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39貴族令嬢は、踊りながら答えます 4カ国会議です。継承戦争を終わらせることができるか?

第39章 貴族令嬢は、踊りながら答えます


 次の夜。


 昼の会議は、やっぱりあまり進みませんでした。


 紙は増えました。


 護衛が武器を預ける場所は、だいたい決まりました。


 代表者の安全な往来についても、昨日より少しだけ文章が長くなりました。


 明日も会議をすることは、今日も決まりました。


 大きなことは、まだです。


 夕食が終わると、宴会場の机が片づけられました。


 神様の音響装置から、今夜も音楽が流れます。


 昨日は、どろちゃんがピアノを弾き始め、そのあと少しやけになってヴァイオリンまで弾いたため、舞踏会が途中から演奏会になりました。


 今日は弾きません。


 少なくとも、どろちゃんはそのつもりでした。


「今日は踊るの?」


 フランソワさんが聞きました。


「うん」


「昨日は一度も踊っておられませんでしたので」


「ピアノ弾いてたから」


「そのあと、ヴァイオリンも」


「今日は弾かないよ」


「承知いたしました」


 フランソワさんは、何も付け加えませんでした。


 どろちゃんは少しだけ疑いました。


「信じてない?」


「何も申し上げておりません」


「それ、信じてないときの言い方でしょう」


「お嬢様」


「なに?」


「最初のお相手がお待ちです」


「あ」


 振り向くと、本当に待っていました。


     ◇ ◇ ◇


 どろちゃんも十六歳です。


 公爵家の娘で、イングランドでは伯爵でもあります。


 舞踏の作法を知らないわけではありません。


 むしろ、飛行機の操縦よりずっと前から習っています。


 ただ最近は、飛行機を飛ばしたり、工場へ行ったり、大学で図面を見たり、川に船を浮かべたりしている時間の方が長かっただけです。


 神様の音響装置から、ヘンリー・パーセルの《アブデラザール》からロンドーが流れました。


 最初に手を差し出したのは、イングランド側の代表でした。


「伯爵閣下。光栄です」


「こちらこそ」


 手を取りました。


 位置につきます。


 音楽が始まりました。


 足を出します。


 戻します。


 向きを変えます。


 相手との間を保ったまま、また近づきます。


 どろちゃんは、ちゃんと踊れました。


「飛行機より安心しました」


「何が?」


「伯爵閣下が、舞踏の途中で急に上昇しないことです」


「しないよ」


「旋回はされますね」


「今してる」


 二人で向きを変えました。


 相手が笑いました。


 そのまま、少し声を落とします。


「昨日、陛下をお乗せになった小さな飛行機は、どのくらい遠くまで飛べるのです?」


「コウノトリちゃん?」


「ええ」


「乗る人と荷物と風で変わるよ」


「では、大きな方は?」


「ミツバチちゃん?」


「そちらです」


「もっと変わる」


「武器を積んだ場合も?」


 どろちゃんは一歩下がりました。


 相手も下がります。


 また近づきます。


「武器を積めるかと、武器を積むかは別の話でしょう?」


「答えてはいただけませんか」


「だって、あなたが知りたいのは飛行機の性能じゃなくて、どこまで攻撃に使えるかでしょう」


「ばれましたか」


「質問が二つつながってるもの」


 また回ります。


 裾が少し広がりました。


「では、秘密ですか」


「秘密にするところは秘密」


「ずいぶん率直ですね」


「でも、あなたがミツバチちゃんに乗って海を越えて来たことは秘密じゃないよ」


「確かに」


「人を乗せてここまで来られる。荷物も積める。それは自分で見たでしょう?」


「ええ」


「見せたことまで隠しても仕方ないもの」


 代表は少し黙りました。


 音楽が一段落します。


「飛行機があれば、敵国の奥へ速く入れます」


「入れるね」


「恐ろしい道具です」


「そうだね」


 あっさり答えたので、相手の方が少し驚きました。


「否定されないのですね」


「速いものは、速く悪いことにも使えるでしょう」


「では、なぜ作るのです」


「昨日、あなたを何に使って運んできた?」


「……会議へ」


「同じ速さなら、私はそっちに使いたい」


「兵士ではなく外交官を運ぶ」


「うん」


「敵国の代表まで?」


