56貴族令嬢は撃たれてから一緒にお昼を食べます どろちゃんがマスケット銃で撃たれました
第56章 貴族令嬢は撃たれてから一緒にお昼を食べます
朝。
その日の仕事は、フランスの鉄道予定線の確認でした。
ルイ十四世から頼まれている、パリとストラスブールを結ぶ鉄道です。
ストラスブールから西へ。
サヴェルヌの先には、山を大きく回り込むのではなく、長いトンネルを通す案があります。
地図だけでは決められません。
谷の向き。
斜面。
川。
道路。
工事用の道を作れそうな場所。
掘った土や石を置けそうな場所。
水を逃がす場所。
入口を置けそうな斜面。
今日は、それを低いところから見ます。
使うのは、OKA-38「Аист(アーイスト。コウノトリ。)」です。
どろちゃんが操縦します。
フランソワさんは隣で、地図へ書き込みます。
高度は、およそ五十メートル。
高いところから写真を撮る飛行ではありません。
地面を見て、道を見て、谷を見て、また戻って確認する飛行です。
「この道、荷車は通れそう」
「幅は、あまりございませんね」
「工事が始まったら広げるかな」
フランソワさんが地図へ線を引きました。
コウノトリちゃんは、谷の上で大きく回りました。
一度見た斜面を、反対側からもう一度見ます。
帝国側の方向から飛んできて、低いところを何度も回る飛行機。
上から見れば、ただの測量です。
地上から見れば、そうとは限りません。
そのころ。
下にいたフランス軍の兵士たちは、どろちゃんが来ることを知りませんでした。
◇ ◇ ◇
白い煙が上がりました。
一つ。
続いて、いくつも。
「お嬢様」
「見えた」
発砲です。
黒色火薬の煙なので、低いところを飛んでいれば場所まで分かります。
十発くらい。
ほとんど同時でした。
そして。
乾いた、嫌な音がしました。
一発。
少し遅れて、二発目。
さらに、三発目。
「三つ」
「当たりましたか」
「音した」
どろちゃんは急に機体を振り回しませんでした。
ここは高度五十メートルほどです。
低くて、遅い飛行機です。
慌てて強く曲がって速度をなくす方が危険です。
コウノトリちゃんを緩く発砲地点から外しながら、出せるだけの力を使います。
速度を保ちます。
少しずつ高度も取ります。
「フランソワさん、けがない?」
「ございません。お嬢様は」
「ない。操縦もできる」
エンジンの音も変わりません。
操縦桿にも、妙な重さはありません。
どろちゃんは無線を取りました。
お父様の携帯無線へ直接届く距離ではありません。
エルレンフェルト滑走路脇の通信所を呼びます。
「こちらコウノトリちゃん。ストラスブール西方、トンネル予定区間の手前。地上から発砲を受けました。十発くらい。三回、命中したような音。こちら二人、けがなし。機体は飛べます。いま離れています」
通信所が復唱しました。
そこから、お父様へ伝わります。
電信でも、パリへ急報を出します。
宛先は、いつもの側近さん。
トルシー侯です。
どろちゃんの気分としては、かなり告げ口でした。
フランス軍に撃たれた。
それだけで十分です。
◇ ◇ ◇
エルレンフェルトへ戻ってから、コウノトリちゃんを調べました。
「ここかな」
「音は、このあたりから聞こえたように思います」
どろちゃんが外板へ顔を近づけます。
ありません。
穴がありません。
へこみもありません。
擦れた痕もありません。
反対側も見ます。
ありません。
「……三回、音したよね」
「はい。私も聞いております」
「当たってないのかな」
「発砲の煙は、見えておりました」
「うん」
でも。
証拠がありません。
弾痕があれば、パリから来た人に見せられます。
ありません。
どろちゃんは、コウノトリちゃんをもう一周しました。
「ないね」
「ございませんね」
撃たれたことを証明するには、ずいぶん困る機体でした。
「三回、当たった音はしたのに」
どろちゃんは、もう一度外板へ手を置きました。
