卵は裏切らない――炒飯リベンジ戦
放課後の家庭科室には、今日も煙と笑い声がたゆたっていた。かつて「焦げハンバーグ」や「燃えるサンマ」を世に送り出したこの場所に、日ノ本文化部が再び集結している。
「今日こそ、リベンジのリベンジよ!」
胸を張って拳を突き上げるのは、もちろん琴美。目がきらきら。目標は大きく――昭和の台所を制すること。初戦は炒飯だ。
「テーマは炒飯! 昭和を制するには、まず米を制せねばならない!」
「……昭和関係ないだろ」真平が即ツッコミ。沙羅はため息、巫鈴は腕組みで静観。勇馬はエプロンを直し、真面目に助言する。
「先輩、米は冷やご飯がいいですよ。パラッと仕上がります」
「わかったわ! 冷やご飯! 冷やご飯ね!」
ズーハンが中華鍋をあぶり、シャオは「卵は一気に入れて一気に混ぜるですぅ!」と跳ねる。場は戦闘態勢。勝利は近い――はずだった。
琴美がボウルの卵を掲げ、真剣な眼差しで宣言する。
「卵! あなたにすべてを託すわ!」
「えいっ!」
――静寂を破ったのは、致命的な欠落だった。油が、ない。
ジュッ、と卵が鉄に貼りつく音。白身は鍋と同化し、黄身は怒りで固まっていく。
「ぎゃああああ!! 動かないぃぃ!!」
「GG! 固定化現象!!」
「卵が裏切ったぁぁ!!!」琴美の叫びが室内に跳ね返る。
数分後。床にはべちゃりと広がる米、焦げたネギ、黒い悲劇。鍋底には固着の証。萌香が震える手でスプーンを持ち上げ、そろそろと訊く。
「……琴っち、これ本当に食べ物……?」
「努力の結晶よ!」琴美の目は妙に輝いているが、空回りだ。
巫鈴が慎重にひと口。淡々と、哲学者のように結論を置く。
「……三日間断食して、最初の食事なら食べられるわ」
沙羅も遅れて判決を言い渡す。
「……入院中の病院食と思えばね」
「ひどいっ!!」琴美は机に突っ伏す。誇りは焦げと共に煙になって昇天した。
勇馬はノートを開き、さらさらと記す。
「先輩、炒飯は友情ではなく温度で決まる」
格言めいた言葉に、琴美はますますむくれる。
そんな敗走ムードを割って、シャオとズーハンが小さなフライパンを掲げた。黄金色の米粒が光り、香ばしい湯気が立つ。
「見てくださいですぅ!」シャオは誇らしげ。ズーハンは胸を張る。「GG! これぞ中華!」
拍手がわく。琴美は膝を折り、両手を握る。胸の中がきゅっとなる。
「……やっぱり、私、料理に嫌われてるのかな」
「違うよ」萌香がやわらかく笑う。
「琴っちは、料理に振り回される天才なんだよ」
「フォローになってない!」真平が茶化すが、彼のスプーンは自然とシャオの炒飯へ。
琴美も恐る恐るひと口。――顔がわずかに和らいだ。
「……あれ、ちょっと美味しいかも」
「それ、シャオのだから」巫鈴が冷静に刺す。
琴美の顔がガーン。笑いが広がる。夕陽が窓から差し込み、煙の匂いと炒飯の香りが混ざり合う。
磨き終えた焦げたフライパンを見下ろし、琴美は小さくつぶやいた。
「でもさ、卵は裏切っても、みんなは裏切らないのね」
「……何その名言っぽい誤魔化し」沙羅が苦笑。ズーハンは「友情で腹は膨れぬ!」と元気よく、シャオは「パォォ! でも心はいっぱいになるです!」と満面の笑み。
巫鈴はため息まじりに、しかし柔らかく。
「……まったく、料理より精神修行ね」
真平が冗談を放る。
「焼きを極めるなら、いっそ磯貝亭でバイト始めたらどうだ?」
「うちを潰す気?」沙羅が即答。萌香は「おねえちゃんひどすぎ……」と肩を落とす。
琴美は、やや魂の抜けた顔でフライパンを見つめた。
「……やっぱり、料理って私には向いてないのかも」
空気が止まる。
そのとき――コトン、と包丁を置く音。美優がやさしく笑っていた。
「もう一回挑戦しましょ」
隣でシャオが力強くうなずく。
「パォ! 今度は私たちも一緒にやるです!」
琴美が顔を上げる。二人の手には、菜箸と木べら。目に宿るのは笑顔と自信。
再び、火が灯る。
勇馬が温度を見てうなずき、ズーハンが「GG! 温度安定OK!」と叫ぶ。
萌香はタオルを頭に巻き「応援隊長!」を名乗り、沙羅と巫鈴は監督席で腕を組む。文化部総出の再挑戦モード。
「琴美ちゃん、まず深呼吸して……焦らないことです」美優。
「う、うん……!」
「火をつけるですぅ! でもさっきより弱火です!」シャオが指差す。
「了解!」スイッチが回り、ジュッ――今度はやさしい音。
「油をよくなじませて……卵は迷わず、思い切って」美優が卵を割る。
「パォォ! 卵は裏切らないは本当だったです!」
琴美は笑いながらも真剣に卵を投入。ふわり、きれいな黄色が広がる。
「いい感じです!」美優の声。
「はい! 次、冷やご飯投入!!」
ジャッ。白いご飯が金色に染まり、香りが一段立つ。
木べらで優しくほぐしながら、シャオが宣言する。
「パォォ! 米と卵は友達ですぅ! けんかしちゃダメです!」
「はいっ! 仲良くさせます!!」琴美の瞳に火が宿る。
「火加減、完璧です」勇馬が短く肯定し、
「……奇跡の温度ね」巫鈴が珍しく微笑む。
――完成。
フライパンの上で、黄金の炒飯が湯気を上げる。香ばしい匂いが部屋を満たした。
「やったぁぁぁ!!!」琴美が跳ね、
「パォォ! 大成功ですぅ!」シャオが飛び、
「ほら、試食して」美優が皿を差し出す。
琴美はそっとスプーンを口へ。短い沈黙ののち――
「……おいしいっ!!!」
拍手。萌香は涙目で「やったじゃん琴っち!」
「GG! 奇跡のリザレクション!」ズーハンが拳を突き上げ、
「ま、やればできるじゃない」沙羅は口角を上げる。
巫鈴は静かに締めた。
「ようやく、昭和魂が正しい方向に燃えたわね」
琴美は照れくさそうに頬をかく。
「……卵は裏切っても、仲間は裏切らないって言ったけど――」
そこでふっと笑った。
「やっぱり卵も、もう裏切らなかったわね」
美優とシャオが両脇で微笑む。
「ええ、今回は完璧です」
「パォォ! もう怖くないです、琴美先輩!」
その夜の部室の晩ごはんは、琴美の渾身の炒飯。
焦げ跡も涙も、ぜんぶが味の思い出になった。
窓の外、夕陽が沈みかける。
フライパンを磨きながら、琴美がいつもの笑顔でつぶやく。
「次は――オムライスね!」
「「「やめろォォォォォ!!!」」」
巫鈴と沙羅と真平の声が、気持ちいい残響で家庭科室にひびいた。




