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74貴族令嬢は祝賀会の前に暖かい島で遊びます   今回はフランソワさんと二人で本気リゾートです。

第74章 貴族令嬢は祝賀会の前に暖かい島で遊びます



 実は、数日前のことです。


 チェブラーシカちゃんは、いつもの旅客機の顔をしていませんでした。


 客席のかなりの部分を外し、床には箱と樽が固定されています。王侯貴族を38人運ぶためではありません。これから、その38人を受け入れるための荷物を先に運ぶのです。


 積んであるのは、洗って乾かしたリネン類、予備の寝具、傷みにくい食品、酒、食器の不足分、厨房で使う消耗品などでした。現地でも手に入るものはたくさんありますが、祝賀会当日に不足が分かってから探しに行くより、必要と分かっているものは先に持って行った方が簡単です。


「これで最後でございます」


 フランソワさんが荷物の固定を確認して、貨物室の端から戻ってきました。


「思ったより多かったね。お酒が重い」


「お嬢様が、種類は多い方がよいとおっしゃいましたので」


「だって、フランスの人とイングランドの人とネーデルラントの人とサヴォさんたちで、好きなお酒が全部同じとは限らないでしょう。現地のお酒だけでもいいけど、飲み慣れたものも少しあった方がいいよ」


「はい。ですので、積みました」


 フランソワさんは責めているわけではありません。


 ただ、酒瓶の入った木箱は重いのです。


 今回は、わたしとフランソワさんだけで飛びます。お父様もオイゲンさんも、外交使節も王様も乗りません。目的はきちんと仕事なのですが、行き先がカナリア諸島だと思うと、それだけで少し気分が変わります。


 英国の冬から春にかけて、ロンドンとエディンバラの間を何度も飛んだあとですから、行き先の名前を聞くだけで暖かそうでした。


                *


 カナリア本島へ着くと、スペイン側の係の人が飛行場まで来ていました。


 この島では、偉い人が飛行機から降りてくること自体が、もう大事件ではありません。


 帝国が崩れたときには、皇帝や王様たちがいったん本島へ集まり、そこからそれぞれの島へ移っています。島と島の移動は、船でも小さな飛行機でも、天候が悪ければ待たなければなりません。


 皇帝だから風が止まる、ということはありません。


 そこで本島には、王侯貴族を一時的に受け入れる宿泊所が整えられていました。


 宿泊所は6家族まで受け入れられ、1家族につき、本人と家族、上位の付き人などを合わせて10人程度が泊まれます。それぞれに寝室と応接の空間があり、付き人が近くで世話を出来るようになっています。共同で使える大きな食堂や厨房もあります。


 今回は、それをもう一度使います。


「38人でございますね」


 係の人は、わたしたちから渡した名簿を見ながら言いました。


「はい。でもエルレンフェルトの6人は、わたしの別荘へ泊まります。こちらに泊まるのは32人です」


「それでしたら十分でございます。以前より人数は少ないくらいです。ただ、今回は国ごとに8人ずつということでしたので、6区画をどう分けるかだけ先に決めていただけますと助かります」


