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51貴族令嬢は、帝国の人たちと二日話します  臨時の民間輸送の始まりです。

第51章 貴族令嬢は、帝国の人たちと二日話します



 皇帝陛下まで到着した日の夜。


 ホテルのロビーへ、また人が集まり始めました。


 会議ではありません。


 明日の会議で、何を聞くかを整理するためです。


 皇帝陛下はスィートへ上がっています。

 お付きの人もいます。


 ロビーに集まったのは、帝国内の領邦や諸侯を代表して来た人たちでした。


 テーブルの上へ紙が置かれます。


「まず、共通して聞くべきことをまとめましょう」


「各領邦ごとの話まで、陛下の前で全部やっていたら終わらない」


「港湾と通商については共通でよいでしょう」


「帝国の扱いもです」


「そこは最初に確認した方がいい」


 ホテルの係が近づきました。


「お飲み物はいかがなさいますか」


「何があります?」


「珈琲、またはお茶。サンドイッチをお付けできます」


「では、それを」


 無料ではありません。


 代表団用の価格ではありますが、部屋または代表団へ付けられます。


 もう少し安く済ませたい人なら、道路を挟んだ川側の水玉船待合所へ行けば、ピロシキと、ジャムを入れたお茶があります。


 でも今夜は、紙を広げたまま話したい人たちが多いのです。


「帝国全体が、四か国条約へそのまま加わる話ではないはずですな」


「そう聞いています」


「では、どこまで皇帝陛下が決められて、どこから各領邦へ戻るのか」


「それも聞きましょう」


「誰が聞きます?」


 そこで少し止まりました。


 質問そのものより、誰が言うかの方が難しいこともあります。


 最後には、共通の質問。

 領邦ごとの質問。

 あとで個別に聞けばよいこと。


 三つくらいに分かれました。


 まとめた紙は、皇帝陛下のところへ持っていきます。


 皇帝陛下は目を通し、二つほど書き加えました。


 あとは明日です。



     ◇ ◇ ◇



 4月3日。


 帝国関係者協議会、一日目です。


 正式には、


 エルレンフェルト条約に関する帝国関係者協議会。


 家の中では、みんな説明会と言っています。


 朝、ホテルのカードに会議棟へ上がる権限が入りました。


 昨日までは動かなかった斜行エレベーターが、今日は動きます。


 皇帝陛下。

 お付き。

 各領邦の代表。


 二十人が、何回かに分かれて丘の上へ上がりました。


 会議室の正面には大きなスクリーンがあります。


 その手前には、光を使って透明なシートの文字や図を大きく映す装置。


 どろちゃんは、これを使うのが好きでした。


「全部、紙で配ってあるんだよね?」


「はい、お嬢様」


「じゃあ、絵だけ大きくするね」


 最初に映したのは題名です。


 エルレンフェルト条約

 帝国関係者協議会


 次に、ヨーロッパの地図。


 その次に、四か国会議で話した地域。


 条約本文は手元の紙にあります。


 大きく映すのは、文字だけでは分かりにくいところです。


 どろちゃんが説明し、お父様が制度や条約上の扱いを補います。


 皇帝陛下は、最初から全部を自分で話そうとはしません。


 聞いています。


 ときどき止めます。


「そこをもう一度」


「はい」


 どろちゃんは透明シートを戻しました。


 港。

 川。

 道路。

 関税。

 通商。


 戦争で取り合うのではなく、人と物とお金が流れるようにする。


 四か国会議で決めたことを、今度は帝国側へ順番に説明していきます。


 質問も入りました。


「港へ投資した場合、収入から回収する期間は誰が決めるのですか」


「工事を始める前に、関係する側で文書にします」


 お父様が答えました。


「あとから勝手に割合を変える形にはしません」


「帝国領邦の商人も利用できますか」


「四か国条約だけで、帝国側へ自動的に権利が発生するわけではありません。ただ、排除するための仕組みにしたわけでもありません。そこは後続の合意で整えられます」


 紙に書く人。


 地図を見る人。


 皇帝陛下の顔を見る人。


 いろいろです。



     ◇ ◇ ◇



 それから、大きな地図を映しました。


 四か国会議で使ったものです。


 しばらく見ていた一人が、手を上げました。


「一つ、よろしいでしょうか」


「はい」


「……帝国の取り分がありませんね」


「え?」


 どろちゃんも地図を見ました。


 もう一度見ました。


 フランス。

 イングランド。

 ネーデルラント。

 サヴォイア。


 それぞれが関係するところ。


 帝国。


「……ほんとだ」


 会議室が少し静かになりました。


 どろちゃんは地図へ近づきました。


「皇帝陛下が四か国会議にいなかったから、そこまで考えてなかった」


 お父様が横から見ました。


「ドロテーヤ」


「うん。これは私の見落とし」


 言い訳をしても地図は増えません。


 代表が聞きました。


「では、帝国側には何もない、と?」


「それは困るね」


 どろちゃんは少し考えました。


 ヨーロッパの中で、また一つ領地を分ける。


 でも、帝国は一枚の国ではありません。


 皇帝陛下へ渡せば帝国全部のものになる、というものでもありません。


「帝国で一つの土地を持つって、誰の土地になるの?」


 今度は帝国側が少し黙りました。


 一人が笑いました。


「そこから始まりますか」


「だって、そこが分からない」


 皇帝陛下も地図を見ています。


「余の家領へ入れるのであれば話は簡単になる」


「でも、それだと帝国の取り分じゃなくて、陛下の家の取り分になるよね」


「その通りだ」


「じゃあ、やっぱり別に考えないと」


 どろちゃんは別の地図を持ってきました。


 今度はもっと広い地図です。


 ヨーロッパだけではありません。


 アフリカまで入っています。


 透明なシートを重ねます。


「ここ」


