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53貴族令嬢は王様に線路をすすめます 鉄道建設のお話です 高圧ボイラーが無理なので電気式です

第53章 貴族令嬢は王様に線路をすすめます




 始まりは、イングランドから届いた紙でした。


 戦争をやめた四か国で、一つ、大きな銀行を作れないか。


 アン女王から出た話でした。


 もちろん、町の商人へ小銭を貸すためではありません。


 フランス、イングランド、ネーデルラント、サヴォイ。


 四か国の間では、戦争が止まりました。


 ところが、その外まで戦争が消えたわけではありません。


 皇帝の側では、これからも兵を動かし、馬を買い、食料を運び、砲を作り、給金を払う必要があります。


 金が要ります。


 それも、普通の商人が借りるような額ではありません。


 皇帝側へ貸せば、利息は取れます。


 けれど、一つの民間銀行が一国の戦費を引き受けるのは危なすぎました。


 返ってくれば大きな商売になります。


 返ってこなければ、銀行そのものがなくなります。


 それに、「帝国へ貸す」と一言で済ませることもできません。


 帝国には一つの財布があるわけではありませんでした。


 皇帝の宮廷財政へ貸すのか。


 ハプスブルク家の世襲領の収入を返済に当てるのか。


 特定の領地の税収を担保にするのか。


 誰が保証するのか。


 負けたときにも返せるのか。


 勝たなければ返せない借金なら、最初から危ない。


 それを一つずつ見なければなりません。


 だったら、四か国で資本を出し合う。


 一件の大きな貸付で、一つの銀行が沈まないようにする。


 同時に、四か国の間の決済もまとめる。


 電信があるので、帳簿上の支払いは馬車より先に動かせます。


 パリで支払ったものをロンドンへ知らせる。


 ロンドンからデン・ハーグへ知らせる。


 最後に差額だけを金貨や銀で動かせばいい。


 ただし、電信で送られてきた命令が本物かどうかは確かめなければなりません。


 番号。


 日付。


 送信局。


 照合用の符号。


 同じ命令を二度使われない仕組み。


 銀行を作る話は、金庫を一つ置けば終わる話ではありませんでした。



     ◇ ◇ ◇



 それで、四か国の財務担当者を集めることになりました。


 場所はエルレンフェルトです。


 銀行をエルレンフェルトへ置くからではありません。


 会議室がある。


 ホテルがある。


 電信がある。


 飛行場がある。


 そして、迎えに行ける飛行機がある。


 それだけです。


 どろちゃんは、会議の中身にはほとんど関わりませんでした。


 今回のミツバチちゃんは、客室を12人乗りに組み替えました。


 旅行鞄は小さく。


 大きな箱はなし。


 書類鞄と、数日分の着替えくらいです。


 まずパリへ飛びました。


 フランス側から四人。


 財務担当の責任者と、書記と、実務をする二人です。


 そこから海を越えてロンドンへ行きました。


 イングランド側も四人。


 ここで燃料を入れます。


 八人になったミツバチちゃんは、次にデン・ハーグへ向かいました。


 ネーデルラント側も四人。


 帰りは12席が全部埋まりました。


 財務の人ばかりです。


 膝の上にも床の固定具にも、革の書類鞄があります。


 窓の外を見ている人もいますが、途中から数字の話を始める人が出てきました。


 フランス側の人とネーデルラント側の人が、為替の話をしています。


 イングランド側の書記が紙を出しました。


 空の上でも会議が始まりそうでした。


 どろちゃんは前を向いたまま、フランソワさんに言いました。


「まだホテルにも着いてないよ」


「皆様、お時間を無駄になさらないのでしょう」


「えらいね」


「お嬢様も操縦なさっておりますので、お仕事中です」


「あ、そっか」


 後ろの人たちには聞こえていません。


 ミツバチちゃんは、そのままエルレンフェルトへ戻りました。



     ◇ ◇ ◇



 サヴォイだけは別便でした。


 方向が違います。


 それに、アルプスがあります。