手は普通に触れます。
そこから、別のことを思い出しました。
「そうだ。タドポール君の座席」
「ライデンで作っていただいた後部座席でございますか」
「うん。まだ返してないやつ」
工房の隅には、ライデン大学で作ってもらったタドポール君の後部座席が置かれています。
木。
革。
織帯。
鉄金具。
神様が作った座席ではありません。
ライデン大学の工房で、職人さんたちが現地の材料から作ったものです。
少しだけ角を整えたいところもありました。
どろちゃんは神様から届いたOLFAのカッターを持ってきました。
外してある座席の隅へ刃を当てます。
普通に削れました。
「削れる」
「はい」
「じゃあ、付けてみよう」
座席をタドポール君へ取り付けます。
固定を確認して、同じ場所へ同じカッターを近づけました。
刃が届きません。
「……ん?」
どろちゃんは手で触りました。
指は普通に座席へ触れます。
革の感触もあります。
木の角も分かります。
でも、カッターの刃先は最後のほんの少しを越えません。
「触れるのに」
「刃は触れませんね」
もう一度外しました。
同じ角へ刃を当てます。
薄い削りくずが出ました。
「外すと削れる」
「取り付けると、削れません」
どろちゃんとフランソワさんは、座席とタドポール君を交互に見ました。
「これ、ライデンで作ったんだよ」
「はい」
「神様の部品じゃない」
「はい」
「でも、タドポール君の一部になると駄目なんだ」
コウノトリちゃんに三発当たったはずなのに傷が一つもなかったことと、少し似ています。
神様が作った材料だけを丈夫にしているのではなさそうです。
機体の一部として働いているものまで、何かの範囲に入ります。
でも、外せば加工できます。
そうでなければ、こちらで作った部品を調整することもできません。
ずいぶん都合よくできています。
どろちゃんは座席を外したままにしました。
「これ、借りたままだった」
「そうでございましたね」
「昨日ドラフターを持っていったとき、隙間に入れればよかった」
「昨日はドラフターのことでいっぱいでございましたから」
「次に持っていくって、電信しておこう」
ライデン大学へ短い電文を送りました。
大学工房で製作してもらった後部座席は、次に行くとき持参すること。
それだけです。
返却は、また今度になりました。
◇ ◇ ◇
翌朝。
どろちゃんは、ミツバチちゃんでパリへ飛びました。
An-28「Пчёлка(プチョールカ。ミツバチ。)」です。
パリでは、トルシー侯が待っていました。
フランス軍の上級者も来ます。
遠くからでも軍人だと分かる、とても立派で、とてもよく目立つ軍服です。
どろちゃんの中では、しばらく「派手な軍服さん」になりました。
二人を乗せて、エルレンフェルトへ戻ります。
お父様も待っていました。
机の上には、ルイ十四世から受け取っている鉄道建設と測量の依頼文書があります。
まず、それを確認しました。
「測量の依頼そのものは、間違いありません」
トルシー侯が言いました。
軍の上級者も文面を確認します。
「問題は、現地ですな」
「うん。撃った人に聞けば分かると思う」
「その前に、撃たれないようになさいませ」
フランソワさんが言いました。
「昨日撃たれたからね」
今日は、いきなり着陸しません。
◇ ◇ ◇
どろちゃんは、もう一度コウノトリちゃんで現場へ向かいました。
今度の乗員は三人です。
どろちゃん。
フランソワさん。
そして、パリから来た派手な軍服さん。
昨日と同じ場所へ、同じように低く入るつもりはありません。
小銃で届くところへ入る前に、通信筒を落とします。
どこへ落とせば、現場の兵がすぐ気づき、確実に拾うか。
それは、どろちゃんより派手な軍服さんの方が分かります。
部隊の配置を見ながら、軍の上級者が前方を指しました。
「あの広場の外れがよろしい。見張りから見えます。あそこなら拾いに出る者もすぐ分かるでしょう」
「まだ近づかなくていい?」
