72貴族令嬢はロンドンに家を買ってエディンバラまで測量します
第72章 貴族令嬢はロンドンに家を買ってエディンバラまで測量します
最初の航空測量を終えて、わたしたちはロンドン郊外の滑走路へ戻りました。コウノトリちゃんから感材を下ろし、番号と撮影順を確認します。同じ地面が少しずつ重なって写っています。
「いっぱいあるね」
わたしが言うと、スペインから帰ってきた英国の技師さんは、机に並べた記録を見ながら苦笑しました。
「これで、まだ最初の区間です。エディンバラまで続きますから、念のため申し上げておきます」
「分かってる。でも、言いたくなる気持ちも分かる」
ロンドンからエディンバラまでは遠いです。コウノトリちゃんで通過するだけなら大したことはありませんが、今回は写真を撮り、別の撮影帯でも同じ場所を見て、川の渡り方や丘の越え方を比べます。町へ寄せるか避けるか、湿った土地はないか、どこへ地上測量班を入れるかも見なければなりません。それを少しずつ北へ進めます。
「これ、ロンドンへ毎日戻るのは無理だね。チェブラーシカちゃんを北へ動かそう」
「途中に拠点を置く方がよいでしょう」
チェブラーシカちゃんには、人だけでなく、写真整理の道具、予備の感材、測量器、着替え、整備工具を積めます。それに、コウノトリちゃん用の神様のエタノール燃料タンクもあります。地方へ行くたびに航空用として品質をそろえたエタノールを探さなくても、チェブラーシカちゃんを前へ進めれば燃料も一緒に前へ進みます。
「問題は、チェブラーシカちゃんが降りるところ」
わたしは地図を見ました。
「コウノトリちゃんで先に見ます」
「道路でも降りるのですか?」
「道が広くて固くて、人と馬車を止められて、横に石垣も木もなければね。でも、牧草地の方が楽かな」
「チェブラーシカが使える広さまで必要です」
「だから先に見て、わたしたちが降りて地面まで確かめる」
コウノトリちゃんなら候補地へ降りて、水が浮いていないか、大きな穴や隠れた溝がないか、地面が柔らかすぎないかを自分たちで確認出来ます。
もちろん、土地には持ち主がいます。そのため、アン女王からは、英国の鉄道予定線を調べる国家事業であること、航空機の一時的な離着陸と駐機のため土地を借りたいこと、必要な期間、使用料、損害が出た場合の補償について記した書類も預かっていました。勝手に土地を使うためではなく、所有者と話をするための書類です。
「借ります。これが基本」
まだ鉄道予定線さえ確定していません。航空測量のためだけに、いきなり土地を取り上げる理由はありません。
*
北へ進む前に、わたしにはロンドンで1つ困っていることがありました。
「おうちがない」
フランソワさんが、わたしを見ました。
「エルレンフェルトにはございますが、ロンドンにはございませんね。これまでは、その都度お泊まりになっておられましたから」
「毎回来るのに。今回は長いよ」
「長くなりそうでございますね」
アン女王のところへ行き、滑走路へ行き、技師さんと打ち合わせをして写真を整理する。途中で北へ出ても、またロンドンへ戻ります。英国の伯爵なのに、英国で自分が寝る家がありません。
「大きいのはいらない。たまに使うだけなのに大きなお屋敷にしたら、使っていない間も屋根と窓と庭と使用人にお金がかかるから、普通のおうちでいい」
「伯爵家のお屋敷でなくても、でございますか。お嬢様の普通は、ときどき普通でございませんけれど」
「今回は普通」
アン女王の側近に相談すると、数日後には何軒か候補が出ました。その中に、妙に場所のよい家があります。
「プレイストー?」
「はい。南東寄りになります」
地図を見ると、ロンドン中心部から東へ向かった先にフック男爵領の村があり、その近くにろばーとっちの研究施設があります。さらに村とは別の領地として、わたしの英国側の滑走路用地があります。南北に約3kmを使える、村のない細長い航空用地です。
そこには、もともと村の人たちが使っていた畑も含まれています。そのため、草刈り、異物の除去、地面と排水の点検、標識や境界の補修、飛行機が来る前の人や家畜の確認など、滑走路管理は村の大事な仕事になりました。
本当の滑走路とエプロンは航空専用ですが、それ以外まで何も使えない土地にはしていません。盛土や勝手な水路掘削をせず、飛行機の障害になる高い物を置かない条件を守れる場所では、牧草生産などの農業も認めています。畑が滑走路になったからといって、村の人を追い出して草だけ生やしておく理由はありません。土地の使い方が変わった分、仕事も別の形で残します。
フック男爵領とわたしの滑走路用地は近接していますが、同じ領地ではありません。ろばーとっちの男爵領は村1つを中心とし、わたしの方は集落のない航空用地です。そのため、わたしの英国伯爵位も、この土地の地名を付けた伯爵位ではありません。地図の上では、少し変わった隣り方をしています。
「このおうち、ちょうど途中じゃない?」
わたしが候補の家を指すと、側近の人も地図をのぞき込みました。
「かなり近いですね」
「偶然?」
「わたくしに聞かれましても。偶然ということにしておきましょう」
「そうする」
ロンドン中心部からフック男爵領の村を経て、その先の滑走路へ向かう電気鉄道は、もっと前から建設許可と運行許可を取ってあります。この家を買うから線路を引くのではありません。すでに予定されている線路の、ほとんど中ほどに家が売りに出ただけです。
「買ったら、玄関前が電車の拠点になるね」
「そうなりますね」
「やっぱり偶然?」
「偶然ということにしておきましょう」
便利な偶然なので、まず家を見に行くことにしました。
*
屋敷は大きすぎず、小さすぎもしません。レンガ造りで、客を迎える部屋、食堂、寝室、使用人の部屋、台所、物置、小さな庭、それに馬車を置く場所があります。ロンドンへ来たときだけ使う家なら十分です。
前の持ち主は貴族ではなく、商売で大きく成功した人でした。ところが最近は、大陸の信用崩壊、国家体制の変化、債権価値や商流の変化、取引先の消滅が一度に起きています。この人はいくつかの商売で同時に失敗し、とうとう破産しました。
「だから、家の中がきれいなの?」
フランソワさんが、がらんとした部屋を見回しました。
「きれい、というより……ありませんね」
「ないね」
