59お弁当はもう飛んできません An-72チェブラーシカ登場 フランソワさんコウノトリさんで単独飛行 3000m滑走路完成
フランソワさんが単独飛行できるようになったり、チェブラーシカがきたり、3000m滑走路ができたり。大きな出来事がある回です。
第59章 お弁当はもう飛んできません
秋になると、新しい滑走路の工事はずいぶん楽になりました。
夏のあいだは、地面からも空からも熱が来ます。
測量する人も、型枠を組む人も、ローラーに乗る人も、少し休んだだけではなかなか体が冷えませんでした。
それが秋になると、朝はむしろ上着が欲しいくらいの日まであります。
どろちゃんは、ほとんど毎日、新しい滑走路へ行きました。
もちろん、毎日スコップを持って泥だらけになるわけではありません。
そこまでやったら、夕方には貴族令嬢ではなく、よく働いた土木作業員さんが一人出来上がります。
どろちゃんが見るのは、工事そのものです。
路床の高さ。
排水。
締固め。
セメントを混ぜて安定させた路盤。
その上へ載せるアスファルト。
端の処理。
水が溜まりそうなところ。
重機の通った跡。
昨日直したところが、今日どうなっているか。
そして、ときどき、どうしても気になって機械にも乗ります。
「今日は見るだけでございますね」
朝、フランソワさんが念を押しました。
「うん」
「昨日も同じことをおっしゃいました」
「昨日は、ちょっとだけ」
「ロードローラーにお乗りになっておられました」
「見るため」
「上からでございますか」
「よく見えるよ」
フランソワさんは、もうその話を続けませんでした。
問題は、そこへ行く方法でした。
新しい滑走路は、古い飛行場から見ればそれほど遠くありません。
三キロほどです。
でも、そのあいだには低い土地があります。
道路があります。
用水路があります。
工事中のところもあります。
歩けば面倒です。
馬車で回ればもっと面倒です。
なので、どろちゃんは飛びました。
Аист(アーイスト。コウノトリ。)です。
旧飛行場から離陸して、すぐ新しい滑走路の工事現場へ降ります。
飛行時間だけ考えると、なんだか申し訳ないくらい短い距離です。
でも、飛行場から飛行場へ行くのです。
それがいちばん早いのでした。
お昼も飛んできました。
ホテルのレストランで作った作業員さんたちのお弁当を、コウノトリちゃんへ積みます。
パン。
肉料理。
煮込み。
野菜。
果物。
その日によって少しずつ違います。
ホテルの人たちは、大きな会議や祝宴で何十人分、何百人分と料理を作ることに慣れていました。
工事現場のお弁当くらいなら、もう特別な仕事ではありません。
「今日は何かな」
どろちゃんが箱をのぞこうとすると、
「お嬢様の分もございますから、現場に着いてからになさいませ」
フランソワさんに止められます。
「見るだけ」
「先ほども聞いた言葉でございます」
「食べないよ」
「では、現場で」
「はーい」
新しい滑走路へ降りると、作業員さんたちが慣れた手つきで弁当箱を運び出します。
誰も不思議そうな顔をしません。
昼食が飛行機で来る生活に、みんな慣れていました。
*
滑走路の横では、もう一つの工事も進んでいました。
鉄道です。
旧飛行場と新しい飛行場を結ぶ、約三キロの連絡線。
こちらはフランスの鉄道とは少し違います。
架線はありません。
線路の横に、電気を取るための第三軌条があります。
直流六百ボルト。
飛行機の周囲に架線柱や電線を立てたくなかったからです。
線路は単線でした。
本当なら複線にしてもよかったのです。
でも、フランスではストラスブールから西へ鉄道を延ばしていて、まだレールが足りません。
そもそも数年前まで、そんなレールはどこにも存在しなかったのです。
鉄を作る。
品質を揃える。
圧延する。
レールにする。
それを今、工場が必死で増やしている最中でした。
そんなところから分けてもらったレールを、エルレンフェルトだけ複線分使うのは、どろちゃんにも少し気が引けました。
「単線でいいよ」
そう言って始めた鉄道です。
ただし、路盤を今の単線区間だけしか造っていないわけではありません。
将来は、飛行場と倉庫と整備地区をぐるりと結ぶ単線の周回線にする予定です。
その線形に沿って、築堤や排水、道路との立体交差は先に造ってありました。
まだレールのないところまでです。
道路は下げません。
用水路も下げません。
鉄道の方を築堤で持ち上げます。
その下へ、大きめのボックスカルバートを入れました。
道路は元の高さのまま。
用水路も、流れていた高さのまま。
電車なら坂には強いので、鉄道側が上がったり下がったりした方が簡単です。
