆われ、足には厚く布が巻かれていた。

 指先にもほとんど力は入らず、自分の身体を自分の意志で動かすことができない。


 それでも、その目だけは生きていた。


 その隣には、若い女性が膝をついている。

 男の手を、両手で強く握りしめていた。


 その両目からは、涙が溢れ、頬を伝い、ぽたりぽたりと手の甲へ落ちていく。


 それでも、彼女は必死に笑おうとしていた。


 私より辛いのは彼だ、そう言い聞かせて。


 少し離れた場所に、小さな少年が立っている。


 まだ背も低く、幼さが残るユキ。

 師の背中越しに、その光景を見つめている。


「ごめんね」


 男の声はかすれていた。


「もう、一緒に歩けないかも」


 少年は拳を握る。


 どうして何もできないのか。

 どうしてただ見ているしかないのか。


「謝らないで」


 女性が涙を拭う。


「生きてるだけで、十分だから……っ」


 声は震えている。

 それでも、その手だけは離さない。


「でも、私は……」


 その時だった。

 人影が一つ前に出る。


 白い衣を纏い、春の光を背負うように立つ女性。

 柔らかな金の髪。

 世界を赦すような、穏やかな瞳。


 ――セレスティア。


 少年はその横顔を見る。


 いつもと変わらない、静かな微笑み。


 何かを裁くでも、押しつけるでもない。

 ただ目の前の願いと、まっすぐに向き合う顔だった。


「奥様の願いは、なんですか」


 風のような声。

 問われた女性は、迷わない。


「叶うなら――もう一度、手を握り返してほしい」


 涙混じりの声。

 それでも、言葉だけははっきりしている。


「叶うなら――もう一度、この大好きな庭を、大好きなこの人と、また二人で歩きたい!!」


 セラは静かに頷く。


 その掌に光が集まり、小さな銀のペンダントが形を成した。

 埋め込まれた青い石が、やさしく瞬いている。


 少年は、その光から目を離せなかった。


 きれいだった。


 セラは、二人の前に立つ。


「これは、望んだ相手の身体を動かす力です」


 青い石が、静かに光る。


「それは、あなたの手となり、あなたの足となる」


 少年は息を呑む。


 救いの力だと。

 これで二人はまた歩けるのだと、そう思った。


 だがセラは、そのまま続ける。


「旦那様」


 彼女の声は穏やかだ。

 けれど、その問いだけは決して曖昧ではない。


「あなたは、これから自らの意思で身体を動かすことができません」


「この力は、あなたの身体の一切を、彼女の意志に委ねます」


 春の庭に、静寂が落ちる。


「それでも、構いませんか」


 セラは必ず問う。

 助ける前に、力を与える前に、本人の意志を確かめる。

 それが彼女の在り方だ。


 男はゆっくりと顔を上げ、かすかに笑う。


「薬指に、この指輪を通したあの日から」


 息をするのも苦しそうなのに、その目はまっすぐだった。


「俺の心も身体も、既に彼女のものだ」


 セラは嬉しそうに微笑みを浮かべる。

 その横で少年の胸が熱くなる。


 それは、命令ではなかった。

 それは、支配でもなかった。


 その意味を、少年はまだ言葉にはできない。


 けれど確かに、これは“奪う”こととは違うのだとわかる。


 女性が震える手でペンダントに触れ、青い光が灯る。

 その瞬間、男の指がぴくりと動いた。


 ゆっくりと。

 ぎこちなく。

 それでも確かに、彼は彼女の手を握り返した。


 女性が息を呑み、泣きながら笑う。


 少年は、その光景を目に焼きつける。

 やがて二人は立ち上がった。


 支え合いながら。


 何度もふらつき、転びそうになりながら。

 それでも、一歩ずつ庭を歩いていく。


 どちらか一方が引きずるのではない。


 二人で、歩いていた。


 その時、セラがふと振り向く。

 少年と目が合う。


 春の光を受けた彼女の瞳は、どこまでも穏やかだった。

 けれど、その奥には、ただ優しいだけではない強さがある。


「ユキ」


 名を呼ばれて、少年は顔を上げる。


 セラは花畑の中に立ったまま、少しだけ微笑んだ。


「人はね、一人では歩けなくなる時が必ず来るわ」


 風が吹く。


 足元の花が、さざ波のように揺れた。


「どれだけ強くても、どれだけ正しくても、いつか必ず、足が止まる時が来る。前を向きたいのに向けなくて、進みたいのに進めなくて……自分の足だけでは、どうにもならない時が」


