52貴族令嬢は水玉船を長くします 水玉船改良
第52章 貴族令嬢は水玉船を長くします
◇ ◇ ◇
帝国関係者協議会が終わり、ウィーンから戻って何日かしたころだった。
朝食を終えたどろちゃんが工場へ顔を出すと、船を作っている人たちが待っていた。
机の上には、水玉船の小さな模型が三つ並んでいる。
「どうしたの?」
「お嬢様。少し長いものを作ってみたいのですが」
「長い?」
職人が模型を指した。
今までの水玉船は、浮力を受け持つ舟体を、ゴムボートのような区画として前後に二つ並べていた。
横には一つ。
つまり、一列に二つ。
その外側を鋼管の骨組みでまとめ、その上に客室と機関部と船員の場所を載せている。
「こちらが今までの船です」
「うん」
「これを三つにしたらどうかと思いまして」
横一列のまま、前後方向だけ三つ。
模型を並べると、確かにずいぶん細長く見える。
「曲がりにくくならない?」
「なります」
「すぐ言うね」
「そこは、なると思います」
別の職人が笑った。
「ただ、長くなれば前後の揺れは減るはずです。それから客室を増やせます」
「機関室は大きくならないもんね」
「船員の場所も、ほとんど同じです」
どろちゃんは模型を上から眺めた。
現在の水玉船は、十人ほど座れば客席が埋まる。
それでも小さな高速船としては十分に役立っていた。
郵便、薬、役人、商人、研究者。
大量の麦や木材を運ぶのは昔からの艀に任せ、水玉船は人と急ぐ荷物を運ぶ。
その分担も、ようやく落ち着いてきたところだった。
「三つにすると、何人くらい?」
「二十人くらいまで取れると思います」
「倍になるの?」
「船員区画と機関部の長さは変わりませんから、増えた部分をほとんど客室に使えます」
「それなら作ろう」
返事が早すぎたらしく、職人が一度瞬きをした。
「予算も、よろしいでしょうか」
「うん。二隻作って比べよう」
「二隻ですか」
「同じのを二隻作っても面白くないから、変えてみようよ」
そこで、工場の技師も加わった。
一本の鋼管を持ってくる。
「長くしますと、この縦方向の部材にかかる負担が増えます」
「じゃあ一本は今と同じ太さ」
「はい」
「もう一本は?」
「肉厚は同じで、外形を一・五倍ほど大きくしてみたいのですが」
「それでいこう」
二隻の試作が決まった。
一隻は、これまでと同じ寸法の鋼管を使って船体を長くする。
もう一隻は、前後に通す主要な縦貫材だけを太くする。
どちらがよいかは、作って走らせてから考えることになった。
◇ ◇ ◇
船体を長くするだけなら、図面の上では簡単だった。
実際に作ると、そうはいかなかった。
鋼管を切り、治具に固定して溶接する。
外側には薄い鋼板を張る。
浮力区画には、布と柔らかな材料を組み合わせた空気袋を収める。
以前と同じ作り方で、前後方向だけ長くする。
最初の一隻が形になるころには、工場の床をかなり占領していた。
「長いねえ」
「お嬢様が作れとおっしゃったのですが」
「こんなに長く見えると思ってなかった」
「水に浮かべれば、また違って見えますよ」
二隻とも進水させると、それまでの水玉船とは明らかに動きが違った。
静かな水面を進むだけでも、船首が上下に振られる動きが小さい。
少し波があるところへ出すと差はもっと分かった。
「揺れないね」
「横には揺れます」
「それはそうだね」
「ただ、前後はかなり違います」
船頭さんも頷いた。
「長い方が楽ですな。頭を振られません」
乗っている側も同じだった。
短い船では、波を越えるたびに船首が持ち上がり、少し遅れて船尾が上がる。
三つ連結した長い船では、その動きがゆっくりになった。
お茶を飲む船なら、この差は大きい。
「サモワール、大きくしてもいいかも」
「そこからですか」
「だって、こぼれにくいよ」
フランソワさんが、座席の横から答えた。
「お嬢様。まだ試験中です」