 予定の日の朝は山に雲が残っていたので、どろちゃんは飛びませんでした。


 昼になっても待ちました。


 翌朝、山の上が見えるようになってから出発しました。


 トリノ側へ着くと、財務の実務者は四人でした。


 そこまでは他の国と同じです。


 違ったのは、その後でした。


 旅行用の小さな鞄を持った人が、まだ来ます。


 一人。


 また一人。


 妻と一緒に来る人がいました。


 親族を伴う人もいました。


 夜の食事や社交に出るための同行者です。


 会議室へ入る人ではありません。


 それでも、陸路でアルプスを越えて何日もかけて来るより、空席があるなら一緒に乗った方がいい。


 結局、サヴォイ便は実務者四人に同行者六人。


 十人になりました。


 同行してきた女性たちは、会議へ出る服ではなく、旅のあとそのまま夕食や社交へ出られるくらいの装いでした。


 深い青や葡萄酒色の絹。


 前の開いたマントゥアの下から、刺繍を入れた逆三角形のストマッカーと、別布のペティコートが見えます。


 袖は肘のあたりで終わり、その先に白いレースが重なっています。


 金糸や銀糸を使ったものもありました。


 頭には、レースとリボンを高く組んだフォンタンジュを付けた人までいます。


 ミツバチちゃんの入口で、その人だけは一度立ち止まりました。


「これ、ぶつかりません?」


 フランソワさんが先に中へ入り、上を見ました。


「少しお顔を下げていただければ大丈夫です」


 裾の長い服もあります。


 飛行機の狭い通路では、二十一世紀の旅客機よりさらに扱いにくそうでした。


 それでも、何日も馬車でアルプスを越えるよりはずっと楽です。


 北西側の便とは、機内の空気がまるで違いました。


 書類鞄だけだった前の便と違って、こちらでは窓の外を見て声が上がります。


 山を越えるときは静かでした。


 雲の切れ目から雪の残る峰が見えると、また話し声が増えました。


 フランソワさんも後ろで何度も呼ばれました。


 エルレンフェルトへ着いたあとも、その違いはそのままでした。


 フランス、イングランド、ネーデルラントの一行は、ほとんどそのまま会議の準備へ入ります。


 サヴォイの同行者たちは、部屋を見て、窓から外を見て、夕食の時間を確かめ、宴会場まで見に行きました。


 ホテル側が誰かを用意したわけではありません。


 サヴォイ側が自分たちで連れてきただけです。


 夕食後、宴会場に音楽が流れると、そこだけ先に会議が終わったように賑やかになりました。



     ◇ ◇ ◇



 翌朝から、本当の銀行の相談が始まりました。


 どの国が、いくら資本を出すのか。


 利益をどう分けるのか。


 一国への貸付を、銀行全体の資本のどこまでにするのか。


 返済財源を何で確認するのか。


 戦争に負けたら返せない借金はどう扱うのか。


 保証人が複数いるとき、誰から先に回収するのか。


 電信で決済するとき、送信番号をどう管理するのか。


 各国の貨幣を、帳簿の上で何に換算するのか。


 話は朝から続きました。


 どろちゃんは、ほとんど会議室にいません。


 エルレンフェルトには財務大臣はいません。


 四か国が自分たちのお金で作る銀行です。


 お父様も、会議場とホテルを使わせる側として必要なところだけ顔を出しました。


 中身は、財務の人たちが決めます。


 銀行の本店はストラスブールになりました。


 ルイ14世がかなり強く押しました。


 フランスの都市です。


 ライン川に近い。


 四か国から人が集まりやすい。


 電信もつなげられる。


 そしてルイ14世自身も、フランス側の公的な出資とは別に、自分の金を入れることになりました。


 王様まで株主です。


 平和が続いて銀行が儲かれば、王様本人にも配当が来ます。


 戦争を始めて銀行を壊すより、銀行を育てた方が自分の財布にもいい。


 少し変な仕組みですが、悪くありません。


 四か国共同銀行は、そこでようやく、紙の上だけではない形を持ち始めました。



     ◇ ◇ ◇



 そのころ、どろちゃんはライデンにいました。


 銀行より、こちらの机の方がずっと散らかっています。