家具や絵、銀器、時計、上等な食器など、高く売れるものは債権者がほとんど持って行きました。乱暴に壊されたのではなく、換金出来る物から順に売却された結果、家の中がたいへんすっきりしています。
「片付ける手間がない。前の人には悪いけど」
「破産は、お気の毒でございます」
「うん」
建物そのものは悪くありません。屋根、窓、床を全部作り直す必要はなく、必要な修理と清掃をして、寝具、最低限の家具、台所用品を入れれば住めます。
ただし、購入前に土地の権利関係は確認しました。アン女王の側近が書類を1枚ずつ説明します。
「この屋敷そのものについては、売却に問題はありません。ただ、この一帯の上位の荘園権は、キャサリン・オブ・ブラガンザ王太后の終身財産に含まれています」
「チャールズ2世の王妃だった人。今はポルトガルにいるんだよね」
「その方です」
「上の大家さんみたいなもの?」
「かなり大ざっぱに申せば。ただし、本当の大家ではございません。屋敷そのものの所有権とは別です」
「王太后が亡くなったら?」
「終身の権利は終わり、上位の権利は王室側へ戻ります。この屋敷を正規に購入した所有者から取り上げる、という意味ではありません」
「じゃあ安心」
買ってから「知らなかった」では困るので、そこまで確認してから買います。
「ポルトガルへ行ったら、鉄道の開通式なんかで会うことがあるかも。そのとき大家さんって言ったら怒られるかな」
「お嬢様」
「言わないよ」
買いました。
*
前の主人が破産したため、屋敷で働いていた人たちも仕事を失っていました。
「まだ近くにいる人、いる?」
調べてもらうと、何人か残っていました。家の中や台所、庭のことだけでなく、どの窓が固いか、雨の強い日にどこを見た方がよいか、冬にどの部屋が冷えるかまで知っている人たちです。
「再雇用出来る人はお願いしよう。身元と仕事を確認して、本人も戻りたいなら」
「全員でございますか?」
「無理には戻さないよ」
元の主人について別の土地へ行った人も、すでに別の仕事を見つけた人も、戻りたくない人もいます。結局、屋敷の管理、料理、掃除と洗濯、庭仕事を担当していた数人が戻りました。主人が変わっても建物は同じです。
「これ、居抜きに近いね。家具より、人の方が大事かも」
「家具はほとんどございませんけれど、それはそうかもしれません」
修理の業者も入ります。わたしたちはそのまま北へ測量に出るので、次に戻るまでに住める状態へ整えてもらいます。
「お願いします」
家を買った日に住み始める必要はありません。こちらには、まだ仕事があります。
*
ところが、家の場所がよすぎたため、もう1つ仕事が増えました。
「ここ、電車の中間拠点にしよう」
地図を広げると、ロンドン中心部、プレイストーの家、フック男爵領の村がほぼ一続きに並びます。研究施設は村側にあり、その先には別領地であるわたしの滑走路用地があります。
「通常の営業運転は村まで。村の先は必要なときだけ延長でいいね」
「誰が延長を決めます?」
「ろばーとっちと、わたし」
村には住民がいて、研究所で働く人も、滑走路管理を担う人もいます。普段の営業運転は村までで十分です。村から先へ電車を走らせる権限は原則として、フック男爵とわたしだけにします。
秘密区間だからではありません。研究所や航空用地、滑走路へ、一般の街路と同じように何本も電車が勝手に入ってくる必要がないからです。必要な日には、滑走路管理の村民や研究所への荷物、飛行機の客をそのまま運べます。
「分かりやすいですね」
「うん。通常ダイヤは村まで」
そして家の前は、西へ行けばロンドン、東へ行けば村という、ほぼ中間地点です。折返し、乗務員交代、予備車の待機、簡単な点検を行う運行拠点に出来ます。
「家を買ったら、電車の仕事場まで付いてきた」
「逆ではございませんか。電車の予定線の上に、家が売りに出たのでございます」
「それ。偶然だけど便利」
*
次は電車そのものです。
「こういうのがいい」
わたしは、第1世代のEurotramに近い形を思い出しながら絵を描きました。前面の窓が大きく、少し丸みがあって、ただの角ばった箱ではありません。
「見た目は、これ」
フランス側から来ていた資料を見ながら、英国の技師さんが聞きました。
「床も、この低さにしますか?」
「低い方が乗りやすい」
「今の道路では、かなり問題になります。石、木片、壊れた馬車の部品、落とした荷物、泥、冬なら固まった物まであります」
「じゃあ、前に低い障害物除けを付けて、車輪の前から外へ飛ばす」
車体の前へ地面すれすれの板を描いたところで、フランソワさんが窓の外を見ました。
「お嬢様。あれも拾います」
「あれ?」
馬車が通り、馬が歩いています。そして道路には、かなりの馬糞があります。
「……あ」
低い板が馬糞へ当たり、押して、つぶして、速度によっては横へ飛ばす。前へ巻き上がって車体や窓へ付くところまで、一気に想像出来ました。
「やめる。低床やめる」
「早いですね」
「馬糞を投げる電車はいや」
「わたくしも乗りたくありません」
そこで思い出したのが、前の世界の1950年代ごろのウィーンの路面電車です。高床で普通の台車を使い、床下に余裕があり、丸みはあっても低すぎません。
「形はこっちへ寄せる。低床は、道路がもっときれいになってから」
「こちらの方が、今の道路では造りやすいでしょう」
「道路の仕事は別に増えそうだけど、それはそれ」
車両は最初から、動力車だけで運ぶ前提にはしません。主電動機、制御器、集電装置など高価な機器を全車へ載せず、人が多い時間は動力車の後ろに付随車をつなぎ、少ない時間は短い編成で走らせます。
「最初から、引っ張る前提」
「それなら付随車は、英国側でも早く作れそうです」
「うん。最初の見本は欲しいけどね」
車体寸法、台車、ブレーキ、連結器、ホーム、曲線、道路との取り合いまで、決めることはたくさんあります。ただ、全部を英国で最初から発明する必要はありません。
「ストラスブールのを、改良して買おう」
フランスです。
*
ルイ14世陛下の側近へ電信を打ちました。英国でロンドン郊外の電気鉄道を造ること、ストラスブールで使っている方式を基礎にしたフランス製の電車と電気設備を購入したいこと、英国の道路条件に合わせて高床車へ変更し、動力車と付随車を用意すること、主要機器はフランス製として英国で最終組立したいことを伝えます。