「十分です。このままの方がよろしい」
どろちゃんは、その位置を通るようにコウノトリちゃんを合わせました。
フランソワさんが赤い布の付いた通信筒を持ちます。
「いま」
どろちゃんが言いました。
通信筒が落ちました。
草地へ当たり、赤い布が伸びます。
中には、いま機内にいるフランス軍上級者からの文書が入っています。
昨日飛行物体へ発砲した者を確認すること。
発砲を命じた者を確認すること。
現場部隊の最上位士官も同行すること。
次に来る双発機へ、絶対に発砲しないこと。
コウノトリちゃんは、それ以上近づかず大きく回りました。
地上で人が動きます。
一人が通信筒へ走りました。
派手な軍服さんが見ています。
「拾いました」
「うん」
しばらく待ちました。
発砲はありません。
「読んだみたい」
三人を乗せたコウノトリちゃんは、エルレンフェルトへ戻りました。
次は、もっと大きな飛行機が必要です。
◇ ◇ ◇
今度は、現場から人をまとめて連れてきます。
発砲した十人。
発砲を命じた下士官。
現場部隊の最上位士官。
十二人です。
コウノトリちゃんへ乗せる人数ではありません。
「だから、みつばちちゃん」
An-28「Пчёлка(プチョールカ。ミツバチ。)」の客席は十二人仕様です。
こういうときのために十二席にしたわけではありませんが、今日はちょうど全部使います。
部隊が訓練に使っている広場へ、白い双発機が降りてきました。
昨日まで飛行機を撃ったことなどなかった兵士たちです。
昨日一機を撃ったら、今日はもっと大きな飛行機が来ました。
発砲した十人は、年季や役割には少しずつ違いがありますが、十人とも下士官ではありません。
その十人へ撃てと命じた直属の下士官。
そして、現場部隊の最上位士官。
十二人がそろいました。
ミツバチちゃんの十二席は、きれいに埋まりました。
どろちゃんの中では、かなり「拉致」に近い見え方でした。
もちろん、本当に勝手にさらうわけではありません。
フランス軍上級者の指示があります。
十二人は、事情を聞くためにエルレンフェルトへ移動します。
でも。
連れていかれる側から見れば、そんな細かな違いはあまり安心材料になりません。
発砲した十人は、びびりまくっていました。
昨日、自分たちが撃った飛行機の持ち主が迎えに来ています。
それも、見たこともない大きな双発機で。
どこへ行くのかは、エルレンフェルト。
そこにはフランス王の側近までいると聞きました。
現場の最上位士官も、落ち着いているようには見えません。
ミツバチちゃんは十二人を乗せ、エルレンフェルトへ戻りました。
◇ ◇ ◇
十二人は、飛行場から会議棟へ案内されました。
そこで、また足が少し止まりました。
兵舎でもありません。
城館でもありません。
教会でもありません。
大きなガラス。
まっすぐな廊下。
外の寒暖とは別に整えられた室内。
広い会議室と、小さな会議室。
昨日まで野営地とストラスブールを行き来していた兵士たちには、何のための建物なのか、外から見ただけではよく分かりません。
中へ入ると、壁に大きな写真がありました。
四か国会議が終わったあとに撮った公式記念写真です。
その周囲にも、各国の一行が到着したとき、晩餐会、舞踏会、会談中の写真が並んでいます。
発砲した兵士の一人が、足を止めました。
「……陛下」
写真の中に、ルイ十四世がいます。
トルシー侯もいます。
英国の人たちもいます。
ネーデルラントの人たちもいます。
サヴォイアの人たちもいます。
そして、どろちゃんもいます。
話には聞いていました。
ここで王や各国の代表が本当に同じ机を囲んだことが、壁いっぱいの写真になっています。
発砲した十人は、さっきまでより少し静かになりました。
現場の最上位士官も、写真を見ました。
昨日、自分の部隊が撃った相手が、どのあたりにいる人なのか。
建物の中へ入ってからの方が、よく分かってきました。
斜行エレベーターの入口も見えます。