 少年は、黙ってセラを見つめていた。


 その言葉の意味を、すべて理解できたわけではない。

 それでも、彼女の声がいつもより静かなことだけはわかった。


「そういう時は、誰かを頼っていいの。誰かに手を引かれてもいい。誰かに支えられて、ようやく一歩を踏み出せることだってある」


 セラは、自分の手をそっと見下ろした。


「それを、弱さとは違うわ」


 少年の胸に、その言葉が静かに落ちる。


 セラは続ける。


「ユキも大切な誰かが歩けなくなった時は、支えてあげるのよ」


 柔らかな声だった。


「でもね、ユキ」


 少年は自然と背筋を伸ばしていた。


「支えることと、縛ることは違う」


 風が止む。

 花の揺れが、ゆっくりと静まっていく。


 セラの視線が、少年をまっすぐに捉えた。


 優しい瞳だった。


「願いは、自分の思いを誰かに押し付けることじゃない」


 春の光の中で、青い光が静かに瞬いでいる。


「誰かが、もう一度歩き出すためにあるの」


 少年は息を呑む。

 意味を理解するより先に、その言葉だけが胸の奥へ沈んでいく。


 いつか必要になるものとして。

 いつか、忘れてはいけないものとして。


 セラは歩み寄り、少年の頭にそっと手を置いた。


「忘れないでね、ユキ」


 そして、花の匂いを含んだ春風の中で、彼女は静かに微笑んだ。


「これは、支えるための力」


 少年は、強く頷いた。


 その時の自分が、どれほど理解できていたのかは分からない。


 それでも、セラの声だけは覚えている。


 春の風も。

 揺れる花も。

 頭に触れた手の温かさも。


 そして――


 支えることと、縛ることは違う。


 その言葉だけは、ずっと、ユキの中に残り続ける。


 ◇


 月光の森。


 ユキは静かに目を細めた。

 あの時の光と、今ここにある光は違う。


 あの時は、二人で歩いていた。

 互いに預け、互いに支えながら、前へ進もうとしていた。


 今は違う。


 一人が、もう一人を引きずっている。


「……懐かしいな」


 低く落ちた声は、独り言のよう。

 けれどそこには、ただ記憶を懐かしむだけではない響きがあった。


 冷たい夜気が肌を打つ。

 張り詰めた糸は、今まさに獲物を縛るために引き絞られている。

 それは支えるためではなく、縛るための力だった。


 ユキは、わずかに目を細める。


 怒りでもない。

 嘆きでもない。


 正しい形を知る者だけが持つ、静かな確信だった。

 刀を握る手が、ゆっくりと締まる。


「それは確かに、二人で歩くための力だ」


 夜の中に、低い声がまっすぐに落ちる。


「だが、それは二人が望み、互いに支え合うからこそ意味がある」


 青年の指が震えた。


 糸が乱れる。

 それに引かれるように、女性の身体がぎくりと揺れた。


「違う」


 青年の声が掠れる。


「俺は、守ってるだけだ」


 ユキは首を振らない。

 ただ、事実を告げる。


「それは守りでも、ましてや支えでもない」


 一拍。


「ただ縛っているに過ぎない」


 青い光が不安定に脈打つ。


「支えるのを放棄し、自己満足のために彼女を縛っているお前に」


 ユキは一層目を細める。


「《トモエ》は相応しくない」


 森の奥から、操られた足音がさらに迫り、土を踏む音が、夜の静寂を埋めていく。


 ユキは刀を構えた。


「――だから、壊す」


 その一言は、否定ではなかった。

 本来あるべき形へ戻すための宣言。


 糸が震える。

 夜が軋む。


 もう、戦いは止められない。

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