78貴族令嬢は、大西洋に道をつくります。 アゾレス諸島を中継地点にします。時刻校正用放送局を作ります。
第七十八章 貴族令嬢は、大西洋に道をつくります
どろちゃんがエルレンフェルトへ戻ったのは、その日のうちでした。
朝、ライデン大学の教授たちと一緒にチェブラーシカちゃんでリスボンへ行きました。
鉄道の開通式を見て。
帰りにはルイ十四世たちを乗せてパリへ飛び。
客を降ろしたあと、そのままルイ十四世とトルシー侯を呼び止めて、北アメリカの戦争をどう止めるかまで話しました。
それから、ようやくエルレンフェルトへ帰ってきたところです。
チェブラーシカちゃんを格納庫へ入れて、飛行記録を渡して、荷物を降ろして。
屋敷へ戻ります。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
玄関で迎えたフランソワさんとは、さっきまで同じ飛行機に乗っていました。
それでも屋敷へ入れば、また挨拶をします。
どろちゃんは帽子を外しました。
「今日はもう仕事しない」
「そうなさってくださいませ」
「朝からライデンの先生たち連れてリスボン行って、鉄道見て、王様たちパリへ送って、そのあと北アメリカの戦争止める話までしたんだよ」
「存じております。ほとんどご一緒しておりましたので」
「もう寝る」
「まずお食事を」
「うん。それから寝る」
「それがよろしいかと存じます」
そこへ、奥から使用人が一枚の紙を持ってきました。
「お嬢様。英国から電信が届いております」
どろちゃんは、その紙を見ました。
しばらく見ました。
「……いつ?」
「少し前でございます」
「アン女王?」
「はい」
フランソワさんが、ほんの少しだけ顔をそらしました。
「笑った?」
「いいえ」
「絶対笑った」
「英国側の上司からのお仕事でございます」
「帰ってくる前に来てる」
どろちゃんは紙を受け取りました。
*
電文は、思ったより長いものでした。
北アメリカでの英仏戦闘停止。
私掠活動の停止。
海賊情報の共同化。
ポルトガル摂政カタリナ・デ・ブラガンサへの協力要請。
そこまでは、どろちゃんも知っています。
その先がありました。
英国とフランスが北アメリカで継続して連絡し、命令、人員、文書、医療物資などを短時間で送れる経路が必要。
船だけでは時間がかかる。
チェブラーシカちゃんを使った大西洋横断航空路を開設したい。
欧州側の出発地点はリスボン。
中継地点はアゾレス諸島。
北アメリカ側はボストン近郊。
どろちゃんは、途中で一度読み上げるのを止めました。
「……もう決めてる」
フランソワさんも横から読みました。
「航続距離をご存じですから」
「カナリアのときに言っちゃった」
「はい。チェブラーシカちゃんが、どの程度の距離を安全に飛べるかは、あの時かなり具体的に公表されました」
「だから、一発でボストンまで飛べって書いてないんだ」
「そのようでございます」
電文には距離の考え方まで書かれていました。
リスボンからアゾレス諸島までは、十分に余裕を持って飛行できる。
アゾレス諸島からボストンまでなら、チェブラーシカちゃんの公表された航続距離の範囲に入る。
どの島を中継地点とするかは、ポルトガル摂政側と協議し、実際の地形、港、風、用地、工事条件を見て決める。
「そこは決めてない」
「決められないのでございましょう。島ごとの詳細な航空写真も地形図も、まだ十分にはありません」
「大家さんと相談だね」
「お嬢様」
「ここ家だよ」
「それなら、まあ」
フランソワさんは少し諦めました。
*
さらに読み進めると、費用のことも書いてありました。
「お金、出る」
「当然でございましょう」
「いつも自腹っぽい仕事が混ざるから」
「今回は英国政府からの正式な依頼でございます」
「ポルトガルも出すみたい」
リスボン側の恒久的な滑走路用地と付帯施設については、ポルトガル摂政政府が協力する。
アゾレス諸島の中継基地についても、候補島の選定後、ポルトガル側が用地取得、港からの資材輸送、現地労働力などを支援する。
ボストン側は英国政府と植民地行政側が支援する。
滑走路造成に必要な大型機械は、原則として船で輸送する。