「ホテル棟とは、あれでつながっています」
案内した係が説明しました。
兵士たちは今度はそちらを見ました。
今日は泊まりに来たのではありません。
小会議室へ案内されます。
会議棟の小会議室に、十七人が入りました。
トルシー侯。
パリから来たフランス軍の上級者。
現場部隊の最上位士官。
発砲命令を出した下士官。
発砲した兵士十人。
お父様。
どろちゃん。
フランソワさん。
十七人です。
兵士十人は、椅子へ座っても姿勢が硬いままでした。
どろちゃんが英国で伯爵位を持っていること。
お父様がエルレンフェルト公国の元首であること。
フランソワさんも世襲の男爵であること。
机の上にある文書が、ルイ十四世本人からの鉄道測量依頼であること。
一つ分かるたびに、十人の顔が少しずつ固くなりました。
宗教の話まで行く前から、十分に怖い話です。
軍の上級者が、まず聞きました。
「昨日、発砲した者は」
十人が手を上げました。
ほとんど同時です。
「発砲を命じたのは」
十人の視線が、一人へ集まりました。
下士官が立ちました。
「私です」
「理由は」
「帝国側から、見たことのないものが低く飛来しました。部隊の周囲を何度も旋回しました。味方のものとは聞いておりませんでした」
「測量飛行の連絡は」
「受けておりません」
軍の上級者が、現場最上位士官を見ました。
「あなたは」
少し間がありました。
「……受けております」
部屋の空気が変わりました。
「いつ」
答えがありました。
届いています。
最上位士官までは。
そこで止まっていました。
「なぜ、その下へ伝えなかった」
また少し間がありました。
平時になってから、この士官はストラスブールへ出ることが増えていました。
陸路なので、行けば長く現場を離れます。
任務で出ていたわけでもありません。
ストラスブールには、よく行く店がありました。
そこには、よく会う女性もいました。
お姉さんです。
もちろん、実の姉ではありません。
トルシー侯は何も言いませんでした。
パリから来た軍の上級者も、しばらく何も言いませんでした。
どろちゃんは、そこだけは別に怒りませんでした。
「お姉さんのお店に行くのはいいけど、連絡はしてね」
軍の上級者が、どろちゃんを見ました。
トルシー侯は、わずかに目を閉じました。
たぶん、問題はそこだけではありません。
◇ ◇ ◇
「当たったと思う者は」
今度は、三人が手を上げました。
どろちゃんが見ました。
「三人?」
「はい」
三人とも、元は猟師でした。
鳥や走る獣を撃った経験があります。
動いているものの、いまいる場所へ撃つのではありません。
動いていく先を見て撃ちます。
昨日も、そうしました。
低いところを飛ぶコウノトリちゃんは、本物の鳥よりはるかに大きく、それほど速くもありません。
しかも射撃の機会は一度だけです。
単発銃を持った十人が、それぞれ一発。
三人の元猟師は、その一発を当てました。
「間違いない?」
どろちゃんが聞きました。
一人が答えました。
「近い距離でした。外したとは思いません」
もう一人も言いました。
「当たった音がしました」
三人目が少し迷ってから続けました。
「弾が、砕けたような音でした」
どろちゃんとフランソワさんが顔を見合わせました。
「あの音」
「三回、聞こえました」
「弾が砕けた音だったんだ」
コウノトリちゃんには、傷がありません。
最初からありませんでした。
弾は当たりました。
でも、機体を傷つけるところまで行きませんでした。
三人とも正直でした。
自分が当てたと言えば、自分の立場が悪くなるかもしれません。
それでも、三人とも当てたと言いました。
どろちゃんは、三人を見ました。
「上手なんだね」
三人は、どう返事をしてよいのか分かりませんでした。
◇ ◇ ◇
話しているうちに、お昼になりました。
扉が開きます。
ホテル棟から、昼食が運ばれてきました。
会議のための昼食です。