大きめに造ったカルバートは、もう別の使い方もされていました。
雨の日には、農家の人が荷車ごと入って雨宿りしています。
晴れた日には、藁や農産物を少し乾かしていることもあります。
作業の途中で腰を下ろしている人もいます。
「まだ電車来てないのに」
どろちゃんが言いました。
「便利なのでございましょう」
「うん」
鉄道はまだ敷いていないのに、鉄道の下だけ先に生活へ入っていました。
*
そして、ついに三キロの線路がつながりました。
小さな電車が、旧飛行場側のホームに停まっています。
扉は手動です。
自動扉なんて付けません。
公共交通ではありませんし、乗るのは飛行場の関係者ばかりです。
構造はなるべく簡単な方がいいのです。
走行そのものは、自動化できます。
終点へ入って止まれば、次に走る方向へ切り替える。
少し待って、反対方向へ戻る。
当面の単線区間を一編成だけで往復するなら、それで十分です。
でも、運転士さんは乗ります。
これから鉄道が増えるなら、運転する人も増やさなければなりません。
自動で走れるから人が要らない、ではなく、自動で走れる簡単な線で、まず人を育てます。
旅客車の後ろには、貨車もあります。
人。
工具。
部品。
荷物。
郵便。
お弁当。
全部、これからは鉄道で運べます。
「じゃあ、今日からお昼は飛んでこない?」
作業員さんの一人が聞きました。
「うん。電車で来るよ」
「なんだか普通になりましたね」
「今までがおかしかったんだよ」
どろちゃんが言うと、周りで何人か笑いました。
三キロ先の昼食を毎日飛行機で運んでいたのです。
たしかに、今までの方がおかしかったのかもしれません。
発車しました。
バチン。
床下で大きな電磁接触器が動きます。
グオーン。
電動機と、車輪へ力を伝える平歯車の音が響きます。
静かな乗り物ではありません。
でも、ちゃんと走ります。
第三軌条から六百ボルトを受け、抵抗を順番に抜きながら速度を上げます。
三キロなので、すぐ着きます。
「早い」
どろちゃんが言いました。
「飛行機より準備が少なくて済みますね」
フランソワさんが答えます。
「うん。もうコウノトリちゃんで通わなくていい」
「コウノトリちゃんも、少し安心なさるかもしれません」
「お弁当運ばなくていいし」
「本来、そのための飛行機ではございませんから」
「便利だったけどね」
*
滑走路も完成しました。
三千メートル。
セメントで安定させた強い路盤の上に、黒いアスファルトがまっすぐ延びています。
端から端まで見ると、かなり遠いです。
「長いね」
「お嬢様がお決めになった長さでございます」
「そうだけど」
どろちゃんは滑走路の端へ目を細めました。
短くても飛べる飛行機はあります。
でも、短く飛べるからといって、いつも短く飛ばなければならないわけではありません。
長い滑走路があるなら、余裕を使えばいい。
たくさん燃料を積む。
余裕を持って加速する。
無理に短距離離陸をしない。
その方が、遠くへ行くには都合がいいのです。
滑走路工事が終わると、作業員さんたちは解散しませんでした。
「次、こっち」
どろちゃんが指しました。
格納庫予定地です。
大きな飛行機が来ます。
その前に、おうちを作らなければなりません。
*
鉄骨材は、もう届いていました。
ただし、完成した巨大なトラスが置いてあるわけではありません。
部材ごとに分かれています。
番号があります。
図面があります。
どことどこをつなぐか分かるようになっています。
「家具みたい」
どろちゃんは言いました。
頭の中で、技師さんの一人が笑いました。
『ずいぶん大きい家具だな』
「飛行機のおうち」
『それも家具ではないぞ』
「分かってるよ」
地上で鉄骨トラスを一本ずつ組みます。
滑走路工事で重機を扱っていた人たちは、そのまま格納庫建設へ回りました。
基礎。
両側のコンクリート壁。
外側には土を盛ります。
屋根を全部コンクリートにする必要はありません。
空から爆弾が降ってくる予定もありません。
必要なのは、雨と風から飛行機を守る大きな屋根です。
組み上がったトラスをクレーンで吊ります。
ゆっくり上げる。
所定の位置へ持っていく。
固定する。
また次。
その上へ、軽い屋根材を載せていきます。
巨大でした。
今までのみつばちちゃんの格納庫とは、まるで大きさが違います。
でも、作業そのものは、一つずつです。
届いた部材を組む。
持ち上げる。
固定する。
「できるものから作る」
どろちゃんが言いました。
「最近、そればかりでございますね」
フランソワさんが答えます。
「だって、できるから」
「はい」