「返事、いつかな」
「フランス側でも確認が必要でございましょう。今日中は難しいのでは」
今日中でした。
「早い」
届いた電信には、国王が承認し、英国にフランス製の電車が走ることをたいへん喜んでいること、必要な技師を出すこと、しかもちょうど適任の鉄道技師がパリにいることまで書かれていました。
「決めるの早いね」
絶対王政だから何でも速い、というわけではありません。役所の仕事が遅いことも、地方と揉めることも、お金がなくて止まることもあります。ただ今回は、すでにある技術を外国へ売る話で、英国側の建設許可もあり、新しく誰かの領地を奪う話でもありません。そこへルイ14世本人が「売れ」と言えば、同じ政治上の承認を何度も取り直す必要がなくなります。
「王様の一声、こういうときは強いね」
「陛下は、かなりお喜びだそうでございます」
「英国がフランスの電車を買うところ?」
「そこだと思います」
「分かりやすい」
フランスが先に鉄道を造り、それを見たスペインが欲しがり、今度は英国がフランスから電車を買う。ルイ14世陛下には、かなりうれしい話のようです。
さらにもう1枚、名称変更の連絡が来ました。フランス国内では鉄道関係の組織を、会社名、工場名、王立何とか、路線名など人によってばらばらに呼んでいたので、ルイ14世が面倒になったようです。
これから対外的な呼称はまとめて、SNCF。Société nationale des chemins de fer français、フランス国有鉄道。昨日まで別々だった工場や路線組織を一夜で同じ建物へ押し込むわけではなく、工場も運営組織もそのまま仕事を続けます。ただ、鉄道全体をまとめて呼ぶ名前だけはSNCFに統一する。ルイ14世の一声でした。
「……SNCF、生えた」
「何がでございますか?」
「こっちの話」
ユトレヒトには、ライデン側の鉄道をまとめるN.V. Nederlandse Spoorwegen、NSがあります。左右へ向く2本の矢印を組み合わせたような印まで使っています。今度はフランスにSNCFです。
1700年代ですが、年代はもう気にしないことにします。
*
翌日、チェブラーシカちゃんでパリへ行きました。
「ほんとに翌日来た」
フランスの技師さんが言いました。
「パリにいるって聞いたから。荷物をまとめる時間は待つよ」
「陛下から英国へ行けと言われたのが昨日ですので、少し安心しました」
すぐ連れて行くといっても、着替えまで置いて行かせるわけではありません。必要な図面、測定器、個人の荷物を積み、英国へ戻りました。
ロンドンでは、まず予定線を見てもらい、次にプレイストーの家の前を確認します。
「ここを運行上の中間拠点にしたい。全部の車庫を置く必要はなくて、予備車と簡単な点検だけ。大きい工場は土地の広いところで」
「それがよいでしょう」
さらに東へ進むと、フック男爵領の村があります。研究施設も村側で、通常運転はここまで。その先に、別領地である滑走路用地があります。
「この先は通常ダイヤに入れない。線路は造るけど、必要なときだけ延長運転」
「誰の指示で?」
「フック男爵か、わたし」
「分かりました」
フランスの技師さんは、すぐ線形と道路を見始めました。電車を売るだけではなく、どこで組み立てるか、何を英国で作り、何をフランスから持って来るかまで決めます。
「完成車を、そのまま船へ載せる必要はありません。最初の編成はフランスで1度全部組み、台車、ブレーキ、主電動機、制御器まで入れて試運転します。異常がないことを確認してから、輸送出来る単位へ分解しましょう」
「組立番号も付ける?」
「もちろんです。車体、台車、車軸、電装品、配線、配管、締結部の番号を図面とそろえ、英国で再組立出来るようにします」
前の世界でいうCKDに近い方法です。
「最初は、線路の方もフランスから持って来た方がいいですね」
英国の技師さんが言いました。
「レールも?」
「はい。レールとPC枕木、プレストレスト・コンクリートの枕木、それから締結具もです。英国で作れないわけではありませんが、最初の路線で車両と軌道を同時に全部初めて作る必要はありません」
レールは長い鋼材なら何でもよいわけではありません。頭部形状、高さ、底幅、真直度、材質、継目、車輪との組合せをそろえる必要があります。最初は実際に走っているフランス鉄道と同じレール、PC枕木、締結具を持って来る方が早いです。
「でも、レールいっぱい売ってもらえる?」
フランスの技師さんは、少し考えました。
「最初の分なら用意します。ただ、いくらでも、というわけにはいきません。今のフランスでは、鉄道をもっと速く造りたくてもレールの製造が追いつかないことがあります」
鉄や一般鋼材が全部足りないわけではありません。決めた断面と材質で、長く真っすぐな同じ品質のレールを大量に圧延し、検査して次々に工事現場へ送る能力の方が先にいっぱいになります。フランスの鉄道建設速度は、かなりのところまでレール製造能力に制約されていました。
「橋まで持って来る?」
「それは、むしろ困ります。英国で作れる橋梁用鋼材までフランスから出せば、製鉄、圧延、輸送の余力を使います。レールだけでもまだ追いついていませんから」
「英国で作れるものは英国で」
「お願いします」
英国には鉄も石炭もあり、鋼材を作る力もあります。橋梁の大きな鋼材、車庫や停留所の構造材など、大きく重い一方で車両走行部ほど特別な加工精度を要求しないものは、最初から英国で作ります。
「じゃあ、車両はどこまでフランス?」
「最初の車両は、まず全部です。その後、英国側が組立に慣れてから分けましょう」
フランスの技師さんは図面を指しながら、主電動機、制御器、精密なブレーキ機器、軸受、輪軸、走行性能に直接関係する高精度の台車は、当面フランスの工場で作りたいと説明しました。材質、熱処理、寸法、加工精度をまとめて保証したい部分です。
一方、台枠や鋼製車体は大きく重いものの、主電動機や輪軸、高精度台車ほど特殊な加工設備へ集中させる必要はありません。英国が慣れたら、まず付随車から台枠と鋼製車体を現地生産し、その後に動力車へ広げます。さらに経験がたまれば、レールや枕木などの軌道材料も品質を確認しながら英国製へ移していきます。
「SNCFって言っても、SNCFが工場そのものじゃないんだよね」