宴会ではありません。
でも。
今日ここにいるのは、トルシー侯です。
フランス軍の上級者もいます。
エルレンフェルト公もいます。
英国伯爵でもある公爵令嬢もいます。
男爵もいます。
ホテル側が、粗末なものを出す理由はありません。
温かい澄んだスープ。
香草を使って焼いた鶏。
バターで仕上げた根菜と青い野菜。
焼きたてのパン。
チーズ。
小さな焼き菓子と果物。
簡単な昼食です。
簡単ですが、かなり豪華です。
それが十七人分。
全部、同じものです。
軍の上級者が、自分の皿を見ました。
次に、兵士十人の皿を見ました。
同じです。
下士官も同じです。
現場士官も同じです。
少し不思議そうに、トルシー侯へ聞きました。
「……彼らも同じ昼食なのですか」
「ここでは、会議中の昼食は全員同じですよ」
トルシー侯は普通に答えました。
「陛下がお見えになったときも、同じものを召し上がっていました」
兵士の何人かが顔を上げました。
陛下。
ルイ十四世です。
どろちゃんはパンを取りました。
「だって、会議室のお昼を身分ごとに何種類も作るの、面倒でしょう。だから全員同じ」
それだけでした。
軍の上級者は、少しだけ笑いました。
「なるほど」
お父様も食べ始めました。
トルシー侯もスープへ匙を入れます。
フランソワさんは、どろちゃんが先にパンだけ食べ始めないよう、さりげなくスープの方を見ました。
どろちゃんも見ました。
「分かってる」
兵士十人は、まだ食べません。
「食べよう」
どろちゃんが言いました。
最初に一人がパンへ手を伸ばしました。
それを見て、隣も食べ始めます。
少しすると、全員が普通に食べていました。
午前中に自分たちの発砲について話していた人たちとは思えないくらい、食卓は普通になりました。
焼いた鶏がおいしい。
パンも温かい。
元猟師の一人が、出された肉を見て何か言いました。
そこから、鹿の話になりました。
別の兵士は、故郷では兎を捕ると言いました。
軍の上級者まで話へ入りました。
トルシー侯も食べています。
お父様も笑いました。
楽しいお昼ご飯になりました。
現場の最上位士官だけは、ときどきパリから来た軍の上級者の方を見ています。
たぶん、味は少し分かりにくかったかもしれません。
◇ ◇ ◇
昼食が終わると、どろちゃんは言いました。
「ちょっと見せたいものがある」
十七人で、滑走路の方へ出ました。
滑走路の向こう、およそ二百メートル。
瓶が五本あります。
一本だけ、高い杭の上です。
残り四本は、低い台の上に並んでいます。
どろちゃんは、一本の銃を持ってきました。
スターリングラードの攻防戦で使われた狙撃銃をもとに、単品で作ったものです。
前の世界でロシアの少女だったころ、どろちゃんは周りの大人たちから、スターリングラードの話を何度も聞かされていました。祖国があと少しで押し切られそうになったこと。町の中で戦い続けた人たちがいたこと。そして、この銃を持った狙撃兵たちも、その中にいたこと。
祖国を救った戦いの話は、一度や二度ではありません。大人が変われば細かな話も変わりました。それでも、スターリングラードという名前と、この形の銃は、どろちゃんの中でずっと一緒に残っていました。
家にも一丁ありました。
機械を触るのが好きだったどろちゃんは、家族と一緒に分解して手入れをしたこともあります。外から眺めて形だけを覚えた銃ではありません。部品がどう組み合わさって動くのかまで、子どものころに触った手の感覚と一緒に残っていました。
だから、この世界で一本だけ作るときにも、外観をまねただけではありませんでした。
だから、ただ性能に興味があったのではありません。
どうしても一本、自分の手元に置いておきたかった銃でした。
銃も、弾薬も、雷管も、必要な分を単品で用意したものです。
いくつも作って配っているものではありません。
作り方を見せるために持ってきたのでもありません。
軍人たちからは、細かな機構がよく見えない位置です。