 コンゴ川の流域。


 線で塗りつぶしません。


 斜線です。


「それから、こっち」


 アフリカの角の東側。


 こちらも斜線。


 領土の色ではありません。


 予約を考える場所です。


「これは、帝国領という意味ではありません」


 どろちゃんは先に言いました。


「ここに住んでいる人の土地を、私たちがこの部屋で勝手に帝国へ渡すことはできないから」


 何人かがうなずきました。


「じゃあ何を決める?」


 透明シートの斜線を指します。


「四か国が、帝国側より先にここへ入って取り合わない、っていう約束ならできる」


「優先区域ということですか」


「そんな感じ。最初から全部取るんじゃなくて、調べる。商売する。現地で話す。港を使わせてもらえるなら港。川を調べるなら川。それで少しずつ」


 別の代表が、コンゴ川の斜線を見ました。


「ずいぶん広く見えますが」


「広いよ」


「帝国本土と比べると、どの程度です?」


「この地図だと、あんまり分かりやすくないね」


 赤道に近いところと、ヨーロッパでは、地図の見え方も違います。


 どろちゃんは別の面積資料も出しました。


 そこで、今度は違う意味で静かになりました。


「……これを帝国で?」


「今すぐ全部じゃないよ」


「今すぐでなくても、これは」


「だから、まず調査」


 皇帝陛下が口を開きました。


「そなたは、帝国へ土地を与えたつもりではないのだな」


「はい。四か国に、先に取らないでって頼む場所です」


「そして、その先は帝国側で決めよ、と」


「そうです」


 皇帝陛下は地図を見たまま、少し笑いました。


「余へ、また面倒なものを渡したな」


「まだ渡してません」


「そうであったな」


 そこは大事です。



     ◇ ◇ ◇



 四か国は、ここにいません。


 ルイ十四世も。

 アン女王も。

 サヴォイア公も。

 ネーデルラントの代表も。


 だから今日、この部屋にいる人だけで、


 コンゴ川流域とアフリカの角東側へ四か国は入らない。


 そう決めることはできません。


 お父様が、条約の紙を開きました。


「元の条約を変更し、四締約当事者へ新しい義務を加えるなら、影響を受ける署名者の文書による同意が必要です」


「では、今日は?」


「帝国側として、こういう扱いを求める、という確認までです。それを四か国へ送り、別に同意を取ります」


「四か国が断れば?」


「その部分は成立しません」


 とても普通の答えです。


 どろちゃんも続けました。


「だから、地図も今は斜線だけ」


 帝国の色ではありません。


 まだ誰の色にもなっていません。


「もし四か国が同意したあと、帝国側で調査を始めるとして、誰がやるのです?」


 また難しいところへ戻りました。


「皇帝陛下の役所ですか」


「全部をそれで動かすのは無理があるでしょう」


「商業都市を入れるべきだ」


「出資する領邦も必要です」


「船は?」


「船を持っているところが限られる」


「医師は」


「測量は」


「現地との契約を誰の名で結ぶ?」


 どろちゃんは黙って聞いていました。


 帝国。


 地図で見ると、一つの大きな名前です。


 中を見ると、色がいっぱいあります。


 皇帝陛下が一言言えば全部動く国ではありません。


「会社みたいなの作る?」


「会社?」


「みんなでお金とか人を出すところ」


 一人が考えました。


「帝国全体の機関とするより、参加する領邦と都市による共同事業体の方が始めやすいかもしれませんな」


「それなら、参加しない領邦まで費用を負担させずに済む」


「皇帝陛下の保護を受ける形にはできる」


「でも、一人の王様の私有地みたいにはしないでね」


 どろちゃんが言いました。


「それはなぜ?」


「広すぎるから。あと、そこに住んでいる人と話す人、税金を決める人、商売する人、全部同じ一人にすると、止める人がいなくなる」


 皇帝陛下がこちらを見ました。


「そなたは、そこだけ妙に慎重だな」


「大きいところは、慎重なくらいがいいよ」


 どろちゃんは、それ以上の説明をしませんでした。



     ◇ ◇ ◇



 昼です。


 全員で同じ昼食を食べました。


 四か国の王様たちを迎えた正式晩餐ではありません。


 仕事をする人が、午後も眠くなりすぎないくらいの食事です。


 温かい料理。

 肉。

 魚。

 野菜。

 パン。

 甘いもの。


 皇帝陛下にも同じものが出ます。


 午後になると、会議室の空気は少し変わりました。


 朝のように、一人ずつ発言を整理して話す感じではありません。


 席を少し動かす人もいます。


 OHPはそのまま。


 地図もそのまま。


「川を上るなら、どこまで船が入れるか調べないと」


「海岸の方は?」


「港を作るにしても、最初に測深が要る」


「現地で病気が出たら?」


「医師は必要でしょう」


「それ以前に水ですな」


 誰かが言うと、どろちゃんがそちらを見ました。


「そう。水は大事」


「そこは強く反応されますな」


「大事だから」


 全部に答えがあるわけではありません。


「お嬢様、費用はどの程度を考えていますか」


「分かんない」


「分からない?」


「まだ船が何隻いるかも、どこへ港を置くかも、何人行くかも決まってないから。調べないと金額出せないよ」


 別の人が笑いました。


「その答えが一番正しいかもしれません」


 地図を前にした話は、夕方まで続きました。


 最終的な文章は、明日まとめます。


「今日はここまでにしましょう」


 お父様が言いました。


「今夜、今日の質問と意見を整理します。明日の朝、文面を確認していただきます」


 皇帝陛下も立ちました。


「それでよい。今日は十分に増えた」


「何がです?」


 どろちゃんが聞きました。


「考えることだ」


「土地じゃなくて?」


「まだ土地ではないのであろう」


「はい」


「なら、考えることだけだ」


 その通りでした。



     ◇ ◇ ◇