「はい。今回、実際に作るのはフランスの鉄道工場です」
「そっちの方が分かりやすい」
SNCFはルイ14世が、ばらばらだった鉄道関係の呼び方をまとめた名称です。部品を削るのもレールを圧延するのも実際の工場で、王様が旋盤を回すわけではありません。
「最初から国産化率を競う必要はありません」
英国の技師さんが言いました。
「うん。走らない英国製より、まず走るフランス製」
「それでよいと思います」
最初の車両はフランスで仮組立と試験を行ってから分解し、船積みします。初期分のレール、PC枕木、締結具も一緒に英国へ送ります。英国では車両の再組立と並行して、橋梁、架線柱などの大きな構造物、停留所、車庫、組立設備、変電設備を進めます。
「よし。わたしが北で写真を撮っている間にも、電車の仕事が進む」
「それが組織でございます」
「大事だね。全部わたしが見ていないと進まないようにしたら、何も出来ない」
*
北へ出る前に、もう1度アン女王のところへ行きました。今度は線路の位置ではなく、その線路でイングランドとスコットランドをどう1つの国としてつないでいくか、という話です。
「もう1つ、先に決めておきたいことがあります」
「鉄道についてですか?」
「鉄道より大きい話。資源」
アン女王が地図を見ました。南と北、その間にはまだ国境があります。
「最初は南から北へ出すものが多くなると思う。石炭、鋼材、工場で作るもの、鉄道資材も。もちろん北にも炭田はあるけど、最初から全部を北だけで用意させる必要はないよ」
「合同するのであれば、なおさらですね」
「そう。でも、それを南から北への援助みたいにしたくない。同じ国の中で必要な場所へ回す。今は南から北、将来北に大きな資源が見つかれば北から南。それでも同じ規則にしたい」
そこまで言って、わたしは北海の方を見ました。この世界ではまだ、ただの海です。しかし頭の中には、北海油田という言葉がはっきり浮かんでいました。
前の世界では、北海を中心とする英国大陸棚から大量の石油と天然ガスが出ました。1967年に生産が始まってから、英国大陸棚全体ではすでに約450億バレル石油換算もの石油と天然ガスを取り出しています。生産量が大きかった1999年には、石油と天然ガスを合わせて1日約460万バレル石油換算。国の産業、税収、電力、暖房、交通まで動かす規模です。
そして、資源がどこのものなのか、誰が税収を受け取るのかは政治の問題にもなりました。
2014年、スコットランドでは独立の是非を問う国民投票が行われました。結果は、独立反対55.25%、独立賛成44.65%。独立は否決されましたが、45%近い人が国を分ける方へ投票しました。
もちろん、北海油田だけが理由ではありません。歴史、議会、税制、福祉、通貨など論点はたくさんあります。それでも、石油と天然ガスの権利と収入は大きな争点の1つになりました。
『燃料は大事だよねえ』
頭の中で技師さんが言いました。
『わたしたちは飛行機屋だから余計にそう思うよ。どんなにいい機体を作っても、燃料が来なければ飛ばない。油田や炭田、発電所がどこにあるかで、工場も輸送も軍隊もずいぶん変わるからね』
別の技師さんも少し考えてから続けました。
『今は南の石炭を北へ持って行く。あとで北の石油が大きくなったら、それは北だけのものだ、という話になる。最初から同じ国の資源として決めておく方が、あとで揉めにくいと思うよ』
「うん」
「何か?」
アン女王に聞かれました。
「技師さんたちも、燃料は大事だって。だから合同したあとの王国では、地下資源を王国全体のものにしたい。石炭も金属鉱石も、それから海の下にある石油や天然ガスも」
「土地を持つ人のものにはしない、ということですね」
「うん。ただ、採掘する会社や人まで国有にする必要はないよ。国が資源そのものを持って、採掘権を出して民間が掘ってもいい」
アン女王はすぐには答えず、すでに採掘している鉱山をどうするのか尋ねました。
「いきなり取り上げない。今ある権利を調べて、買い取るか、補償するか、期間を決めて移す。でも合同したあと新しく出す採掘権は、最初から同じ規則にする」
「それなら出来そうですね」
「それと、国の資源だからって採れる場所に何も返さないのもだめ。人が集まれば住宅も水もいるし、道路や港も傷む。環境も変わる。だから生産地域には負担に応じて多く戻す。でも資源そのものは、その地方だけの財産にはしない」
アン女王は北の地図を見ながら、ゆっくり確認しました。
「今は南から北へ石炭と鋼材を送り、将来は北から南へ何かが来るかもしれない。それでも同じ王国の中で動かす」
「いっぱい来るかもしれないけど、原則は同じ。それがいい」
アン女王は書記を呼びました。
「合同の条件を考える文書へ入れてください。地下資源と、王国が権利を持つ海底の資源は、合同後の王国全体に帰属する。既存の権利は補償を含めて整理し、採掘地域には負担に応じた還元を行う、と」
まだスコットランドと1つの王国になったわけではありません。しかし1つになるなら、南が多く持つ時代も北が多く持つ時代も、豊かなときだけ都合よく一緒になるのではなく、同じ規則で扱います。
*
今度こそ北へ進みます。コウノトリちゃんには、わたし、フランソワさん、英国の路線技師さんが必要に応じて乗り、役割を入れ替えます。フランソワさんも操縦出来るので、これはたいへん助かりました。
「今日は、わたくしが飛ばしましょうか?」
「お願い。わたし、昨日の写真を見る」
「承知いたしました」
フランソワさんが操縦している間、わたしは地図、写真、地形、候補線を見比べます。次の飛行ではわたしが操縦し、フランソワさんが記録を担当します。ずっと同じ人が、操縦、撮影、地図確認、記録を全部抱える必要はありません。
「右の草地、広いね」
「チェブラーシカには使えそうですか?」
後ろから技師さんが聞きました。
「上からだけじゃ分からない。降りる」
コウノトリちゃんで草地の上を1度通り、人や家畜、溝、木、石垣、風を確認します。もう1度低く通って問題がなさそうなら着陸しました。
『ついた』
「まだ調査。降りただけ」
地面を歩き、棒を差して柔らかさを確かめます。車輪が沈みそうな場所や、草の下に隠れた溝がないかも見ます。端から端まで全部歩く必要はありませんが、チェブラーシカちゃんの車輪が通るところはかなり真面目に調べます。