そこまで読んだどろちゃんは頷きました。
「そこ大事」
「チェブラーシカちゃんで重機を運べば、その重量分だけ燃料を減らさなければなりません」
「アゾレスからボストンで、それやったら嫌だよ」
「ですから船でございます」
カニちゃん。
ローラー。
燃料設備。
必要なら発電設備。
工具。
予備部品。
そういう重いものは、先に船で送ります。
チェブラーシカちゃんが運ぶのは、人。
測量機材。
小型の工具。
通信筒。
無線設備。
そして、何より燃料です。
「ちゃんと考えてる」
「英国にも、航空機の運用を覚えた方が増えておりますから」
「ちょっと寂しい」
「なぜでございます?」
「前は全部説明しないといけなかったのに」
「それを、お嬢様がずっと教えてこられたのでございます」
*
「まだある」
どろちゃんが言いました。
土地。
リスボン。
アゾレス。
ボストン。
それぞれ、滑走路と付帯設備を置く範囲について、幅一キロメートル、長さ三キロメートルを基本とする。
必要な地役権や進入方向の障害物制限は別途定める。
「一かける三?」
「三平方キロメートルでございますね」
「十平方キロじゃない」
「滑走路用地でございますから」
「いつもの領地より細い」
「飛行機が走るための領地でございます」
どろちゃんは紙を裏返してみました。
「これ、ほんとに領地って書いてある」
「英国側は、ボストン近郊の用地を爵位に付随する領地として与える案でございますね」
「ポルトガルも?」
「リスボンとアゾレスについては、カタリナ摂政陛下との協議後に正式な形式を決める、とあります」
「大家さん、また土地くれるの?」
「まだ決まっておりません」
「でも三キロある」
「長さでございます」
どろちゃんは、少し変な顔をしました。
「細長い領主」
「飛行場の領主でございますから」
*
その日の夕食は、予定より少し遅くなりました。
電信の続きに、英国側の考え方まで書かれていたからです。
ボストン側で用地を領地として与えるのは、単にどろちゃんへ褒賞を与えるためではありません。
英国側では、植民地で行政、商業、港湾、技術などに大きな功績を持つ住民について、本国の爵位制度へ組み込み、一定の領地や地位を与えることも検討する。
植民地に住んでいるからといって、本国とは別の政治社会の人間として固定しない。
英国の中で功績を上げれば、植民地出身者でも英国貴族になれる。
植民地の町が成長しても、
自分たちは英国とは別の国だ。
英国人とは別の人間だ。
そういう意識だけが強くならないようにする。
「これ、民兵の話とつながってる」
どろちゃんが言いました。
「武器だけ取り上げて、地位はずっと本国の人より下、では反発しますから」
フランソワさんが答えました。
「うん。銃は持たせない。でも、仕事したら上へ行ける」
「植民地に住んでいること自体を、身分上の壁にしない」
「英国の貴族になる人も出る」
「そのようにしたいのでございましょう」
どろちゃんは少し考えました。
「それなら、別の国を作りたいって思う理由、少し減るね」
「少なくとも、本国との間に完全な身分の壁を作るよりは」
「でも貴族になりたい人ばっかりじゃないよ」
「当然でございます」
「そこは税とか商売とか自治とか、別にちゃんとやらないと」
「はい」
「これだけで解決、じゃない」
「英国側も、そこまでは書いておりません」
どろちゃんは頷きました。
「ならいい」
*
食事のあと。
どろちゃんは、休むと言っていたのに地図の部屋へ行きました。
「今日はもう仕事をなさらないのでは?」
「見るだけ」
「お仕事を始める方が、よくお使いになる言葉でございます」
「地図見るだけだよ」
大西洋の地図を広げます。
リスボン。
その西。
アゾレス諸島。
さらに西。
ボストン。
一本の線ではありません。
二本に分かれます。
リスボンからアゾレス。
アゾレスからボストン。
「これなら行ける」
「はい」
「最初にアゾレスのどの島か決めないと」
「カタリナ摂政陛下から、島ごとの情報をいただく必要がございます」
「港がいる」
「重機と資材を船で運びますので」
「飛行場にできるところもいる」
「当然でございます」