 夜。


 今回は舞踏会をしません。


 理由は単純です。


 踊る人の男女が、あまりにも揃っていません。


 四か国会議のときは、ストラスブールから市長の娘や商家の女性たちにも来てもらいました。


 でも、今日は帝国側の説明会です。


 わざわざ人数を揃えるためだけに、また呼ぶ必要もありません。


 みんなでホテルの食堂へ行きました。


 食べます。


 飲む人は飲みます。


 話します。


 そして食事が少し落ち着いたころ、どろちゃんがピアノのところへ行きました。


「今日は踊らないのか」


 皇帝陛下が聞きました。


「人数が合わないから」


「それで、そなたが弾くのか」


「うん。前の四か国会議でも弾いたから、同じくらいにしようと思って」


 最初はピアノです。


 ショパン。


 《小犬のワルツ》。


 それからシューマン。


 《トロイメライ》。


 食事をしていた人たちの声が、少しずつ小さくなりました。


 二曲弾いたあと、どろちゃんは立ちます。


 今度はヴァイオリン。


 パガニーニ。


 《24の奇想曲 作品1》第3番 ホ短調。


 ここで、食堂はかなり静かになりました。


「……あれも同じ少女が弾いているのか」


 小さな声がしました。


 フランソワさんは聞こえていましたが、何も言いません。


 またピアノへ戻ります。


 ショパン。


 《華麗なる大円舞曲 変ホ長調 作品18》。


 最後に、もう一度ヴァイオリン。


 マスネ。


 《タイス》より〈瞑想曲〉。


 五曲。


 四か国会議で弾いた五曲を、全部弾きました。


 どろちゃんにとっては、同じ待遇にしただけです。


 聞いている方には、そう簡単な話ではありませんでした。


 最後の音が消えてから、拍手が来ます。


 皇帝陛下は少し遅れて手を叩きました。


「そなたは、会議の準備をしながら、いつ練習している」


「子どものころから弾いてたから」


「それは答えになっているようで、なっていないな」


「そう?」


「まあよい」


 一日目が終わりました。



     ◇ ◇ ◇



 4月4日。


 二日目です。


 朝から、昨日の話を文章へ戻します。


 地図。

 文面。

 署名者の肩書。

 添付資料。


 帝国側で確認するものと、四か国へ送り返して同意を求めるものを混ぜないようにします。


 昨日、コンゴ川流域とアフリカの角東側へ斜線を入れました。


 今日は、その斜線の意味を文章にします。


「帝国領とは書かない」


「はい」


「優先調査・通商区域」


「四締約当事者による先行取得および競合進出を行わないことを求める」


「求める、ですね」


「今日は四か国がいないから」


 ここは何度も確認しました。


 帝国側が署名する文書は、四か国条約を勝手に書き換えるものではありません。


 帝国関係者協議会の確認書です。


 エルレンフェルト条約の説明を受けたこと。


 帝国側の関係者が、今後の調整へ参加すること。


 海外の二地域について、四締約当事者へ優先区域としての扱いを求めること。


 そこに住む人々の土地や統治権が、この会議だけで帝国へ移るものではないこと。


 実際の進出は、調査、通商、現地との合意、港や拠点の整備などを段階的に行うこと。


 そして、四か国側へ新しい義務を生じさせる部分は、四か国それぞれの文書による同意を得て初めて成立すること。


 そこまで書きました。


「これなら、今日署名できます」


 お父様が言いました。


「四か国へ送る文書も、これを基礎に作れます」


 皇帝陛下が確認します。


「帝国の内部で、誰が何を負担するかは」


「今日の文書では決めません」


「うむ。それまで入れると、また二日では終わらなくなる」


 誰も反対しませんでした。



     ◇ ◇ ◇



 昼食。


 そのあと、午後。


 署名です。


 昨日までの紙が、今度は机の中央へ置かれました。


 皇帝陛下。


 帝国側の関係者。


 それぞれ、自分に与えられている権限の範囲で署名します。


 全員の署名が、帝国内の全領邦を一つの命令で拘束するわけではありません。


 でも、


 聞いていない。


 そんな話ではなかった。


 帝国には何も示されていない。


 そういう状態では、もうありません。


 署名が終わりました。


 写真も撮ります。


 四か国会議と同じように、最後はみんなで並びました。


「終わった?」


 どろちゃんがお父様へ聞きました。


「今日の分はな」


「まだ四か国へ送るのあるね」


「ある」


「じゃあ、完全には終わってない」


「外交で完全に終わるものを探す方が難しいよ」


「そうなんだ」


 そのときでした。



     ◇ ◇ ◇



 会議室の横に、昨日までなかった大きな板がありました。


 白い板です。


 かなり大きい。


 でも、額縁のようなものは薄い。


「これ、あった?」


 フランソワさんが首を横に振りました。


「ございませんでした」


 板には地図が描かれています。


 神聖ローマ帝国。


 しかも、今日の会議で使った地図より細かい。


 領邦。

 都市。

 教会領。

 小さな飛び地。


 色と境界が、細かく書き込まれています。


「……嫌になるほど細かいな」


 誰かが言いました。


 皇帝陛下も近づきました。


「これは、余への嫌味か」


「神様に聞いて」


 板の端に、ロシア語があります。


 どろちゃんが読みました。


 Карта Священной Римской империи.

 (カールタ・スヴャシチェンノイ・リームスコイ・インペーリイ。)

 神聖ローマ帝国の地図。


 Границы изменяются вместе с Империей.

 (グラニーツィ・イズメニャーユツァ・ヴミェースチェ・ス・インペーリエイ。)

 境界は帝国とともに変化します。


 Пока существует Империя.

 (パカー・スシチェストヴーエト・インペーリヤ。)

