34貴族令嬢は、一週間で国際会議場を組み立てます 4カ国実務者会議会場を建設します 領地は公国になって中立の独立国になりました
お父様も子爵から公爵になって、4カ国の停戦会議をしたいけど、まず行政官が集まって実務者会議からスタートです。一気に王様呼ばないの?ってそれは無理。IFだけど現実路線は崩せません。神様はいますけどね。神様みたいな扱いを求める人も。
第34章 貴族令嬢は、一週間で国際会議場を組み立てます
バーゼルから戻ってしばらくして、どろちゃんはライン川に近い低い土地を歩いていました。
水気の多いところです。
少し高いところは牧草地にできますが、低いところには水が残り、ハンノキがまとまって生えています。
「ここ、もっと使えるようにしたいね」
どろちゃんは地面を見ました。
頭の中の技師さんが答えます。
――全部埋めるの?
「全部はだめ。水の逃げるところもいるし」
――そうだね。
「でも、排水して使えるところは増やせるでしょう」
エルレンフェルトは、隣の土地を戦争で取って広がってきた領地ではありません。
昔からの境界線をほとんど変えずに続いてきました。
ならば、領土を増やさなくても、今ある土地をもっと使えるようにはできます。
問題は水でした。
オランダには、堤防を作り、水を抜き、低い土地を使ってきた長い経験があります。
けれど、どろちゃんのところにあるような油圧ショベルやロードローラーを使って干拓した経験は、オランダ側にもありません。
「じゃあ、一緒にやればいいんだ」
――誰と?
「ライデン大学」
どろちゃんの中では、もう話が進んでいました。
航空。
材料。
電気。
機械。
気象。
薬品と衛生。
そして、土木と水利。
それぞれの本拠地はライデン大学に置いたまま、エルレンフェルトにも研究する場所を作ります。
学生も教授も、必要な期間だけこちらへ来ればよいのです。
「ライデン大学エルレンフェルトキャンパス」
――もう名前まで決めたの?
「今決めた」
大学へ相談するのは、そのあとでした。
◇ ◇ ◇
ところが、その相談より先に、別のものが来ました。
朝、飛行場へ行ったどろちゃんは、丘の上を見て止まりました。
「……なに、これ」
滑走路の横には、造成のときに地面を締めた広い場所があります。
その一角に、昨日までなかった物が大量に並んでいました。
鉄骨。
木箱。
大きな板ガラス。
細長い部材をまとめた束。
缶。
箱。
まだ箱。
さらに、その横には大きな車が一台ありました。
どろちゃんは最初に、鉄骨を見ました。
すでに切ってあります。
穴も開いています。
表面も塗装されています。
一本ごとに番号があります。
「加工済み……」
――そうだね。
「こっちで切るんじゃないの?」
――その必要はなさそうだね。
次の木箱を開けます。
ガラスでした。
別の箱にはスペーサー。
さらに、ガラスを組み立てて固定するためのシリコン系の材料。
取付金具。
ボルト。
細かな部品。
全部に番号があります。
そして、分厚い説明書がありました。
どろちゃんは最初の数ページをめくりました。
図。
番号。
矢印。
また図。
部品番号。
組立順序。
「……大きなイケアだ」
――何?