 石炭です。


 黒いもの。


 黒というより褐色のもの。


 艶の強いもの。


 割ると層が見えるもの。


 粉にすると手袋へしつこく付くもの。


 それぞれに番号が付いていました。


 ケルン周辺。


 ルール。


 ザール。


 ロレーヌ。


 同じ「石炭」と呼んでも、中身は同じではありません。


「これ、だめだね」


 どろちゃんは、褐色の試料をつまみました。


 ケルン周辺から来た低い炭化度の石炭です。


 乾かせば燃えます。


 炉の燃料にもできます。


 けれど、細かく砕いて小さな乾留炉へ入れても、欲しいような塊にはなりませんでした。


 熱をかければ水分と揮発分がたくさん抜けます。


 残った炭素質はあります。


 しかし、高炉の中で鉱石と石灰石の重さを受けながら、下まで形を保つコークスとは違います。


「燃料として使えないわけじゃないんだけど」


 ライデンの研究者が、割れた試料を見ました。


「高炉へ入れたいものではありませんね」


「うん。これは別の仕事」


 ケルン周辺の石炭は、候補から外れました。


 次はルールです。


 こちらは様子が違いました。


 加熱していく途中で軟らかくなります。


 粒同士がまとまり、再び固まります。


 全部が同じではありません。


 炭層によって、膨れ方も、ガスの出方も、残ったコークスの硬さも違いました。


 一つはよくまとまりました。


 別のものは膨れすぎました。


 灰の多いものもあります。


 硫黄分が気になるものもあります。


 どろちゃんは、ノートの炭田名に線を引きかけて、やめました。


「『ルールの石炭を買う』じゃ、だめだね」


「はい。どの炭層の、どの品質かまで決めないと、同じものは来ません」


「石炭って、めんどくさい」


「地面の中で作ったものですから」


「工場製品みたいに全部同じにはならないか」


 今度はザールの試料です。


 瀝青炭です。


 いくつかは加熱中によく粘りました。


 ただし揮発分の多い試料では、ガスも液体も多く出ます。


 出来上がったコークスは、ルールの良かった試料ほど丈夫ではありませんでした。


 ロレーヌの試料も試しました。


 こちらも、使えるものと使いにくいものがあります。


 単独では高炉用として心配なものでも、別の炭と混ぜると様子が変わりました。


 少量の石油ピッチを混ぜた試験もしました。


 弱かった粒同士がまとまりやすくなる組み合わせがあります。


 逆に、入れれば入れるほど良くなるわけでもありません。


 数を変え、配合を変え、同じ温度で焼きました。


 冷えたコークスを同じ高さから落とします。


 割れたものをふるい分けます。


 圧してみます。


 断面も見ます。


 同じ炭田名でも結果が揃いません。


 結局、表の一番上には大きく書かれました。


 ――炭田ではなく、炭層と品質で買う。


 その下に、


 水分。


 灰分。


 硫黄分。


 揮発分。


 加熱時の軟化と膨張。


 出来たコークスの強さ。


 が並びました。


「試験用なら、何でも少しずつ持ってきて焼けばいいんだけどね」


 どろちゃんは、黒く汚れた手袋を外しました。


「鉄道のレールを何百km分も作るなら、そうはいかない」


 隣にいた技師が頷きました。


「高炉は、今日はこの炭、明日は別の炭、では困ります」


「じゃあ、コークスを製品として買った方がいいね」


 そこから、また地図が出ました。



     ◇ ◇ ◇



 ザールとロレーヌは、石炭そのものはあります。


 けれど、そこから荷を出すと、サール川、モーゼル川の側を通ってライン川へ出すことになります。


 道がないわけではありません。


 ただ、欲しいところへ真っすぐ来るわけでもありません。


 一方、ルールの炭田はライン川の下流側に近い。


 ヒュッテンハイムのあたりなら、石炭を集めてコークスを焼き、そのまま船へ載せやすい。


 石炭のまま遠くへ運ぶより、炭田に近いところで乾留する方がいい。


 水分と揮発分が抜けるので、出来たコークスは原炭より軽くなります。


 そして、もう一つ理由がありました。