「部屋割りは、来る途中の飛行機の中で実務者さんたちに決めてもらいます。施設の見取り図を何枚かいただけますか?」


「もちろんでございます。寝台数と、使用人側の部屋も書き込んだものをご用意いたします」


 話しながら、貨物室から荷物を降ろしていきます。


 リネン類は宿泊所へ運び、酒と保存食の一部は厨房へ入れます。残りは祝賀会場で使うため、スペイン側の倉庫へ預けてもらいました。


「現地のお酒も出してくださいね。わたしが持ってきたものだけだと、カナリアまで来た意味が半分なくなるから」


 係の人は笑いました。


「島のワインは十分にございます。甘いものも、食事に合わせるものも用意出来ます。蒸留酒もございますので、すべて外から運んでいただく必要はございません」


「よかった。食べ物は海のものをたくさんお願いします。魚だけじゃなくて、貝とか、イカとか、タコとか。北の方ではあまり食べないものも」


「承知いたしました。南から入る果物や乾燥果実も揃えましょう。島で採れるものと、対岸やその先から来るものを混ぜれば、かなり種類を出せます」


「それがいいです。毒味をする人もいると思うので、小皿へ分けやすいものもあると助かります」


「毒味をなさる方となさらない方が、同じ席にいらっしゃるのですね」


「たぶん、そうなります。気にする国はいつものやり方でやればいいし、気にしない人は普通に食べればいいと思います」


 係の人は一度うなずいてから、別の紙を出しました。


「馬車についても確認いたします。飛行場から宿泊所まで、全員が一度に移動出来るようにいたします。王侯の方々が街へ出られる場合も、必要な馬車だけ残しておきます」


「自由に出歩いて大丈夫ですか?」


「この島では、以前からそうしております。もちろん、付き人や護衛を伴われる方はその方々が一緒ですが、島側が皆様をひとかたまりにして案内する必要はございません。皇帝陛下がお見えになったときも、ずっと宿舎へ閉じ込めていたわけではありませんから」


 それもそうです。


 せっかく暖かい島へ来て、宿泊所の中だけで過ごしても仕方がありません。


「買い物はどうするの?」


「宿泊所のお客様でしたら、店で所属とお名前をご記入いただき、署名をしていただければ結構です。店から伝票を集め、こちらで国ごとに整理し、後日まとめて請求いたします」


「街じゅうがホテルの部屋付けみたいになってる」


「以前、何人もの王侯を同時に受け入れましたので、その方が簡単だったのです。店ごとに使える金貨が違う、為替が違う、誰のお付きの方か分からない、という状態では、買い物1つに時間がかかってしまいます」


「でも、店が多めに書いたら?」


 係の人は、少しだけ困ったような顔をしました。


「それを意図して行いますと、星になる可能性がございますので」


「ああ」


 この世界では、そこがたいへん強い監査になります。


 うっかり計算を間違えることはあります。数字を書き違えることもあります。そういうものは確認して直せばよいのです。


 けれど、王様が来たから値段を3倍にしておこう、買っていないものまで伝票へ書いておこう、と本気でやるのは危険です。


 神様は、そういうところを妙に細かく見ています。


「では、普通の買い物なら、だいたいサインで済むのね」


「はい。ただし、後日その明細をご自分の国へ送ってほしくない買い物まで、こちらで立て替える必要はございません。そういう場合は現金でお支払いになります」


 フランソワさんが、そこで少しだけ口元をゆるめました。


「お嬢様。品物そのものより、どなたとお会いになったのかまで財務担当者に知られたくないお店もございますので、そのような場合には現金の方が都合がよろしいのです」


「そんなに秘密にしたいお店もあるの?」


 わたしが尋ねると、スペイン側の係の人は少し咳払いをしてから答えました。


「たとえば、お姉さん方のいらっしゃるお店などは、国へ明細を回さず、ご自分のお財布から払われる方が多うございます。その方が、こちらも余計なことを記録せずに済みます」


 そこまで聞けば、わたしにも意味は分かりました。


 国王でも事務官でも、国へ請求書を送られたくない買い物はあります。


 そこだけは、神様でもなく、会計制度でもなく、自分のお財布に任せるようです。


                *


 宿泊所の確認は、思ったより早く終わりました。


 寝具を入れ替え、使わない部屋も一度開けて風を通します。厨房では、祝賀会とは別に朝食を出せることも確認しました。水、薪、食器、洗濯、馬車、荷物運びの人まで、必要なものを順番に見ていきます。


 スペイン側の係の人たちは、たいへん慣れていました。


 王様が6人来ます、と言われて初めて考えるのではありません。


 以前にもっと大変なことをしています。


 打ち合わせが終わったころには、まだ昼を少し過ぎたところでした。


「これで、急いでしなければならないことは終わったね。明日の朝までは空いてるでしょう?」


「はい。帰国までに必要な確認は済んでおります。お嬢様がお考えになっていることも、だいたい分かっておりますので、帽子も持ってきてございます」


 フランソワさんが先に言ったので、わたしは笑いました。


 仕事で来たのは本当ですが、その仕事は終わりました。


                *


 2人とも、つばの広い帽子をかぶりました。


 日差しは英国とはまるで違います。


 暖かいのはうれしいのですが、顔や首を焼いて帰れば、お母様にもお姉様にも、どうしてそうなったのか一目で分かります。


「フランソワさん、ちゃんとかぶってね」


「お嬢様こそ、先ほどから少し後ろへずれております」


「前が見えにくいの」


「日焼けを避ける帽子ですので、多少は仕方ございません」


 別荘へ荷物を置いてから、2人で街へ出ました。


 この家は以前に買っておいたものです。大きな宮殿ではありませんが、わたしたち2人だけなら広すぎるほどで、お父様やオイゲンさんたち6人が来ても泊まれる部屋があります。