「敵国の代表だから会わないと、ずっと敵国のままでしょう?」


 曲が終わりました。


 二人は礼をしました。


 イングランド代表は、少し笑いました。


「伯爵閣下は、お父上より話してくださいますね」


「お父様、しゃべらないから」


「その分、何か余計なことまで聞けるかと思いました」


「聞けた?」


「いいえ」


「残念でした」


     ◇ ◇ ◇


 次に流れたのは、ジャン=バティスト・リュリの《アルミード》からパッサカーユでした。


 ネーデルラント側の代表が来ました。


「今度は船のお話をしてもよろしいですか」


「踊りながら?」


「飛行機よりは、川の方が我々には身近です」


「それはそうだね」


 手を取りました。


 今度の曲は、さっきよりゆったりしています。


 進みます。


 離れます。


 組み直します。


 向こうでは、ストラスブールから来た市長の娘が別の使節と踊っていました。


 フランス便で本来乗るはずだった同行女性の席を、ルイ十四世とお付きが使ってしまったため、今夜もストラスブールから社交の客が来ています。


 昨日より人数が揃っていました。


「公爵家の船は、六色だそうですね」


「うん」


「陛下が乗られた船」


「そう」


「公用船は一色ずつ」


「見分けやすいでしょう?」


「色の必要性は理解しますが、水玉である必要は?」


「かわいいから」


「飛行機の座席と同じ理由ですか」


「同じ」


 代表は笑いました。


「そこは機密ではないのですね」


「全然」


「では、もう一つ。あの定期船には、誰でも乗れるのですか」


「運賃払って、決まりを守ればね」


「フランス人でも?」


「普通の人なら」


「イングランド人でも?」


「普通の人なら」


「我々でも?」


「普通の人なら」


「その『普通』が難しい」


「兵隊さんが武器持って隊列組んで乗ろうとしたら、普通の旅行客じゃないでしょう?」


「なるほど」


「追われてる犯罪者とか、病気で隔離が必要な人とか、そういう例外もいるけど」


「敵国民だからという理由だけでは拒まない?」


「商人とか、学者とか、職人とか、旅行する人まで全部兵士にしたら、戦争が終わっても何も戻らないよ」


 足を交差させます。


 少し離れます。


 また近づきました。


「しかし、人の往来を自由にすれば、国境管理が難しくなる」


「だから決まりを作るんでしょう?」


「閉じた方が簡単です」


「川も?」


「川?」


「ライン川って、国境のところで水が止まってくれないよ」


 代表が吹き出しました。


「それは、もちろん」


「船も流れる。荷物も来る。人も来る。全部止めるより、人と軍隊を分けた方がいいと思う」


「そして荷物には税関を残す」


「うん。人が歩くのと、商売の荷物が入るのは別」


「ずいぶん細かく分けますね」


「違うものを一緒にすると、あとで困るから」


「科学者の答えですな」


「税関の話だよ」


「同じ考え方なのでしょう」


 曲の終わりが近づきました。


 代表が言いました。


「その考え方を、明日の会議でも使っていただきたい」


「私は議長じゃないよ」


「しかし、船を作ったのは伯爵閣下でしょう」


「船は作った。でも条約はみんなで作るもの」


「そこは分ける?」


「分けるよ」


 また礼をしました。


     ◇ ◇ ◇


 三曲目は、アルカンジェロ・コレッリの《ラ・フォリア》でした。


 帝国側の代表が手を差し出しました。


「今度は、神のお話を伺っても?」


「難しい方来た」


「嫌われましたか」


「質問が難しいって意味」


「安心しました」


 踊り始めます。


 《ラ・フォリア》は、同じ低音の型を土台にして姿を変えていきます。


 どろちゃんは、少し面白くなりました。


 同じものなのに、変わります。


 昼間の会議にも少し似ています。


 同じ議題を、言葉だけ変えて何度も話しています。


「この会議場は、神から与えられたものですね」


「材料と図面と機械は神様から。組み立てたのは、うちの人とライデン大学の人たち」


「神は、この会議を望んでおられる」


「そこは、言い方を分けた方がいいよ」


「なぜです」


「神様が書いたことと、私たちがそう思ってることは別だから」


「では、神は何と?」


「『武装していない代表者が話し合う場所として使ってください』」