 帝国が存在する間。


 そこで、どろちゃんは止まりました。


「どうした」


 皇帝陛下が聞きました。


「ここまで」


「最後は何と書いてある」


「帝国がある間、境目が勝手に変わるって」


「その先は」


「ないよ」


 皇帝陛下は、もう一度板を見ました。


「つまり、領地が正式に変われば、この地図も変わる?」


「そうみたい」


「占領では?」


「たぶん、境界そのものが変わったときだけだと思う」


「便利ではあるな」


 一人が、ものすごく率直に言いました。


 便利です。


 帝国の中で誰がどこを持っているか。


 分割。

 相続。

 譲渡。

 統合。


 それを追いかけるだけでも大仕事です。


 この板は、勝手に追いかけてくれます。


「陛下にあげるってことだよね」


 どろちゃんが言いました。


「そなたのところへ置いておいた方がよいのではないか」


「うちの地図なら普通ので足りるもの」


 皇帝陛下は少し考えました。


「余に、これを管理せよということか」


「神様も大変だと思ったんじゃない?」


「誰がだ」


「皇帝陛下が」


 何人かが笑いました。


 板を持ってみます。


「軽い」


 見た目より、ずっと軽い。


 これならミツバチちゃんへ積めます。


 大きいので、座席の使い方と固定方法は考えます。


 でも重さは問題になりません。


 皇帝陛下の帰りは明日です。


 神様は、そこまで考えたようでした。



     ◇ ◇ ◇



 署名まで終われば、午後の残りは自由時間です。


 ただし、一つだけ遊びがあります。


 コウノトリちゃん。


 三人乗りです。


 操縦するどろちゃんを除けば、乗れるのは二人。


 四か国会議では、飛行機に乗って遊んだ人がいます。


 帝国側だけ何もないのも、少し違います。


「でも二人しか乗れない」


「皆様をお乗せするのは無理でございますね」


「だから、くじ」


 紙を用意しました。


 その前に、規則を言います。


「当たった人だけ乗れます。人にあげるのは禁止。乗りたくなくなったら、もう一回くじを引きます」


 一人が笑いました。


「皇帝陛下へお譲りすることも?」


「だめ」


 どろちゃんはすぐ答えました。


 皇帝陛下が先に笑いました。


「余も同じ条件らしい」


「はい」


「それでよい」


 くじを引きます。


 二人。


 皇帝陛下ではありませんでした。


 当たった二人が、コウノトリちゃんへ乗ります。


 どろちゃんが前。


 後ろに二人。


 エンジンが始動しました。


 短く走って、浮きます。


 まずライン川。


 ケール。


 ストラスブール。


「左がストラスブール。川の向こうがケール」


 町の上を直接横切りません。


 川と外側を使います。


 それから南へ。


 新しい砦。


 ヌフ=ブリザック。


 そして、ライン川の反対側にある古いブライザハ。


「新しい方と、古い方があるんだ」


「同じ名前なのですか」


「似てるけど別」


 さらに帰る途中、どろちゃんは少し進路を変えました。


「あそこ」


「どこです?」


「あの森と、その畑。あと、ちょっと湿って見えるところ」


「何かあるのですか」


「うちが買った土地」


 二人は窓から見ました。


 森。


 畑。


 湿った低地。


「……普通ですな」


「うん。普通」


 まだ何もありません。


 何を作るかも言いません。


 そのままエルレンフェルトへ戻りました。



     ◇ ◇ ◇



 くじに外れた人たちは、別に閉じ込められていません。


 水玉船へ乗ればいいのです。


 何人かはストラスブールへ行きました。


 昨日まで会議で顔を合わせていた人たちが、今日は店を見ています。


「妻に何か買わないと」


「私はもう買いました」


「いつです?」


「一昨日」


「では、もう一つ買えばよい」


 服。


 布。


 手袋。


 小さな装身具。


 香水。


 銀の小物。


 本。


 酒。


 持って帰れるものはいくらでもあります。


 大きな絵や家具は、飛行機へ入れなくていいのです。


「バーデンまで送れますか」


「もちろんでございます」


「こちらは?」


「そちらも陸送できます」


 店の人は慣れています。


 お金を払えば、あとから届きます。


 帝国から来た役人や代表が、フランス領ストラスブールで家族への土産を買っています。


 少し前まで戦争の話をしていた人たちです。


 でも今日は、妻の服の色を選んでいます。


 ルイ十四世がこの光景を見たら、たぶん機嫌がよかったでしょう。



     ◇ ◇ ◇



 二日目の夜。


 また全員で食堂です。


 明日は皇帝陛下と何人かが帰ります。


 残る人もいます。


 どろちゃんは、またピアノへ行きました。


「今日も五曲か」


 皇帝陛下が聞きます。


「今日は違うの」


 今夜は、もう少し軽くします。


 《くるみ割り人形》から何曲か。


 小さな行進。


 踊り。


 急いで走っていくような曲。


 花が広がるようなワルツ。


 名前を聞かれれば、どろちゃんは答えます。


「チャイコフスキー」


「どこの者だ」


「細かいことは聞かないで」


 それからモーツァルト。