 窓を開けると、閉め切っていた家の空気が少しずつ外へ逃げました。


 雨漏りはなく、戸締まりも壊れていません。台所もそのまま使えそうでした。


 わたしたちは家の確認を終えると、また帽子をかぶって外へ出ました。


 街には、北の国ではあまり見ない色がありました。


 布の色も違います。


 日差しが強いせいなのか、建物の壁が明るく見えるせいなのか、同じ赤や青でも少し違って見えます。


「これ、きれい。夏の服に使えそうじゃない?」


 布を扱う店で、わたしは薄手の布を持ち上げました。フランソワさんは、織り方と端の処理まで確かめてから、このままでは少し透けるので、重ねて使う方がよいと教えてくれました。


「では、これを買う。フランソワさんも何か選べばいいでしょう。今日はもう、わたしのお買い物に付き合うのも仕事ではないよ」


「そこまでおっしゃるのでしたら、私も少し見せていただきます。ただ、お嬢様より長くお待たせするつもりはございません」


 そう言った人は、そのあと用途が違うからという理由で布を2種類選びました。わたしより多かったのですが、用途が2つあるのだと言われたので、それ以上は聞かないことにしました。


 店では名前と所属を書き、署名をします。


 エルレンフェルトへ請求してもらうものと、わたし個人の買い物は分けます。全部を領地の費用へ入れるわけにはいきません。


 次に入ったのは、海の向こうから来た商人のお店でした。


 モロッコから来たイスラム教徒の商人が扱う品は、さらに雰囲気が違います。


 棚には、革製品や細かな金属細工、模様の入った器、織物、香辛料、それに香りのする油などが並んでいました。


 わたしが棚を見ていると、店の人が説明してくれました。


 言葉の心配はありません。


 ナーロッパでは、違う国の人が同じ言葉を使えます。


「これは、全部モロッコで作ったものですか?」


「いいえ。革は海の向こうから運んでおりますが、金具だけこちらで付けた品もございます。港の商売ですから、材料を作る場所と仕上げる場所が違っても珍しくはございません」


「そういう混ざり方なのね。全部を1か所で作ってから運んでいるわけではないんだ」


 それは、よく分かります。


 材料の産地と加工する場所と売る場所が違うのは、珍しいことではありません。


 フランソワさんは、小さな革の入れ物を手に取っていました。


「それ、何を入れるの?」


「針や糸をまとめるのにちょうどよろしいかと存じます。機内へ持ち込む小さな裁縫道具が、今は布袋でございますので」


「それいいね。わたしも何か工具入れられそう」


「お嬢様は、裁縫道具より工具をお考えになるのですね」


「だって、こっちの方が使うでしょう」


 店の人は、わたしたちが何に使うのか分からないまま、同じ大きさのものをいくつか出してくれました。


 香辛料も少し買いました。


 厨房へ渡せば、お母様が嫌がるほど大量でなければ使ってくれるでしょう。


 別の店では帽子を見ました。


 もう帽子をかぶっているのに、帽子を買います。


 別の店では、今かぶっているものよりさらに幅の広い帽子を見つけました。


「これなら、もっと日焼けしないでしょう。風で飛ぶなら、ひもを付ければいいし」


「そこまで大きくなさいますと、日差しだけでなく前も見えにくくなります。お嬢様が歩きながら何かへぶつかられないのでしたら、私は止めませんが」


 そこまで言われても欲しかったので、結局買いました。


 フランソワさんも別のものを買いました。


 2人とも、帰るころには来たときより帽子が増えています。


                *


 遅い昼食は、海の料理を出す店へ入りました。


 店先から魚が見えます。


 今日揚がったものを見せてもらい、その中から焼いてもらう魚を決めました。


 ほかにも、イカ、タコ、貝、エビのようなものが並んでいます。


「これ、全部2人で食べるの?」


 わたしが聞くと、店の人は笑いました。


「全部お出ししたら、夕食まで動けなくなります。少しずつお選びください」


「では、魚とタコと貝をお願いします。あと、向こうのあれも少し――」


 そこまで言ったところで、フランソワさんに止められました。


「お嬢様。まだ何を指していらっしゃるか伺っておりませんが、お顔を見れば追加なさることだけは分かります。お2人では多うございますので、まず今のお料理を召し上がってからにしてくださいませ」


