コロッケそばの実力
翌日の放課後。
日ノ本文化部の部室に入った真平は、扉を開けたまま固まった。
「……なんでだよ」
応接テーブルの上には、小型のIHクッキングヒーター。
その隣には銀色のミニメスティン。
さらに、業務スーパーの冷凍コロッケ、冷凍メンチカツ、冷凍ハムカツ、冷凍アジフライ、冷凍春巻き、そして冷凍そばと麵つゆが整然と並んでいた。
真平は一つずつ確認し、最後に正面を見た。
琴美が腕を組んで仁王立ちしていた。
「有言実行してこそ日ノ本文化部! 検証するわよ」
「いや実行力の方向が間違ってんだよ!」
真平の叫びが、旧校舎の元校長室に響いた。
ソファの沙羅が机を見て呆れた顔をする。
「しかも全部冷凍で済ませる気満々じゃない」
「検証に必要なのは再現性よ」
琴美は胸を張った。
「高級手打ちそば屋の逸品でやっても意味がないわ。庶民の味は庶民の材料でぶつける。それが文化研究よ」
「言ってることはそれっぽいけど、やってることは放課後の闇鍋実験なんだよ」
真平は額を押さえた。
勇馬はすでにIHを見つめている。
「このサイズ感……いいですね。一人前を無理やり成立させる簡易調理器具の執念を感じます」
「そこ褒めるところか?」
真平が切る。
「ミニメスティンってかわいいですね~」
美優がふんわり笑う。
「お弁当箱みたいです~」
「パォ! 小さい鍋です!」
シャオも目を輝かせた。
「これで本当におそば作れるですか?」
「作るんじゃない、作らせるのよ」
琴美は堂々と言った。
「昭和魂で!」
「毎回それで押し切るな」
沙羅が冷たく言う。
そこへ、萌香とズーハン、それに巫鈴も入ってきた。
そして全員、部室に入った瞬間に同じ顔をした。
「……何してるの?」萌香が言った。
「文化研究よ」琴美が即答する。
「またか」巫鈴は一言で切った。
ズーハンはハムカツの袋を見て笑う。
「ラインナップだけならハムカツ優勝候補」
「いや、そういう問題じゃねえ」真平が言った。
琴美はパンと手を叩いた。
「では役割分担を発表します!」
「始めやがった」真平がぼやく。
「勇馬、調理器具補佐と安全確認」
「了解です」
「美優、そばと揚げ物の調理担当」
「えへへ、じゃあ私がやりますね~」
美優はすぐにメスティンの前へ立った。
「助かる!」真平が即答した。
「なんであんたが一番安心してんのよ」沙羅が呆れる。
「今この部屋で一番信用できるからだよ」
真平は真顔だった。
「それはそうですね」
巫鈴が即答した。
「パォ! 美優ちゃん、つよいです!」
シャオが目を輝かせる。
「急に成功率上がった感じする」
萌香が言った。
琴美は口を尖らせた。
「まるで私がいると失敗するみたいな言い方ね」
「みたいじゃなくて、するのよ」
沙羅が即答した。
「ズーハン、配膳と補佐」
「了解。食うほうの戦力ね」
「シャオ、揚げ物見張りと応援」
「パォ! 見張って応援するです!」
「萌香、記録係。ただし外部公開は禁止」
「はーい」
「沙羅、記録補助と全体監督」
「なんで私まで現場責任者みたいになってんのよ」
「真平、総責任者」
「なんで俺が!?」
琴美は真顔で答えた。
「言い出しっぺだから」
「お前だろ! 実行したのは!」
「私は理念担当よ」
「一番責任取らないタイプの上司だな」沙羅が吐き捨てた。
その間に、美優は材料を静かに並べ直していた。
「えへへ、順番にやりましょうね~。一気にやると分からなくなっちゃうので~」
「おお……」真平が思わず感心する。
「急にちゃんとしてる」萌香が小声で言った。
巫鈴が壁際から確認する。
「一応聞きますが、火災報知器、換気、電源容量、匂い対策は?」
