07クリスマスには、もっと高い空が届きます ロケット機完成 成層圏へ
クリスマスの朝、どろちゃんが目を覚ますと、枕元に箱がありました。
誕生日の朝にも同じことがありましたから、子爵家では、こういう朝をまったく初めてとは呼べなくなっています。もちろん、普通のことと呼ぶには、箱が寝室の扉より大きすぎました。
どうやら神様は、贈り物の中身にはたいへん気を配りますが、出入口の寸法までは気にしない方のようです。
箱の上には、ロシア語で書かれていました。
Доротее. С Рождеством.
(ドロテーエ。ス・ラジュヂストヴォム。)
ドロテーヤへ。クリスマスおめでとう。
Для полёта на большой высоте. Основные узлы.
(ドリャ・パリョータ・ナ・バリショーイ・ヴィソチェ。アスナヴヌィーエ・ウズルィ。)
高い空を飛ぶための主要構成部品。
どろちゃんが箱へ手を触れると、頭の中の技師さんたちも、次々に目を覚ましました。
――開梱前に部品表を確認。
――箱の向きを見る。蝶番側を下にするな。
――吊り索、左右同長。人を箱の下へ入れるな。
作業が始まると、技師さんたちの声は短く、硬くなります。これは怒っているのではありません。重い物は、長い相談が終わるまで待ってくれないからです。
今回も軒先の荷揚げ用クレーンを使い、箱は寝室の窓から芝生へ下ろされました。使用人たちは、もう以前ほど驚きません。子爵家では、ときどきお嬢様の寝室へ、扉より大きな物が届くのです。
もっとも、慣れたからといって、理由が分かったわけではありません。
箱を開くと、最初に現れたのは、大きな翼の骨組みでした。翼の付け根には丈夫なヒンジがあり、その横にはウォームと扇形のラックギア、それを動かす装置が付いています。翼を前へ広げたり、後ろへたたんだりするための仕組みです。
「可変後退翼だね」
――低速では翼を広げる。高速では後退させる。
作業中でしたので、答えはまだ硬いままです。
けれど、翼を安全な台へ置き、吊り索を外すと、技師さんの声はいつもの調子へ戻りました。
――ウォームなら、空気に押されても勝手には戻らないよ。空気は見えないけれど、たいへん力持ちだからね。
「ずいぶん用心深い翼ね」
――速く飛ぶ子には、そのくらいがちょうどいいと思うよ。
技師さんたちは教官でも監督でもありません。どろちゃんの頭の中に住む、たいへん物知りな友人たちです。ただし、クレーンが動いている間だけは、友人もたいへんてきぱきします。
箱の奥には、圧力に耐える丸い操縦席がありました。厚い風防、気密扉、酸素装置、与圧用の配管と弁。タドポール君では、どろちゃんの頬へ直接風が当たることもありました。けれど、今度の機体が行く場所には、風以前に、十分な空気がありません。
――高いところでは、人間は息ができなくなるよ。寒さも厳しい。
だから操縦席の中へ、地上の空気を少し持っていくんだ。
「空の中に、小さなお部屋を持っていくのね」
――うん。その言い方でいいと思うよ。
技師さんは、その言い方を気に入ったようでした。
さらに下から、固体燃料ロケットの燃料筒、燃焼室、耐熱材、ノズル、点火装置が出てきました。どれにも番号札が付き、説明書の図と同じ順番に並んでいます。
ただし、燃料筒の中は空でした。箱の隅には、厳重に密閉された酸化剤の缶が並んでいます。
部品表には、完成したロケット・エンジン・ユニット一式の重さも書かれていました。一本、二百五十キログラムです。
――一本、二百五十キログラムあるよ。人間が抱えるには、少し重すぎると思うよ。
「少し?」
――かなり、かな。
「落としたら?」
――明日の作業予定を考えなくてよくなるかもしれないね。場合によっては、作業場の予定も考え直すことになるよ。
声はやさしいままでしたが、意味までやさしくなったわけではありません。