フランソワさんも否定しませんでした。
*
格納庫を造っているあいだ、フランソワさんも別のことをしていました。
飛行訓練です。
今日が初めて操縦桿を握る日ではありません。
ずっと前から、コウノトリちゃんで少しずつ練習していました。
巡航中に操縦を預ける。
まっすぐ飛ぶ。
高さを保つ。
旋回する。
速度を合わせる。
スロットルを扱う。
ラダーを使う。
トリムを合わせる。
フラップを使う。
進入する。
着陸する。
どろちゃんが横にいる状態なら、もうかなりのことが出来ます。
周囲の地形も知っています。
いつも一緒に飛んでいましたから、領内の川、森、町、道、屋敷、飛行場がどちらにあるかは頭に入っています。
少なくとも、晴れた日に近所を飛んで迷子になるような段階ではありません。
そして、ある日。
「今日は、わたし乗らないよ」
どろちゃんが言いました。
フランソワさんは、少し黙りました。
「本日でございますか」
「うん。風もいいし、雲もないし」
「承知いたしました」
意外なくらい普通の返事でした。
どろちゃんの方が、少し落ち着きません。
フランソワさんは一人でコウノトリちゃんへ乗りました。
点検します。
座ります。
エンジンを始動します。
いつも隣にいた人が、今日は地上にいます。
滑走路へ出ます。
そして離陸しました。
どろちゃんは地上から見ていました。
高度を取ります。
旋回します。
飛行場の周りを一周します。
無理なことはしません。
いつも練習した通りです。
やがて進入してきます。
少しずつ高度を下げます。
車輪が地面へ触れました。
走ります。
止まりました。
どろちゃんは、そこまで見てからようやく息を吐きました。
コウノトリちゃんが戻ってきます。
フランソワさんが降りました。
「一人だった」
「はい」
「ほんとうに一人で帰ってきた」
「お嬢様が地上にいらっしゃいましたので」
「そうだけど」
フランソワさんは笑いました。
それから何度も、一人で飛びました。
晴れた日。
少し風のある日。
違う方向からの進入。
少し遠くまで。
離陸して、戻る。
だんだん、特別なことではなくなりました。
*
次は、Пчёлка(プチョールカ。ミツバチ。)の右席です。
単発のコウノトリちゃんとは違います。
機体が大きい。
重い。
エンジンが二つあります。
操作そのものだけでなく、見るものが増えます。
フランソワさんは、力学を数式で考える人ではありません。
どろちゃんのように、風や雲を見て、その原因から先を組み立てることもまだ出来ません。
でも、飛行機を飛ばすことは出来ます。
この音なら普通。
この振動なら普通。
この速度ならこの姿勢。
この風なら少しこちらへ。
そういうものを、体で覚えていきます。
「右、お願い」
「はい」
どろちゃんが言えば、フランソワさんが右席に座ります。
離陸。
上昇。
水平飛行。
旋回。
降下。
進入。
着陸。
最初はどろちゃんが多く触ります。
そのうち、フランソワさんが触る時間が増えます。
「そこ、少し早い」
「はい」
「今のはいい」
「はい」
「次、もう少しゆっくり」
「承知いたしました」
そうやって、何日も飛びました。
*
みつばちちゃんで訓練をしているあいだに、格納庫が完成しました。
大きな両側壁。
その外側の盛土。
何本も並んだ鉄骨トラス。
軽い屋根。
前面には大きな開口。
中には、まだ何もいません。
「広い」
フランソワさんが言いました。
「大きいの来るから」
「どのくらいでございますか」
「みつばちちゃんより、ずっと」
「この建物が必要なくらい」
「うん」
完成したその日は、空の格納庫をみんなで見ました。
翌朝。
*
どろちゃんたちが新しい格納庫へ行くと、扉は閉まっていました。
「昨日、何か入れました?」
「いいえ」
フランソワさんが答えます。
扉を開けました。
中にいました。
昨日まで何もなかった大きな格納庫の中央に、大きな飛行機が一機、きちんと収まっています。
大きな主翼。
高い尾翼。
そして、翼の上に載った二つの大きなエンジン。
正面から見ると。
耳です。
しかも、白ではありません。
どういうわけか、本当にチェブラーシカを思わせる色になっています。
どろちゃんは、しばらく黙って見上げました。
「……チェブラーシカ」
その名前を口にした瞬間でした。
今まで、ただそこに置かれていた大きな機械だったものが、急に近くなりました。
音がしたわけではありません。
灯りが点いたわけでもありません。
でも、分かりました。
いました。
心の中へ、今までなかった気配がつながります。
『……チェブラーシカ?』
初めて聞く声でした。
「うん。チェブラーシカ」