「分かってるよ」
ただし、良いことばかりではなかった。
荷重試験を進めると、同じ太さの鋼管で長くした一隻に問題が出た。
直角に交わる鋼管の溶接部が、わずかに開き始めたのである。
壊れて落ちたわけではない。
だが、見逃してよい変形でもなかった。
「ここです」
職人が指を入れる。
「剥がれてる?」
「少しです。ただ、このまま繰り返しますと良くありません」
どろちゃんは外板側を見た。
「骨が曲がったら、こっちが裂けるね」
「それが一番困ります」
鋼管そのものが折れなくても、骨組みが変形すれば、その外側を覆う薄い部分に無理がかかる。
浮力を受け持つ船体でそれが起きれば、骨組みだけ無事でも意味がない。
「じゃあ、角に板を入れよう」
「三角ですか」
「うん。薄いのでいいと思う」
直角に交わる部分へ、薄い直角二等辺三角形の鋼板を一枚ずつ入れる。
溶接部を広い面でつなぎ、角が開こうとする動きを抑える。
補強を終えて、同じ荷重をかける。
もう一度。
さらに条件を変えてもう一度。
「今のところ、動きません」
「壊れない、じゃなくて?」
「目で分かる変形も出ていません」
「じゃあ、こっちも走らせよう」
太い縦貫材を使った船も、三角板で補強した船も、どちらも完成させることになった。
「片方を捨てないんですか」
「どっちが長持ちするか分からないもん」
「営業に入れて調べます?」
「そうしよう」
実際の客を乗せ、実際の川を走り、毎日使う。
静的な試験台の上では見えないものが、そこで出る。
◇ ◇ ◇
最初の営業試験は、近距離から始めた。
ケール。
ストラスブール。
何度も通っている航路で、川の様子も船頭さんたちがよく知っている。
料金は変えなかった。
従来船に乗っても、大型船に乗っても同じ。
ところが、乗客から見ると大型船の方が明らかに得だった。
「こっちの方が広いですね」
「新しい船です」
「料金は?」
「同じです」
「同じ?」
「はい」
その声を聞いたどろちゃんが、後ろを向いた。
「まだ試してるから」
「お嬢様、それをお客様に言ってよろしいのですか」
「壊れる試験じゃないよ」
フランソワさんが少し困った顔をした。
「そういう意味ではありません」
二十人ほどが座れる客室は、十人でいっぱいになっていた従来船とはかなり違った。
同じ人数なら余裕がある。
満員にしても、一人当たりの席を極端に狭くする必要はない。
さらに、前後の揺れが少ない。
ただし、満員にすると別の問題も見えた。
「出るまで時間がかかるね」
「二十人いらっしゃいますから」
一人ずつ乗り、荷物を置き、席へ進む。
到着すれば、その逆をする。
十人のときより確実に長い。
「近距離だと、これ結構効くね」
「はい。走っている時間が短いですから」
加速も少し鈍かった。
船そのものが大きくなり、人も荷物も増えた。
20kWの機関は同じである。
発進時には、従来船より時間がかかる。
燃料消費も少し増えた。
ところが速度が乗ってしまうと、今度は長い船の方が速かった。
船頭さんが計器を見ながら言った。
「伸びますな」
「最高速、こっちの方が出るね」
「出ます。ただ、そこまで持っていくのに時間がかかります」
「近いところには、あんまり意味ないか」
「そうでしょうな」
ケール線とストラスブール線を何度か走らせたところで、使い道が見えてきた。
「遠いところへ回そう」
「ハイデルベルクですか」
「うん。それとバーゼル」
長い巡航区間なら、発進の遅さは問題になりにくい。
最高速度が高いことは、そのまま所要時間の短縮になる。
二十人乗れることも、大きい。
そして長時間乗るなら、揺れが少ないことの価値はさらに増える。
◇ ◇ ◇
ハイデルベルク線へ入れた最初の日、船頭さんはいつもより早めに機関を開けた。
どろちゃんも同乗していた。
「もう全開にするの?」
「まだ全開ではありません」