そこで、機体を組み始める前に、ロケットユニットを扱う場所を作ることになりました。屋敷から離れたところに、火を使わない小さな作業棟を建て、その天井には一トンまで吊れる手動クレーンを通します。材料を扱う部屋、完成したユニットを置く部屋、機体へ積み込む場所も分けました。
頭の中の技師さんたちは、領地の職人と直接話すことができません。ですから、技師さんがどろちゃんへ話し、どろちゃんが図へ描き、職人たちはその図を見て建てました。線を一本引き忘れると、技師さんが頭の中でそっと教えます。
――そこ、梁が一本足りないよ。クレーンは、屋根ではなく梁で受けるんだ。
「描き直します」
こうして技師さんと職人が共同作業をしたように見えても、その間には、いつもどろちゃんが一人入っています。たいへん便利な通訳ですが、十五歳です。
発進する場所にも、別の道具が必要でした。
――速度が出るまでは、方向舵があまり効かないよ。最初だけ、まっすぐ走らせるスレッドがあると安心だね。
発進用スレッドは、斜面の下から上へ延びる二本の案内路を走ります。機体は専用の受け台へ載せられ、翼と舵が十分に働く速さになると、スレッドから離れて空へ上がります。
満載の機体は二トンを越えますから、発進場所には、機体をスレッドへ載せるための門型クレーンも必要です。こちらは五トンまで扱えるようにしました。
「タドポール君みたいに、丘の上まで運ばなくていいの?」
――今度は坂を上るから、丘の下でいいよ。おうちから十分に離れていて、前にも横にも家がない場所がいいね。
タドポール君は丘の上へ運ばれ、下り坂を利用して静かに飛び立ちます。新しい機体は丘の下へ運ばれ、火を噴きながら上り坂を駆け上がります。
同じ家へ届いた二機ですが、性格はずいぶん違うようでした。
その日の夜、子爵家ではクリスマスのお祝いが開かれました。
大広間には蝋燭が並び、暖炉では薪が燃えています。食卓には、焼いた鳥、冬野菜の煮込み、パン、木の実を使った菓子が並びました。塔のある城から届いたワインもあります。
もっとも、どろちゃんは十五歳です。ワインではなく、温めた果汁を飲みました。
朝から翼やロケットのことを考えていたので、どろちゃんの頭の中では、まだ部品表が半分ほど開いていました。すると、技師さんの一人が言いました。
――今日は、もう閉じていいよ。クリスマスだからね。
「技師さんたちも、お休みするの?」
――歌を聞くくらいはするよ。ロケットは逃げないから。
食事のあと、家族と使用人たちは、そろって賛美歌を歌いました。どろちゃんも一緒に歌います。
賛美歌が終わると、どろちゃんは少し考えてから、もう一つ歌ってみることにしました。タドポール君が飛ぶとき、ときどきうれしそうに歌っている、あのプライマリーの歌です。
この世界では、まだ誰も知らない歌でした。それでも旋律は明るく、言葉も難しくありません。最初はどろちゃん一人でしたが、やがてお母様が小さな声で合わせ、使用人の子どもたちも覚えたところから歌い始めました。
歌の意味をすべて理解している人はいません。それでも、クリスマスの夜にみんなで歌うには、よく似合っていました。
丘の用具置き場では、タドポール君も静かに聞いていました。
『どろちゃんが歌ってる。』
「あなたがいつも歌うから、覚えたの」
『上手だよ。』
「着陸の採点より甘いね」
『歌は、右の車輪から着かないもの。』
タドポール君は、なかなかもっともなことを言いました。
こうして子爵家のクリスマスには、昔からの賛美歌のあとに、誰も知らなかった新しい歌が一つ加わったのでした。
翌朝、技師さんたちは、新しい機体の離着陸方法について話していました。作業はまだ始まっていませんから、声はいつものやさしい調子です。
――ロケット機では、離陸に車輪付きのドーリーを使って、着陸はそりにする方法がよくあるよ。飛び上がったら車輪を地上へ置いていけるから、軽くできるんだ。
