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76貴族令嬢は、海の向こうの戦争を止めます。 アメリカ合衆国誕生前のアメリカのお話 あと海賊と私掠船の運航停止

第七十六章 貴族令嬢は、海の向こうの戦争を止めます



 チェブラーシカちゃんがパリ近郊へ降りたころには、六月の太陽がかなり西へ傾いていました。


 まだ明るいです。


 客室の扉が開いて、先に降りた人たちの荷物が運び出されています。


 予定にはなかった画家二人について、トルシー侯はもう迎えの役人と話をしています。


「今夜のお部屋は用意しております」


「絵を描く場所は?」


 ルカ・ジョルダーノが聞きました。


「明日、ご案内いたします」


「今夜でも構いませんが」


「今夜はお休みください」


「では、休みながら描きます」


 アントニオ・パロミーノが横で笑いました。


 トルシー侯は一度だけ目を閉じました。



 ルイ十四世も降りました。


 迎えの馬車へ向かおうとしています。



「王様、ちょっと待って」


 どろちゃんが操縦席から降りながら呼びました。


 ルイ十四世が振り返ります。


「余か」


「うん。それからトルシー侯も」


 トルシー侯まで振り返りました。


「私もでございますか」


「うん」


「今から?」


「今がいい」


 ルイ十四世が手袋を見ました。


「お前は余をパリまで運んだ直後に、また仕事を始めさせるのか」


「飛行機の中で気づいたことがあるの」


「何を」


「海の向こう」


「広すぎる」


「だから地図がいる」


 トルシー侯は何も言わず、近くの役人を呼びました。



                *



 飛行場の来賓用の小部屋に、大西洋と北アメリカを描いた地図が広げられました。


 部屋にいるのは四人です。


 ルイ十四世。

 トルシー侯。

 どろちゃん。

 フランソワさん。



「まずね」


 どろちゃんは地図を見る前に言いました。


「フランスと英国、本国ではもう戦争してないでしょう」


「そうだ」


「なのに、海の向こうではまだ戦ってる」


 ルイ十四世が少し眉を動かしました。


「命令が届くまで時間がかかる」


「それだけじゃないでしょう」


 どろちゃんは椅子へ座りました。


「前の戦争でできた現地の争いが、そのまま残ってる。砦とか、土地とか、交易先とか。それで向こうだけ戦い続けたら、本国で戦争を終わらせた意味がないよ」


 トルシー侯が地図を見ます。


「現地には現地の事情がございます」


「うん。でも、フランス軍と英国軍が撃ち合うのは止められる」


「本国から命令すれば」


「そう。それをすぐやる」



 ルイ十四世が椅子へ座りました。


「なぜ、それほど急ぐ」


「お金」


「……お前は平和の話をしているのではないのか」


「平和にもなるよ。でも、植民地経営なんでしょう」


「そうだ」


「だったら利益を考えないと」



 どろちゃんは大西洋を指で横切りました。



「兵隊をここから向こうへ送るだけで、いくらかかる?」


「人数によりますな」


 トルシー侯が答えました。


「兵隊の給料。食べ物。水。銃。火薬。大砲。船員。輸送船。護衛する船」


「当然、必要です」


「英国も同じものを運ぶ」


「そうでしょう」


「それで、何週間もかけて向こうへ持っていった高いもの同士を壊すの?」


「戦争とはそういうものだ」


 ルイ十四世が言いました。


「本国で戦争してるならね。でも本国では終わったんでしょう」


「……」


「植民地で利益を出したいのに、そこで戦争を続けたら、戦争が経費になって利益を食べるよ」


 トルシー侯が少しだけ笑いました。


「財務担当者には、非常に分かりやすい説明ですな」


「王様にも分かるでしょう」


「余を何だと思っている」


「王様」


「それは知っている」



                *



「それだけではないの」


 どろちゃんは続けました。


「向こうへ送ったフランス軍だけで人数、足りないでしょう」


「場所によってはな」


「だから植民地の人を民兵にする」


「必要ならば」


「英国も同じ」


「そうでしょうな」