「山が近すぎるの嫌」
「風も見ます」
「雨も」
「地盤も」
「住んでる人の家を壊すのも嫌」
「農地もございます」
「それから、三キロまっすぐ取れるか」
「一キロ幅も」
「意外と大きいね」
「島では特に」
どろちゃんは、島々の名前を見ました。
「ここは、大家さんの方が知ってるね」
「ポルトガルの島でございますから」
「じゃあ、まず聞こう」
*
電信はすぐに打たれました。
ポルトガル摂政カタリナ・デ・ブラガンサ陛下へ。
英国女王アン陛下より、大西洋航空路開設の依頼を受けました。
リスボンからアゾレス諸島を経由し、ボストンへ至る航路を想定しています。
アゾレス諸島について、以下を教えてください。
大きな船から重機・建設資材を下ろせる港。
港から候補地までの輸送条件。
三キロメートル級の滑走路用地を取り得る場所。
周囲の山地。
風。
雨。
地盤。
集落と農地。
土地所有。
現地で確保できる労働力。
どろちゃんは、そこまで書かせてから少し考えました。
「最後に、大家さんって書いたらだめ?」
フランソワさんは即答しませんでした。
「私信なら」
「いい?」
「正式な照会のあとに、別の一行としてなら」
「やった」
どろちゃんは自分で短く付けました。
――大家さん、どの島が飛行機を降ろしやすいですか。
フランソワさんが見ました。
「本当にお送りになるのですね」
「だって大家さんだもん」
「カタリナ摂政陛下も、もう意味をご存じですからね」
「うん」
*
次は、アン女王への返事です。
依頼を受けること。
チェブラーシカちゃんの航続距離から、リスボン―アゾレス―ボストンの経路は実施可能と考えること。
ただし、アゾレスの使用島はポルトガル側の現地情報と航空偵察後に決めたいこと。
リスボンは既存の離着陸場所を恒久使用できるよう整備・権利関係を確定すること。
ボストン側については、最初の飛行前に候補地情報を集めること。
初回着陸時に滑走路がまだ完成していない場合は、上空から確認し、通信筒を使用して地上と連絡すること。
そこまで書いて、どろちゃんが止まりました。
「強行着陸も書く?」
「書かない方がよろしいかと存じます」
「でも時間かかったら降りるよ」
「それは飛行中の安全判断でございます。最初から外交文書へ『場合によっては強行着陸します』と書く必要はございません」
「そっか」
「ボストン側が必死で用地を整えるだけでございます」
「それもそうだね」
どろちゃんは、強行着陸の文字を消しました。
*
その夜。
アントノフの技師さんたちも、頭の中で地図を見ていました。
『アゾレスで燃料を満タンにできるなら、ボストンは現実的だね』
「うん」
『ただし、西向きは風を見る』
「もちろん」
『無理なら出ない』
「それも」
『重機は船』
「もう決まってる」
『ボストン側に降りたあと、すぐ給油できるようにしておきたい』
「神様燃料のタンク?」
『少なくとも初回分はね。帰れなくなるのは困る』
「それ、アン女王にも言わないと」
どろちゃんは寝台へ入ったあと、また起きました。
「お嬢様」
隣室からフランソワさんの声がしました。
「なに?」
「もうお休みくださいませ」
「燃料のこと書き忘れた」
「明日の朝で結構でございます」
「でも」
「電信局も逃げません」
「……はい」
どろちゃんは、もう一度寝ました。
*
翌朝。
ポルトガルから、思ったより早く返事が来ました。
カタリナ摂政からです。
リスボン側の用地については協力する。
現在チェブラーシカちゃんが使用している離着陸場所を基礎に、恒久的な航空施設として確保できるよう調整する。
アゾレス諸島については、島ごとの港、地形、土地利用、風の情報を集めさせる。
大型資材を船で運ぶ以上、良港または安全な荷揚げ地点から滑走路候補地までの経路を重視する。
三キロメートルの細長い土地を確保できるかについても調査する。
そして最後に、正式文書とは別の一行が付いていました。
――借家人さん、島はたくさんあります。飛行機に選ばせましょう。
どろちゃんは笑いました。
「大家さん、分かってる」
「はい」
「じゃあ見に行こう」
「今日は?」
「今日は休む」
フランソワさんは、どろちゃんを見ました。
