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藪蛇とホッピング

 始業式が終わった体育館。床はまだ熱を吐いていて、1年生たちは椅子の片付けで汗だくだった。

「ふぅ~……夏休み明け一発目から力仕事って、もう勘弁してほしいよねぇ」

 萌香が大げさに額の汗をぬぐう。

「GG、でもこれ効率的だぞ。右から入って一気に運べば――」

 ズーハンは肩に椅子を二脚担いで、誇らしげに歩く。足取りは軽い。筋肉は正直だ。

 その時、窓の外からざわめきが起こった。「なんだあれ!?」「飛んでるぞ……!」

 三人が目を向けると――校舎の屋根を越えて、シャオがホッピングで空を跳ねていた。

「パォォォーーッ!!!」

 萌香の目がギラリと輝く。「やっば! なにあれ!? 参加ボタンどこ!?」

 ズーハンも拳を握って興奮が漏れる。「GG! 乗るしかない、この流れ!」

 だが巫鈴が冷たく制した。「行ってはダメよ……藪蛇だわ」

 巫鈴は椅子を肩から外し、短く続ける。「藪蛇――騒ぎは呼ぶと来る。見つけるより見つかるほうが速い」

 二人は不満げだったが、直後、遠くからサイレンの音。

 窓ガラスの隙間から、微かに赤がさし、体育館の梁が低く震える。

「マジで!?」

 青ざめる二人に、巫鈴が一言。

「ほら、言った通りでしょ。見ない・近づかない・混ざらない」

 窓の外では、空を舞うシャオと、追いかけて阿鼻叫喚する上級生たち。歓声と悲鳴が風にちぎれて飛び込んでくる。

 巫鈴は小さくため息をついた。「どう考えても、ただの遊びで終わらないわ。必ずトラブルに巻き込まれる」


 夕暮れ。片付けを終えた三人は、最後の束ね紐をきゅっと締めて、整然と積まれた椅子の山を見上げた。

「……うん、見た目も綺麗ね」

 巫鈴がわずかに口角を上げる。

「ただいま終わりましたー!」

 萌香が誇らしげに職員室へ声をかけ、

「GG! 椅子50脚、効率神だったな! 右から入って左で受けて、ヒットボックス最小化成功」

 ズーハンも胸を張る。

「……うるさい。とにかく任務完了よ」

 巫鈴は素っ気ないが、汗で張りついた前髪を耳にかける手つきは、少しだけ満足げだった。


 歴史資料準備室。机に突っ伏していた市子先生が顔を上げる。

「一年生たち、ご苦労さま。えらいわね」

 目の下にはうっすらクマ。机の隅には胃薬の小箱。角がひんやりと手のひらに触れていた。

 その時、また遠くでサイレン。窓ガラスに赤が点々と流れていく。

「やっぱりシャオっちの騒ぎですよね……」萌香がつぶやく。

「GG! オレたち参加してたら救急車だったな!」ズーハンが苦笑いで首をすくめる。

「だから言ったでしょ。このまま下校まで過ごすのよって」巫鈴は冷ややかだ。

「……あなたたち、ホッピング騒動に関わってないわよね……?」

 市子先生が半泣きの顔で問うと、三人はそろって深々と首を振る。

「ノータッチです! 椅子片付けオンリーです!」萌香。

「GG! 証人多数!」ズーハン。

「安全圏にいました」巫鈴。

 先生は胸をなで下ろし、小さくつぶやいた。

「……よかったぁ。もう胃薬、増やしたくないのよ……」

「先生、それ……」

 巫鈴が胃薬の箱に視線を落とすと、市子先生は照れたように笑って箱を引き出しにしまった。

「ありがと。あなたたちが椅子を整えてくれたおかげで、臨時の連絡会、ここで回せたの。助かったわ」


 その後、部室では上級生がぐったりして戻ってきた。

 机に突っ伏す真平の横で、琴美がホッピングを掲げてドヤ顔を決める。

「見なさい! 昭和魂が町を救ったのよ!」

「……経済効果は黒字、心労は大赤字だろ……」

 真平がうめく。

 沙羅はげんなりと「役所で説教三時間……」とぼやき、

 勇馬は青ざめて「……僕の調整不足が観光資源に……いや、次は収束させる」とメモを取り出す。

 シャオはキラキラ笑顔で手を振った。

「パォォ! いっぱい写真撮られたですぅ!」

 美優はにこにこ饅頭を配り歩く。

「えへへ……お土産もらっちゃいましたよ~」

「……なんで宿題の私のほうが平和なの……」

 萌香がプリント束を抱きしめる。

「だから言ったでしょ。藪蛇になるって」

 巫鈴はちゃぶ台に腰を下ろし、冷ややかに告げる。

「でも先生が言ってた。椅子、助かったって」萌香がぽつり。

「GG、それ、地味にナイスカバーだな」ズーハンが親指を立てた。

 巫鈴は「……まぁ、そうね」とだけ言って、湯飲みに口をつける。冷めた麦茶は、なぜか少しだけ甘かった。


 数日後の那須塩原学園・職員室。

 市子先生は机に突っ伏し、握っていた胃薬の小箱をそっと放した。指の節が白くなっていたのに気づいて、苦笑いで開いた手をさする。

 机の上には新聞記事のコピー。

 〈黒磯に跳躍娘現る〉という見出しが躍り、笑顔で手を振るシャオの写真が大きく載っている。欄外には小さく「商店街では看板まんじゅうが人気」と書き添えられていた。

「……ほんとに、どうしてこうなるのよ……」

 力なくこぼれる声。

 隣の席では、博美が腕を組んだまま窓の外を見つめていた。一人の先輩として、少し疲れた横顔。

「市役所も、商店街も、PTAも……みんな怒ってるわ。

 でもね、あの子たちを見ていると……本気で怒りきれない自分が嫌になるの」

 市子先生は顔を上げる。

「嫌になる、ね……。でも、分かるわ。怒鳴ってもしょげるどころか笑ってる。

 それでも、なんだか……次は守らなきゃって思っちゃうのよ」

 窓の外には、まだ部活動を終えて帰る生徒たちの笑い声。「パォォ!」が遠くで反響して、曇りガラスをくすぐる。

「……胃薬が増えるわけね」

 博美も小さく笑う。

「でも、あの子たちの無茶が、町の人を笑顔にしたのも事実。

 きっと、私たちの仕事は叱ることじゃなくて、見守ることなんでしょうね」

 二人はしばらく黙り込んだ。疲労は身体に残っているのに、不思議と心だけは少し軽かった。

 ふと、市子先生が思い出したように引き出しを開ける。

「……ほんとに、魔性の部活ね」

「ええ。でも……誇れる生徒たちよ」

 博美が小さく頷いた。

 窓の外では、もうすぐ秋の風に変わる夜風が、涼やかに木々を揺らしていた。体育館の梁が、さっきより静かに息をしている。

 藪は揺れたが、蛇はこっちに来なかった。少なくとも、今日は。




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