「家具屋さん」
――建物だよ。
「分かってる」
表紙の次には、建物の完成図がありました。
宮殿ではありません。
教会でもありません。
石造りの役所にも見えません。
細い鉄骨と大きなガラス面を使った、明るい建物でした。
中央には大きな吹き抜けがあります。
外から中がよく見えます。
どろちゃんには、二十一世紀の初めごろに建てられた公共施設や大学の建物に見えました。
あのころには、採光を優先して大きなガラス面を使った建物がたくさんありました。
明るくて、外もよく見えます。
けれど、見た目どおりに作ればよいわけではありません。
大きな一枚ガラスを多く使った建物は、冬は窓際が冷え、夏は日射を受け、結露や空調負荷にも悩まされます。未来なら大きな空調設備で押し切ることもできましたが、この時代にそんな電力の余裕はありません。
神様が送ってきた建物は、そこをそのまま真似してはいませんでした。
ガラスは二枚一組です。
間にはスペーサーが入り、乾いた空気層を作ります。周囲を専用の材料で気密にして、鉄骨へ取り付ける部分にもガラスへ無理な力をかけない納まりが指定されています。
未来の明るい建物の形を借りて、弱かったところは直してありました。
「これ、会議場?」
――そうみたいだね。
説明書の最初には、神様からの短い文がありました。
戦争が長く続いています。
武装していない代表者が話し合う場所として使ってください。
着工してください。
工期は七日です。
どろちゃんは、最後の一行だけもう一度読みました。
「七日?」
――七日って書いてあるね。
「一週間?」
――同じだよ。
「そういう意味じゃない」
戦争が続けば、人が死にます。
夜空の星が増えます。
神様は、それを見続けたくなかったのでしょう。
武器を送ってきたわけではありませんでした。
代わりに、話すための建物を一棟分、送ってきました。
「……作るしかないね」
――だね。
ただし、説明書は甘くありませんでした。
どろちゃんは、建物の組立図より前に何十ページも続く地面の図を見ました。
「まだ基礎?」
――まだ基礎。
建設場所まで指定されています。
資材が届いた場所から少し離れた、同じ丘の上です。
基準点。
建物の向き。
掘る場所。
深さ。
高さ。
基礎を置く位置。
アンカーの位置。
雨が降ったときの処置。
施工途中で測るところ。
埋め戻すところ。
締めるところ。
全部、図にしてあります。
どろちゃんはページを戻しました。
「ライン川の近くじゃだめなの?」
次のページに、ちょうどその答えがありました。
低地の断面図。
その下にある軟らかい地層。
盛土後の沈下予測。
横軸は、ずいぶん長く伸びています。
「……百年?」
――百年くらい動くって書いてあるね。
「建物より長いよ」
表面をきれいに締めただけでは足りません。
飛行場の地面なら、沈んだ場所を直し、また転圧すれば使えます。
大きなガラス壁を持つ鉄骨建築では、そうはいきません。
柱の位置が少し変わるだけでも、ガラスや扉が困ります。
「こっちの丘に建てろ、ってことね」
――書いてある通りがいいね。
「はい」
今回は、神様の説明書に従うことにしました。
◇ ◇ ◇
もう一台、届いた車を見ます。
長いブームがあります。
アウトリガーもあります。
車体の銘板には、神様の文字がありました。
Автокран
(アフトクラーン。自動車クレーン。)
「クラーン君」
――やっぱりそのままだ。
「分かりやすいでしょう」
運転席へ入ると、使い方は頭の中の技師さんたちにも分かりました。
それだけではありません。
クラーン君には、ほかの神様由来の機械と同じように、少し不思議なところがありました。
どろちゃんが吊った鉄骨を、もう少し右へ寄せたいと思う。
操作します。
クラーン君は、急に動きません。
吊荷を振らせず、ゆっくり寄せます。
そこで止まってほしいと思う。
ぴたりと止まります。
「この子、分かってる」
――そうみたいだね。
「助かる」
鉄骨を建てるとき、最後の数センチが大切です。
ガラスを扱うなら、もっと丁寧でなければなりません。
心が通じるクラーン君は、力が強いだけの機械ではありませんでした。
作業精度そのものを上げてくれます。
◇ ◇ ◇
工事は、その日のうちに始まりました。
七日しかありません。
基礎が全部できるまで待ってから鉄骨を組む余裕はありません。
「先に組めるところ、全部組もう」
説明書にも、その順番が書いてありました。
地面を掘る人。
測る人。
基礎を作る人。
部材番号を確認する人。
鉄骨を地上で組む人。
ガラスを二枚一組にして、スペーサーとシール材を説明書どおりに組み立てる人。
ボルトと金具を数える人。
次に必要な部材を並べる人。
工場の職人さんたちだけでは足りません。
「人がいない」
――工場を止める?