「速いところ、もう少し先だよね」
「ですから、ここから速くするんです」
前方の水面は、少し色が変わっていた。
川幅と川底の形が変わり、流れがまとまっている。
従来船なら、その区間へ入ってから出力を上げても、流れに押されて対地速度がかなり落ちる。
大型船は違った。
流れが緩いうちに速度を上げる。
十分に速くなったところで、そのまま急な流れへ入る。
船首に水が当たり、速度が落ち始めた。
それでも船は止まらない。
「なるほど」
どろちゃんが前を見た。
「速いうちに入っちゃうんだ」
「入ってから頑張っても、なかなか速くなりませんからな」
「慣性で抜けるんだね」
「長い瀬なら無理ですが、ここくらいなら」
船は歩くくらいの速度まで落ちたが、それでも前へ進み続けた。
やがて流れの強い場所を抜ける。
そこから再び速度が上がった。
「これ、前の船よりずっと楽?」
「楽ですな。余裕があります」
「じゃあ、そのやり方は船頭さんたちで決めて」
「そうします」
どろちゃんは、それ以上口を挟まなかった。
どこから速度を上げるか。
どちらの岸へ寄るか。
水位が違う日はどうするか。
同じ場所でも、昨日と今日で砂礫の位置が変わることがある。
その川を毎日見ている人の方がよく知っている。
機関の出力も、船の長さも、数字として測れる。
だが、川を読む技能まで一日で数字に置き換える必要はなかった。
「水位と時間だけ書いておいてね」
「それは毎便やっています」
「じゃあ、それでいいや」
◇ ◇ ◇
長距離線へ入れることが決まると、客室の設備も見直した。
バーゼル線とハイデルベルク線は、もともと食事付きだった。
長い船になったから食事を始めるのではない。
パン、チーズ、ジャム、クラッカーなど、航海中に食べやすいものを出すやり方もそのままだった。
変わったのは、二十人を乗せるため、一度に用意する量が増えたことである。
「サモワール、小さいね」
「船が大きくなりましたので」
「前のをそのまま載せたら足りないか」
「満員ですと、お茶を出すのに時間がかかります」
「じゃあ、大きいのにしよう」
従来船のサモワールも、最初から単に床へ置いてあるわけではなかった。
熱湯を入れた器具が、揺れる船の中を動けば危険すぎる。
低い位置に受け枠を作り、船体側の骨組みに金具で固定する。
上部にも倒れ止めを付け、蓋や注ぎ口が不用意に動かないようにする。
大型船では、その固定台ごと大きなものへ作り替えた。
前後の揺れが減ったので給仕はしやすくなったが、固定を緩くする理由にはならない。
「料金は?」
係の人が尋ねた。
「同じ」
「二十人乗れて、食事も今まで通りですね」
「うん。だから同じでいいよ」
運航側から見れば、燃料は少し増える。
しかし一便で運べる人数は大きく増えた。
二十席を使えるなら、料金を上げなくても十分に意味がある。
むしろ問題は、船着場の方だった。
◇ ◇ ◇
最初に困ったのは、エルレンフェルトの待合室だった。
大型船が一隻着く。
二十人が降りる。
次の便を待っている人がいる。
そこへ荷物を持った商人まで入ってくる。
「狭い」
どろちゃんが入口で止まった。
「お嬢様、今ごろお気づきになりましたか」
「前は入れたよ」
「船が倍になりました」
「船は倍になってないよ。長さが」
「お客様が倍です」
待合室では、座れない人が壁際に立っていた。
雨の日なら、もっと困る。
乗船券を扱う机の前にも人が重なっている。
荷物を置くところも足りない。
「広げよう」
翌日には、建物を担当する人たちが呼ばれた。
既存の待合室を壊すのではなく、横へ増築する。
屋根を伸ばす。
ベンチを増やす。
荷物を置く場所を客席から少し離す。
乗船券を買う人と、すでに券を持って待つ人が同じ場所へ固まらないよう、入口の流れも変える。
「倍の広さ?」
「そこまでは要らないと思います」
「なんで?」