 わたしは、追加はあとで考えることにしました。


 魚は炭火で焼かれ、塩と柑橘の酸味で食べます。


 タコはやわらかく煮てありました。


 貝は汁ごと皿へ入っています。


 パンもあります。


 ヤギの乳から作ったチーズも出ました。


 最後に、北の食卓ではまだ珍しい南の果物をいくつか切ってもらいました。


「これ、祝賀会にも出る?」


「似たものは出ると思います。ただ、祝賀会は人数が多いので、今日と同じ料理をそのまま38人分というわけにはまいりません」


「そうだね。王様4か国分と、事務官さんたちまでいるものね」


 わたしは魚の残ったところをきれいに食べました。


 フランソワさんは、わたしが追加しようとした皿を1つだけ許してくれました。


 食事が終わっても、すぐには別荘へ戻りませんでした。


 海の近くを歩きます。


 帽子のつばを押さえながら店を見て、もう1軒だけと言いながら何軒か入り、最後には持ってきた袋では足りなくなりました。


「仕事で来たのに、ずいぶん遊んでるね」


「仕事はすでに終わっておりますし、明日の朝には帰国いたします。本日中に楽しむくらいは、よろしいのではないでしょうか」


 フランソワさんがそう言うなら、問題ありません。


 夕方まで、散々楽しみました。


                *


 別荘へ戻ったころには、2人とも少し疲れていました。


 でも、英国で凍えるような風の中を飛び回ったあとの疲れとは違います。


 買ったものを机の上へ並べると、布、革の小物、香辛料、帽子などが思ったより広い場所を取りました。ほかにも細かなものがいくつかあります。


「思ったより荷物が増えたね。でも、チェブラーシカちゃんには積めるでしょう?」


「積めます。来るときに運んだリネン類と酒類をかなり降ろしておりますので、重量にも容積にも余裕はございます。ただ、私は重量の心配より、お買い物の量のお話をしておりました」


「積めるなら、今回は大丈夫ということにしよう」


 フランソワさんは何も言いませんでしたが、反対もしませんでした。


 夜は別荘で簡単に食事をして、窓を少し開けたまま休みました。


 翌朝、日が高くなる前に飛行場へ戻ります。


 チェブラーシカちゃんは、来たときよりずっと広い貨物室になっていました。


 空になった場所へ、買い物の荷物を載せます。


「なんだか、荷物を届けに来たのか、買い物に来たのか分からなくなったね」


「お届けする方が本来の目的でございます」


「分かってるよ」


 2人でエルレンフェルトへ帰りました。


 これが、数日前のお話です。


                *


 そして時間は、第73章の最後へ戻ります。


 今度のチェブラーシカちゃんは貨物便ではありません。


 普通の旅客仕様に戻り、ジェノバから38人の乗客を乗せています。


 乗客の内訳は、フランス8人、イングランド8人、ネーデルラント8人、サヴォイア王国8人、エルレンフェルト6人です。


 わたしとフランソワさんは操縦する側なので、この38人には入っていません。


 カナリア本島が近づいたころ、客室の一角では、実務者さんたちが大きな紙を広げていました。


 数日前にスペイン側からもらった、王侯貴族用宿泊所の見取り図です。


 わたしは操縦席から出られる時間に、少しだけ顔を出しました。


「決まりそうですか?」


 トルシー侯が、4つの区画へ印を付けた紙を見せました。


「はい。国ごとに8人ずつ入れるより、実際の世話の仕方に合わせた方がよいでしょう。フランス、イングランド、ネーデルラント、サヴォイアの上位者に、それぞれ1区画を使っていただきます。直接お世話をする上位の付き人も、その区画へ入ります」