 何曲か。


 明るいもの。


 軽いもの。


 聞いていた人の中には、昼間に買った包みを足元へ置いている人もいます。


 会議は終わりました。


 署名も終わりました。


 ピアノを聞きながら、明日の帰り道の話をしています。


 最後に、どろちゃんは少し違う曲を弾きました。


 ゆっくり。


 音の数も多くありません。


 ジムノペディ。


 食堂の話し声が、また静かになりました。


 昨日のパガニーニのような曲ではありません。


 速くもありません。


 大きくもありません。


 ただ、音がゆっくり残ります。


 最後の音。


 どろちゃんは鍵盤から手を離しました。


 すぐには誰も話しませんでした。


 少ししてから、拍手が来ました。


「これでおしまい」


 どろちゃんが言いました。


 明日から、みんな帰ります。



     ◇ ◇ ◇



 4月5日。


 皇帝陛下が帰ります。


 四か国会議のときと違い、最後の便まで皇帝陛下が残るわけではありません。


 皇帝陛下とお付き、それから今日帰る人たちが飛行場へ来ました。


 昨日、神様からもらった大きなホワイトボードもあります。


「本当に入るのか」


「軽いから大丈夫」


 客席との間を見ながら向きを決めます。


 毛布を当てます。


 動かないように固定します。


 帝国の地図を、ウィーンまで空輸します。


 見送りは数人だけです。


 飛行機の周りに、大勢を集めません。


 プロペラがあります。


 エンジンもあります。


 荷物を積む人も動きます。


 見送りのために危険を増やす必要はありません。


 そのため、明日まで残る人たちは遠慮しませんでした。


「では、我々は」


「ストラスブールへ?」


「はい」


 昼前には、水玉船へ乗っていました。



     ◇ ◇ ◇



 皇帝陛下を乗せたミツバチちゃんは、ウィーンへ向かいました。


 ホワイトボードも一緒です。


「これは宮殿のどこへ置くべきだろうな」


 皇帝陛下が板を見ました。


「大きい部屋」


「それは分かる」


「みんなが見るところ」


「それも分かる」


「じゃあ決まったね」


「決まっておらぬ」


 ウィーンへ着きます。


 皇帝陛下を降ろします。


 お付きも降ります。


 ホワイトボードも、壊さないように降ろしました。


 ここから先は皇帝側の人に任せます。


 ミツバチちゃんには、今度は一般のお客さんが乗ります。


 WE0405便。


 ウィーンからエルレンフェルトへ向かう十席です。


 皇帝陛下を運んできた飛行機が、少ししたら普通のお客さんを乗せて帰ります。


 どろちゃんには、その方が自然でした。



     ◇ ◇ ◇



 そのころ。


 明日帰る組は、ストラスブールにいました。


 買い物です。


 昨日も来た人がいます。


 また来た人もいます。


 家族への土産は、増えました。


「昨日、もう十分買ったのでは?」


「見たら欲しくなった」


「奥方が?」


「私が」


 それなら仕方ありません。


 昼になりました。


 今度は、お酒を出すお姉さんの店へ行きます。


 前に知った店です。


 まだ昼です。


 でも今日は会議がありません。


 皇帝陛下のお見送りにも、大勢で行かないようにしています。


 明日の便まで予定もありません。


「飲みますか」


「飲みましょう」


「まだ昼ですが」


「明日の朝まで飛行機には乗りません」


 理屈は通っています。


 お姉さんが酒を持ってきました。


「帝国の方?」


「そうです」


「昨日もいらしたでしょう」


「覚えていますか」


「お商売ですから」


 そういうものです。


 飲みます。


 つまみも頼みます。


 ストラスブールの話を聞きます。


 帝国の領邦の話もします。


 会議室では、皇帝陛下の前で話していた人たちです。


 今日は昼から酒です。


「陛下は、もうウィーンでしょうか」


「そろそろ着くころでは」


「では、もう一杯」


 誰も止めませんでした。



     ◇ ◇ ◇



 どろちゃんとフランソワさんは、WE0405でエルレンフェルトへ戻りました。


 一般のお客さんを降ろします。


 でも、今日はまだ飛行が終わりません。


 バーデンの代表が待っていました。


「お願いがあるのですが」


「うん」


「私は本来、明日ウィーンへ戻り、そこからバーデンへ戻る予定でした」


「遠回りだね」


「はい。来るときは皇帝陛下の招集でしたから、ウィーンへ集まる意味がありました。しかし帰りまで同じ道を戻る必要があるのかと」


「手荷物は?」


「これだけです。大きな買い物はストラスブールから送るように頼みました」


「じゃあ、降りる場所があれば送れるよ」


 コウノトリちゃんです。


 ミツバチちゃんより小さい。


 でも一人と手荷物を送るには十分です。


 どろちゃん。

 フランソワさん。

 バーデンの代表。


 三人で乗りました。


 代表と、地図を見ながら話します。


「このあたりなら、迎えの馬車を出せます」


「草地ある?」


「ございます」


「溝は?」


「大きなものはないはずです」


「じゃあ、上から見て決めるね」


 飛びます。


 候補の草地を上から一度確認。