「それなら、会議を望んでいるではありませんか」


「話す場所を使って、まではね」


「和平を結べ、とは?」


「書いてない」


「どちらの王位を認めろ、とも?」


「書いてない」


「フランスを退けよ、とも?」


「書いてない」


「皇帝に従え、とも?」


「それも書いてない」


 代表の眉が少し動きました。


 どろちゃんは笑いました。


「そこ欲しかった?」


「少し」


「残念でした」


「神意を勝手に広げるのは危険だ、と?」


「だって、書いてないことを『神様が言いました』って言ったら、私が嘘つきになるでしょう?」


「実に単純な理由ですな」


「単純な方が間違えにくいよ」


 音楽が少し速くなりました。


 二人も歩幅を変えます。


「しかし、神がこれほどの建物をエルレンフェルトに与えた。それ自体が、エルレンフェルトへの支持では?」


「建てる場所まで指定されてたからね」


「やはり」


「でも、ここでエルレンフェルトを勝たせろとは書いてない」


「また分ける」


「分ける」


「この建物を持つ者が有利では?」


「嫌なら帰れるよ」


「随分あっさりおっしゃる」


「閉じ込めたら会議じゃないもの」


「その後、戦場で会うことになるかもしれません」


「だから、ここの方がいいと思うよ」


「理由は?」


「暖かいし」


 代表は一瞬黙って、それから笑いました。


「そこへ戻りますか」


「冬だよ」


 《ラ・フォリア》が終わりました。


 帝国側の代表は礼をしながら言いました。


「伯爵閣下から神意を聞き出すのは難しそうです」


「私も全部は知らないもの」


「それが一番強い答えかもしれません」


     ◇ ◇ ◇


 四曲目。


 今度は、アンドレ・カンプラの《優雅なヨーロッパ》からリゴドンが流れました。


 サヴォイア側の代表でした。


「伯爵閣下。私は、飛行機でも船でもなく、もっと不思議なことを」


「なに?」


「病人です」


「病人?」


「いない」


 どろちゃんは一歩遅れそうになりました。


 すぐ戻します。


「そうだね」


「我々は冬にトリノから来ました。ほかの使節も遠方から来ています。食事も生活時間も変わった。毎晩こうして踊っている。それなのに、誰一人寝込まない」


「うん」


「エルレンフェルトの者にも、咳をしている者さえ見かけません」


「みんな元気だよ」


「なぜです?」


「水はきれいにしてる。食事もちゃんとある。部屋も暖かい。消毒もする。予防もする。薬もある」


「それで、一人も?」


「そこは私も不思議」


「神の力では?」


「分からない」


「即答ですね」


「分からないもの」


 二人は向きを変えました。


 リゴドンは軽いです。


 会話も少し速くなります。


「では、調べていない?」


「調べてるよ。でも、『みんな元気』と『なぜ元気』は別でしょう」


「病人がいないことは事実」


「うん」


「衛生状態が良いことも事実」


「うん」


「その二つが、すべて因果関係で説明できるかは未確認」


「そう」


「伯爵閣下は、舞踏会でもその話し方をなさるのですね」


「何の話し方?」


「観察したことと、推測を分ける」


「混ぜたら分からなくなるでしょう」


「酔っていても?」


「私、お酒飲まないよ」


「それは失礼」


「だから今も全部覚えてる」


「なお悪い」


「何が?」


「こちらが不用意なことを言えません」


 どろちゃんが笑いました。


「じゃあ、お互い気をつけよう」


 代表も笑いました。


「もう一つだけ。全員が、あの大きな飛行機でここへ来ました」


 どろちゃんの目が少し動きました。


「ミツバチちゃん?」


「ええ。空を飛んだことと、健康に関係がある可能性は?」


「可能性って言うだけなら、何でも候補にはできるよ」


「否定はしない」


「否定する資料もないもの」


「では肯定も?」


「できない」


「どうすれば分かります?」


「飛ばない人の集団と比べる。同じくらいの年齢、同じ食事、同じ住環境にして、できれば人数も増やす。それでも差が出るか見る」


「……そこまでしますか」


「調べるならね」


「外交の話より厳しい」


「自然は交渉してくれないから」


 曲が終わりました。


 サヴォイア代表が手を放す前に言いました。


「それでも、全員元気なのは便利です」


「そうでしょう?」


「会議を休む理由がありません」