 ファーゲルが残った2区画を指しました。


「そして、書記、事務官、そのほか夜間に王侯のお世話をする必要のない者は、こちらの2区画へまとめます。各区画10人まで入れるので、人数としては足ります」


「国を混ぜても大丈夫?」


「会議ではもう何度も顔を合わせておりますし、言葉も同じです。寝る場所まで国境を作る必要はないでしょう」


 イングランド側の実務者も同意していました。


「むしろ、書類を確認する者が近くにいる方が便利です。朝になってから別棟へ探しに行かずに済みます」


「エルレンフェルトの6人は?」


「伯爵閣下の別荘へお泊まりになると伺っておりますので、宿泊所の割り当てから外しております」


「はい。それでお願いします。別荘は数日前に見てきたから、6人でも大丈夫です」


 フランソワさんが操縦席から呼びました。


 そろそろ戻る時間です。


「では、あとはお願いします。着いたら迷わないようにしてくださいね」


「見取り図までございますから、迷ったら我々の責任です」


 トルシー侯がそう言いました。


 この飛行機に王様が何人乗っていても、宿泊所では誰をどこへ寝かせるか決めなければなりません。


 国際政治より、部屋割りの方が先に必要なこともあります。


                *


 チェブラーシカちゃんが本島へ着陸すると、飛行場には馬車が並んでいました。


 数日前に打ち合わせた通りです。


 スペイン側の係の人も、前と同じ人が来ています。


「お待ちしておりました」


 そう言って頭を下げましたが、それ以上に大げさなことはしませんでした。


 ルイ14世陛下が降りてきても、アン女王が降りてきても、新しくサヴォイア王になったヴィットーリオ・アメデーオ2世が降りてきても、現地の人たちは必要な礼をしたあと、普通に荷物を運びます。


 以前には皇帝まで受け入れています。


 たいへん偉い人が来たからといって、毎回街を止めていては暮らせません。


 馬車へ分乗して、街へ向かいました。


 宿泊所へ着くと、機内で決めた部屋割りがそのまま使われます。


 4つの区画には、フランス、イングランド、ネーデルラント、サヴォイアの上位者と、その人たちを直接世話する付き人が入ります。残った事務官や書記たちは、国籍を分けずに残り2区画へまとまりました。


 フランス人の隣にネーデルラント人が入り、その向こうにイングランド人が入ります。


「荷物を置いたら、祝賀会までは自由です」


 わたしは玄関のところで、集まっている人たちへ言いました。


「街へ行ってもいいし、ここで休んでもいいです。買い物は、宿泊所のお客さんだと分かるように名前と国を書いてサインすれば、あとでスペイン側から各国へまとめて請求してくれます」


 何人かが、そこで少し顔を上げました。


「現金を持たなくてもよいのですか?」


「普通の買い物なら。国に明細を見られたくないものは、自分で現金を払ってください」


 後ろの方で、誰かが笑いました。


「それは覚えておいた方がよさそうですな」


「何を買うつもりですか?」


「伯爵閣下。そこを尋ねられたくないから現金を使うのでしょう」


 事務官の1人が答えたので、今度は周りも笑いました。


「分かりました。聞きません。とにかく、祝賀会には遅れないでくださいね」


 それだけです。


 全員で観光する予定はありません。


 王族も共和国のトップも、自由行動です。


 もちろん、王侯に直接付く人たちは仕事なので、主君が街へ出るなら一緒に行きます。そこは自由行動ではありません。


 それ以外の人は、本当に解散しました。


 荷物を置いて休む人もいれば、すぐ市場へ向かう人、港を見に行く人、商人の店へ入っていく人もいました。


 数日前にわたしたちが歩いた通りも、今日は違う人たちでにぎやかになります。


 ルイ14世陛下も、宮廷を全部引き連れて歩くわけではありません。必要な人だけを伴って街へ出ました。


 アン女王とジョージ王配も別の方向へ向かいます。


 サヴォさん夫妻は、マリー=アデライード様としばらく一緒に過ごすようでした。


 ネーデルラント側は、港と市場へ興味を持つ人が多いようです。


 事務官たちは、最初から何人かでまとまって歩いていきました。


 国籍が混ざっています。


 でも、言葉は全部通じます。


 案内役を1人ずつ付けなくても、店へ入れば普通に話せます。


 この島で王侯の自由行動が簡単なのは、島が慣れているだけではありません。


 言葉の壁そのものが薄いのです。


                *


 祝賀会の時間になると、ちゃんと全員戻ってきました。


 少なくとも、遅れて探しに行かなければならない人はいません。


「全員そろってるね。自由にしたから、誰か買い物に夢中になっているかと思った」


 わたしが言うと、フランソワさんは少し笑いました。


「皆様、各国を代表してお越しになっておりますので、祝賀会のお時間はお守りになります。数日前のお嬢様のように、もう1軒だけとおっしゃって予定を少し延ばされる方ばかりではございません」


