06空に近いほど偉いのです
このところ、子爵領の畑は、たいへんご機嫌でした。
小麦はよく実り、果樹園の枝は、果物の重さで少し困った顔をしています。
去年と同じ畑で、去年と同じ人たちが働いているのに、収穫は目に見えて増えていました。
それだけなら、農地の管理人が急に名人になった、というお話です。
ところが、変わったのは畑だけではありません。
近くの領地で熱を出す人が増える季節にも、子爵領では病人が少なくなりました。
病気になる人が一人もいないわけではありません。
ただ、ひどく寝込む人が少なく、治るのも少し早いのです。
医師は首をかしげ、農地の管理人も首をかしげました。
首をかしげる人が増えても、小麦の収量は増えません。
そこで、どろちゃんが調べることになりました。
「ねえ、技師さんたち。どうして、うちの領地だけ変わってきたの?」
飛行機のことなら、技師さんたちはすぐに答えます。
けれど、畑と病人については、少し相談が必要でした。
――どうやら、この世界では、高さが階級になっているみたいだよ。
「高さが?」
――地面に近いものは低くて、空に近いものは高い。
――昔のヨーロッパの貴族が考えた上下関係を、この世界は本気にしてしまったらしいね。
どろちゃんは、しばらく窓の外を見ました。
丘の上には子爵家のお屋敷があります。
その丘から、どろちゃんは何度も空へ上がりました。
高く飛び、領地の上を回り、また同じ丘へ帰ってきます。
「私が空へ行くから、領地まで偉くなっているの?」
――たぶん、そうだと思うよ。
――一度だけではなくて、飛ぶたびに少しずつ積み重なっているみたいだね。
この世界の身分は、たいへん働き者でした。
人間が忘れても、飛んだ回数まで、きちんと覚えているようです。
どろちゃんは、お母様にも尋ねてみました。
「お母様。地面に近いものは偉くなくて、空に近いものほど偉いのですか?」
お母様は、なぜ娘が急に世界の身分について尋ねるのか、不思議そうにしました。
けれど、答えはすぐに返ってきました。
「昔から、そう考えられていますよ」
「お城の塔も?」
「もちろんです。高い塔のあるお城は、遠くからでも立派に見えるでしょう」
先日、お手紙を届けたお姉様の住むお城にも、高い塔がいくつもありました。
見張りにも便利ですが、便利なだけなら、あれほど飾る必要はありません。
塔は、高いところにいる人が偉いのだと、町中へ知らせる建物でもあったのです。
「食べ物にも、偉いものがあるの?」
「ありますよ」
空を飛ぶ鳥は、高いところへ行きます。
そのため、キジやヤマウズラのような鳥料理は、祝いの席や上席にふさわしい料理と考えられていました。
ブドウは、地面から持ち上がった蔓に実ります。
その中でも貴腐ブドウから作るワインは、たいへん偉い飲み物です。
「レベルが高いのね」
「そのレベルという言葉は分かりませんが、とても高貴な酒ではありますね」
大麦から作るビールは、ふつうです。
穂は地面より上にありますが、空を飛ぶわけではありません。
そして、芋は土の中にあります。
芋から作った蒸留酒は、よくできた酒であっても、偉い酒とは考えられません。
どろちゃんには、貴族の食卓が高度計に見えてきました。
午後になると、技師さんたちは魚についても教えてくれました。
――深い海の海面近くを泳ぎ続ける回遊魚は、かなり高いみたいだよ。
「海面は、どこでも同じ高さでしょう?」
――海底から測るらしいよ。
深さ五千メートルの海で、海面近くを泳ぐ魚は、海底から五千メートル近いところにいます。
しかも、沈まないように自分で泳ぎ続けています。
この世界は、高さだけでなく、そこへ行くためにどれだけ働いたかまで見ているようです。
「では、クラゲも偉いの?」
――クラゲは、それほどでもないみたいだね。
「海面近くにいるのに?」
――水に支えてもらっているからだと思うよ。
なかなか厳しい採点でした。
「ヒラメは?」
――海底にいるからね。
「やっぱり偉くないのね」
――この世界の計算では、そうなるみたいだよ。
その日の夕食には、ヤマウズラのローストと、ヒラメのムニエルが並びました。
ヤマウズラは、空を飛ぶ偉い料理です。
ヒラメは、海底にいる偉くない料理です。
どろちゃんは、まずヤマウズラを食べました。
たいへんおいしい料理でした。
次に、ヒラメを食べました。
こちらも、たいへんおいしい料理でした。
どうやら、世界の階級と料理人の腕は、別々に働いているようです。
バターと香草は、魚の身分を尋ねませんでした。
夜になり、どろちゃんはベッドへ入りました。
窓からは、星と、お屋敷の小さな塔の影が見えています。
丘の用具置き場では、タドポール君も休んでいました。
「もっと高く飛んだら、領地はもっと変わるのかな」
――その可能性は高いと思うよ。
――ただ、タドポール君は長く滑るための機体なんだ。空気の薄いところへ駆け上がるための機体ではないからね。
「では、別のものを作るの?」
技師さんたちの声が、少し楽しそうになりました。
設計者というものは、難しい注文を出されると、困る前に図面を描き始めることがあります。
――もうすぐクリスマスだね。
「誕生日には、タドポール君が届いたけれど」
――クリスマスにも、贈り物をお願いしてみようか。
「何を?」
――薄い空気の中で息をするためのもの。
――高い速度に耐えるもの。
――翼の形を変えるためのもの。
――それから、タドポール君より、ずっと強い推進装置がほしいね。
どろちゃんの頭の中で、何枚もの図面が開き始めました。
細い胴体。
動く翼。
しっかり閉じた操縦席。
そして、見たことのない形の噴射口。
「それ、クリスマスの箱に入るの?」
技師さんたちは答えませんでした。
入るかどうかより、どこへ置くかを考えた方がよさそうです。
どろちゃんは、空のもっと上へ行く贈り物を楽しみにしながら、目を閉じました。
ただ一つ、まだ知らなかったのは――
神様とアントノフの技師さんたちが、「もっと高く」を、お城の塔より少し高いくらいには考えていなかったことでした。
◇ ◇ ◇
第六章の小さな説明
この世界では、かつてのヨーロッパ貴族社会にあった「上にあるものほど高貴で、下にあるものほど身分が低い」という考えが、実際の世界法則として働いています。高い塔のある城や、空を飛ぶ鳥を用いた料理が立派なものとされる習慣も、その法則を人々が経験的に感じ取った結果です。
レベルは一時的なものではなく、少しずつ蓄積します。また、ただ高い場所に運ばれるだけより、自分の力で上がり、高さを保とうと活動する方が大きく評価されます。そのため、水に浮かされるクラゲより、深い海の表層を泳ぎ続ける回遊魚の方が高いレベルになります。海底で暮らすヒラメは低く評価されますが、レベルと味は別です。
どろちゃんは子爵家の娘として領地の丘から離陸し、領地の上を飛び、同じ場所へ帰る飛行を繰り返しています。その記録が領地へ積み重なり、作物の収量や人々の健康へ少しずつ表れ始めました。
クリスマスの贈り物について、技師さんたちはまだ名前を教えてくれません。ただし、薄い空気、高速、動く翼、強い推進装置という言葉から、タドポール君よりはるかに高い場所を目指していることだけは分かります。