「止めたくない」
――町から集める?
「それでも足りない」
どろちゃんは少し考えました。
「大学がある」
――ライデン?
「うん」
「今から?」
「今から」
タドポール君が飛行場の端で待っていました。
『ライデン行くの?』
「行くよ」
『急だね』
「神様も急なの」
どろちゃんは必要な資料を持って乗り込みました。
その日のうちに、タドポール君は北西へ飛びました。
◇ ◇ ◇
ライデン大学へ着くと、どろちゃんは教授たちへ説明書を見せました。
「神様から建物が届きました」
「建物が?」
「まだ部品です」
「何の建物ですか」
「国際会議場」
教授の一人が、説明書を受け取りました。
数ページめくります。
次の人が横から見ます。
学生も後ろからのぞきます。
「この鉄骨を、エルレンフェルトで?」
「はい」
「このガラスも?」
「はい」
「工期は?」
「一週間」
少し静かになりました。
どろちゃんは説明書の該当箇所を指しました。
「ここに書いてあります」
「本当に七日ですね」
「私も三回見ました」
学生の一人が手を挙げました。
「見学はできますか」
「見学だけなら、手が足りないです」
別の学生が笑いました。
「では働けばよいのですね」
「危ないところは職人さんに任せます。測量、記録、部品管理、地上組立、説明書を読む人。そういう仕事がたくさんあります」
「土木の仕事も?」
「基礎からやってます」
「行きます」
その返事は早かったです。
航空に興味のある学生。
機械に興味のある学生。
数学を使って測量をしたい学生。
材料を見たい学生。
水利と地盤に興味を持った先生。
人数が増えました。
「明日、迎えに来ます」
「馬車では何日もかかりますが」
「飛行機で来ます」
「この機体ですか」
「これは二人くらいしか乗れないので、明日は大きい方」
説明がまた一つ増えました。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ライデン郊外の草地へ、白いミツバチちゃんが降りました。
タドポール君を知っている学生たちも、今度は見上げました。
高い翼。
二つのエンジン。
頑丈な脚。
後ろの大きな開口。
「これに乗るのですか」
「乗ります。荷物は少なくしてください」
「工具は?」
「向こうにあります」
「本当に?」
「たぶん皆さんの大学よりあります」
「それは見たいですね」
学生だけではありません。
教授も数人来ました。
測量器具。
筆記具。
着替え。
研究ノート。
それぞれ必要なものだけ積みます。
重量を確認します。
座る場所を決めます。
荷物を固定します。
全員が乗ったところで、どろちゃんは客室を前へ歩きました。
「では行きます」
ミツバチちゃんはライデンを離れました。
◇ ◇ ◇
エルレンフェルトへ着いた学生たちは、丘の上を見て足を止めました。
「昨日は、どこまでできていたのですか」
「基礎を掘り始めたところ」
「では、あれは昨日から?」
「うん」
地面の上には、すでに大きな鉄骨フレームがいくつも寝ています。
基礎工事の横で、別の班が先に組んでいたものです。
クラーン君が一つを吊り上げます。
ゆっくり起こします。
所定の位置へ運びます。
職人さんが合図をします。
「もう少し」
ほんの少し動きます。
「止めて」
止まります。
柱脚が、ほとんど迷わず所定の位置へ入りました。
「……この機械、ずいぶん上手ですね」
「クラーン君だから」
「名前の話ではなく」
「分かってるよ」
学生は、それ以上聞くのを少し諦めました。
作業が始まります。
説明書のページを大きな板へ留めます。
濡らさないよう屋根を付けます。
部材番号を並べます。
終わった工程に印を付けます。
測った数字も書きます。
組んだあとにもう一度測ります。
学生が思っていたほど、仕事は派手ではありません。
数字を読む。
番号を探す。
確認する。
記録する。
間違っていないか、別の人が見る。
その繰り返しです。
「飛行機を作るときと似ていますね」