「わたしだって、必要な時間には戻るよ。あの日は、帰国便が翌朝だったから少しくらいよかったでしょう」


「はい。その点については、何も申し上げておりません」


 祝賀会の会場には、海の料理がたくさん並びました。


 大きな魚を焼いたものや、切り分けて香草や柑橘と合わせたもの、やわらかく煮たタコ、イカ、貝、エビ類が次々に運ばれ、塩漬けにした魚を使った料理も加わりました。


 パン、チーズ、肉料理もありますが、今日は海のものが主役です。


 その横には南の果物、乾燥した果実、木の実、甘い菓子が並んでいました。


 酒は、わたしが数日前に運んだものと、島で造られたものの両方があります。


 最初の乾杯だけは、さすがに全員で行いました。


 今日の主役は、新しく成立したサヴォイア王国です。


 ヴィットーリオ・アメデーオ2世陛下が短く挨拶をして、ルイ14世陛下、アン女王、ネーデルラント側の代表、お父様も杯を上げます。


 そのあとは、かなり自由でした。


 毒味を必要とする人は、自分たちのいつものやり方で確認します。


 小皿へ取り分け、付き人が先に口へ入れ、少し待ってから主君へ出します。


 誰も、それを笑いません。


 反対に、そこまで気にしない一行は、並んだ料理を普通に取ります。


 ネーデルラント側は、かなり早い段階で海の料理を端から試し始めました。


 ファーゲルは、最初にタコの料理を尋ねて取り分けてもらうと、その隣の貝にも興味を示しました。


「どちらも少しずついただきましょう。せっかく海の近くまで来たのですから、名前を聞くだけで終わるのは惜しい」


 そうしているうちに、ファーゲルの皿はだんだん賑やかになっていきます。


 ハインシウスも止めません。


「海運をしている国が、海のものを怖がっていては商売になりませんから」


 近くで聞いていたトルシー侯が笑いました。


「それは外交上の原則ではなく、食欲の説明ではありませんか」


「両方ということにしておきましょう」


 一方、フランス側では料理の出し方まで見ています。


 アン女王は、南の果物をいくつか試していました。


「英国へ持ち帰れないものほど、ここで食べておいた方がよいですね」


「乾かせるものなら持って帰れますよ」


 わたしが言うと、女王は首を振りました。


「乾かしたものと、今ここで食べているものが同じなら、船で運ぶ人は苦労しないでしょう」


「それもそうですね」


 サヴォさんは、島の酒と、わたしが運んだ酒を両方飲み比べていました。


「自分の王国が出来た祝いで、なぜ遠く離れた島の酒を飲んでいるのか、まだ少し不思議だ」


 ルイ14世陛下が答えました。


「宴会の場所を決めた本人が、英国で寒かったからだ。そこへ戻ると話が終わる」


「やはり記録には残したくありませんな」


「もう皆が知っている」


 サヴォさんは諦めたように杯を置きました。


 政治の話もしましたが、今夜は政治だけではありません。誰が何を食べ、どの店が面白く、街で何を買い、現地の酒をどう思ったのかという話の方が長くなる時間もありました。


 お付きの人たちは、主君が楽しんでいるあいだも仕事です。


 料理を取り、飲み物を確認し、必要なら衣服を整え、次にどこへ移るかを見ています。


 王族本人より、お付きの人の方が自由がありません。


 事務官たちは違います。


 署名も終わりました。


 国王承認の文書も出来ています。


 今日の祝賀会に遅れず来る、という一番大事な仕事も済ませました。


 あとは食べて飲めます。


                *


 夜が進むと、王侯の人たちは少しずつ宿泊所へ戻りました。


 明日も朝は来ます。


 付き人たちは、主君が部屋へ戻れば、まだ少し仕事があります。


 事務官たちも宿泊所へ戻りました。


 ただし、寝るためだけに戻ったわけではありませんでした。


 残った酒と、持ち帰ってよい料理を少し分けてもらい、2つの事務官区画へ運びます。


 フランス、イングランド、ネーデルラント、サヴォイア。


 昼間は国ごとに文書を確認していた人たちが、今夜は同じ部屋にいます。


 ナーロッパの共通語がありますから、酒が入っても通訳を待つ必要はありません。


「今日で、あの長い称号を書き直すのは終わりですな」


 サヴォイア側の書記が杯を持ちながら言いました。


 フランスの事務官が笑いました。


「終わっていませんよ。むしろこれからでしょう。あなた方の国名と称号が変わったので、こちらの書式も直さなければならない。正式な宛名まで変わるのですから、しばらくは古い用紙が混ざりそうです」