どろちゃんは、滑走路脇の障害物の間へ入りました。
伏せます。
銃だけが、向こうを向きます。
元猟師の三人は、それだけで少し表情が変わりました。
立って撃ちません。
身体を大きく見せません。
一発。
杭の上の瓶が砕けました。
軍の上級者が、何も言わずに向こうを見ます。
現場士官も見ています。
どろちゃんは立ちません。
銃口から何かを詰める動作もしません。
手元で短く操作します。
二発目。
台の上の一本が砕けました。
三発目。
また一本。
元猟師の三人が、互いを見ました。
四発目。
四本目です。
五発目。
最後の瓶も砕けました。
五発。
五本。
どろちゃんは銃を下ろしました。
「この距離、いつも練習してるから」
元猟師の一人が、二百メートル先を見たまま言いました。
「五つとも……」
「うん」
軍の上級者は、最初に砕けた杭の上を見ています。
現場士官も同じです。
一本だけ高く置かれていました。
理由を説明する必要はありませんでした。
馬に乗っている人。
立派な服を着ている人。
周囲の兵が見ている人。
指示を出している人。
戦場で最初に見つけやすいのは、誰なのか。
二人とも、よく分かりました。
◇ ◇ ◇
小会議室へ戻りました。
軍の上級者は、席へ着く前に自分の軍服を一度見ました。
現場士官も、自分の服を見ました。
どろちゃんは紙を広げました。
「さっきの銃を、みんなに作って渡す話じゃないよ」
「では、何を」
「並び方」
紙へ長い線を引きました。
「いま、こうやって並ぶでしょう」
兵士の戦列です。
その少し前へ、小さな印を付けました。
「ここに馬に乗った人」
軍の上級者は黙っています。
「こっちが、まだ撃てる距離まで歩いてる途中で、向こうが伏せて撃てたら」
反対側へ、小さな点をいくつか書きました。
「最初に馬の人が落ちるよ」
現場士官の顔が少し動きました。
さっきの杭の上の瓶です。
「それから、並んでる人は大きいから、当てやすい」
元猟師三人は、よく分かっています。
鳥より大きいコウノトリちゃんへ、三人とも一発で当てた人たちです。
「わたし、あまりうまくないけど、五百メートルくらいなら当たるよ」
三人が、どろちゃんを見ました。
さっき二百メートルで五本とも割った人が、あまりうまくないと言いました。
「もっと上手な人なら、もっと上手でしょう」
どろちゃんは紙の戦列を指でなぞりました。
「その銃を持ってる人が何人もいて、こっちが今までどおり並んで歩いて近づいたら、自分たちが撃てるところへ着く前から撃たれるよ」
どろちゃんは、紙の戦列の前の方から、指で順に消していきました。
「そのまま歩いたら、条件によっては、撃てるところへ着く人、ゼロになるよ」
軍の上級者が聞きました。
「戦列をやめろ、と」
「全部すぐやめるかは、軍の人が考えればいいよ。でも、みんな固まって歩くのは、だんだん危なくなると思う」
どろちゃんは、今度は軍の上級者の服を見ました。
「あとね。草原なら、草原と見分けにくい服の方がいいと思うよ」
軍の上級者が、自分の袖を見ました。
「階級の印も、遠くから分からないくらいでいいと思う」
現場士官も、自分の胸元を見ます。
「誰が偉い人か、向こうからすぐ分かったら、最初に撃たれるでしょう」
誰も、杭の上の瓶とは言いませんでした。
「式典とか、王様の前とか、そういうときはきれいな服でいいよ。でも、戦うときは、偉い人も兵隊さんも、基本は同じような服の方がいいと思う」
どろちゃんは少し考えました。
「見つけてもらうための服と、見つからないための服は、分けた方がいいよ」
トルシー侯が、紙の端へ何か書きました。
軍の上級者は、しばらく黙っていました。
それから聞きました。
「先ほどの銃は、エルレンフェルトに何丁あります」
お父様が答えました。
「内緒だ」
軍の上級者が少し笑いました。
「では、フランスへ売ることは」
「それも、いまは考えていない」