「所有者は?」
「近くの農場です」
英国側の人に確認してもらい、持ち主のところへ行きました。アン女王の書類を見せて、数日間だけ土地を借りたいと説明します。
女王陛下の命令だから出て行け、とは言いません。どこを何日くらい使うのか、馬や家畜をいつ動かしてもらうのか、使用料はいくらか、何か壊した場合はどう補償するのかを話し合い、合意を取ります。
「では、チェブラーシカを呼べます」
その日のうちに前の拠点へ連絡すると、チェブラーシカちゃんが北へ来ました。農場の人たちが遠くから見守る中、大きな機体が降りて止まります。
「ほんとに降りた」
持ち主が言いました。
「降りられるところを借りましたから」
「いや、そうなんですが……」
1700年代の農場へAn-72Sが来たのですから、そういう反応にもなります。
*
チェブラーシカちゃんが来ると、その場所をしばらく前進基地に出来ます。貨物室からコウノトリちゃん用のエタノールを出しました。
「入れるよ」
『ごはん』
「燃料」
『ごはん』
「まあ、いいけど」
燃料を補給し、感材も積み替えます。撮影済みの感材はチェブラーシカちゃんの中へ戻して、雨、泥、宿の火などから離して保管します。
夜は飛行機の中で寝るとは限りません。近くに町があれば、普通に宿へ行きます。英国の地方都市はロンドンとは違い、大きな宿でも廊下の幅、部屋の暖まり方、窓から見える景色、食事が少しずつ違います。
そして何より、わたしたちは毎晩、大量の写真と紙を持ち込みます。
「また広げるのでございますか?」
フランソワさんが宿の机を見ました。
「今日の分だけ」
「昨日も、そうおっしゃいました」
「今日は今日の分」
「結局、同じでございます」
机だけでは足りず椅子まで使います。ただし、感材を寝ている間に蹴ると困るので、ベッドの上には置きません。
「旅してる感じがするね。観光じゃないけど、毎日違う町で、地図も違う」
「それを楽しいとおっしゃるなら、確かに旅でございますね」
測量の旅です。
*
北へ進むほど、毎日の景色は変わります。平らな土地、川の多い地域、町が連続するところ、湿った低地、丘が続くところ。大きな橋を1本架ける方がよい場所もあれば、小さな川を何本か越えた方がよい場所もあります。
「ここ、まっすぐ行けそう」
「地図ではそう見えました。ただ、この先は土地が低いので排水を確認したいです」
英国の技師さんが答えました。
「じゃあ、地上班を入れる場所に印」
「はい」
別の日には、町との距離を相談します。
「この町は?」
「寄せたいです。ただし、線路を町の真ん中へ通す必要はありません。将来の駅から町へ出やすい距離で十分です」
「家を壊して直線にはしない」
「そのために、まだ何も造っていない今のうちに選びます」
線路がないからこそ、先に避けられるものがあります。あとから建物、道路、工場が増えてから線路を通そうとすれば、同じ場所でも難しくなります。
ただし、今多く見える農地も、誰のものでもない空き地ではありません。所有者がいて、作物があり、そこで暮らしている人がいます。土地所有や生活への影響は、写真だけで決めず地上班が確認します。
「航空写真だけ見て、ここを買う、はしない」
「はい。国家事業だからこそ、後で揉めるような決め方は避けたいです」
「女王陛下の事業でも?」
「なおさらです」
「よかった。話が早いね」
*
ある日は、コウノトリちゃんでチェブラーシカちゃんの次の着陸地を探しました。
「道、使えるかな」
前方にまっすぐで幅のある道がありましたが、近づくと横に溝があり、樹木もあって人も通ります。
「コウノトリちゃんなら降りられるけど、チェブラーシカには勧めない」
「わたくしも、その方がよいと思います」
別の場所へ移ると、長く平らな牧草地が見えました。しかしフランソワさんが、中央だけ色の違うところに気づきます。
「真ん中、色が違います」
「水かな」
「上から見ると、そのように見えます」
そこには降りません。少し先に、刈り取り後で広く、障害物が少なく、端に農道のある畑がありました。
「こっちは1度見よう」
着陸して地面を歩き、地主と話し、必要な期間だけ借ります。確認が終わればチェブラーシカちゃんを前へ進める。この繰り返しです。
アン女王からは、10か所まで、それぞれ10km²の飛び地領地を持てる話も出ています。しかし、数日しか使わない仮着陸地を全部その領地にする必要はありません。将来の航空拠点として本当に欲しい場所と、今回だけ借りればよい場所は分けます。
「ここは借りるだけ」
「永久拠点にはしないのでございますか?」
「水が近すぎる。冬の状態も見たいから、航空拠点としては保留。でも測量の前進基地には使える」
1回の判断で、何でも永久に決める必要はありません。
*
ヨークのあたりまで来るころには、荷物の中身も変わっていました。撮影済みの写真、記録紙、地図への書き込みは増え、反対に未使用の感材は減っていきます。
「重さ、あまり変わらないね」
「紙も写真も増えておりますから」
「仕事の成果が重い」
宿へ入って食事をすると、そのあとまた机を占領します。英国の技師さんも加わりました。
「この撮影帯と、こちらを続けて見たいです。川を渡ったあと北東へ振る案と、そのまま北へ行く案を比べたい」
「ここだね。立体で見よう」
写真を組み、高低差を見ます。その結果、翌日にもう1本追加で飛ぶことになりました。
「朝、天気が悪かったら?」
「待つ」
「工期が気になりますが」
「雲の写真を撮っても鉄道は造れないよ」
「それはそうです」
飛べない日に無理をする必要はありません。写真の整理、地主の記録確認、地図の修正、次の宿の手配、チェブラーシカちゃんの整備、コウノトリちゃんの点検、燃料と感材の確認など、地上で出来る仕事はいくらでもあります。
「旅行って、ずっと飛んでるわけじゃないね」
わたしが言うと、フランソワさんが少し考えてから答えました。
「普通の旅行では、途中で飛行機を整備いたしません」
「そうだった。普通の旅行じゃなかった」
*
さらに北へ進み、ニューカッスルの方まで来るころには、地形も空気も少しずつ変わってきます。海が近い区間、川と起伏の多い土地、町、炭田。鉄道が出来れば、旅客だけでなく貨物もかなり動くはずです。
「石炭だけでも、かなり運ぶことになるね」