「明日もできるね」


「伯爵閣下は、そこへ持っていきたかったのですか」


「今思いついた」


「危ない方ですね」


「何が?」


「考えるのが速い」


     ◇ ◇ ◇


 少し休憩しました。


 どろちゃんは水を飲みました。


 フランソワさんが近づいてきます。


「楽しんでおられますか」


「うん」


「ずいぶん質問も受けておられます」


「みんな、私がお父様より口が軽いと思ってる」


「実際、よくお話しになりますので」


「でも、変なことは言ってないでしょう?」


「今のところは」


「今のところ?」


「昨日のこともございますので」


「曲は政治機密じゃないよ」


「存じております」


「ならいいでしょう」


「次のお相手です」


 フランソワさんの視線の先を見ました。


「……一番断れない人来た」


     ◇ ◇ ◇


 ルイ十四世でした。


 王様が手を差し出します。


「一曲、よいか」


「王様に言われて断れると思う?」


「思わぬ」


「聞かなくてもよかったでしょう」


「礼儀だ」


「便利な礼儀だね」


「余もそう思う」


 どろちゃんは手を取りました。


 音響装置から流れ始めたのは、リュリの《町人貴族》からメヌエットでした。


「今日は弾かぬのだな」


 踊り始めてすぐ、ルイ十四世が言いました。


「今日は踊る日」


「昨日もそのつもりだったのではないか」


「昨日は事故」


「ピアノを二曲弾き、そのあとヴァイオリンであれほどの曲を弾く事故か」


「途中からヤケになった」


「パガニーニ」


「覚えたの?」


「名前くらいはな」


「忘れていいよ」


「ショパン」


「忘れて」


「シューマン」


「王様、わざとでしょう」


「その三人は、どこの者だ」


「知らない」


「本当に?」


「知ってても言わない」


「今のは、昨日より正直だな」


「昨日、忘れたって言い続ける方が怪しいって分かったから」


 ルイ十四世が笑いました。


「では、曲をどこで覚えた」


「内緒」


「神か」


「神様からもらったのは、あそこにあるピアノとヴァイオリン」


「曲は?」


「私が知ってた」


「どこで」


「内緒」


「余にも?」


「王様でも」


 一回転しました。


 離れます。


 また近づきます。


「お前の父親よりは、何か漏らすと思っていた」


「失礼だよ」


「期待していた」


「残念でした」


「飛行機の性能も」


「必要なところは言わない」


「船の決まりも」


「決まってるところは言うよ」


「神の意志も」


「神様が言ったところまで」


「病人がいない理由も」


「分からないところは分からない」


「全部、逃げているようにも聞こえる」


「逃げてないよ」


「では何を話せる」


「いっぱい話したでしょう?」


 ルイ十四世は少し考えました。


「確かに」


「秘密以外はね」


「秘密がどこにあるかは分かった」


「それは仕方ない」


「それだけでも情報だ」


「王様、そういうこと言うから気をつけないといけないんだよ」


「余のせいか」


「半分くらい」


「残りは?」


「みんな」


 王様がまた笑いました。


 メヌエットはまだ続いています。


「では、最後に一つだけ聞こう」


「まだあるの?」


「神は、この会議で何を望んでいると思う」


 どろちゃんは、すぐには答えませんでした。


 足は止めません。


 曲に合わせて進みます。


 向きを変えます。


 返します。


「神様が書いたのは、武装していない代表者が話し合う場所として使ってください、ってところまで」


「それは聞いた」


「だから、その先を神様の命令みたいに言ったらだめだと思う」


「お前自身はどうなのだ」


「私?」


「戦争を終わらせたいのか」


「無駄に星が増えるのは嫌だよ」


 ルイ十四世の表情が少し変わりました。


 どろちゃんは続けました。


「飛行機でみんなを連れてきたでしょう」


「ああ」


「船も動いてる」


「ああ」


「建物もある」


「あるな」


「ホテルも暖かい。ご飯もある。みんな元気」


「そこまで揃えた、と?」


「神様が揃えたものもあるし、私たちが作ったものもあるよ」


「それで?」


「ここまで揃って、それでも話さないなら、それは神様じゃなくて人間の責任でしょう?」


 ルイ十四世は答えませんでした。