どろちゃんも言いました。
「四か国とは戦わないでしょう」
「そのつもりです」
トルシー侯が答えました。
「だったら、いらないよ」
今日見せたのは、銃を売るためではありません。
銃が変われば、戦い方も変わる。
それを見せるためでした。
◇ ◇ ◇
午後の話が終わりました。
フランス軍の中をどうするかは、フランス軍の仕事です。
どろちゃんも、お父様も、そこへは入りません。
発砲した兵士十人。
命令を出した下士官。
この十一人は、現場へ戻ります。
朝からびびりまくっていた人たちですが、帰れると分かったときには、はっきり顔が変わりました。
どろちゃんはミツバチちゃんで、十一人を元の部隊へ送りました。
広場へ降りると、仲間たちが遠くから見ています。
昨日飛行機を撃った十一人は、今日、その飛行機の国へ連れていかれました。
王の側近と会いました。
軍の上級者と話しました。
英国伯爵と公爵と男爵と同じ昼食を食べました。
しかも、その昼食は王様が来たときも同じものだったと聞きました。
二百メートル先の瓶が五発で五本とも割れるところも見ました。
そして、夕方には帰ってきました。
ずいぶん長い一日です。
十一人を降ろしたあと、どろちゃんは一度エルレンフェルトへ戻りました。
客席十二席のままでは、十一人を乗せた便にほかの人まで一緒には運べません。
エルレンフェルトでは、三人が待っていました。
トルシー侯。
パリから来た軍の上級者。
そして、現場部隊の最上位士官です。
最上位士官だけは、現場へ戻りません。
軍の上級者から、パリへ来るよう言われました。
理由を、どろちゃんは聞きませんでした。
「じゃあ、パリまで行くね」
三人が乗りました。
フランソワさんも一緒です。
ミツバチちゃんは、もう一度離陸しました。
現場最上位士官は、窓の外をあまり見ませんでした。
トルシー侯も、何も聞きません。
軍の上級者も、機内では何も言いません。
フランス軍の中のことです。
どろちゃんの仕事ではありません。
◇ ◇ ◇
パリで三人を降ろしました。
現場最上位士官が、そのあとどうなったのか。
どろちゃんは知りません。
聞こうとも思いませんでした。
ミツバチちゃんへ燃料を入れます。
帰りの客室は空いています。
フランソワさんは前へ来ました。
「今日は、ずいぶん飛びましたね」
「撃たれた次の日に、撃った人を迎えに行くとは思わなかった」
「私もでございます」
「でも、ちゃんと帰れたね」
「はい」
どろちゃんは操縦席から、夕方の空を見ました。
昨日。
三発、確かに当たりました。
撃った三人も、当てたと言いました。
弾が砕ける音まで聞いていました。
それでも、コウノトリちゃんには傷一つありませんでした。
神様が作った機体だけではありません。
ライデンで作った木と革の座席まで、タドポール君へ取り付ければ刃が届かなくなります。
人の手は触れます。
必要なら、外して加工もできます。
でも、壊そうとする力は通りません。
「神様って、細かいね」
フランソワさんが少し考えました。
「必要なことは、できるようにしてくださっているのでしょうか」
「たぶん」
どろちゃんは前を見ました。
人間は、狙えば当てることができます。
猟師だった三人は、本当に当てました。
でも。
当てた、その先までは行けませんでした。
ミツバチちゃんは、エルレンフェルトへ向かって飛び続けました。
◇ ◇ ◇
第56章の小さな説明
【コウノトリちゃんへの発砲】
ストラスブールからトンネル予定区間を低空調査している際、フランス軍の兵士約十人が、直属下士官の発砲命令に従い、それぞれ単発銃を一発ずつ発射します。
飛行予定の情報は現場部隊の最上位士官までは届いていましたが、そこから下へ伝わっていません。現場の下士官と兵士たちから見れば、帝国側から来た未知の飛行物体が高度約五十メートルで周囲を旋回している状態です。
【三発の命中】
発砲した十人のうち三人は元猟師で、動く鳥や獣に対する見越し射撃の経験があります。