 臭いです。


 小さな試験炉でも、冷却器の下には黒い液体が溜まりました。


 タールです。


 別の容器には刺激臭のある水が溜まります。


 ガスを洗うと、さらにいろいろなものが水へ移りました。


 アンモニア。


 硫黄を含むもの。


 フェノール類。


 軽い芳香族の成分。


 少量の試験なら、密閉して、冷やして、吸収させて、容器へ集められます。


 工業規模になると話が違います。


 毎日、何十t、何百tという石炭を焼く。


 炉の蓋から漏れる。


 押し出すときに煙が出る。


 冷やす水も汚れる。


 タールを回収しないで捨てれば川へ行きます。


 ガスをそのまま出せば、工場の周りの空気が悪くなります。


「これをエルレンフェルトでやるのは嫌」


 どろちゃんは即答しました。


 領地が狭いからだけではありません。


 ライン川の水を使っています。


 農地があります。


 町があります。


 上流側へ同じ種類の工場ができて、汚れた水が流れてくるのも困ります。


 だからといって、下流へ置いて全部流せばいい、という話でもありません。


 下流にはネーデルラントがあります。


 今度は銀行まで一緒に作る相手です。


「タールは取る。ガスも燃料に使えるところまで洗う。アンモニアも取れるだけ取る。汚れた水は、そのまま川へ戻さない」


「コークスを作る工場というより、副産物を全部分ける工場になりますね」


「その方が捨てるものが減るでしょう」


 ヒュッテンハイムの候補地には、コークス炉だけでなく、冷却器、タール分離、ガス洗浄、水処理まで必要になりました。


 簡単な工場ではありません。


 しかし、エルレンフェルトの小さな試験炉を巨大にするより、ずっとましでした。



     ◇ ◇ ◇



 高炉と転炉は、すでにライデン側の工業試験地で動いていました。


 送風機もあります。


 銑鉄を作り、転炉で鋼にし、圧延するところまで来ています。


 試験用の短いレールなら作れます。


 問題は量です。


 フランスへ何百km分も供給するとなると、試験設備の延長では済みません。


 コークスをヒュッテンハイムで作る。


 それを船で下流へ運び、ライデン側の炉へ入れる。


 鉄鉱石と石灰石も運ぶ。


 鋼にする。


 レールに圧延する。


 そこまでは、川の流れに逆らわない荷も多い。


 困るのは、そのあとでした。


 出来たレールを、今度はライン川の上流へ持ち上げなければなりません。


 ストラスブールまでです。


「重いものを作ってから、上へ戻すんだ」


 どろちゃんが地図を見て言いました。


「はい」


「すごく、ばかみたい」


「炉を今すぐ全部移しますか」


「それも、もっとばかみたい」


 すでにある高炉。


 転炉。


 送風機。


 圧延設備。


 測定器。


 そこで働ける人。


 全部を捨てて、石炭の近くへ移すわけにはいきません。


 将来、大きな製鉄所がルールやヒュッテンハイム側へ増えることはあるでしょう。


 そのときは、ライデン大学とエルレンフェルトの特許を使って作ってもらえばいい。


 でも、最初の大量生産は、いま動く設備を使う方が早い。


「じゃあ、川を上げるしかないね」


 ライン川を上るのは大変です。


 水玉船で走ってみて、よく分かりました。


 流れの速いところがあります。


 浅いところがあります。


 川筋が分かれます。


 昔の河道は、今よりずっと素直ではありません。


 それでも、こちらには上空から撮った写真があります。


 現地で水深と流れを調べた記録もあります。


 どこで船を軽くするか。


 どこで岸から引くか。


 どこに巻上げ設備を置けばいいか。


 どこなら荷を一度降ろして別の船へ積み替えられるか。


 分からないまま川へ出るのとは違います。


「遅くてもいいよね。レールは腐らないし」


「納期には限度があります」


「分かってる。でも、お客さんを運ぶ船みたいに急がなくていい」


 何百本ものレールを、一度に全部運ぶ必要もありません。


 出来たものから船へ積む。


 ライン川を上る。


 ストラスブールで降ろす。


 また次を送る。