 ちょうど曲が終わりました。


 二人は止まりました。


 礼をします。


「なるほど」


「なに?」


「お前は、思ったより漏らさぬ」


「だから失礼だって」


「だが、思ったよりよく話す」


「それはいいでしょう?」


「面白い」


「それもまあ、いいかな」


     ◇ ◇ ◇


 舞踏はまだ続きました。


 どろちゃんは、そのあとも何人かと踊りました。


 ただ、もう難しい質問は減っていました。


 どの代表も、一度は試したからでしょう。


 話してくれる。


 笑う。


 冗談も返す。


 でも、秘密は秘密。


 分からないものは分からない。


 神様が言っていないことを、神様の言葉にはしない。


 その線だけは、踊っていても動きませんでした。


 ストラスブールから来た女性たちも、各国の随員たちと踊っています。


 昼間は会議室へ入らない人たちです。


 けれど、どこの町の食べ物がおいしいとか、船は本当に揺れなかったとか、ミツバチちゃんの座席の布がかわいかったとか、そういう話は、会議室の議事録には残りません。


 それでも、人は覚えます。


 昨日まで名前しか知らなかった国の人が、今夜は顔のある人になります。


 神様が送った建物の中で、神様が命じていないことが、少しずつ進んでいました。


     ◇ ◇ ◇


 そろそろ終わりかと思ったころ。


 どろちゃんは、ようやく椅子へ座りました。


「今日はちゃんと踊った」


 フランソワさんに言いました。


「はい。たいへんよく」


「演奏もしなかった」


「はい」


「予定通り」


「はい」


「何で、その言い方なの?」


「お嬢様」


 フランソワさんの視線が、どろちゃんの後ろへ動きました。


 どろちゃんは振り返りました。


 ルイ十四世がいました。


「一つ頼みがある」


「……なに?」


「昨日の続きを聞きたい」


 どろちゃんは、ピアノを見ました。


 次にヴァイオリンを見ました。


 もう一度、王様を見ます。


「今日、弾かないって決めたんだけど」


「余が頼んでも?」


「それは、ずるいよ」


「害はあるか?」


「ない」


「ならば頼む」


「王様に言われると断れないじゃない」


「知っている」


「やっぱりずるい」


 でも、立ちました。


     ◇ ◇ ◇


 宴会場の音楽を止めてもらいました。


 まだ残っていた人たちが、何が始まるのかと振り向きます。


 どろちゃんはピアノの前へ座りました。


 昨日と同じ、神様から届いた現代のピアノです。


 鍵盤へ手を置きました。


「曲名は?」


 ルイ十四世が聞きました。


「《華麗なる大円舞曲》」


「誰の曲だ」


「ショパン」


 王様の眉が少し動きました。


「昨日の小犬の曲と同じ者か」


「うん」


「ならば、今度こそどこの者か聞きたいところだな」


「細かいことは聞かないで」


「またか」


「曲はちゃんと弾くから」


「よかろう」


 どろちゃんは弾き始めました。


 フレデリック・ショパンの《華麗なる大円舞曲 変ホ長調 作品十八》。


 明るく華やかな音が、宴会場へ広がります。


 昨日の《小犬のワルツ》より大きく、堂々としたワルツです。


 さっきまで踊っていた人たちの中には、最初の数小節で思わず身体を動かしかける人もいました。


 でも、今夜は王様が「聴きたい」と頼んだ演奏です。


 誰も新しく踊り始めません。


 ルイ十四世も黙っていました。


 どろちゃんは鍵盤だけを見ています。


 軽く走るところ。


 大きく歌うところ。


 また華やかに戻るところ。


 最後まで弾き切ると、宴会場に拍手が広がりました。


 どろちゃんは立とうとしました。


「もう一曲」


「まだ?」


「今度はヴァイオリンで」


「最初から二曲頼むつもりだったでしょう」


「そうだ」


「先に言ってよ」


「断るかもしれぬ」


「王様なら断れないって分かってるでしょう」


「分かっている」


「もう」


 どろちゃんはヴァイオリンを取りました。


 顎へ当てます。


 弓を持ちます。


 音を確かめます。


「曲名は?」


「《タイスの瞑想曲》」


「タイスとは?」


「それも細かいことは聞かないで」


「作曲者は」


「ジュール・マスネ」


「やはり知らぬ」


「今日は曲だけ聞いて」


「承知した」


 今度は、王様が素直でした。