『わたし、チェブラーシカ』
どろちゃんは機体の鼻先を見上げました。
「神様」
少し間を置いて言いました。
「色までそうしなくても分かったよ」
もちろん、神様から返事はありません。
でも、チェブラーシカの方からは、なんとなく嬉しそうな感じが伝わってきます。
Чебурашка(チェブラーシカ。)。
An-72S系の要人輸送機です。
ただ人を乗せるだけではありません。
後ろにはランプがあります。
人も乗せられる。
荷物も載せられる。
必要なら座席配置も変えられます。
「これなら遠くまで行ける」
『遠く?』
「うん。あとでね」
どろちゃんが機体の周りを見ていくと、今度は別のものまで届いていることが分かりました。
五十キロリットルの燃料タンク。
整備用品。
工具。
地上支援用の器材。
消耗品。
「まとめて来た」
フランソワさんが言いました。
「格納庫昨日できたばっかりなのに」
「ご覧になっていたのでございましょうか」
「神様だからね」
燃料は、みつばちちゃんと同じ系統です。
新しい種類の燃料を、また一から用意する必要はありません。
そして、この機体にも、いつもの不思議がありました。
使えば摩耗します。
油も使えば劣化します。
フィルターも汚れます。
でも、一晩たつと戻ります。
摩耗は回復します。
劣化した油は、新品と同じ状態へ。
使用で汚れたフィルターも戻ります。
だからといって、点検しなくていいわけではありません。
異物が入っていないか。
何かを間違って付けていないか。
緩んでいないか。
壊していないか。
そういうことは、人が見なければなりません。
トイレも少し変でした。
使えば、当然汚物が出ます。
でも、それは残りません。
清水も、いつの間にか戻っています。
「……ここまで?」
どろちゃんは確認して言いました。
ただし、床の汚れは残ります。
便器の周りも、洗面も、使えば掃除が必要です。
神様は汚物処理と給水はしてくれますが、雑巾まで持って掃除してくれるわけではないようでした。
「皿は増えるのに」
どろちゃんは少し不満そうでした。
*
チェブラーシカが格納庫に現れたからといって、その日のうちに遠くへ飛んだりはしません。
まず、どろちゃんが覚えます。
地上で確認。
操縦席。
計器。
スイッチ。
燃料。
脚。
フラップ。
ブレーキ。
エンジン。
非常時の操作。
頭の中の技師さんたちも、今日はよくしゃべります。
『そこは先に確認しておこう』
『この機体は、みつばちちゃんとは違うぞ』
『重さも速度も違う。急がなくていい』
「分かってるよ」
『分かっている人が一番危ないときもある』
「やなこと言う」
『そういう仕事だからな』
最初は地上走行です。
三千メートルある滑走路を、全部使う必要はありません。
でも、短く済ませる必要もありません。
次に離陸。
出力を上げます。
大きな音です。
どろちゃんは、やっぱり低空で飛び回る飛行機ではないと思いました。
速度が上がります。
浮きます。
すぐに上昇します。
飛行場から離れ、集落の上を避けます。
十分な高度を取ってから、機体の感じを確かめました。
重い。
でも、鈍いわけではありません。
双発ジェットらしい加速。
大きな翼。
速度。
旋回したときの感触。
降下。
どろちゃんは、一つずつ確かめます。
STOL機ですが、今日は短距離着陸の練習をする日ではありません。
三千メートルあります。
普通に進入して。
普通に降りて。
余裕を持って止まります。
それでいいのです。
何度か飛びました。
高度を変えます。
速度を変えます。
重量の違いも確かめます。
フランソワさんは、まだ右席で見る方が多いです。
「大きいですね」
「うん」
「みつばちちゃんより、ずいぶん」
「でも、遠く行けるよ」
「どこまででございますか」
「パリも、ロンドンも、ライデンも、ウィーンも。もっと先も」
どろちゃんは少し考えました。
地図のずっと南。
大西洋と地中海がつながるところ。
まだ、空から見たことのない場所があります。
「そのうち、もっと遠く」
どろちゃんは言いました。
フランソワさんは、それ以上聞きませんでした。
滑走路の横では、連絡鉄道の電車が走っています。
バチン。
グオーン。
人と荷物と、今日のお弁当を載せて。
その向こうには、完成した大きな格納庫があります。
そして目の前には、チェブラーシカ。
夏には、まだ何もなかった土地でした。
秋になって。
三千メートルの滑走路が出来ました。
鉄道が出来ました。
格納庫が出来ました。
フランソワさんは一人で飛べるようになりました。
そして、どろちゃんはまた、少し遠くへ行けるようになりました。