「でも、それでは飛んでいった先から離陸できないよ」
――着陸地へ、先に別のドーリーを運んでおけばいいんだけれど。
「この世界では、誰が運ぶの?」
技師さんたちは、少し考えました。飛行場も輸送隊もない世界です。知らない土地へ降りたどろちゃんが、そりの付いた機体を引きながら、車輪を探して歩くことになります。
――それは、あまり楽しくないね。
「やっぱり、車輪がいるわ」
そして、その次の朝。
昨日までそりしかなかった胴体に、小さな車輪が付いていました。脚柱も格納扉もあります。説明書には、新しい一枚が増えていました。
Убираемое шасси
(ウビラーエマエ・シャシー。)
引込み式降着装置。
「付いたんだ……」
――仕様が変わったみたいだね。少し重くなるけれど、どこからでも帰ってこられる方がいいよ。
技師さんたちは、まるで最初から予定されていたように話しています。けれど昨日までは、誰もそんなことを言っていませんでした。
車輪は、飛び上がると脚柱ごと胴体の中へ収まり、扉が閉じます。知らない場所へ降りても、また自分の車輪で離陸できます。
「この子も、生きているのかな」
まだ完成していない機体は答えませんでした。けれど、どろちゃんが困っていると、翌朝には必要な脚が生えていました。それはタドポール君のすり減ったタイヤが治るのと、どこか似ていたのでした。
それから、およそひと月。
領地の職人たちは、どろちゃんの図を見ながら、専用の作業棟と天井クレーン、発進用の案内路と門型クレーンを作りました。技師さんたちは頭の中から寸法を伝え、どろちゃんが図へ移します。職人たちは、どうして病み上がりのお嬢様がクレーン梁の曲げを気にするのか分かりませんでしたが、子爵様が止めませんので、きちんと作りました。
新しい機体では、可変後退翼が胴体へ取り付けられ、与圧区画の漏れを調べ、酸素装置と弁と計器を確認しました。操縦桿を動かし、補助翼、昇降舵、方向舵の角度を何度も合わせます。
ウォームと扇形ラックを動かすと、左右の翼が同じ速さでゆっくり後退しました。途中で動力を止めても、風圧で勝手には戻りません。
胴体の重心に近いところには、ロケットユニットを六本まで収める区画があります。完成したユニットは、低い運搬台車で作業棟へ運び、天井クレーンで一本ずつ吊り上げました。
――吊り具、固定。
――人を下へ入れるな。
――十センチ上げて停止。傾きを確認。
実際に二百五十キログラムが空中へ上がると、技師さんたちの声は、また短くなります。どろちゃんも、そのときには冗談を言いません。
燃料になるものは、南隣の領地にありました。最近、収穫したピーナッツへ大量のカビが生え、人にも家畜にも食べさせられず、倉庫には処分方法の決まらない袋が積まれていたのです。
どろちゃんのお父様は、それを安く引き取りました。
「これをどうするのだ」
「空へ持っていきます」
「ピーナッツを?」
「燃料にします」
お父様は、以前にも似たような答えを聞いたことがありました。
そして今回も、細かく尋ねないことにしました。
食べられなくなったピーナッツは、どろちゃんが技師さんたちの話を聞きながら、専用の場所でペーストにしました。届いた酸化剤とは、説明書に書かれた順序でだけ扱います。余ったから少し足す、ということはしません。料理なら味見ができますが、ロケット燃料で味見をする人は、たぶん二度目を作れません。
出来上がった材料は、中央へ星形の空間が残る専用の型を使い、燃料筒へ収められました。切り口を見ると、真ん中にきれいな星が見えます。
「かわいいね」
――燃える面積を、最初から最後まで都合よく変えるための形なんだよ。
「でも、かわいいものはかわいいよ」
――うん。それは否定しない。
こういうとき、技師さんたちは少しだけデレます。ほんの少しです。
技師さんたちは、カビ付きピーナッツから作った燃料を「アフラ君」と呼んでいます。正式名称ではありません。呼びやすかったので、そうなっただけです。