「ええ。ただし、この線を炭鉱専用にはしません。旅客、郵便、一般貨物も運ぶ幹線です」
「そのための国鉄」
「はい」
英国を地域ごとの別会社へ切り分けず、ロンドンからエディンバラまで同じ幹線として扱います。南で利益が出ても、北だけ別会社にして高い運賃を取るような形にはせず、国全体の中で支えるところは支えます。
これは、ロンドンを出る前にアン女王と決めた資源の原則と同じです。合同するなら、地下資源も将来の海底資源も王国全体のものにする。今は南側の石炭、鋼材、工場製品を必要なだけ北へ回し、将来、北側から大量の石油や天然ガスが出ても原則は変えません。
ただし、採掘する地域には道路、港、環境、住宅、雇用などの負担があります。その地域への還元は別に必要です。国全体の資源にすることと、産地の負担を無視することは同じではありません。
鉄道も同じ考え方で南北をつなぎます。まだ線路はありませんが、候補を絞るための写真はかなりそろってきました。
*
ベルウィックの近くまで来ました。
「もうすぐ?」
フランソワさんが聞きました。
「もうすぐと言えば、もうすぐ」
「お嬢様のもうすぐは、信用してよろしいのでございますか?」
「今日は信用していい」
「では、信じます」
さらに北へ飛ぶと国境を越えます。けれど空から見る地面に太い線が引かれているわけではありません。道路、農地、海、丘がそのまま続いています。そこへ、これからイングランドだけではなくエディンバラまで同じ規格の鉄道を通します。
「ここから先も1435mm。橋も、架線も、信号も同じ」
フランソワさんが少し先を見ました。
「長いですね。本当に1年ほどで造るのでございますか?」
「人をいっぱい入れて、区間を分ける」
「また、あの造り方ですね」
1か所から少しずつ北へ線路を伸ばすのではありません。測量が終わり、線形が確定し、用地の話が出来た区間から何十か所も同時に工事を始めます。橋、路盤、架線柱、駅のうち、工場で作れるものは先に工場で作り、現場でしか出来ないものは現場で進めます。
中央で規格をそろえ、大量の資材と人を投入し、標準化したものを並行施工する。前の世界で中国の大規模建設を見たときに感じた速さに近い考え方です。王政だから速いのではありません。標準化、資材、人員、同時施工の組合せです。
フランス、スペイン、ライデン、英国には、もうそれぞれ経験があります。
「まずは測量を終わらせないと」
「はい」
今やる仕事は、まだ写真です。
*
そして、とうとうエディンバラが見えました。
「見えた」
岩の上の城と町、その向こうにはフォース湾が広がっています。前の世界の写真と同じではありません。町の大きさも建物も道路も違います。それでも、地形そのものはそこにあります。
「エディンバラ。着いたね」
「はい」
『ついたー』
コウノトリちゃんも喜びました。
「でも、まだ終わりじゃない。最後の撮影帯が残ってる」
『えー。ついたのに』
「到着と測量終了は別」
ここで写真をやめれば、鉄道の終点側が抜けます。市街地へどこから近づくか、駅をどのあたりへ置けるか、地形、既存道路、町との関係を確認するため、もう1度飛んで撮影しました。
戻って不足を確認すると、技師さんが1か所を指しました。
「ここを、もう1本お願いします」
「はい」
また飛びます。
「今度は?」
「大丈夫です。ロンドン側からここまで、必要な航空写真はそろいました」
「航空測量としては終わり?」
「はい」
「やった」
『おわった? ほんと? 帰る?』
「終わった。ほんと。帰る」
やっとコウノトリちゃんも納得しました。
*
帰りは測量しながらではないので速いです。コウノトリちゃんも南へ戻り、フランソワさんが操縦出来るので、区間によってはわたしがチェブラーシカちゃんへ乗ることも出来ます。2機を同じ人が飛ばす必要はありません。
天候を見ながら南へ戻り、プレイストーの家へ着きました。
「お帰りなさいませ」
「……住める」
中へ入ると、家具と寝具が入り、台所が使え、火も入ります。再雇用した元使用人の人たちも、もう普通に働いていました。
「ほんとに、おうちになってる」
「次にお戻りになるときには、とお願いしておりましたから」
「すごい」
「業者の方々がお仕事をされたのでございます」
「うん。それでいい」
わたし自身は壁を1枚も直していません。出来る人にお願いして、代金を払い、仕事をしてもらいました。北へ行っている間に家が整ったのなら、それで十分です。
トラムの方も、測量、軌道設計、停留所と車庫の検討、フランスとの部品調整が少しずつ進んでいました。
「留守にしても進んだ」
「よいことでございますね」
「すごくよい。何でも自分でやるために伯爵になったわけじゃないから」
*
翌日、航空測量の成果をまとめて、スペイン帰りの英国人技師さんへ正式に渡しました。旅の間も技師さんは一緒に写真を見ていますが、ここでは成果物として整理したものを引き渡します。
撮影番号、飛行日、飛行高度、撮影帯と重複、気象、地形上の注意、地上測量を入れたい場所、水の疑い、橋梁候補、町との関係、比較中の案を分けて記録しました。
「これで、わたしの航空測量は終わり」
技師さんは書類の束を受け取りました。
「ここからは、われわれの仕事です。標高を測り直し、地盤と河川を調べ、所有権を確認して候補線を比較します」
「まだ線路は造らない。盛土も橋も、まだ」
「はい。そこは飛ばしません」
順番は、航空写真、候補の比較、地上測量、最終線形、土地取得と杭打ち、そのあとで工事です。
「急いでるからって、順番を飛ばしたらだめ」
「スペインで学びました。小さい失敗なら、いくつもしています」
「それも持って帰ったんだね」
「成功例より役に立つことがあります」
「分かる」
英国がスペインへ技師を送った意味は、お金だけではありません。経験だけでなく、失敗も持って帰ってきました。
*
アン女王へ終了の挨拶に行きました。
「エディンバラまで、航空写真は全部終わりました。ここから地上測量へ渡します」
「ずいぶん早かったですね」
「飛行機だから。でも簡単ではなかったよ。地方の宿にいっぱい泊まって、毎晩写真を広げるから机が足りなかった」
「そこが一番のご報告なのですか?」
アン女王が笑いました。
「大事なのに」
「鉄道の報告書には書かれないと思います」
「残念」