 トルシー侯が答えました。



「それ、やめよう」


「民兵を?」


「うん。新しく作らない。召集もしない」


 ルイ十四世が顔を上げます。


「現地の防備はどうする」


「フランスの植民地はフランスの正規軍で守る。英国も英国の正規軍で守る。足りないなら、まず英国と戦うのをやめればいいでしょう」


「海賊もいる」


「それはあとで一緒に取り締まる」


「現地の住民に自分の町を守らせないのか」


「銃を持たせて兵隊にするのはやめる」



 少し間がありました。



「だって変でしょう」


「何がだ」


「英国と戦うために兵隊が足りないから、植民地の人に銃を渡す。撃ち方を教える。隊列も教える。実際の戦争にも出す」


「そうなる」


「その人たちが、いつかフランスに怒ったら?」


 ルイ十四世は答えませんでした。



「自分たちに銃口を向けるかもしれない人を、自分たちのお金で武装させて、自分たちで訓練してるんだよ」


 トルシー侯が小さく息を吐きました。


「英仏の植民地戦争そのものが、現地住民を軍事化する理由になっている、と」


「そう」


「戦争を止めれば、その必要も減る」


「なくしていいと思う」



「すでにある民兵は?」


「解散」


「銃器は?」


「回収」


「私有のものも?」


「軍用に使えるものは、原則回収。必要なら買い取ればいいよ」


「かなり反発するぞ」


 ルイ十四世が言いました。


「反乱が起きてから何万人も兵隊を送るより安い」


「また金か」


「大事でしょう」


「否定はしない」



 トルシー侯は、もう紙へ何か書いています。


「火薬の備蓄も回収しますか」


「うん。鉛も。民兵用にまとめてあるものは全部」


「銃工は?」


「正規軍や行政から頼まれたものだけ。植民地住民用に軍用銃を増やさない」


「狩猟など、生活上の用途は別に整理する必要があります」


「そこは細かく決めて。でも、民兵を作るために銃を配るのは終わり」


「承知しました」



                *



「では、植民地そのものはどうする」


 ルイ十四世が聞きました。


「今あるところは、そのままでいいと思う」


「放棄しない?」


「行政がちゃんと動いてるなら」


「行政が?」


「役人がいて、税とか港とか治安とか、普通に統治できてるところ。そこまで急に捨てたら、今住んでる人も困るでしょう」


 トルシー侯が頷きます。


「現時点で実際に統治が成立している地域は維持する」


「うん」


「では、未確定の土地は」


「増やさない」


「一切?」


「本国から命令が来ない限り」


 ルイ十四世が少し笑いました。


「本国とは余のことだぞ」


「王様と政府」


「余だけではないのか」


「トルシー侯に怒られるでしょう」


「その点はそうでしょうな」


 トルシー侯は、紙から顔を上げませんでした。



「現地の総督とか軍人が、『ここまで取れそうだから取っておきました』はなし」


 どろちゃんは続けました。


「英国も同じようにしてもらう」


「相手が先に取った場合は?」


「それを理由にこっちも取ったら、また始まるでしょう」


「では外交で抗議する」


「うん。本国同士で話す」


「現地の判断で境界を動かさない」


「それ」



 ルイ十四世が地図を見ました。


「ずいぶん消極的だな」


「今はそれでいいの。何をどうするか決めてないのに、現地の人が勝手に広げたら、あとで戻せないでしょう」


「先に止める」


「うん。考えるのはそのあと」



                *



「それから海」


 どろちゃんが言いました。


「海賊」


「ようやくそこへ戻ったか」


「私掠船も」


 ルイ十四世が少し嫌そうな顔をしました。


「私掠船までか」


「本国で英国と戦争してないのに、英国船を襲う免許を新しく出す理由ないでしょう」


「ないな」


「英国にも同じようにしてもらう」


「既発行の免許は」


「停止。少なくとも英国船を相手にするのはやめる」


 トルシー侯が言いました。


「命令が届くまでに時間を要します」


「だから早く出す」


「従わない船は?」


「海賊として扱う」


「昨日まで国王の許可を受けていた者でもか」