一本のロケットユニットには、およそ二百二十キログラムのアフラ君が入り、燃焼室とノズルを合わせると二百五十キログラムになります。一本は約三十秒燃えます。
南の伯爵様にとっては困りものだったピーナッツが、どろちゃんを空の薄いところまで押し上げることになりました。世の中には、役に立たない物があります。けれど、役に立たない場所へ置かれているだけの物も、かなり多いのでした。
胴体の下には、着脱式の中央パイロンも付きました。そこへ取り付ける細長い投下容器には、小さな安定翼とパラシュートが入っています。手紙だけでなく、薬、工具、食べ物も運べます。
――高速のまま落とすものではないよ。翼を広げて、十分に速度を落としてからね。
「お姉様へ、お菓子も送れる?」
――つぶれてもおいしい物なら、たぶん大丈夫。
技師さんたちは、荷物の内容については、航空力学ほど厳密ではありませんでした。
操縦盤には、一から六までの番号を刻んだ回転式セレクターと、赤い点火ボタンが一つだけ付きました。
――どのロケットを使うか選ぶ操作と、火をつける操作は分けてあるよ。いっぺんに六本を起こすと、たいへん困るからね。
セレクターは一度に一つの回路しか選べません。リレーも、ほかの点火回路を遮断します。そのうえで機体の制御が、翼の位置、姿勢、速度、直前の燃焼終了を確かめ、危険なら点火ボタンの要求を受け付けません。
「機体が止めてくれるなら、セレクターだけでもいいのでは?」
――安全装置は、別の安全装置があるから省くものではないよ。どろちゃんを信用していないのではなく、接点と配線を信用しすぎないためなんだ。
たいへん電気技師らしい答えでした。
ロケットユニットは最大六本です。
「行きに二本、帰りに二本、残り二本は予備かな」
――遠くへ行って、別の場所へ降りるなら、それでいいよ。同じ場所へ戻るなら、六本すべてを上昇と加速へ使える。帰りは、高さを使って滑空できるからね。
「高度は、貯めておける道なのね」
――うん。よい言い方だと思うよ。
離陸方法は、タドポール君とは反対でした。
タドポール君は丘の斜面を下って速度を得ます。新しい機体は、斜面の下から丘の上へ向かう発進用スレッドに載せられます。翼をいっぱいに広げ、一番目のロケットへ点火して坂を駆け上がる。舵が効く速さになるとスレッドから離れ、脚を引き込み、速度が出たら翼を後ろへたたむ。そして二番目へ点火します。
手順を練習するとき、技師さんたちの声は、また作業の声になりました。
――翼、前進。
――一番、選択。点火。
――離陸。脚、格納。
――翼、後退。二番、選択。点火。
そして、初飛行の日が来ました。
初飛行では、六本ではなく、二本だけを積みました。二本なら機体も軽く、離陸しやすくなります。ロケットユニットは重心の近くへまとめられているので、燃料が減っても機体の釣り合いは大きく変わりません。
二本のユニットを天井クレーンで積み込むあいだ、技師さんたちは短い声で手順を伝えました。積み込みが終わり、点火回路を切ったまま機体を発進場所へ運ぶと、声はまたやさしくなりました。
――二本で十分だよ。今日は、高く行くことより、帰ってくるところまでが試験だからね。
「身体が浮くところも試す?」
――一番目が燃え終わったら、操縦桿を少し前へ押して、昇降舵を下げてみるといいよ。翼の上向きの力を抜けば、機体もどろちゃんも同じように落ち始める。身体が浮くよ。面白いと思う。
技師さんが「面白い」と言いましたので、それは初飛行の試験項目へ、きちんと入ることになりました。
門型クレーンで、機体は発進用スレッドの受け台へ載せられました。自分の車輪は引き込み、胴体の丈夫な部分を受け台へ合わせます。発進用スレッドは斜面の案内路を走り、機体が浮けば地上へ残ります。知らない場所から出発するときだけ、自分の車輪を使えばよいのです。