「二十人全員が一時間待つわけではありませんから」
「そっか」
「ただ、雨の日に二便分が重なっても困らない程度にはしたいです」
「じゃあ、そのくらい」
ストラスブール側も同じだった。
こちらは人の出入りがもっと多い。
船から降りる人、乗る人、町へ行く人、荷物を受け取る人。
ケール側は近距離便が多いので、長く滞在する客は少ないが、それでも屋根の下の面積は増やした。
ハイデルベルクとバーゼルでは、現地の船着場を管理する人たちと相談し、大型船が定期的に入る前提で待合場所を広げる。
全部を同じ形にはしない。
使える土地も違う。
既存の建物も違う。
ただし、座る場所、雨を避ける場所、荷物を分ける場所だけは確保した。
「船を大きくしたら、陸まで大きくなるんだね」
「お客様が増えるというのは、そういうことかと」
フランソワさんが答えた。
「お茶の量も増える」
「そこへ戻りますか」
「大事だよ」
◇ ◇ ◇
営業を始めてしばらくすると、二隻の大型船には、それぞれ小さな帳面が置かれた。
一隻は三角板で補強した、従来寸法の縦貫材を使う船。
もう一隻は、縦貫材そのものを太くした船。
毎日の運航時間。
乗客数。
積荷。
燃料。
水位。
どこで船体を点検したか。
どこに変形が出たか。
溶接部に変化がないか。
外板に擦れや裂けがないか。
全部を書いていく。
船着場でぶつかるところには、ホテルや会議棟へ品物を運んだときに大量に出た梱包材も使われていた。
軽くて水を吸いにくい発泡材を布や革で包み、船体の側面へ縛る。
接岸時の当たりを柔らかくする。
同じ材料は救命具にも使われている。
浮く材料を布で包み、身体から抜けないよう紐を付けたものだった。
「まだいっぱいある?」
「梱包を開けるたびに増えます」
「捨てなくてよかったね」
「場所は取ります」
「じゃあ船に付けよう」
「全部は付きません」
工場の隅には、まだ白い発泡材が積み上がっていた。
◇ ◇ ◇
ある日の夕方、大型水玉船がハイデルベルクから戻ってきた。
船着場の前で速度を落とし、船頭さんが舵を切る。
長い船体がゆっくり向きを変えた。
短い船ほどくるりとは回らない。
だが、その癖ももう船頭さんたちは覚えている。
岸へ寄せる。
側面の緩衝材が軽くつぶれた。
綱が取られる。
扉が開く。
乗客が一人ずつ降り始めた。
以前より時間はかかる。
だが、誰も急いで飛び降りる必要はない。
後ろから、商人らしい男がチーズの包みを持って出てきた。
「これ、船でもらったの?」
どろちゃんが聞いた。
「はい。残ったので、持って帰ってよいと」
「そうなんだ」
「前の船より楽でしたよ」
「揺れ?」
「それもです。お茶を飲んでいても、あまりこぼれません」
男はそう言って町の方へ歩いていった。
次の客が降りる。
その後ろにもまだ人がいる。
増築した待合室では、次便の客が座って待っていた。
前なら建物からあふれていた人数だった。
「広げてよかったね」
「はい」
フランソワさんが答えた。
どろちゃんは船を見た。
長くなっただけだった。
機関は同じ20kW。
料金も同じ。
それでも、一度に運べる人は増え、揺れは減り、最高速度は上がった。
短い急流なら、手前から速度をつけて抜ける余裕までできた。
その代わり、発進は遅くなった。
燃料も少し余計に使う。
乗り降りには時間がかかる。
待合室まで広げなければならなくなった。
「一個変えると、いっぱい変わるね」
「いつものことではございませんか」
「そうだった」
船頭さんが機関を止めた。
さっきまで低く響いていた音が消える。
桟橋の水音だけが残った。
工場の人が、点検用の帳面を持って船へ向かう。
二隻のうち、どちらの構造が長く使えるのか。
まだ答えは出ていない。
だから、明日も走らせる。
人を乗せて。
いつものお茶と食事を載せて。
そして船頭さんたちに、川を読んでもらいながら。