学生の一人が言いました。
「建物も、落ちないように作るからね」
「飛ばないだけで」
「飛ばないでほしい」
風の強い日に会議場が飛んでいっては困ります。
◇ ◇ ◇
三日目の夕方。
工事現場へ、領主館から使いの者が走ってきました。
「お嬢様」
「なに?」
「旦那様に、ウィーンから書状が届きました」
「お父様に?」
「はい。かなり急ぎだそうで」
どろちゃんは手袋を外しました。
領主館へ戻ると、お父様が書状を机の上へ置いていました。
「どうしたの?」
「日付を見ろ」
「……明日?」
「ああ」
「何が明日?」
「ウィーンだ」
どろちゃんはもう一度読みました。
皇帝からの正式な通知です。
戦争で手紙の到着が遅れていました。
本来ならもっと余裕を持って届くはずだった日程が、エルレンフェルトへ着いた時には、ほとんど残っていません。
内容は、お父様を公爵へ昇叙するための拝謁でした。
「明日じゃん」
「だから、そう言っている」
「馬車じゃ無理」
「それも分かっている」
どろちゃんは、もう一度書状を見ました。
「でも、なんで急に公爵なの?」
お父様は少し考えてから、椅子へ座り直しました。
「書いてある理由は分かりやすい。古くから領地を治め、戦乱の中でも秩序を保ち、帝国への義務を果たしてきたから、ということになっている」
「それ、本当?」
「嘘ではないだろう。だが、それだけなら今でなくてもよい」
「じゃあ、ほかにもある?」
「私の考えだがな」
お父様は書状を指で軽く叩きました。
「フランスはお前を知っている。イングランドでも爵位を持った。ライデン大学とも行き来している。こちらはフランス軍も帝国軍も勝手に通さないと決めた。エルレンフェルトを、ただの小さな子爵領として扱うには、少し目立ちすぎるようになった」
「……私のせい?」
「全部ではない」
「ちょっとは?」
「かなり、かもしれん」
「やっぱり」
「謝る話ではない。公爵位は罰ではないからな」
お父様は少し笑いました。
「ただ、皇帝陛下から見れば、フランスにもイングランドにも近づけたくはないのだろう。選帝侯にするという話ではない。公爵として帝国の側からも重く扱い、こちらとの結びつきを一本増やしておきたい。そう考えれば、時期は分かる」
「ひも付け?」
「言い方は悪いが、まあ似たようなものだ」
「お父様、嫌?」
「嫌かどうかで決める話でもない。受ける意味も、受けたあと何が変わるかも、ウィーンで確かめる」
「うん」
どろちゃんは窓の外を見ました。
丘の上では、まだ国際会議場を作っています。
「……行けるよ」
お父様が娘を見ました。
「ウィーンへ?」
「ミツバチちゃんで」
「今、あれは大学の学生を運んだばかりではなかったか」
「飛行機は、一回飛んだらなくならないよ」
「お前は寝るのか」
「寝るよ」
お母様が横から言いました。
「今日は早く寝なさい」
「はい」
そこは反論しませんでした。
◇ ◇ ◇
翌朝。
お父様は礼装と必要な書類を持って、ミツバチちゃんへ乗りました。
大人数ではありません。
今回は、お父様をウィーンへ届けるための往復です。
どろちゃんは左席へ座ります。
地上の人が離れます。
エンジンを始動します。
「行きます」
ミツバチちゃんは丘を離れました。
東へ。
六百数十キロ。
馬車なら、翌日の予定に間に合わせることなど考えられません。
けれど、空なら間に合います。
戦争のせいで手紙は遅れました。
その遅れを、飛行機が取り返します。
ウィーン郊外の草地へ降りると、迎えの馬車が来ていました。
「お父様、着いたよ」
「ああ」
「じゃあ私、帰るね」
「少し休んでいけ」
「建物が」
「分かっている」
お父様も、もう何を言っても娘が帰ることを知っています。
「式が終わったら連絡する」
「うん。公爵になってきてね」
「なってきてね、で済ませる話ではない」
「でも私が代わりに出られないでしょう」
「それはそうだ」
お父様は馬車へ乗りました。
どろちゃんは飛行機へ戻ります。