「ほんとだよ」
「明日は?」
「準備する」
「明後日は?」
「たぶんリスボン」
「やはり」
朝は、ライデン大学の教授たちとリスボンへ向かいました。
昼には鉄道の開通式に出ていました。
そのあとルイ十四世たちをパリへ送り届けました。
パリでは北アメリカの戦争を止める話までしました。
そして、その日のうちにエルレンフェルトへ戻ってきました。
そこへ、もう次の仕事です。
大西洋の向こうへ、
飛行機の道を作ります。
どろちゃんの今日という日は、
まだ終わってくれないようです。
(つづく)
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第七十八章の小さな説明
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【新しい依頼】
本章では、英仏が北アメリカでの戦闘停止と私掠活動停止を決めたことを受け、英国側が命令、人員、文書、医療物資などを短時間で北アメリカへ送る航空路の開設をどろちゃんへ依頼します。
どろちゃんにとってアン女王は英国側の上司にあたるため、朝にリスボンへ向かい、パリを経由してその日のうちにエルレンフェルトへ戻った時点で、すでに次の仕事の電信が届いています。
【リスボン―アゾレス―ボストン】
チェブラーシカちゃんの航続距離は、カナリア諸島への旧王家移送計画の際に関係国へ公表されています。
そのため英国側は、無理な大西洋直行ではなく、リスボンからアゾレス諸島で給油し、そこからボストンへ向かう経路を前提にしています。
アゾレス諸島のどの島を使うかは、この時点ではまだ決定しません。
港湾条件、地形、風、地盤、集落、農地、用地取得、船で運んだ重機を滑走路予定地まで移動できるかを確認してから選びます。
【重機は船で運ぶ】
チェブラーシカちゃんへ重い建設機械を積めば、その重量分だけ搭載燃料を減らす必要があります。
大西洋横断区間では燃料余裕を優先するため、滑走路造成に使う重機、燃料設備、大型資材などは船で輸送します。
航空機は人員、測量機材、軽量な設備などを担当します。
【一キロメートル×三キロメートル】
リスボン、アゾレス、ボストンの航空拠点について、滑走路と付帯設備を置く基本用地を幅一キロメートル、長さ三キロメートルとしています。
面積は三平方キロメートルです。
これまでの十平方キロメートル級の領地とは違い、航空施設に必要な細長い範囲を基本にしています。
進入経路上の障害物制限などは、土地そのものとは別に調整します。
【航空基地と領地】
ボストン近郊の用地については、英国側がどろちゃんの領地として与える案です。
リスボンとアゾレスについては、ポルトガル摂政カタリナ側と法的形式を調整します。
単に褒賞として土地を与えるだけでなく、航空施設を長期に安定して維持し、現地行政の都合だけで突然使用不能にならないようにする意味もあります。
【植民地住民と爵位】
英国側では、植民地で行政、商業、港湾、技術などに大きな功績を上げた住民を、本国の爵位制度へ取り込むことも検討しています。
植民地に住んでいること自体を身分上の壁にせず、功績を上げれば英国社会の上位へ進める仕組みを作ることで、「植民地の人間は本国とは別の政治社会である」という意識が固定するのを弱める狙いがあります。
ただし、爵位だけで植民地問題が解決するとは扱っておらず、税、自治、商業などは別に考える必要があります。
【カタリナ摂政との相談】
カタリナ・デ・ブラガンサはポルトガル摂政として、リスボンとアゾレスの用地、港、現地情報、建設支援を調整します。
どろちゃんは、カタリナが英国王妃だった時代に使用した英国側不動産との関係から、私的には「大家さん」と呼んでいます。
本章では正式な照会とは別に、その呼び方を使った短い私信も送っています。
【初回のボストン着陸】
ボストン側の恒久滑走路が初回飛行までに完成するとは限りません。
その場合、どろちゃんは上空から候補地を確認し、通信筒などを使って地上側と連絡を取ることを考えています。
実際にどの場所へ、どのような条件で初着陸するかは、次の段階で決めます。