「ほら見ろ!」真平が即座に乗る。
勇馬が手を挙げた。
「窓は少し開けています。延長コードは使っていません。IHなので直火ではありません。揚げ物は再加熱中心、追加の油もなしです」
「匂いは頑張るしかないですね~」美優がにこやかに言った。
「頑張るしかないで済ませるな」沙羅が切る。
「でも最低限は考えてたのか……」真平は少し遠い目になった。
美優は鍋に水を入れ、冷凍そばをそっと投入した。
手元に無駄がない。ふわふわしているのに、妙に安定している。
「そばは慌てなくても大丈夫ですよ~。ほぐれるまで待てば、ちゃんときれいになりますから~」
「なんか料理番組みたい」ズーハンが笑う。
「パォ……先生です」シャオが感心した。
美優は揚げ物も順番に見ていく。
コロッケ、メンチ、ハムカツ、アジフライ、春巻き。冷凍食品のオールスターだ。
「コロッケは少し長めがよさそうですね~。衣がへなっとしすぎると悲しいので~」
「その基準、妙に信用できるな」
真平がうなずく。
「メンチは中までしっかり揚げたいですし、春巻きは焦ると皮だけ先にいっちゃいそうですね~」
「ただ揚げるだけなのに、ちゃんと料理してる感じある」萌香が感心した。
「それが本物の女子力ってやつよ」琴美がなぜか誇らしげに言う。
「お前が誇るな」真平が切った。
IHの上でメスティンがことこと音を立て始める。
隣で美優は揚げ物の様子を見ながら、必要な順に並べ替えていった。
「えへへ、なんだか理科の実験みたいですね~」
「文化部の活動、大体そんなもんだろ」真平はもう諦め顔だった。
だが空気は妙に落ち着いていた。
琴美の無茶な企画なのに、ちゃんと進んでいる。
その中心にいるのが、美優だった。
やがて美優が顔を上げた。
「はい~。最初はやっぱり、コロッケそばからいきましょうか~」
第一陣、コロッケそばが完成した。
小さな器に移したそばの上に、きつね色のコロッケがそっと乗る。
かなりうまそうだった。
「……おお」真平が思わず声を漏らす。
「見た目は強いわね」沙羅も認めた。
「庶民の英雄よ!」琴美が誇らしげに言う。
「いや、それ美優の仕事だろ」真平が即座に返す。
「えへへ~」美優は嬉しそうに笑った。
真平は箸を取る。
一口すすり、少し置いてからコロッケを崩し、汁と混ぜる。
さらにもう一口。
「……ああ」
真平はうなずいた。
「うまいわ」
「ほら!」琴美が机を叩く。
「だからお前じゃねえって」真平は切りながら続けた。
「でも分かる。コロッケって単体だと重いのに、汁吸うと急にそば側に寄ってくる。しかもポテトだから主張が丸い。メンチみたいに肉が前に出てこない」
「やはりそうでしたか……」勇馬が感動したように言う。
「調理条件も安定してますね」巫鈴が静かに付け加えた。
「衣が完全には死んでいない」
「パォ! まだ戦える衣です!」シャオが力強くうなずいた。
「表現がいちいち物騒なのよ」沙羅が言う。
続いてメンチそば。
「メンチはもう見た目から圧があるな」真平が言う。
一口食べて、すぐに顔をしかめた。
「うまいけど重い」
「早いわね」沙羅が笑う。
「そば食ってるのかメンチ食ってるのか分かんなくなる。うまいけど、そばの上にいる理由が弱い。それと・・・」一息ついてから「メンチは脂でそばが死ぬ」
「なるほど」巫鈴が言う。
「主菜が強すぎて、全体の統一感を壊すわけですね」
「そうそう、それ」
真平が指をさした。
ハムカツそば。
「……薄い」真平が一口で言った。
「だろうね」沙羅が即答した。
「悪くないけど、汁に負ける。存在感が保てない」
「場所が悪かったです」シャオが真剣に言う。
アジフライそば。