その前に給油です。
草地には、神様から届いた二キロリットルの大きな燃料容器があります。
前に使ったあと、残量を記録しておきました。
そして翌日、確認しました。
満タンへ戻っていました。
五十リットル缶と同じです。
機体へつないだままでは増えません。
地上に置き、燃料系統から切り離して一晩休ませると、決められた量まで戻ります。
大きさが違っても、基本は同じでした。
容器には電動の給油ポンプが備え付けられています。
ホースをつなぎます。
必要量を確認します。
ポンプを動かします。
何百リットルも、人が腕で押して移す必要はありません。
「これなら楽」
――帰れるね。
「うん」
給油を終えます。
漏れがないことを確認します。
ホースを戻します。
容器は、また機体から完全に切り離されました。
どろちゃんはそのままエルレンフェルトへ戻りました。
◇ ◇ ◇
「ただいま」
夕方前には、もう飛行場へ帰っていました。
朝より、建物が大きくなっています。
「……二階できてる」
学生の一人が、少し得意そうに言いました。
「こちらも働いておりましたので」
「早い」
「一週間なのでしょう?」
「そうだった」
どろちゃんもすぐ作業へ戻りました。
五日目。
六日目。
鉄骨が立ちます。
床ができます。
屋根が閉じます。
大きなガラス面が、次々入ります。
二枚のガラスの間には、説明書で指定された間隔があります。
スペーサーには乾燥材が入り、周囲をきちんと封じます。
一枚ガラスの大きな壁を、そのまま持ってきた建物ではありません。
採光は欲しい。けれど、窓際だけ冷えたり、結露したり、暖房の熱を大量に逃がしたりする建物にはしたくありません。
鉄骨へ取り付けるところも、説明書どおりです。
固く締めればよい、ではありません。
ガラスへ無理な力をかけないようにします。
すき間を処理します。
最後にもう一度確認します。
「壁が透明だ」
学生が、外から中を見ました。
「窓が大きい、というより、壁の方が少ないですね」
「明るいでしょう」
「冬も?」
「一枚よりはずっとまし」
どろちゃんは吹き抜けを見上げました。
空が見えます。
まだ足場があります。
まだ工具があります。
床にも部材が残っています。
それでも、建物の形はもう分かります。
「中華ビルみたい……」
「何ですか」
「なんでもない」
未来の記憶は、説明しないことにしました。
◇ ◇ ◇
七日目。
最後の大きなガラスが入りました。
鉄骨の確認。
ボルト。
接合部。
扉。
屋根。
排水。
床。
全部、説明書のチェック欄を一つずつ消していきます。
夕方。
どろちゃんは、最後の欄へ印を付けました。
「できた」
誰かが座りました。
別の学生も、その場で腰を下ろしました。
職人さんは壁へもたれました。
「一週間」
「七日です」
「同じだよ」
どろちゃんは笑いました。
クラーン君も、建物の外で静かに止まっています。
「神様、できたよ」
返事はありません。
けれど、朝になれば何か変わっていることがあります。
「……まさかね」
◇ ◇ ◇
翌朝。
「増えてる」
どろちゃんは、建物の中で言いました。
外ではありません。
屋内です。
昨日まで何もなかった広いロビーと会議室に、今度は大量の箱が並んでいました。
「まだあるの?」
説明書も増えています。
床材。
天井材。
吸音材。
内壁。
扉。
照明。
暖房と換気の仕上げ部品。
衛生設備。
受付。
演台。
書棚。
会議卓。
椅子。
たくさんの椅子。
「……家具までイケア」
学生が聞きました。
「イケアとは何ですか」
「遠いところの家具屋さん」
「また遠いところですね」
「すごく遠い」
工場長が説明書をめくりました。
「お嬢様」
「はい」
「昨日までの七日は、外側の建物を完成させる日程だったようです」
「最初に書いてほしかった」
「こちらには、内装工程とあります」
「完成、延期?」
「そうなります」
どろちゃんは天井を見上げました。
「神様、そういうところあるよね」