どろちゃんは与圧された操縦席へ乗り込み、気密扉を閉め、腰と肩のベルトを締めました。頭を座席の背へしっかり付けます。
操縦盤のセレクターは「安全」にあります。今日は二本だけなので、一番と二番の表示灯だけが光り、三番から六番までは暗いままでした。
発進の準備が始まると、技師さんたちの声から、また余分な言葉が消えました。
――気密、正常。
――翼、前進位置。
――操縦翼面、異常なし。
――進路上、異常なし。
――頭、背もたれ。操縦桿を保持。
どろちゃんは、セレクターを一番へ回しました。一番の灯が明るくなり、点火可能を示します。
――一番、選択。ほかの点火回路、遮断。
発進用スレッドのブレーキを解除しました。後ろ側の車止めは、そのままです。機体は坂を上る方向へ進みますから、発進を妨げません。
「一番、点火します」
どろちゃんは赤い点火ボタンを押しました。
一瞬だけ、何も起きませんでした。
次の瞬間、背中全体が座席へ押しつけられました。ロケットが点火したのです。
発進用スレッドは、火を噴く機体を載せて斜面を登り始めました。走るというより、丘の上へ向かって投げ出されたような加速です。
タドポール君のジェットエンジンは、速度が増すまで少し待ってくれました。この子は待ちません。点火したときから本気です。
「速い!」
――操縦桿を引きすぎるな。
――速度を使え。姿勢を保て。
三秒ほどで、翼が機体を持ち上げました。発進用スレッドだけが案内路へ残り、新しい機体は地面を離れます。
後ろを見るための鏡には、子爵家の屋敷と丘が映っていました。
それらは、たいへんな速さで小さくなっていきます。
十秒ほどで、一番低い雲へ入りました。窓の外が白くなり、ほんの短い間だけ何も見えなくなります。
そして雲を抜けると、上には青い空、下には白い雲の平原がありました。
――速度、十分。翼を後退位置へ。
どろちゃんが操作すると、ウォームが回り、左右の翼が同じ速さで後ろへたたまれていきます。広い翼を持つ小鳥の姿から、速く飛ぶための細い姿へ変わりました。
点火から、およそ三十秒。ずっと背中を押していた力が、突然なくなりました。一番のロケットが燃え尽きたのです。
――一番、燃焼終了。
――昇降舵、少し下げる。荷重を抜け。
どろちゃんは、技師さんに教えられたとおり、操縦桿を少し前へ押し、昇降舵を下げました。翼が身体を持ち上げる力が小さくなり、機体は弾道飛行の状態へ入ります。
その途端、どろちゃんの身体が、座席からふわりと浮きました。
肩のベルトが身体を引き留めます。操縦席に置いてあった鉛筆も、目の前へ浮かびました。
「ほんとうに浮いた!」
――面白いだろう?
技師さんの声は、もう指示ではありませんでした。
「うん。でも、ベルトがなかったら天井へ行っていたね」
――だから締めたんだよ。
教科書で読むより、たいへん分かりやすい授業でした。
どろちゃんは操縦桿を戻して荷重を回復し、セレクターを二番へ回しました。二番の灯が明るくなります。
――姿勢、正常。翼後退、確認。二番、点火してよい。
「二番、点火します」
赤いボタンを押すと、また背中が座席へ押しつけられました。二本目のロケットが点火し、機体はさらに加速します。青かった空は、少しずつ濃い色へ変わっていきました。
飛び立ってから一分少し。どろちゃんは、このあたりで一番高い雲よりも、ずっと上まで来ていました。
やがて二本目も燃え尽きました。
――二番、燃焼終了。
――昇降舵、少し下げる。
今度は、どろちゃんも慣れています。操縦桿を前へ押すと、身体はもう一度ふわりと浮きました。鉛筆も、同じ場所へ戻ってきます。
「おかえり」
鉛筆は返事をしませんでしたが、たいへん上手に浮いていました。
計器を見ると、速度はマッハ一・六ほど。高度は一万二千メートルです。
「音より速いんだ……」
――音速を越えるところは面白いと言っただろう?