 風。


 長さ。


 障害物。


 水気。


 問題がなさそうなので降りました。


 代表を降ろします。


「ウィーン経由より、ずいぶん短くなりました」


「そりゃそうだよ」


「次にお会いするまで、顔を忘れないでいただきたいものですな」


「もう覚えたよ。降りる場所も」


 それは、たぶん大きいことでした。



     ◇ ◇ ◇



 エルレンフェルトへ戻ると、もう一人いました。


 フライブルクの代表です。


「……あなたも?」


「はい」


「ウィーンへ戻ってからフライブルク?」


「その予定になっております」


 どろちゃんは地図を見ました。


「もっと近いね」


「私も、そう思いました」


 もう一度、コウノトリちゃん。


 今度はさらに短い飛行です。


 フライブルク側でも、降りる場所を本人から聞きます。


 どこに道があるか。


 どこから馬車が来られるか。


 どの草地なら領主側が話を通せるか。


 上空から確認します。


 降ります。


 代表を降ろします。


「ありがとうございました」


「またね」


 バーデン。


 フライブルク。


 どちらも、名簿の地名ではなくなりました。


 顔があります。


 声があります。


 どこへ降ろせばよいかも、少し分かりました。



     ◇ ◇ ◇



 4月6日。


 最後の日です。


 最初に二十人いた帝国側の人たちは、もうかなり減っています。


 皇帝陛下はいません。


 バーデンの人もいません。


 フライブルクの人もいません。


 今日ウィーンへ戻る予定だった人の中にも、途中で降ろせそうな人がいます。


「ミュンヘンへ寄れませんか」


「ザルツブルクも?」


「可能なら」


 どろちゃんは考えました。


 人数が少ない。


 時間にも余裕があります。


「降りられるところがあったらね」


「なければ?」


「諦めてウィーンまで行く」


「それで結構です」


 約束しました。


 着陸するために、無理はしません。


 町の近くに草地が見えた。


 それだけでは降りません。


 溝があるかもしれません。


 柔らかいかもしれません。


 進入方向に木があるかもしれません。


 見て、だめなら通過。


 その代わり、どろちゃんには新しい着陸場所を探す調査になります。



     ◇ ◇ ◇



 ミツバチちゃんが離陸しました。


 まずミュンヘン方面。


 ミュンヘン組は窓から外を見ています。


「あちらです」


「町は分かった。降りるところは?」


「この南側に、広い草地があります」


「見てみるね」


 一度、上から回ります。


 高度を下げます。


 でも、すぐには降りません。


「ちょっと柔らかそう」


「分かるのですか」


「色と水の残り方。もう一回見る」


 二回目。


 別の場所。


 こちらの方が良さそうです。


 長さも取れます。


 人や家からも少し離れています。


「ここならいけそう」


 ミツバチちゃんが降りました。


 ミュンヘン組が降ります。


 手荷物も降ろします。


「ここからなら迎えを呼べます」


「よかった」


「ウィーンまで戻っていたら、そこからまた何日も馬車でした」


「飛行機だと変なところが近くなるね」


「変なところですか」


「地図で見ると」


 どろちゃんは、候補地を自分の地図へ書きました。


 ミュンヘン。


 着陸できた。



     ◇ ◇ ◇



 次はザルツブルク。


 また山が見えます。


 どろちゃんは、乗客にも説明します。


「あっちの峰は標高――」


 数字を言います。


 今の高度も言います。


 会議参加者を送っているだけなのに、また観光案内になりました。


「お嬢様、今日は代表の方々でございます」


「昨日までもそうだったよ」


「そうでございました」


 フランソワさんも、もう止めません。


 ザルツブルクが見えてきました。


「どの辺?」


「町のこちら側です」


 候補を探します。


 一つ目。


 だめ。


 二つ目。


 少し短い。


 三つ目。


「ここ、いけるかな」


 低く一度通ります。


 もう一度。


「降りるね」


 着陸しました。


 ザルツブルク組も降ります。


「ありがとうございました」


「次に来るときは、ここ使えるね」


「もう一度調べなくてよいのですか」


「季節が違ったら見るよ。今日は大丈夫だったってだけ」


 地面は変わります。


 天気も変わります。


 でも、候補が一つ増えました。


 ザルツブルク。


 着陸できた。



     ◇ ◇ ◇



 そこからウィーンまで乗った人は、三人だけでした。


 乗客三人。


 どろちゃん。


 フランソワさん。


 全部で五人。


 十席ある客室は、かなり空いています。


 最初に計画したときは、十人をウィーンへ運ぶ便でした。


 実際には、


 バーデンへ一人。


 フライブルクへ一人。


 ミュンヘンで何人か。


 ザルツブルクで何人か。


 帝国の人たちは、それぞれ自分の方角へ消えていきました。


「帝国らしいね」


 どろちゃんが言いました。


「何がでございますか」


「帰る方向が全部違う」


 フランソワさんは少し考えました。