返事はありませんでした。
◇ ◇ ◇
内装工事も、また並行作業になりました。
大きな会議室は、ガラスばかりでは音が反響します。
指定されたところへ吸音材を入れます。
小会議室は、隣の話が簡単に聞こえないようにします。
廊下。
受付。
書記室。
資料を置く部屋。
代表団が待つ場所。
武器を持ってきた者がいれば、建物の中へ持ち込ませず預かる場所もあります。
「戦争中でも、ここへ来る人は入れる?」
学生が尋ねました。
「武装してなければ」
「敵同士でも?」
「話すために来るなら」
「護衛は?」
「外まで。中はエルレンフェルト側で守る」
どろちゃんは、まだ空の大会議室を見ました。
「戦争する人を入れるんじゃなくて、話す人を入れるの」
それが、この建物の仕事でした。
ライデンから来た教授たちは、建物そのものにも興味を持っていました。
ガラス。
鉄骨。
接合。
基礎。
暖房。
換気。
音。
照明。
どこを見ても、研究するものがあります。
「やっぱり、こっちにも大学の場所がいるね」
どろちゃんが言いました。
「先日の話ですか」
「はい。ライデン大学エルレンフェルトキャンパス」
「大学をもう一つ作るのではなく?」
「本体はライデンです」
どろちゃんはそこをはっきりさせました。
「学籍も、教授の所属も、学位も、ライデン大学。こちらは実験と研究の場所です」
「航空」
「材料」
「電気」
「機械」
「気象」
「薬品と衛生」
「土木と水利」
学生たちから、次々声が出ます。
「全部ですね」
「全部じゃないよ」
「十分多いです」
「でも、ここにあるものを研究するなら、そうなるでしょう」
飛行場があります。
工場があります。
薬品を作る場所があります。
気象観測があります。
新しい電気設備があります。
低地には、水をどう扱うかという課題があります。
その真ん中に、今度は国際会議場までできました。
「土木の本拠地をこちらへ移すのですか」
「移さないよ」
どろちゃんは首を振りました。
「ライデンで勉強して、必要な研究のときにこっちへ来るの。こっちで測ったものはライデンへ持って帰る。ライデンで考えたものは、またこっちで試す」
「往復が大変です」
「飛行機あるよ」
学生が黙りました。
「ああ」
「そこ、忘れるよね」
◇ ◇ ◇
内装が終わりました。
家具も入りました。
大会議室には、長い机だけではなく、組み替えられる机が並びました。
大きな会議にも使えます。
小さな話し合いにも使えます。
椅子も十分あります。
受付もできます。
照明もつきます。
暖房も動きます。
換気もできます。
水も出ます。
どろちゃんは、今度こそ説明書の最後まで見ました。
「終わり?」
――終わりって書いてある。
「ほんとに?」
――たぶん。
「たぶんなんだ」
その日の朝。
また、建物の中に箱がありました。
どろちゃんは入口で止まりました。
「……まだある」
フランソワさんが箱の札を読みました。
「食器、とございます」
「食器?」
別の箱を開けます。
白い皿。
カップ。
ソーサー。
深皿。
大皿。
どれも薄く、そろった形をしています。
この時代の東洋の器を持ってきたわけではありません。
伊万里でもありません。
底の印を見たどろちゃんは、少し目を丸くしました。
NARUMI。
NORITAKE。
「そっちなんだ」
「何かご存じなのでございますか」
「ううん。きれいだなって」
どろちゃんには分かりました。
鳴海製陶とノリタケの、高級ラインの量産ボーンチャイナです。
一点物の美術品ではありません。
国際会議場で何十人、何百人へ同じ形の器を出せるよう、品質をそろえて大量に作られたものです。
白さ。
透け方。
縁の薄さ。
同じ型の皿を重ねても、妙にがたつきません。
別の箱にはカトラリーがありました。
ナイフ。
フォーク。
スプーン。
銀製ではありません。
磨かれたステンレスです。
どろちゃんの記憶では、燕の山崎金属工業がノーベル賞の食事会で使われるカトラリーを手がけた、その系統のステンレス版でした。