「停止命令が届いたあとも商船を襲うなら」


 ルイ十四世がしばらく考えました。


「筋は通っている」



「それで、フランスと英国で情報を交換する」


「船籍」


「うん」


「私掠免許の一覧」


「うん」


「被害を受けた商船」


「それも」


「海賊の特徴、船名、船長」


「全部」


「どちらの海軍が捕らえる?」


「近い方でいいでしょう」


「拿捕後の扱いで揉めます」


「そこは決めて」


「また私ですか」


「得意でしょう」


「否定はいたしません」



 どろちゃんは地図の海岸線を指でなぞりました。



「海賊とか、もう戦争してないのに昔の免許で商船を襲う人とか、そういうのを先に片づける」


「交易を安定させるためか」


「そう。船が安全に行けないと、植民地で何を作っても儲からないでしょう」


「また利益か」


「植民地経営だもん」



                *



 ルイ十四世が立ち上がりかけて、また座りました。


「確認する」


「うん」


「第一に、北アメリカでの英国との攻撃的な戦闘を停止する」


「すぐに」


「現地へ本国命令を送る」


「うん」


「既存の拠点は防衛するが、現地判断で攻勢を拡大しない」


「そう」


「第二に、植民地民兵の新設、召集を停止する」


「今あるのも解散」


「植民地住民へ軍用銃器を配らない」


「うん」


「既存の軍用銃器、火薬、鉛の備蓄は回収する」


「必要なら買い取る」


「第三に、現時点で行政が機能しているフランス植民地は維持する」


「英国も同じでいい」


「ただし、本国から新しい命令がない限り領域を拡大しない」


「そう」


「第四に、新しい私掠免許を出さない」


「英国にもやってもらう」


「既存の私掠活動も停止する」


「うん」


「従わない船は海賊として取り締まる」


「英仏どっちでも」


「まずは、そこまで」


「うん」



 ルイ十四世が少し意外そうな顔をしました。


「今日は、それ以上言わぬのか」


「まだ決めてないから」


「お前にも決めていないことがあるのだな」


「いっぱいあるよ」


「普段はそう見えぬ」


「ひどい」



 フランソワさんが、静かに言いました。


「お嬢様は、決まっていないことまで決まっているようにお話しになることがございますので」


「フランソワさんまで」


「事実でございます」


 トルシー侯が咳払いをしました。


「その点については、私は申し上げません」


「顔が言ってるよ」



                *



 トルシー侯は、紙を整理しました。



 北アメリカにおける英仏戦闘の停止。


 現地指揮官への攻勢停止命令。


 植民地民兵の解散。


 新規召集の禁止。


 軍用銃器、火薬、鉛の回収。


 現有植民地の行政状況確認。


 本国命令なき領域拡張の禁止。


 新規私掠免許の停止。


 既発行私掠免許の停止手続き。


 海賊取締りに関する英国との情報交換。



「今夜からですな」


 トルシー侯が言いました。


「早い方がいい」


「海の向こうでは、命令が届くまで戦闘が続く可能性があります」


「だから今日出す」


「陛下」


 トルシー侯がルイ十四世を見ました。



 ルイ十四世は地図を一度見てから言いました。



「作れ」


「承知いたしました」


「現地のフランス軍には、英国側への攻撃を止めるよう命じる。守勢は許す。現地判断による新たな占領は禁止」


「はい」


「民兵についても、解散へ向けた命令案を作れ。ただし、各植民地の治安維持まで崩さぬよう整理しろ」


「承知いたしました」


「私掠免許は新規発行を止める。既発行分は法的な停止手続きを確認」


「はい」


「アン女王へも同じ措置を求める」


「最短で伝えます」



 どろちゃんが言いました。


「これで、向こうでも戦争終わるね」


「英国が同意すればな」


「本国で戦争してないのに、向こうだけ続ける理由ないでしょう」


「人は理由がなくても争う」


「それは困る」


「だから政治がある」


「じゃあ王様の仕事だね」


「そうやって最後に余へ戻すのか」


「王様だもん」



                *