「ずっと押されていたから、いつ越えたのか分からなかった」
――次は、計器と空気の変化をよく見てごらん。
「うん。今度はよく観察する」
初飛行の最中に、もう次の飛行が決まりました。技師さんたちは、そのことをたいへん喜んでいるようでした。
ところで、この新しい機体には、まだ名前がありません。
小さくて、かわいくて、翼を広げたり閉じたりします。そのとき、どろちゃんの頭へ一つの言葉が浮かびました。
Птичка
(プチーチュカ。)
小鳥。
「プチーチュカちゃん。小鳥ちゃん」
どろちゃんが呼びかけると、新しい機体が初めて答えました。
『はい、どろちゃん。』
タドポール君とは少し違う、澄んだ声でした。
「あなた、プチーチュカちゃんでいい?」
『その名前が好きです。』
「では、帰るよ」
『はい。ずいぶん高いところまで来ました。』
プチーチュカちゃんは、滑空しながら速度を落としていきました。マッハ一・二。マッハ一。そしてマッハ〇・七ほどになり、動圧も安全な範囲へ下がったとき、どろちゃんが操作する前に翼が動き始めました。
後ろへたたまれていた翼が、ゆっくり前へ広がっていきます。
「自動なの?」
『この速さでは、広い方がよく飛べます。』
――高速では後退、低速では前進。操縦者が忘れても、機体が必要な形を選ぶよ。
「忘れないよ」
『初飛行では、いろいろありますから。』
プチーチュカちゃんも、なかなか慎重な機体でした。
翼を広げると、降下は穏やかになりました。雲の切れ間から、川、町、畑、子爵家の丘が少しずつ大きくなってきます。
どろちゃんは引込み脚を下ろしました。今度は発進用スレッドではなく、自分の車輪で草地へ降ります。
――脚、下げ。三緑灯。
――横風、わずか。速度を落とせ。
――接地後、強くブレーキを踏むな。
主脚、前脚の順に草へ触れ、プチーチュカちゃんは静かに止まりました。
――初飛行、合格。
少し間を置いて、別の技師さんが言いました。
――ちゃんと帰ってきたね。えらい。
作業が終わると、技師さんたちの声には、ちゃんとやさしさが戻ります。
どろちゃんは風防を開ける前に、簡単な着陸後点検を始めました。左側の点検蓋を開くと、内側に小さな金属の銘板があります。
АНТОНОВ
(アントノフ。)
アントノフ。
ПТИЧКА
(プチーチュカ。)
小鳥。
РАКЕТНЫЙ ПЛАНЁР
(ラケートヌィ・プラニョール。)
ロケット・グライダー。
「名前が書いてある……」
『はい。プチーチュカです。』
「最初から書いてあったの?」
『どろちゃんが呼んだので、そうなったのだと思います。』
「あなたも、よく分からないの?」
『自分の銘板は、飛びながら見えませんから。』
飛行機にも、自分で確認しにくいことはあるようです。
風防を開けると、家の方から人々が走ってきました。先頭はお母様でした。
「どろちゃん!」
「ただいま帰りました」
お母様は、どろちゃんの肩を確かめ、手を確かめ、顔を確かめました。娘というものは、空から帰ってきても、まず全部そろっているか確認されるものなのです。
「あなた、火を噴きながら丘を駆け上がったと思ったら、すぐに見えなくなってしまったのよ」
「はい」
「それから少しして、空から、どかーん、と大きな音がしたの」
「はい」
「『はい』ではありません。みんな、何かが爆発したのだと思ったのですよ」
お母様の後ろでは、使用人たちもうなずいていました。お父様は腕を組み、心配していなかったような顔をしています。けれど、ずっと空を見上げていたことは、靴に付いた草を見れば分かりました。
「プチーチュカちゃんが壊れた音ではありません。たぶん、わたしが音より速くなったときの音です」
「音より速く?」
この世界には、まだ音速を測った人も、音速を越えた人もいません。越えた人は、いま目の前に一人います。
どろちゃんは、どう説明すればよいか少し考えました。頭の中では、技師さんがたいへん正確な説明を始めようとしています。
――局所音速を超過すると、圧力の変化がマッハ円錐を作って――
「それでは、お母様には分かりません」
――では、やまびこで話すといいよ。
今度の技師さんは、話が早い人でした。
「お母様、山へ向かって声を出すと、少しあとから声が戻ってきますね」
「ええ。やまびこですね」
「声は、出した瞬間に遠くまで届くのではなくて、空気の中を進みます。プチーチュカちゃんは、その声より速く飛びました。機体が先に行って、音があとから地上へ届いたのです」