 工事が続く限り、その流れも続きます。


 そこで、どろちゃんは少し考えました。


「……フランスが、もっといっぱい買えばいいんだ」


「はい?」


「パリまで線路を作ればいい」


 技師が地図を見ました。


 ライデン。


 ライン川。


 ストラスブール。


 そこから西。


「それは、かなり長い線路ですよ」


「だから、ルイ陛下に作ってもらう」



     ◇ ◇ ◇



 どろちゃんがエルレンフェルトへ戻ったとき、四か国の財務担当者はまだいました。


 銀行の会議は、だいたい形ができています。


 ちょうどいい人もいました。


 フランスの財務長官です。


 どろちゃんは折った紙を一通持って、休憩時間を待ちました。


「これ、お願いしてもいいですか」


「私に、ですか」


「ルイ陛下へ」


 財務長官は紙を受け取りました。


 表には、ルイ14世へ、とだけ書いてあります。


「急ぎでしょうか」


「そんなに急がなくていいです。でも、たぶん陛下は好きだと思います」


「……何のお話でしょう」


「鉄道です。パリからストラスブールまで」


 財務長官はすぐには返事をしませんでした。


 どろちゃんが冗談を言っている顔ではないことを確かめてから、紙を見直しました。


「伯爵令嬢。それは、一つの町の中に線路を敷く話ではありませんね」


「うん。両方から作るの。パリから東へ。ストラスブールから西へ」


「費用も相当なものになります」


「そうだよ。だから陛下にお願いするの」


 財務長官は、そこで少し笑いました。


「なるほど。そこは私どもの仕事に近い」


「銀行もストラスブールでしょう」


「ええ」


「パリから銀行まで、人も書類も荷物も速く来るよ」


「それだけではないでしょうね」


「いっぱい運べる」


「兵も」


 どろちゃんは少し考えました。


「戦争しないんじゃなかった?」


「戦争をしないことと、移動できないことは別です。それに、平時には商人と荷物を運べます」


「そっちの方が好き」


「陛下も、最近はその価値をよく御覧になっています」


 財務長官は手紙を軽く持ち上げました。


「中を拝見しても」


「陛下宛てだから、陛下が先」


「承知しました」


 どろちゃんは一歩戻ってから、もう一つ思い出しました。


「最初にお客さんを乗せて、お金を取って走る区間も、フランスでいいって書いてあります」


 財務長官の目が、また手紙へ戻りました。


「世界で最初の営業鉄道を、ですか」


「ライデンのは研究用だから」


「……それは、陛下がお好みになりそうですね」


「でしょう?」


「ええ。かなり」



     ◇ ◇ ◇



 手紙の中では、最初からパリまで全部完成させることにはしていませんでした。


 まず、ストラスブールからサヴェルヌまで。


 ライン川を上ってきたレールをストラスブールで荷揚げする。


 線路を少し敷く。


 完成したところまで、次のレールを列車で運ぶ。


 また敷く。


 工事用の列車が走れるようになったら、人も乗せる。


 郵便も載せる。


 小さな貨物も運ぶ。


 運賃を取る。


 それで、工事用鉄道がそのまま世界最初の営業鉄道になります。


 線路が伸びれば、営業区間も伸びます。


 ただし、レールそのものは最後までストラスブールへ運び続けなければなりません。


 線路が100km西へ伸びても、レールを作る場所がライン川の下流にある限り、最初の区間は船です。


 だからストラスブールの河港には、レールを降ろす設備と、大きな仮置場が要ります。


 川から鉄道へ。


 そこで荷物の流れが変わります。



     ◇ ◇ ◇



 問題は、サヴェルヌの西でした。


 山があります。


 これまでの道なら、谷を拾います。


 南へ回ります。


 山腹に沿って曲がります。


 穴を掘る距離を減らしながら、通れる場所を探します。


 どろちゃんたちは、別の線を考えました。


 山を抜きます。


 長いトンネルを一本、できるだけ素直な線形で通す。


 鉄道は電気で走ります。


 完成したあと、蒸気機関の煙をトンネルの中へ溜める心配はありません。


 距離が短くなる。


