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萌香の呟き、地獄を呼ぶ

 萌香が、紙皿の端に残ったアジフライの衣をつつきながら、何気ない顔で言った。

「海老ってさぁ、天ぷらだと合うよね。エビフライだとどうかな?」

 全員。

 本当に全員が黙った。

「………………」

 部室の空気が、ぴたりと止まる。

 真平はゆっくりと顔を上げた。

 嫌な予感ではない。

 もう確信だった。

「やめろ」

 短く、しかし強く言った。

 だが、もう遅い。

 琴美の目が、かっと見開かれていた。

 その顔は、もはや思いついてしまった者のそれだった。

「なるほど……」

「なるほどじゃない」

 真平は即座に切った。

「盲点だったわ」

 琴美は立ち上がり、萌香を見た。

「天ぷらは和。エビフライは洋。だが素材は同じ海老。つまり――」

「言うな」

 真平はさらに強く言った。

「同一素材における和洋衣差異が、そばの受容にどう影響するかを比較できる!」

「言いやがった!!」

 琴美は机をばんと叩いた。

「第二次検証よ!」

「早ぇんだよ展開が!」

 真平が叫ぶ。

「今終わったばっかだろ! 余韻とかねえのかよ!」

 萌香が悪びれもなく笑う。

「いやだって気になるじゃん。エビ天がいけるなら、エビフライもワンチャンあるかなって」

「ワンチャンではないです」

 巫鈴が冷たく切った。

「それを言い出したら、イカ天が合うならイカフライも、ちくわ天が合うなら磯辺揚げも、と無限に拡張します」

 勇馬が真顔でうなずく。

「確かに。これは非常に危険な発想です」

「お前が言うと説得力があるようでないんだよ」

 沙羅が言った。

 ズーハンが腕を組む。

「でもエビフライそば、見た目は強そうだよな」

「やめろ、男子側まで乗るな」

 真平が即座に止める。

 シャオが目を輝かせて手を挙げた。

「パォ! タルタルはありですか!」

「なしに決まってるでしょ!」

 全員が一斉にツッコんだ。

 美優が小さく笑う。

「えへへ、でもエビフライって、それだけで完成してる感じありますよね~」

「それなのよ!」

 沙羅が珍しく美優に食いついた。

「エビ天はそばの仲間だけど、エビフライは定食の主役なの。立ち位置が違うのよ」

 琴美は腕を組み、部屋の中を歩き出した。

「いや……待って。むしろそこが鍵かもしれない」

「もうやめろって」

 真平の声には疲労がにじんでいた。

「エビ天は汁と一体化する。だがエビフライは、衣のサクサクと中身の弾力で独立性を保つ。つまりこれは、そばの懐の深さを試す究極の試金石――」

「全部それっぽく言うのやめろ!!」

 真平が机を叩いた。

 萌香はにやにやしている。

「じゃあさ、白身魚フライもいけるんじゃない?」

「黙れ」

「カニクリームコロッケは?」

「黙れ」

「じゃあ唐揚げはいけるんじゃない?」

「………黙れ」

 真平の三連射と最後の間に、萌香は「ひどーい」と笑った。

 だが琴美は完全に別世界に入っていた。

「海老……白身魚……カニクリーム……唐揚げ……」

 ぶつぶつ言いながら、机の上のメモに何かを書き始める。

 沙羅がそのメモを覗き込んで、真顔になった。

「おい、待て」

「なによ」

「フライそば編・海鮮&唐揚げ部門って書いてあるんだけど」

「当然でしょ」

「当然じゃないのよ」

 巫鈴が静かに口を開いた。

「今必要なのは実験の継続ではなく、終了条件の設定です」

 全員がそちらを向いた。

「このままでは揚げ物なら何でもそばに乗せてみる会になります」

 巫鈴は淡々と言う。

「それは研究ではなく、ただの暴走です」

「うっ」

 琴美がわずかに詰まった。

 真平がすかさず乗る。

「そう! それだよ! やっと言ってくれた!」

 巫鈴はさらに続ける。

「よって、ここでルールを定めます」

「ルール?」

 美優が首をかしげる。

「検証対象は、すでに文化的・一般的な先例がある、または先例に準ずる合理性があるものに限る」

 巫鈴は指を折りながら言った。

「エビ天は先例あり。コロッケそばも先例あり。だがエビフライそばは、少なくともこの場では思いつきの域を出ません」

「なるほど」

 勇馬が感心したようにうなずく。