「それが、あの大きな音ですか?」
「はい。音より速くなるときには、地上で大きな音に聞こえることがあります」
――厳密には、もう少し補足したいけれどね。
――お母様への最初の説明なら、それで十分だよ。
技師さんたちにも、説明する相手に合わせる程度の常識はあります。いつもあるとは限りませんけれど。
「では、爆発したのではないのね」
「はい。それより、ロケットが燃え終わったとき、身体が浮いたのです」
どろちゃんは、うれしそうに説明しました。
一番目が燃え尽きたところで、昇降舵を下げて翼の上向きの力を抜いたこと。すると身体が座席から離れ、鉛筆も目の前へ浮いたこと。二番へ点火すると、また座席へ押しつけられたこと。そして二本目が燃え尽きると、もう一度ふわりと浮いたこと。
「シートベルトがなかったら、頭を天井にぶつけていました」
「まあ!」
同じ「まあ」でも、最初の「まあ」と、頭を天井へぶつける「まあ」では、少し意味が違います。
お母様も使用人たちも、最初は心配そうに聞いていましたが、どろちゃんがあまりに楽しそうなので、やがて笑い始めました。
お父様は、プチーチュカちゃんの翼を見ながら尋ねました。
「それほど速いなら、東の伯爵領までは、どのくらいかかるのだ」
東の伯爵領には、どろちゃんのお姉様が住んでいます。山を越え、大きな川を渡り、馬車なら長い時間のかかる場所です。
どろちゃんと技師さんたちは、少し計算しました。
――上昇と降下を含めて、だいたい十分くらいだね。
「お姉様のお城までなら、十分くらいです」
お父様はプチーチュカちゃんを見て、東の山を見て、もう一度プチーチュカちゃんを見ました。
「十分か」
「急ぐお手紙なら、すぐに届けられます。下のパイロンへ、パラシュート付きの容器も付けられます」
タドポール君でも十分に速かったのですが、プチーチュカちゃんは、速いという言葉の使い方を変えてしまいました。
「だが、何を燃やして、そんな速さを出しているのだ」
「ピーナッツです」
「ピーナッツ」
「食べられなくなったカビ付きピーナッツをペーストにしたものです。技師さんたちは、アフラ君と呼んでいます」
――正式名称ではないよ。呼びやすいから、そう呼んでいるだけ。
――アフラ君は、よく燃えたね。
最後の技師さんは、少しアフラ君を気に入ったようでした。
「箱に入っていた酸化剤と合わせて、ロケットの中へ収めます。
一本が三十秒くらい燃えます」
「三十秒で、雲より高く行くのか」
「二本使いましたから、全部で一分くらいです」
「そして十分で伯爵領か」
「はい」
南の伯爵領では、カビ付きピーナッツが大量に発生し、処分に困っています。東のお姉様の城までは、馬車なら遠い道のりです。
ところが、そのピーナッツをどろちゃんへ渡すと、十分後には東の城へ着いてしまいます。
世の中には、困りものを片づける方法がいろいろあります。燃やす。埋める。捨てる。
けれど、ペーストにして十五歳の女の子を音より速く飛ばす方法を知っているのは――この世界では、いまのところ子爵家だけなのでした。
◇ ◇ ◇
第七章の小さな説明
プチーチュカちゃんの仕様
以下は、物語中の飛行を物理的に成立させるための仮仕様です。神様から届いた機体ですので材料技術には少し余裕がありますが、運動そのものは、できるだけ普通の力学に従わせています。
機体名:Птичка(プチーチュカ/小鳥ちゃん)
形式:単座・与圧式・可変後退翼ロケット・グライダー
全長:約7.5 m
翼幅:展開時約9.0 m、後退時約5.2 m
翼面積:約17 m^2
飛行準備質量:ロケットユニットを除き約900 kg。どろちゃん、与圧装置、引込み脚を含みます。
ロケットユニット:1本約250 kg。うち推進剤約220 kg、燃焼室・ノズルなど約30 kg。
推力と燃焼時間:1本約20 kN、約30秒。
搭載数:最大6本。原則として1本ずつ順番に点火します。
初飛行時質量:2本搭載で約1,400 kg。2本燃焼後は約960 kg。
6本満載時質量:約2,400 kg。6本燃焼後は約1,080 kg。
初飛行到達値:連続60秒燃焼、高度約12,000 m、最大速度約マッハ1.6。
降着装置:引込み式車輪。母基地では、上り勾配の発進用スレッドも使います。
貨物設備:胴体中心線の着脱式パイロン1基。パラシュート付き投下容器は約60 kgまで。