 曲線が減る。


 勾配も抑えられる。


 そのためなら、掘る穴が長くなってもいい。


 食堂の端へ地図と航空写真を広げていたとき、ネーデルラント側の財務担当者が覗き込みました。


「こちらへ回る方が、穴は短くありませんか」


 指は谷筋を追っています。


「短いよ。でも線路が長くなる。曲がるし、高さも余計に変わる」


 どろちゃんは、別の場所を指しました。


「こっちから抜きたい」


 財務担当者は、写真と地図を交互に見ました。


「山ですよ」


「うん。だから穴を掘る」


「随分長い穴になりますね」


「2kmに届くか届かないかくらいのところもありそう。まだ現地で線を決めてないけど」


 そこへ、ネーデルラント側の別の人が来ました。


 話を聞いて、写真を一枚取りました。


「水は調べましたか」


「地表は。湧いてるところも印を付けてある」


「地下は掘らないと分かりません」


「そうだね」


「水路のトンネルで、似た仕事をしている者がおります。鉄道の穴とは違いますが、両側から掘るときの測量、排水、立坑、支保については使えるものがあるでしょう」


 どろちゃんが顔を上げました。


「来てもらえます?」


「私は財務の人間です」


「帰ったら聞いて」


 フランソワさんが横から小さく咳をしました。


 どろちゃんは言い直しました。


「紹介してもらえませんか」


「それなら、聞いてみましょう」


 写真には、まだ線を引きませんでした。


 空から見ても、地下の岩までは見えません。


 ただし、何も分からないわけでもありません。


 谷。


 稜線。


 露頭。


 水の出る場所。


 道。


 集落。


 標高。


 上空写真と地上調査の結果を重ねれば、候補はかなり絞れます。


 最後は、フランス側の測量技師と、ネーデルラントから来るトンネル技師と、ライデン側の鉄道技師が現地を歩いて決めます。



     ◇ ◇ ◇



 翌朝。


 四か国共同銀行の会議では、最後の数字がまだ動いていました。


 その隣で、サヴォイの同行者たちは帰る前の相談をしています。


 誰かはストラスブールへ寄りたいと言っています。


 誰かはホテルの宴会場をもう一晩使いたそうでした。


 フランスの財務長官の鞄には、ルイ14世宛ての手紙が入っています。


 ライデンでは、石炭の試験がまだ続いています。


 ヒュッテンハイムでは、コークス炉をどこへ置くか調べることになります。


 ライン川では、これから重いレールを上流へ運ばなければなりません。


 サヴェルヌの西には、まだ山があります。


 どろちゃん自身が銀行を作るわけではありません。


 コークスを毎日焼くわけでもありません。


 何百kmもの線路を自分で敷くわけでもありません。


 人を運びました。


 石炭を試しました。


 地図を見ました。


 手紙を一通、渡しました。


 そのくらいです。


「お嬢様」


 帰り支度をしていたフランソワさんが聞きました。


「本当に、陛下が乗ってこられると思いますか」


「たぶん」


「鉄道の計画に、という意味です」


「分かってるよ」


 どろちゃんは少し考えました。


「でも、完成したら本人も乗ると思う」


 フランソワさんは返事をしませんでした。


 否定する材料も、あまりありませんでした。


     ◇ ◇ ◇


第53章の小さな説明



【四か国共同銀行】


 この章の銀行は、すでに存在していた銀行ではありません。


 エルレンフェルト条約で戦争をやめたフランス、イングランド、ネーデルラント、サヴォイの四か国が、新しく共同で作る銀行です。


 普通の商人や地主への貸付だけではなく、一国の戦費に近い大口融資まで扱います。


 皇帝側へ貸す場合も、「神聖ローマ帝国」という一つの国庫へ貸すのではありません。皇帝の宮廷財政、ハプスブルク家の世襲領、特定領地の税収、保証人など、実際に返済義務を負う相手と返済財源を確認します。


 四か国間には電信があるため、支払指図を先に送って帳簿上で相殺し、金貨や銀そのものは差額だけ後から動かす仕組みを作れます。その代わり、電文の番号、照合符号、再使用防止などが必要になります。