赤ちゃんの話も聞きました。元気で、アン女王も前より少し休めているそうです。
「では、帰ります。次に来るときはプレイストーのおうちに泊まれる」
「もう整ったそうですね。あなたが北へ行っている間、業者はロンドンにいましたから」
「そうなんだよね。ちょっと不思議」
「トラムの方も進めます。フランス王は、英国がフランス製を買うことをたいそう喜んでいるそうですね」
「そこがうれしいらしい。分かりやすい」
アン女王も笑いました。
「では、本当に帰る?」
そう言ったところで、フランソワさんが少し困った顔をしました。
「お嬢様。コウノトリちゃんが」
「……そうでした」
*
コウノトリちゃんは、そのままエルレンフェルトまで飛べます。もちろん元気です。ただ今回は、測量機材、記録、荷物、人員をチェブラーシカちゃんへまとめて帰す予定なので、コウノトリちゃんも分解して積みたいところです。
そこで問題が1つありました。分解を手伝う整備士さんは、組立を終えたあと先にエルレンフェルトへ帰っています。
「連れて来てない。迎えに行く」
チェブラーシカちゃんで、いったんエルレンフェルトへ戻りました。ただし帰国ではなく、整備士さんを迎えるための往復です。
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
「また英国へ行きます。コウノトリちゃんを分解する整備士さんを迎えに来た」
「……お帰りになったのではなかったのですね」
整備の人たちは事情を聞くと、すぐ必要な測定器をまとめ始めました。
「工具は向こうにもありますね」
「ある」
「では、追加の測定器だけ持って行きます」
話が早いです。そのままチェブラーシカちゃんへ乗り、また英国へ向かいました。
「今日、何回国境越えるんだろう」
「数えない方がよろしいかと存じます」
「そうする」
プレイストーの家へ戻ると、使用人さんたちには「また戻ってきた」と思われました。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。今度は整備士さん。飛行機ばらして、それから本当に帰る」
「……承知いたしました」
少し前まで普通の商人の屋敷だったのに、新しい主人になってから急に飛行機の話ばかり聞かされる家になりました。
*
ロンドン郊外の滑走路で、コウノトリちゃんを分解します。
『また?』
「帰るから。今回はチェブラーシカちゃんに乗って帰るよ」
『わたし飛べる。元気』
「知ってる。元気なのも知ってる」
整備士さんが笑いました。
「前と同じ順番でいきます」
「お願いします」
まず航空測量用のカメラを外して、機体を通常の状態へ戻します。燃料を抜き、必要な点検口を開け、主翼、尾翼まわり、輸送時に傷みやすい部品を外します。
接続部にはまた札を付け、前回の記録と照合します。どのボルトがどこへ戻り、どの配線をどこへ接続し、操縦系統がどの位置だったか、再組立のときに迷わないようにします。
「外すだけなら早いんだけどね」
わたしが言うと、整備士さんが答えました。
「次に飛べるように外すので、時間がかかります」
「そう。壊して小さくするんじゃないもんね」
輸送のために分解し、帰ったあと組み立て直して、また飛ぶための作業です。
『羽、とれた。帰ったらすぐ付ける?』
「点検してからね。飛行機は、組み立ててすぐ飛ばない」
『知ってる』
「じゃあ言わない」
『言う』
「はいはい」
外した部品は治具に固定し、チェブラーシカちゃんの貨物室へ入れて動かないようにします。重量、重心、搭載位置を確認し、撮影機材、写真、記録、個人の荷物も全部積みました。
「今度こそ帰る」
フランソワさんが確認するように聞きました。
「コウノトリちゃんも中にいます。整備士さんも、荷物も全部。アン女王陛下へのご挨拶も終わりました」
「では、本当に帰れます」
「長かった」
チェブラーシカちゃんが滑走路を走って浮き上がると、ロンドンが後ろへ下がっていきます。
プレイストーには新しい家が残り、その前にはこれから電車の停留所と運行拠点が出来ます。西へ行けばロンドン、東へ行けばフック男爵領の村。普段の電車は村で終わり、必要な日だけ、ろばーとっちか、わたしの指示でその先へ延長します。
フランスではSNCFという統一名称の下で、実際の鉄道工場が英国向けの最初の電車、高精度の走行部や電気機器、初期分のレール、PC枕木、締結具を作り始めます。英国では橋梁、架線構造物、停留所、車庫を造りながら、将来は台枠や鋼製車体を自分たちで作る準備も進めます。
そしてスペイン帰りの技師さんの机には、ロンドンからエディンバラまでの航空写真が並んでいます。
「線路、まだないね。でも、どこを調べるかは見えた」
操縦席で言いました。
「はい。次は地上の方々のお仕事でございますね」
「うん。線路を造る前に、線路のない土地を全部見た。ロンドンではおうちも買ったし、電車も頼んだ。エディンバラまで写真も撮った。コウノトリちゃんも、ちゃんと持って帰る」
「やっと帰国でございますね」
『わたしも帰るー』
貨物室からコウノトリちゃんの声がしました。
「うん。今度こそ」
チェブラーシカちゃんは、エルレンフェルトへ向かいました。
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第72章の小さな説明
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【プレイストーのタウンハウス】
どろちゃんは、ロンドン滞在時に毎回宿を取るのではなく、プレイストー南東寄りに売りに出ていた商人の屋敷をタウンハウスとして購入しました。前の所有者は、最近の信用・商流の急変の中で破産し、換金出来る家具や銀器などは債権者によってすでに処分されています。そのため建物は荒廃しているのではなく、むしろ中がよく片付いた状態でした。
屋敷そのものの売買とは別に、この一帯の上位の荘園権は、チャールズ2世の王妃だったキャサリン・オブ・ブラガンザ王太后の終身財産に含まれています。購入前にアン女王側の担当者から権利関係の説明を受け、王太后の終身権が終わったあと上位権が王室側へ戻っても、正規に購入した屋敷そのものが召し上げられるわけではないことを確認しています。
【フック男爵領の村と滑走路】