点火操作:「安全-1-2-3-4-5-6」の回転式セレクターと、共通点火ボタンの二段構成です。
離陸が三秒ほどで成立する理由
初飛行時の質量を約1,400 kg、1本目の推力を約20 kNとします。推力だけによる加速度は、
a = F / m
= 20,000 N / 1,400 kg
≒ 14 m/s^2
です。
上り勾配に沿った重力の成分と、発進直後の空気抵抗を差し引くと、実際の加速度はおよそ12 m/s^2前後になります。三秒後の速度と走行距離は、
v = a t ≒ 12 × 3 = 36 m/s
s = (1/2) a t^2 ≒ (1/2) × 12 × 3^2 = 54 m
となります。
翼面積が約17 m^2なら、初飛行時の離陸速度を約30 m/sに設定できるため、「三秒ほどで地面を離れる」という描写が成立します。
六本満載では質量が約2,400 kgになるので、同じ1本点火でも離陸滑走は長くなります。発進用案内路を120~150 m程度用意しておけば、一度に複数を点火しなくても離陸できます。
二本で高度12 km・マッハ1.6へ届く理由
1本の推進剤を約220 kg、燃焼後に残る燃焼室・ノズルを約30 kgとすると、2本搭載時の質量は約1,400 kgから約960 kgへ減ります。高性能な固体ロケットとして無理のない有効排気速度を仮定すると、二本から得られる理想的な速度増分は約1,000 m/sです。
上昇中の重力損失と空気抵抗を差し引いても、高度12 kmで約470 m/s、この高度ではおよそマッハ1.6へ達する余地があります。
ロケットユニットは機体の重心近くへ密集して置き、番号順も左右・上下の偏りが小さくなるよう交互にしています。そのため燃料が減っても、操縦で打ち消せる程度の小さな釣り合い変化しか生じません。搭載本数を減らして飛ぶこともできます。
身体が浮く理由
ロケットが燃え尽きただけでは、翼が1 G分の揚力を出しているかぎり、どろちゃんは座席へ押しつけられたままです。
そこで、一番目と二番目の燃焼終了時に、どろちゃんは操縦桿を少し前へ押し、昇降舵を下げます。迎角を減らして翼の上向きの力をほぼ抜き、機体を弾道飛行の状態へ入れるのです。機体とどろちゃんが同じ軌道で落ち始めるため、操縦席の中では数秒間、身体や鉛筆が浮きます。
技師さんから「面白いよ」と聞いたので、どろちゃんは初飛行で二度とも試しました。安全上必要だからではなく、面白そうだから試すところが、どろちゃんらしい部分です。ただし、シートベルトは安全上必要です。
可変後退翼と自動制御
低速では翼を広げ、離着陸と滑空に必要な揚力を得ます。高速では翼を後ろへたたみ、抵抗と構造荷重を減らします。
帰路では、速度が約マッハ0.7以下になり、さらに動圧が制限値を下回ったところで自動展開します。速度だけでなく動圧も見るため、低空で無理に翼を動かすことはありません。
点火ボタンは、点火器へ直接電気を送るスイッチではなく、選択したロケットの点火を機体へ要求する操作です。回転式セレクターの機械的な単一選択、リレーの相互鎖錠、プチーチュカちゃんの飛行制御による許可判定を重ねています。
機体が間へ割り込んで危険な点火を止めてくれるからといって、機械的な安全装置を省かないところが、技師さんたちらしい設計です。
六本を使った場合
六本を同時に点火することはありません。一本ずつ順番に使った場合、計算上の理想速度増分は約2.2 km/sになります。実際には重力と抵抗で減りますが、飛行経路によっては高度30~50 km、最高速度マッハ3級へ入る可能性があります。
与圧、空力加熱、操縦性の試験が必要ですので、初飛行では二本だけにしました。遠くへ行って着陸するなら、行きに二本、帰りに二本、二本を予備にできます。同じ場所へ戻る飛行なら、六本を上昇と加速へ使い、帰りは得た高度を使って滑空できます。
地上設備
一本250 kgのロケットユニットを安全に積むため、専用作業棟には1トン級の天井クレーンを置きます。材料の調製、完成ユニットの保管、機体への積込みは、同じ部屋で行いません。
機体を発進用スレッドへ載せる場所には、5トン級の門型クレーンを置きます。スレッドは、舵が効く速度まで機体の方向を安定させます。
タドポール君は丘の上から下へ、プチーチュカちゃんは丘の下から上へ。二機は飛び方だけでなく、地上で必要とする設備まで正反対になりました。