「確かに、そのようでございますね」


 最後の三人を乗せて、ミツバチちゃんはウィーンへ向かいました。



     ◇ ◇ ◇



 ウィーン。


 到着。


 三人を降ろしました。


 これで帝国関係者の輸送は終わりです。


 でも、飛行機の仕事は終わりません。


 帰りのWE0406便があります。


 その前に点検します。


 今日は途中で、普段使っていない草地へ二回降りました。


 脚。


 タイヤ。


 ブレーキ。


 外板。


 プロペラ。


 エンジン周り。


 草や泥が変なところへ入っていないか。


 漏れているものがないか。


 目で見ます。


 手で触れるところは触ります。


 客室も掃除します。


 座席。


 床。


 荷物を固定するところ。


 必要なものを整えます。


「問題なし」


 フランソワさんも客室を見ました。


「こちらも終わりました」


 そのころには、次のお客さんが集まり始めていました。


 WE0406。


 ウィーンからエルレンフェルトへ。


 十人です。



     ◇ ◇ ◇



 五人は、インド方面から来た商人でした。


 ほかにも商人。


 旅人。


 仕事で移動する人。


 目的地は、エルレンフェルトだけではありません。


「私はケールまで」


「私たちはストラスブールへ行きます」


「私は今夜ホテルへ泊まって、明日ハイデルベルクへ」


 飛行機を降りたあと、また別の交通へ乗ります。


 水玉船。


 馬車。


 陸路。


 ミツバチちゃんは、その途中です。


 十人のうち、二人連れはナーロッパ語が少し不自由でした。


 通じないわけではありません。


 でも、長い説明になると、ときどき顔を見合わせます。


 どろちゃんは気づきました。


「ゆっくり言うね」


 二人がうなずきます。


 安全案内。


 座席。


 荷物。


 立たないところ。


 必要なことを、短く区切ります。


 ほかの言葉も、客室で聞こえたものを使える範囲で使います。


 全員が座りました。


 後部扉を閉めます。


 ミツバチちゃんが動き始めました。



     ◇ ◇ ◇



 飛び上がると、また始まりました。


 どろちゃんの観光案内です。


「右側に見える山は――」


 標高を言います。


「今の高度は――」


 飛行高度も言います。


 数字は分かりやすいように言い直します。


 窓際の人が、そちらを見ます。


 インドから来た商人たちも見ます。


 二人連れも、全部は分からなくても、どろちゃんが指した方向を見ます。


「山」


 一人が言いました。


「そう。あれ」


「高い」


「高いよ」


 それで十分です。


 さらに進みます。


 川。


 町。


 道。


 見えるたびに少し話します。


 フランソワさんが、前にも聞いたことを言いました。


「お嬢様、すっかり観光案内でございますね」


「暇だと外見たくなるでしょう」


「操縦中のお嬢様は、お暇ではないと思いますが」


「見てるもの一緒だから」


 乗客が笑いました。


 言葉が全部分からない二人も、周りが笑ったので少し笑いました。



     ◇ ◇ ◇



 ライン川が近づきます。


「この先がエルレンフェルト」


 それから、ケール。


 ストラスブール。


 行き先を聞いていたので、その話もします。


 二人連れのうち一人が聞きました。


「ストラスブール、大きい?」


「大きいよ」


 どろちゃんは答えました。


「人も、いっぱい来る」


 二人は顔を見合わせました。


 一人が自分たちを指しました。


「私たちも」


 どろちゃんは笑いました。


「そうだね。あなたたちも来たね」


 ナーロッパ語が少し不自由でも。


 何日も何週間もかけて遠くから来ても。


 商売をする人は、ストラスブールへ集まってきます。


 どろちゃんは、窓の向こうの川を見ました。


 強い町というのは、城壁が厚いだけではないのかもしれません。


 人が来る。


 物が来る。


 言葉が違っても、来る。


 そこへエルレンフェルトの飛行機と水玉船がつながりました。



     ◇ ◇ ◇



 ミツバチちゃんがエルレンフェルトへ降りました。


 後部扉が開きます。


 十人が降ります。


「では、私はケールへ」


「私たちはストラスブール」


「ホテルはどちらです?」


「こちらです。明日のハイデルベルク行きなら、水玉船の時刻も確認してください」


 五人のインド商人も荷物を持ちます。


 二人連れも、分かる言葉で礼を言いました。


 そして、みんな別々の方向へ行きます。


 帝国関係者協議会のために始まった六日間の運航でした。


 皇帝陛下を運びました。


 帝国の代表を運びました。


 途中の町へ人を降ろしました。


 新しい着陸場所を二つ調べました。


 最後には、商人と旅人を運びました。


 どろちゃんは、白いミツバチちゃんを振り返りました。


「終わったね」


「はい。今回の運航は、これで終了でございます」


「明日は飛ばない?」


「今のところ予定はございません」


「じゃあ休ませよう」


 六日間。


 最後のお客さんは、もう水玉船の方へ歩いていました。



                (つづく)