「これ、使いやすいやつ」
「お嬢様?」
「なんでもない」
調理場の箱には、さらに包丁が入っています。
牛刀。
ペティナイフ。
パン切り。
用途の違う何本か。
こちらも、美術品のような一本ではありません。
関の貝印が展開する関孫六シリーズの、高級ラインの量産品でした。
「神様、厨房まで日本でそろえたんだ……」
そこは声に出さず、どろちゃんの中だけに置いておきました。
グラスの箱もあります。
細い脚のもの。
水用。
酒用。
小さなもの。
こちらにも、どろちゃんの知っている印がありました。
HOYA。
SASAKI。
バカラではありません。
神様からの紙には、その理由まで書いてありました。
この建物は、戦争をしている国々の代表が同じ食卓につく場所です。
どこか一国の食器やグラスを公式のものとして選べば、それだけで贈答、格式、優遇といった余計な意味が生まれます。
そのため、現在の戦争当事国の製品は使いません。
遠い別の国で、品質が安定し、同じ物を多数そろえられる製品を選びました。
どろちゃんは、もう一度箱の底の文字を見ました。
「なるほどね」
フランソワさんが紙の続きを読みます。
「まだございます」
「なに?」
「使用後は洗浄し、必ず指定された食器棚へ戻すように、と」
「普通だね」
「破損した場合は、不足した分が一晩で補充されるそうでございます」
「……燃料缶と同じ?」
「そのようでございます」
食器棚には、皿ごと、カップごと、グラスごとに置く場所が決められています。
使える食器は洗って戻します。
割れたり欠けたりしたものは、指定された回収箱へ入れます。
そして夜のあいだに、棚の不足分が元の数まで補われます。
ただし、注意書きがありました。
使用した皿やカップを洗わずに机や流しへ置いたままにすると、食器棚から見れば、その分が足りません。
すると夜のうちに、不足した分が補充されます。
翌朝、昨日の食器を洗って棚へ戻そうとすると――
「入らない?」
「増えておりますので」
「食器、増殖するの?」
「そのように書いてございます」
しかも、いったん増えた分が勝手に消えるとは書いてありません。
「絶対、洗って戻そう」
「はい」
学生が横から聞いていました。
「そこまで厳しく言うほどですか」
「放置すると食器が増えるから」
「……どういう意味です?」
「説明すると長いから、使ったら洗って戻して」
「分かりました」
神様の設備は、ときどき使い方を間違えると妙なところで律儀でした。
そして、その横には食材がありました。
神様からの短い紙もあります。
完成、お疲れさまでした。
皆さんで食べてください。
どろちゃんは紙を読んで、少し黙りました。
「……最初からこれも送るつもりだったでしょう」
返事はありません。
けれど、食材はあります。
「じゃあ食べよう」
それで決まりました。
◇ ◇ ◇
国際会議場を最初に使ったのは、皇帝でも、フランス王でも、イングランド王でもありませんでした。
外交官でもありません。
エルレンフェルトの職人さん。
工場の人。
使用人。
ライデン大学の教授。
学生。
測量をした人。
ガラスを組んだ人。
鉄骨を地上で組んだ人。
基礎を掘った人。
部材番号を一日中確認していた人。
みんなです。
新しい大会議室の机に料理を並べました。
鳴海製陶とノリタケの白い器が並び、燕の山崎金属工業製ステンレスカトラリーがその横へ置かれました。
飲み物を入れるのは、保谷と佐々木のグラスです。
この建物で最初に使う公式食器が、戦争当事国のどこの物でもないというのは、神様なりの中立の作り方なのかもしれません。
神様から届いた食材だけではありません。
町からパンも来ました。
工場の人が持ってきたものもあります。
使用人たちが料理しました。
新しい食器を、最初から外国の王様へ出す必要はありません。
全員が席につくと、自然に話し声が小さくなりました。
この世界では、食事の前に神へ祈るのが普通です。