「実に論理的です」

「でしょ」

 真平が少しだけ得意げに言う。

「うちの妹、そういう時ほんと強いんだよ」

 萌香は不満そうに頬を膨らませた。

「えー、でもちょっと試してみたかったな」

「お前は火をつけるだけつけて自分で消さないんだよ」

 真平が言う。

 すると勇馬が、ぽつりと口を開いた。

「でも……唐揚げは、あり得るかもしれません。かしわ天という先例がありますし」

 またしても沈黙。

「………………」

 真平は両手で顔を覆った。

「終わらねえ……」

 心の底からの声だった。

 琴美が、ゆっくりと顔を上げる。

 その目は、再び危険な光を帯びていた。


 翌日の部室には、前日の倍以上の冷凍揚げ物が並んでいた。

 ラインナップは、エビフライ、唐揚げ、かぼちゃコロッケ、イカフライ、カニクリームコロッケ、白身フライ、そしてとどめとばかりにとんかつ。

 どや顔を決める琴美に、真平は心の底から言った。

「お前バカだろ……」

「失礼ね」

 琴美は腕を組んだまま鼻を鳴らした。

「これは探究心よ」

「探究心で冷凍ケースを空にするな」

 沙羅が机の上を見渡して、静かに言った。

「ねえ、確認するけど。なんでとんかつがいるの?」

「そこに揚げ物があったからよ」

「最悪の理由だわ」

 勇馬は白身フライの袋を持ち上げ、真顔でうなずいた。

「しかし、ここまで来ると逆に比較対象としては充実しています」

「お前ももうだいぶダメなんだよ」

 真平が切る。

 美優は並べられた袋を見て小さく笑った。

「えへへ、今日は冷凍庫っぽいですね~」

「部室を冷凍食品売り場みたいに言うな」

 シャオが目を輝かせた。

「パォ! 昨日より強そうです!」

「その強そうで選ぶな!」

 真平が即座に止めた。

 そこへ萌香が入ってきて、机の上を見た瞬間、目を丸くした。

「うわっ、増えてる」

「お前が始めたんだよ!」

 真平が指をさす。

「え、あたしそんな責任ある?」

「あるわよ」

 沙羅が冷たく言う。

「かなりある」

 さらにズーハンが袋をひとつずつ見ていき、最後にとんかつをつまんだ。

「いや、これだけ明らかにステージ違くない?」

「私もそう思います」

 巫鈴が即答した。

「もはやそばに合う揚げ物ではなく、揚げ物なら何でも候補に入れていいという雑な思想です」

「雑とは何よ」

 琴美がむっとする。

「雑です」

 巫鈴は容赦がなかった。

「特にとんかつは一食として完成度が高すぎる。そばの上に乗る前提がありません」

「ほら見ろ」

 真平が言う。

「専門家からも怒られてるぞ」

「誰が専門家よ」

「今この部では一番近いだろ」

 琴美は一瞬だけひるんだが、すぐに胸を張り直した。

「ふん、いいわ。なら今日ははっきりさせましょう」

 そして、人差し指を机の上へ突きつける。

「誰が真の適合者かを!」

「言い方だけ無駄に壮大なんだよ……」

 今回も調理担当は美優だった。

 さすがに数が多すぎるので、家庭科室から借りてきたオーブントースターとホットプレートまで投入されていた。

「お前ら、準備だけは本気だな……」

 真平が遠い目をする。

「えへへ、今日は数が多いので、順番が大事ですね~」

 美優はにこにこと、揚げ物を大きさごとに並べていく。

「火の通り方が違うので、同じタイミングで入れるとかわいそうです~」

「かわいそうって表現、初めて聞いたわ」

 沙羅が言った。

「でもなんか分かるです」

 シャオが真剣にうなずく。

「揚げ物にも尊厳あります」

「ないわけじゃないけど、その言い方はやめなさい」

 美優の手際は相変わらずだった。

 ふわふわしているのに、やることは無駄がない。

 そばを茹で、つゆを温め、揚げ物の温度を見て、器を並べる。

 雑な企画なのに、見た目だけは妙にそれっぽく仕上がっていく。

「ほんとすごいな……」

 真平が思わずつぶやく。

「ね」

 沙羅が腕を組む。

「だから昨日も言ったでしょ。美優が入ると急に文明になるのよ」

「ひどいですね~」

 美優は笑っていた。

「じゃあ昨日までは何だったんですか~」

「未開の揚げ物帯」

 巫鈴が即答した。

「怖い言葉作るな」


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