「それはそちらの仕事でしょう。こちらとしては王国になったのですから、間違えずに直していただきたいところです」


「原因を作った側が、ずいぶん気楽におっしゃる」


 そう返されても、サヴォイア側の書記は笑って杯を上げました。


 ネーデルラントの事務官が、魚の残りをつまみながら口をはさみました。


「共和国は、その点だけは楽です。王様の称号が増えるたびに、文書の最初が1行長くなるようなことはありません」


「その代わり、誰がどこまで署名出来るのか、こちらには分かりにくい」


 イングランド側の人が言いました。


「それはこちらも同じことを思っています。共和国の書類は、王様1人を覚えておけばよい国より難しい」


「王様1人で全部決まると思っているなら、それはそれで危険でしょう」


「誰もそんなことは言っていませんよ」


 言い合っていますが、喧嘩ではありません。


 むしろ、昼間より楽しそうです。


 別のところでは、買い物の話になっていました。


「私は港で革の鞄を買いました。署名だけで持って帰れるとは便利でしたよ。あなたも何か買っていたでしょう」


「私は現金で払いました。国へ明細を送られたくない買い物でしたので、あの制度を使う理由がありません」


 そう答えた人に、別の事務官がすぐ興味を示しました。


「そこまで言われると、何を買ったのか知りたくなりますな。お姉さん方のいらっしゃるお店にでも行かれましたか?」


「何を買ったか言いたくないから現金で払った、と今説明したばかりでしょう。そこまでとは言っておりませんし、わざわざ否定する義務もありません」


 部屋が笑い声でいっぱいになりました。


「あなたは酒を飲んでいるときの方が、外交会議より質問が細かくなるようです」


「仕事ではございませんので、答えが出なくても困りませんからな」


 さらに酒が減りました。


 翌朝の予定を気にする人もいました。


 翌朝の予定を思い出した人が、朝食の時刻を尋ねました。


「紙に書いてあったはずですが、どこへ置きましたかな」


「あなたの寝台の上にございますよ。先ほど杯を取りに行ったとき、まだ同じ場所にありました」


「それなら、今は見なくても大丈夫でしょう。朝になれば、誰かが起こしてくれます」


 その結論だけは、全員が少し不安そうに聞いていました。


 たぶん、今夜一番羽目を外しているのは、王様でも共和国のトップでもなく、この2区画へ押し込まれた事務官たちでした。


                *


 翌朝になりました。


 わたしとフランソワさんは、少し早めに朝食へ来ました。


 窓の外は明るく、昨日と同じように暖かそうです。


 パンと果物、卵料理、チーズが並んでいます。


 王侯側の人たちは、順番に食堂へ姿を見せました。


 付き人の人たちも、昨夜遅くまで仕事をしていたはずですが、いつもとあまり変わりません。


 しばらくすると、事務官区画の方から最初の1人が入ってきました。


 服はきちんと整っていますが、目だけは少し眠そうです。


「おはようございます」


 わたしが声をかけると、その人は一瞬だけ間を置きました。


「……おはようございます、伯爵閣下。たいへん良い朝でございます」


 そう言って席へ着き、最初に取ったのは食べ物ではなく水でした。


 そのあとも2人、もう1人と続き、今度はフランスとネーデルラントの事務官が一緒に入ってきました。


 昨夜までなら国ごとに座りそうな人たちが、今日はそのまま同じ卓へ向かいました。


 さらに後ろから、あくびを隠しながら何人か続きます。


 フランソワさんが、わたしの横で小さく言いました。


「皆様、ずいぶん親しくなられたようでございますね」


 わたしは、眠そうな事務官さんたちを見ました。


「うん。たぶん、王様たちより仲良くなったね」



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