【財務担当者の送迎】


 北西側の三か国は、12人乗りに組み替えたミツバチちゃんで順番に迎えます。


 フランス四人、イングランド四人、ネーデルラント四人で、最後は12席が埋まります。


 サヴォイだけは方向が違い、アルプス越えになるため別便です。実務者四人に加え、空席を使って妻や親族などの同行者も運びます。


 エルレンフェルト側が舞踏の相手を用意したのではありません。サヴォイ側が自分たちの社交上の同行者を連れてきただけです。



【1703年ごろのサヴォイ側女性の服装】


 この時期には、後世の大きな横張りのパニエを使ったロココ盛期の姿にはまだなっていません。


 物語では、前世紀末から続くマントゥアを基本にしています。前を開いてストマッカーとペティコートを見せ、袖口にはレースを重ねます。


 フォンタンジュと呼ばれる高いレースの髪飾りも、まだ見られる時期です。


 トリノはフランス宮廷とイタリア双方の影響を受ける場所なので、色や刺繍には少し華やかなものを混ぜています。



【石炭とコークス】


 石炭は、炭田名だけで性質が決まるものではありません。


 同じ炭田でも炭層によって水分、灰分、硫黄分、揮発分、加熱したときの軟化・膨張、出来上がるコークスの強度が違います。


 そのため、ライデンではケルン周辺、ルール、ザール、ロレーヌなどから試料を集め、小さな乾留炉で実際に焼いて比較します。


 ケルン周辺の褐炭は燃料には使えても、高炉で鉱石の重さを支える丈夫な冶金用コークスには向きません。


 ルール、ザール、ロレーヌ側では使える炭がありますが、炭層ごとの差があるため、最終的には「どこの炭田か」ではなく品質規格で購入します。


 単独では弱い炭について、別の炭との配合や少量のピッチ添加を試すこともあります。



【コークス工場をエルレンフェルトへ置かない理由】


 石炭の乾留では、コークスだけが出来るわけではありません。


 ガス、タール、アンモニアを含む液、芳香族成分、硫黄化合物なども出ます。


 小さな試験炉なら密閉して回収できますが、大量生産では炉の装入、押出し、冷却、ガス処理、排水処理まで大きな設備になります。


 エルレンフェルトは狭く、ライン川沿いに町、農地、船着場があります。


 そのため重い公害源になるコークス工場を置かず、石炭に近く、ライン水運を使えるヒュッテンハイム側で生産する方針にしました。


 副生するタールやガスも捨てず、回収して別の原料や燃料として使います。



【高炉・転炉とレール】


 ライデン側にはすでに高炉、送風機、転炉、圧延設備があります。


 短い試験用レールは作れます。


 しかし、パリ―ストラスブール線のような長距離鉄道になると必要量が桁違いなので、既存設備を基礎に量産設備へ拡張します。


 コークス工場、製鉄所、精密工場を一か所へ集める必要はありません。


 ライデン大学とエルレンフェルトは研究、規格、設計、試作、特許を持ち、量産は資源と土地に向く場所へ分散させます。



【ライン川を上るレール】


 ライデン側で圧延したレールは、ストラスブールまでライン川を上ります。


 鉄道が西へ延びても、この水運区間はなくなりません。


 ストラスブールまで船で運び、河港で荷揚げし、そこから完成済みの線路を使って工事前線へ送ります。


 ライン川を上るのは容易ではありませんが、航空写真と現地調査で流れ、浅瀬、分流、曳航や巻上げが必要な場所を事前に調べられます。



【パリ―ストラスブール鉄道】


 フランス側は、パリとストラスブールの双方から建設を進めます。


 東側では、まずストラスブール―サヴェルヌ間を営業区間として開業します。


 工事資材を運ぶために作った線路へ旅客、郵便、小口貨物も載せ、運賃を取る方式です。


 ライデンの線路は研究用なので、世界で最初に一般客から運賃を取る営業鉄道という名誉はフランス側へ譲ります。



【サヴェルヌ西方のトンネル】


 サヴェルヌから西へはヴォージュ山地を越えます。


 昔からの交通路のように谷をたどって南へ迂回し、短いトンネルを組み合わせる方法ではなく、航空写真と精密測量を使って山体をより直線的に貫く線形を選びます。


 電気鉄道なので、完成後の長いトンネル内に蒸気機関車の排煙を溜める問題はありません。


 ただし工事中には湧水、発破の煙、粉塵、坑内排水、測量などの問題があります。


 そこで、水路トンネルや水利工事の経験を持つネーデルラント側の技師にも参加してもらいます。



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