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第51章の小さな説明

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【帝国関係者協議会】


 この会合は、四か国会議をもう一度やり直すものではありません。


 エルレンフェルト条約は、フランス、イングランド、サヴォイア、ネーデルラント連邦共和国の四締約当事者によってすでに成立しています。


 神聖ローマ帝国側は、前回の会議ではオブザーバーに帝国全体を拘束する全権がありませんでした。


 そのため今回は、皇帝レオポルト一世と帝国側の主要関係者に条約内容を説明し、帝国内で必要になる後続調整を始めるための会合です。



【帝国の海外優先区域】


 会議中、四か国会議で作った地図に「帝国側の取り分」がないことを指摘されます。


 これは、どろちゃんが高度な外交判断で意図的に外したのではありません。


 前回の会議に皇帝本人がいなかったため、単純にそこまで考えていなかったという見落としです。


 追加案として示したコンゴ川流域とアフリカの角東側は、この時点で帝国領になるわけではありません。


 四か国に対し、帝国側が調査・通商・現地との協議を先に進めるための優先区域として、四か国自身が競争的に先行進出しないことを求める案です。


 現地に住む人々の土地や統治権を、エルレンフェルトの会議だけで他者へ譲渡できるものではありません。


 また、元の四締約当事者はこの帝国関係者協議会には出席していないため、4月4日の帝国側署名だけで四か国へ新しい義務を課すこともできません。


 四か国側の不進出・非競合義務については、元の条約の変更手続に従い、別途、影響を受ける四締約当事者の文書による同意が必要です。



【自動更新される帝国地図】


 協議会終了時、神様から大きなホワイトボード型の神聖ローマ帝国地図が届きます。


 帝国内の正式な領域境界が変わると、地図上の境界も自動的に変化します。


 一時的な軍事占領ではなく、正式な領有関係の変化を追う地図として扱います。


 神様の説明では、更新されるのは「帝国が存在する間」です。


 板はかなり大きいものの非常に軽く、皇帝レオポルト一世が4月5日にウィーンへ戻る際、ミツバチちゃんへ固定して持ち帰れる重量になっています。



【コウノトリちゃんの抽選】


 四か国会議の参加者との差を作らないため、帝国側にも遊覧飛行の機会を用意します。


 コウノトリちゃんは三人乗りなので、どろちゃんが操縦すると乗客は二人だけです。


 そこで抽選とし、当選権は本人だけが使える非譲渡制にしています。


 皇帝へ遠慮して当選権を譲ることも禁止です。


 辞退した場合は再抽選します。


 遊覧ではケール、ストラスブール、ヌフ=ブリザック、ブライザハなどを見て、エルレンフェルトが新たに購入した約10km²の土地も上空から確認します。


 購入地はこの時点では森、農地、湿地が見えるだけの普通の土地です。



【二晩の演奏】


 第一日目の夜には、四か国会議でどろちゃんが演奏した五曲を同じように演奏します。


 ショパン《小犬のワルツ》

 シューマン《トロイメライ》

 パガニーニ《24の奇想曲 作品1》第3番 ホ短調

 ショパン《華麗なる大円舞曲 変ホ長調 作品18》

 マスネ《タイス》より〈瞑想曲〉


 二日目の夜は、もっと軽い選曲に変え、《くるみ割り人形》から数曲、モーツァルトから数曲を弾き、最後は《ジムノペディ》で締めます。



【4月5日と6日の帰路】


 皇帝レオポルト一世とお付きは4月5日の便でウィーンへ戻ります。


 見送りで飛行機の周囲へ大人数を集めることは安全上避け、数人だけで見送ります。


 そのため4月6日まで残る人たちは自由にストラスブールへ出かけ、買い物をしたり、昼から酒を飲んだりしています。


 帰路では全員を機械的にウィーンへ戻す必要がないことも分かります。


 バーデン代表とフライブルク代表は、それぞれ本人と直接相談し、コウノトリちゃんで帰宅に便利な草地まで送ります。


 4月6日のミツバチちゃんは、人数に余裕ができたため、希望のあったミュンヘン、ザルツブルクを経由してウィーンへ向かいます。


 ただし、着陸に適した草地を見つけられなければ、その都市で降ろすことは諦めてウィーンまで運ぶという条件です。


 この飛行は、どろちゃんにとって将来使える着陸候補地の実地調査も兼ねています。


 実際にはミュンヘンとザルツブルクで途中下車組を降ろし、最後にウィーンまで乗ったのは三人だけです。


 乗員のどろちゃん、フランソワさんを加えて、最終区間は五人で飛びます。



【WE0406便】


 ウィーン到着後、ミツバチちゃんは途中の草地着陸後の点検、軽い整備、客室清掃を行います。


 その後、WE0406便の一般有料旅客十人を乗せてエルレンフェルトへ戻ります。


 十人のうち五人はインド方面から来た商人です。


 エルレンフェルト到着後の目的地は一つではなく、ケールへ帰る人、ストラスブールへ向かう人、ホテルに一泊して翌日ハイデルベルク方面へ向かう人などに分かれます。


 二人連れの旅客はナーロッパ共通語が少し不自由ですが、それでも遠方から商売のためストラスブールへ向かっています。


 どろちゃんはこの便でも飛行中に山、川、町、飛行高度などを案内します。


 言葉が完全には通じなくても人を引きつけるストラスブールの商業都市としての強さを、最後の一般旅客便で改めて感じる場面です。


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