どろちゃんも手を止め、ほかの人たちと同じように頭を下げました。
「主よ、今日の糧をありがとうございます。ここまで働く者たちを守り、この食卓を共に囲めることを感謝します。どうか、この食事を私たちの力としてください」
「アーメン」
声が重なりました。
それから、ようやく食事が始まりました。
しばらくは、会議になりませんでした。
一週間以上、ずっと工事をしていた人たちです。
先に食べます。
パン。
肉。
野菜。
スープ。
菓子。
飲み物。
誰かがクラーン君にも食事を出そうとして、燃料を食べる機械だと気づきました。
「あとで給油しておくよ」
どろちゃんが言いました。
食事が少し落ち着いてから、ようやく今後の話になりました。
ライデン大学の教授が、机の上へ紙を広げます。
「では、エルレンフェルトで何を研究するかですが」
「さっきの全部」
「それでは議事録になりません」
「ですよね」
学生が笑います。
航空研究は、飛行場と工場を使います。
材料研究は、現地の木材、金属、樹脂、接着、ガラスを調べます。
電気と機械は、発電、モーター、工作機械、計測を扱います。
気象は、飛行場の観測設備とつながります。
薬品と衛生は、薬品工場、医療、飲料水、消毒、感染症の研究へ。
土木と水利は、ライン川沿いの低地へ。
「でも、低地へいきなり重い建物は建てない」
どろちゃんが言いました。
「百年沈む場所がありますからね」
土木に興味のある学生が答えます。
「そう。まず測る」
「水位」
「地盤」
「雨」
「川の高さ」
「排水したあと、どれだけ動くか」
「堤防も」
「全部、記録」
少しずつ、研究計画らしくなってきました。
「学生はどのくらいこちらへ滞在できますか」
「研究によるんじゃない?」
「一学期?」
「ずっといる必要はないよ。夏だけでもいいし、試験の期間だけでもいいし」
「飛行機で往復できるなら、今までとは条件が違いますね」
「でしょう」
ライデン大学の学生が、明るいガラス壁の外を見ました。
少し離れたところに滑走路があります。
白いミツバチちゃんが見えます。
格納庫もあります。
さらに向こうには、工場へ続く道があります。
「大学の外にある研究設備としては、ずいぶん多いですね」
「町ごと研究設備みたいになってきたから」
「それを大学と言うのでは?」
「大学はライデン」
「そこは譲らないのですね」
「うん」
どろちゃんは笑いました。
エルレンフェルトに新しい大学を作りたいわけではありません。
ライデン大学がライデン大学のまま、こちらにも足場を持つ。
それでよいのです。
会議室の中には、まだ新しい木や布や塗料の匂いが残っています。
外は明るいです。
二重になったガラスの向こうに、丘と飛行場が見えています。
いずれ、この部屋にはフランスの人も来るでしょう。
帝国の人も。
イングランドからも。
ネーデルラントからも。
戦争をしている国同士でも、武器を置いて話すためなら入れます。
でも、その最初の日。
この部屋にいたのは、泥の付いた靴を履いた学生と、手に油の残った職人さんたちでした。
「最初のお客さん、私たちだね」
どろちゃんが言いました。
「建てた者が最初に使うのは、よいことではありませんか」
教授が答えました。
「うん」
どろちゃんは新しいカップを持ち上げました。
「じゃあ、ライデン大学エルレンフェルトキャンパスにも」
学生が続けました。
「まだ正式には決まっておりませんよ」
「今、相談してるところ」
「では、相談の続きに」
「それでいいね」
カップがいくつか上がりました。
外では、戦争がまだ続いています。
それでも、この建物の中では、次に何を作るか、何を測るか、誰と研究するかという話をしていました。
神様が欲しかったのも、たぶん、こういう時間でした。
国際会議場で最初に開かれた会議は、国と国の会議ではありません。
エルレンフェルトとライデン大学の、これからについての話し合いでした。
そして、その会議は、完成祝いの食事をしながら、ずいぶん長く続いたのでした。