コウノトリちゃんは本物の鳥よりはるかに大きく、低空を比較的低速で飛んでいたため、三人はそれぞれ一発を命中させます。
ただし機体には弾痕、へこみ、擦過痕などが一切残りません。三人は事情聴取で「確かに当てた」「弾が砕ける音を聞いた」と正直に証言し、どろちゃんとフランソワさんが機内で聞いた三回の音も、機体損傷音ではなく鉛弾が砕けた音だったと分かります。
【機体へ取り付けた現地製部品の防護】
ライデン大学工房が現地材料で作ったタドポール君後部座席でも、機体から外した状態なら通常どおり削ることができます。
一方、タドポール君へ正規に装着すると、人の手では普通に触れられるのに、カッターの刃など損傷を与えるものは表面まで届きません。
防護は「神様製の材料」だけではなく、「機体として取り付けられた部品」にまで及ぶようです。ただし外せば加工できるため、製作・調整・修理が不可能になるわけではありません。
【ライデン製後部座席】
第十五章で、どろちゃんはライデン大学まで単独で飛びました。当時はまだタドポール君の運用に十分慣れておらず、ライデン側にも補給燃料がなかったため、後席位置へ往復分の余裕を確保する増槽を積んでいます。
ライデン到着後、その増槽を外し、大学工房が木材、革、織帯、鉄金具などで後部座席と拘束具を製作しました。
現在はどろちゃんの運用経験が増え、重力台車式射出機も使えるため、増槽なしでもライデン往復ができます。
後部座席はまだライデン大学へ返しておらず、次回持参することを電信で伝えます。
【通信筒と二機の使い分け】
通信筒を落とす再訪では、コウノトリちゃんにどろちゃん、フランソワさん、パリから来たフランス軍上級者の三人が乗ります。部隊配置を知る軍上級者が、地上の見張りから見えやすく、しかも不用意に接近せずに済む投下場所を指示します。
その後、発砲兵十人、発砲命令を出した下士官、現場部隊最上位士官の計十二人をまとめて移送するため、客席十二席を持つミツバチちゃんへ交代します。
【会議棟を初めて見る兵士たち】
エルレンフェルトへ連れてこられた十二人は、事情聴取の前に会議棟へ入ります。大きなガラス、整った会議室、斜行エレベーターに加え、四か国会議の巨大な公式記念写真や各国代表の写真を見て、ここが実際に王や各国代表が集まった場所であることを実感します。
【十七人の会議と昼食】
事情聴取には、トルシー侯、パリ側のフランス軍上級者、現場部隊最上位士官、発砲命令を出した下士官、発砲兵十人、ラインハルト公、どろちゃん、フランソワさんの計十七人が参加します。
会議中の昼食は、エルレンフェルトでは身分別に分けず全員同じものを出す運用です。四か国会議などではルイ十四世本人も参加者と同じ昼食を食べています。そのため、この日も兵卒から王の側近、公爵、伯爵、男爵まで全員同じ料理になります。
【二百メートルの射撃実演】
昼食後、どろちゃんは単品製作した高精度小銃を使い、約二百メートル先の瓶五本を五発で全て撃ち抜きます。
最初の一本だけは高い杭の上に置かれ、残る四本は低い台の上です。軍の上級者と現場士官は、周囲より高く目立つ最初の瓶が馬上指揮官を連想させることを説明されなくても理解します。
銃の細部や製造方法は軍人たちへ公開しません。重要なのは火器そのものの販売ではなく、高精度火器が普及すれば、密集戦列、目立つ士官、派手な軍服、遠くから判別できる階級章など従来の仕組みが危険になることを示す点です。
【フランス軍内部への不介入】
エルレンフェルト側は、発砲の事実関係と情報伝達が止まった場所までは確認しますが、フランス軍人の処分・配置・人事には介入しません。
発砲兵十人と直属下士官は現場へ戻します。現場部隊最上位士官はパリ側の軍上級者から呼ばれ、トルシー侯らとともにパリへ向かいます。その後どう扱われたかは、フランス軍内部のこととして本章では明らかにしません。