 どろちゃんは弓を置きました。


 マスネの《タイスの瞑想曲》。


 最初の音が、静かに伸びました。


 宴会場から話し声が消えます。


 昼間、同じ文書の一語で何度も止まった人たち。


 夜、何度も相手を替えて踊った人たち。


 飛行機のことを聞いた人。


 船のことを聞いた人。


 神様のことを聞いた人。


 病人がいない理由を聞いた人。


 そして、何か漏らすだろうと思っていた王様。


 みんなが、同じ曲を聞いていました。


 どろちゃんの弓が、ゆっくり返ります。


 長い音。


 少し高くなります。


 また静かになります。


 誰も、どこの国の席にいるかを気にしていませんでした。


 曲が終わるまでの数分だけは。


 最後の音が消えました。


 すぐには拍手が来ませんでした。


 少し間がありました。


 それから、宴会場いっぱいに拍手が広がりました。


 どろちゃんはヴァイオリンを下ろしました。


 ルイ十四世が言いました。


「よい曲だ」


「でしょう?」


「明日も弾け」


「それは断る」


「余が頼んでも?」


「毎日はだめ」


「なぜだ」


「会議しに来たんでしょう?」


 近くで、誰かが笑いました。


 トルシー侯でした。


 ルイ十四世は、そちらを見ました。


「笑ったか」


「いいえ、陛下」


「笑ったよ」


 どろちゃんが言いました。


「通訳ではないぞ」


「見たから」


 今度は、もっと何人かが笑いました。


 舞踏会は、それで終わりました。


 明日の会議が進むかどうかは、まだ分かりません。


 でも、明日もみんな揃って席につきます。


 病人は、一人もいません。


 帰った人もいません。


 そして今夜、昨日より少しだけ、相手の顔を知っていました。


     ◇ ◇ ◇


第39章の小さな説明


【舞踏会で流れた曲】


 この夜の舞踏では、神様の音響装置に収められている、どろちゃんたちの時代までに存在する曲を使っています。


 イングランド代表との舞踏は、ヘンリー・パーセル《アブデラザール》から〈ロンドー〉。


 ネーデルラント代表との舞踏は、ジャン=バティスト・リュリ《アルミード》から〈パッサカーユ〉。


 帝国側代表との舞踏は、アルカンジェロ・コレッリ《ヴァイオリン・ソナタ集 作品五》第十二番〈ラ・フォリア〉。


 サヴォイア代表との舞踏は、アンドレ・カンプラ《優雅なヨーロッパ》から〈リゴドン〉。


 ルイ十四世との舞踏は、ジャン=バティスト・リュリ《町人貴族》から〈メヌエット〉です。


 厳密な宮廷舞踏の再現を目的とした場面ではなく、それぞれの曲に合わせて踊りながら会話する社交の場として描いています。



【ルイ十四世から頼まれた二曲】


 舞踏が終わったあと、ルイ十四世から演奏を頼まれます。


 ピアノは、フレデリック・ショパン《華麗なる大円舞曲 変ホ長調 作品十八》。


 ヴァイオリンは、ジュール・マスネ《タイス》から〈瞑想曲〉です。


 この二曲は、物語の時代にはまだ存在しません。


 前夜に演奏したショパン《小犬のワルツ》、シューマン《トロイメライ》、パガニーニ《二十四の奇想曲》第三番と同じく、読者には年代のずれが分かります。


 ただし、どろちゃんが未来のことを知っているのは秘密です。


 本文中では作曲家名と曲名までは答えますが、作曲家がいつの時代の人物なのか、どこで曲を覚えたのかは話しません。ルイ十四世もそこを探ろうとしますが、どろちゃんは「細かいことは聞かないで」で通します。



【踊りながらの会話】


 各国の代表たちは、お父様より話好きなどろちゃんなら、舞踏の最中に飛行機や船、神様について何か余計なことを話すのではないかと期待しています。


 どろちゃんは実際によく話します。


 ただし、観察した事実、推測、まだ確認できていないこと、秘密にすることを分けて考える習慣がついているため、会話そのものは楽しく続けながら、必要な線は越えません。


 神様についても同じで、神様が実際に書いた「武装していない代表者が話し合う場所として使ってください」という範囲を越えて、勝手に神意を付け足すことはしません。


 その一方で、飛行機は人を会議へ運び、船は国境を越えて人を運び、暖かい建物と食事があり、しかも誰も病気にならないという状況を、そのまま「話し合いを続けられる条件」として使っています。



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