器の上のアジフライを見て、真平がつぶやく。
「これ大丈夫なのか……」
勇馬がやや自信なさげに言った。
「にしんそばもありますし……ギリギリ、いけるのでは」
「理屈が苦しいな」沙羅が切る。
一口食べた瞬間、真平が止まった。
「どうですか?」美優がのぞきこむ。
「……これは」真平は慎重に言った。
「別々に食いたい」
部室に笑いが起きた。
「正直すぎるだろ」ズーハンが吹き出す。
「いや、うまいんだよ?」真平は必死に補足する。
「でも魚の主張が急に海なんだよ。そばのつゆと喧嘩してるわけじゃないけど、方向性が違う」
「海なんだよ、は好き」萌香が笑いながらメモした。
最後に春巻きそば。
「これはたぶん、乗せた時点で何かが違いますね~」美優が少しだけ遠い目をした。
「やる前に言えよ」真平が言う。
一口食べて、真平は無言になった。
「……どうしたの?」琴美が聞く。
「事故だな」沙羅が先に言った。
「事故だ」真平も同意する。
「皮が汁吸ってふにゃふにゃ、中身が熱い、しかも味の方向が独特すぎる。これだけ別ジャンルだ」
「パォ~……春巻き、悪くないのに場所が悪いです」シャオが神妙な顔で言った。
「名言っぽいな」ズーハンが笑う。
全検証が終わり、テーブルには食べかけの器と空袋、そして妙な達成感が漂っていた。
沙羅がメモを読み上げる。
「結論。コロッケそばは強い。理由は、ポテト主体で主張が丸く、汁を吸って全体へ自然に馴染むから。メンチは重すぎるし脂でそばが死ぬ。ハムカツは弱い。アジフライは別々に食いたい。春巻きは事故」
「完璧ね」琴美が満足げにうなずく。
「最後の二つ雑すぎるだろ」真平が言った。
巫鈴が壁にもたれたまま口を開く。
「つまりコロッケそばは、突出して美味というより、全体を壊さない範囲で満足感を増す最適解ということですね」
全員が少し黙った。
「……はい、優勝」
真平が言う。
「一番頭いいまとめ出た」
「しかも美優先輩の調理で条件が安定していましたし、今回の結果はかなり信用できます」巫鈴が続けた。
「おお……」勇馬がうなずく。「確かに、それは大きいです」
「えへへ、そんなに褒められると照れます~」美優は頬に手を当てて笑った。
「今回の陰の功労者は美優だったわ!」琴美が突然指さした。
「今さらかよ」真平が即座に切る。
「気づくの遅いのよ」沙羅も言った。
琴美は腕を組み、満足げに窓の外を見た。
「また一つ、昭和の食文化の謎を解き明かしてしまったわね……」
「いや昭和に全部寄せるな」真平はすぐに切った。
「今の結論、ほぼ冷凍食品の相性比較だろ」
「細かいことはいいのよ!」
「それで毎回押し切るのやめろ!」
その時、美優が空になったミニメスティンを見て、にこっと笑った。
「えへへ、この小さいお鍋、なんだかかわいかったですね~」
「分かります」勇馬が真顔でうなずく。
「このサイズに世界が詰まっていました」
「急にポエム始めるな」真平が疲れた声で言う。
ズーハンが紙皿の端に残ったハムカツをつまみながら言った。
「で、次なにやるの?」
嫌な沈黙が流れた。
琴美の目が、またしても光った。
「そうね……」
彼女はゆっくり振り向く。
「次は何がカレーに一番合う揚げ物かを――」
「却下」巫鈴が即答した。
「なんでよ!」琴美が振り向く。
「部室がカレー臭に支配されるからです」
「正論だな……」真平は深くうなずいた。
だがその横で、シャオは目を輝かせ、美優はにこにこし、勇馬は静かにうなずき、萌香はすでに撮れ高を感じ、ズーハンは「それはアリ」と笑っていた。
沙羅だけが深いため息をついた。
「……ほんと、この部は一回うまくいくと次の地獄を呼ぶわね」
その通りだった。