フック男爵領は村1つを中心とする領地です。研究施設も村側にあります。一方、近くの滑走路はフック男爵領ではなく、どろちゃんが英国で持つ別の航空用地です。村のない長方形に近い土地で、滑走路として使える南北方向の長さを約3km確保しています。
滑走路用地には、もともと村民が農業に使っていた土地も含まれます。そのため村民は滑走路管理の重要な担い手です。実際の滑走路とエプロン以外では、盛土や新しい水路など航空施設へ影響する地形変更を行わず、障害物を作らない範囲で牧草生産などの農業利用を認めています。
【ロンドン郊外トラム】
ロンドン中心部からフック男爵領の村、さらに滑走路方面へ向かう鉄道については、タウンハウス購入より前から英国側の建設許可・運行許可があります。屋敷が偶然その予定線のほぼ中間にあったため、屋敷前を運行上の中間拠点にします。
通常の営業運転は、研究施設もある村が終点です。村から先の滑走路側への延長運転は、フック男爵またはどろちゃんが必要と判断したときに行います。村民が滑走路から排除されているわけではなく、滑走路管理そのものが村の重要な仕事です。必要な作業員や荷物を延長列車で運ぶことも出来ます。
【高床電車と馬糞】
どろちゃんは最初、前世の第1世代Eurotramに近い外観と低床構造を考えます。しかし1700年代の道路には、石、木片、馬車から落ちた物などが多く、低い床下機器や障害物除けには厳しい環境です。さらにフランソワが、低い障害物除けは道路上の馬糞まで拾うことを指摘したため、低床案を放棄しました。
最終的には、1950年代ごろのウィーンの路面電車に近い、床下に余裕のある高床・通常台車の構成を基礎にします。動力車に付随車を連結し、需要に応じて編成長を変えられる方式を最初から想定しています。
【SNCFとフランス・英国の製造分担】
この世界のフランスでは、鉄道会社、王立工場、路線組織などの呼称がばらばらになっていたため、ルイ14世がSNCF(Société nationale des chemins de fer français、フランス国有鉄道)という名称に統一しました。ただし、すべての工場や路線組織を一夜で1つの工場へ統合したという意味ではありません。実際の製造は、それぞれのフランスの鉄道工場が担当します。
英国向けの最初の車両は、フランスで完成状態まで仮組立・試運転したあと輸送単位へ分解し、英国で再組立します。主電動機、制御器、ブレーキ機器、輪軸、軸受、走行性能に直接関係する高精度の台車など、材質・熱処理・加工精度の管理が特に厳しい部分は当面フランス側で製造します。
最初の軌道については、レール、PC枕木(プレストレスト・コンクリート枕木)、枕木の締結具をフランス側から輸入します。英国で製造不能だからではなく、最初は既に運用実績のある組合せをそのまま使うためです。ただしフランス側にも余剰能力が大きいわけではありません。フランス国内の鉄道建設速度そのものが、規格通りのレールを大量に圧延・検査する能力に制約されています。そのため英国へ回せるレールは初期分を中心とし、一般の橋梁用鋼材までフランスから大量に輸出する計画にはしません。
橋梁用鋼材、建物の構造材など、大きく重い一方で走行部ほど特殊な加工精度を要求しないものは最初から英国側で製造します。英国側が組立と保守に慣れた後は、付随車を手始めに、台枠や鋼製車体など大きく重い部品を英国製へ移し、さらに品質を確認しながらレールや枕木などの軌道材料にも現地生産を広げる計画です。
【ユトレヒトのNS】
ライデン側が育ててきたネーデルラントの鉄道は、交通の集約地であるユトレヒトに本社を置くN.V. Nederlandse Spoorwegen(NS)として運営されています。本作では、左右へ向く2本の矢印を組み合わせたNSのマークも、この時代にすでに使われています。史実とは成立年代が異なる、本作独自の歴史改変です。
【合同後の資源と北海油田】
どろちゃんとアン女王は、イングランドとスコットランドが合同する場合、地下資源と将来の海底資源を合同後の王国全体の財産として扱う原則を先に決めます。採掘事業そのものをすべて国営にするのではなく、国が資源を所有し、採掘権を事業者へ与える方式です。既存の鉱山権などは一度に没収せず、買い取り、補償、移行期間などを使って整理します。生産地域には道路、港湾、住宅、環境対策などの負担に応じた還元を行います。
この考え方には、どろちゃんが前世で知っている北海油田・ガス田の歴史が強く影響しています。北海を中心とする英国大陸棚では1967年以降に大規模な石油・天然ガス開発が進み、英国大陸棚全体では約450億バレル石油換算が生産されました。石油・天然ガスを合わせた生産量は1999年に1日約460万バレル石油換算まで達しています。
2014年のスコットランド独立住民投票では、独立反対55.25%、独立賛成44.65%で独立は否決されました。独立論には歴史、議会、税制、福祉、通貨など多数の論点があり、北海油田だけが原因ではありませんが、海底油田・ガス田の権利と収入は重要な資源問題の1つでした。本作では、約300年後に資源帰属が南北対立を強めることを少しでも避けるため、合同時点から同じ原則を南北双方へ適用します。
【測量隊の北上】
コウノトリちゃんが先行し、チェブラーシカちゃんを一時的に運用出来る牧草地や畑などを探します。地面と障害物を確認したあと、アン女王の書類を示して土地所有者と短期使用の条件を決め、使用料を払って借ります。これは土地の徴発ではありません。
チェブラーシカちゃんは人員・測量機材・撮影済み感材の保管場所になるだけでなく、コウノトリちゃん用の神様のエタノール燃料タンクも運びます。フランソワもコウノトリちゃんを操縦出来るため、どろちゃんが写真・地図・候補地確認へ集中する時間を作ることが出来ます。
【航空測量の終了と次の工程】
ロンドンからエディンバラまで必要な航空写真をそろえたあと、成果はスペイン鉄道の路線選定を経験して帰国した英国人技師へ正式に渡されます。航空写真だけで線路位置を確定するのではなく、ここから地上測量によって標高、地盤、水、土地所有、既存道路、集落、河川などを確認し、最終線形と用地を決めます。盛土、切通し、橋梁などの工事は、その後です。