 外へ出ると、空はさっきより暗くなっていました。


 チェブラーシカちゃんの周りでは、まだ人が働いています。


 荷物を下ろす人。


 機体を確認する人。


 馬車を動かす人。



 大西洋の向こうでは、まだ今日の話を誰も知りません。


 フランスの兵士も。


 英国の兵士も。


 植民地で民兵として銃を持っている人も。


 私掠船の船長も。



 けれど、今夜パリから出る命令が届けば、


 少なくとも、


 本国で終わった戦争を、


 海の向こうだけで続ける理由はなくなります。



 植民地で利益を得るために、


 兵士と武器を大西洋の向こうへ運び、


 そこで互いに壊す必要もありません。



「フランソワさん」


「はい」


「おなかすいた」


「それだけお話しになれば、そうなられるかと存じます」


「何か残ってる?」


「機内に少しございます」


「食べよう」


「その前に飛行記録を終わらせてくださいませ」


「あ」


「途中で陛下を呼び止められましたので」


「まだだった」



 どろちゃんとフランソワさんは、チェブラーシカちゃんへ戻りました。


 後ろでは、トルシー侯がもう別の役人を呼んでいます。



「侯爵、仕事増えたね」


 どろちゃんが振り返りました。



「いつものことでございます」



 今夜も、いつもの人の仕事は増えました。



                           (つづく)



====================

第七十六章の小さな説明

====================


【この章で決める範囲】

 本章では、北アメリカ全体の将来制度や領土政策を完成させていません。

 英仏両国が直接命令できる範囲を先に整理しています。

 まず本国で終わっている英仏戦争を北アメリカでも停止し、現地軍が独自判断で戦闘や領域拡大を続けない状態を作ることが目的です。


【北アメリカでの英仏戦闘停止】

 フランス本国から現地軍へ、英国側への攻撃的戦闘を停止する命令を送ります。

 既存拠点の防衛は認めますが、現地指揮官の判断だけで新たな占領や攻勢を始めることは認めません。

 英国にも同じ措置を求めます。


【植民地民兵】

 本国から送った正規軍だけで植民地戦争を続けるには兵力が不足するため、英仏とも植民地住民を民兵として利用してきました。

 どろちゃんは、植民地戦争を続けるために植民地住民へ銃器を与え、軍事訓練を行うこと自体が、将来宗主国へ向けられる可能性のある軍事力を宗主国自身が育てる矛盾を持つと考えています。

 そのため、戦闘停止と同時に民兵の新設・召集をやめ、既存民兵も解散させる方向へ進めます。


【銃器と軍需品】

 植民地住民へ民兵用の軍用銃器を新たに配りません。

 既存の民兵用銃器、火薬、鉛などの軍需備蓄は回収し、必要に応じて買い上げます。

 狩猟や日常生活に関わる個別の扱いは別途整理しますが、植民地住民を軍事組織として武装させる政策は停止します。


【現有植民地】

 この時点ですでに行政機構が成立し、役人、港湾管理、治安、徴税などの統治が実際に機能しているフランス植民地は維持します。

 英国側についても同じ考え方を求めます。

 既存植民地を一度に放棄する政策ではありません。


【領域拡張の停止】

 現地の総督や軍指揮官が独自判断で「取れる土地を先に取る」ことを禁止します。

 本国政府から新たな指令がない限り、現有植民地の外へ領域を拡張しません。

 将来どの地域をどう扱うかについては、この章ではまだ決めていません。


【海賊と私掠船】

 本国で英仏戦争が終わっている以上、相手国商船を攻撃する新しい私掠免許は発行しません。

 すでに発行されている免許についても停止手続きを進めます。

 停止命令後も商船襲撃を続ける船は海賊として扱い、英仏双方で船籍、免許、被害情報などを共有して取り締まる方向へ進みます。


【この章では扱わない問題】

 北アメリカの内陸部、現地社会、将来の独立国家、長期的な領土配置などについては、本章では政策決定を行いません。

 それらは英仏本国の命令だけで一方的に決められる問題ではなく、現在の植民地戦争停止とは別の段階で考えることにしています。


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