29貴族令嬢は、飛行場をつくっても飛びません 訓練しないと危ないですからね。
第二十九章 貴族令嬢は、飛行場をつくっても飛びません
牧草地の端に、妙に大きな建物を作り始めたのは、ミツバチちゃんが来るより前のことでした。
「もう少し広く」
頭の中の技師さんが言います。
「これでも?」
――翼が入らなかったら格納庫にならないよ。
「何を入れるの?」
――それは、できてからのお楽しみ。
「寸法だけ全部知ってるのに?」
――必要だから教えているんだよ。
技師さんたちは、何が来るのかはなかなか教えてくれませんでした。そのくせ、建物の幅も高さも、入口の寸法も、床をどこまで平らにするかも、たいへん細かく注文します。
左右の長い壁は石造りにしました。ただし、その上へ石や瓦の重い屋根は載せません。太い木材を三角形に組んだトラスを何本も渡し、その上に梁を取り付けます。屋根には工場で作った羽布を使い、大きなテントのように張りました。
広い建物なのに、上は驚くほど軽くできています。
昼間は入口から光が入りますが、夜や曇天でも作業できるよう、梁の下には白い灯りを取り付けました。
火は使いません。神様から届いたバッテリーとLEDです。
「格納庫の中で油灯を持って歩かなくていいのは、うれしいね」
――燃料を扱う場所だからね。
「まだ飛行機、来てないけど」
――来るよ。
それだけは、教えてくれました。
◇ ◇ ◇
そして、本当に来ました。
朝食のあと、どろちゃんがフランソワさんと牧草地へ出ると、格納庫の前に大きな白い飛行機がいました。
青い帯も飾りもありません。まっ白な胴体の上に主翼があり、その左右へ大きなプロペラが一基ずつ付いています。太い脚で地面へ立ち、尾部には二枚の垂直尾翼が並んでいました。
どろちゃんは、しばらく何も言いませんでした。
頭の中では、すでに大騒ぎです。
――来た。
――ほんとうに来たね。
――まず外周確認から。
――プロペラの近くへ人を入れないで。
――脚も見たいな。
「分かってるよ」
フランソワさんが、白い機体とどろちゃんを交互に見ました。
「お嬢様。この飛行機も、ご存じなのですか」
「うん。私より詳しい人たちも知ってる」
「技師さんたちですね」
「そう」
もう、フランソワさんにはそれだけで通じます。
機首の横には文字がありました。
Ан-28(アン・ドヴァーツァチ・ヴォースィェミ。An-28。)
そして、その下にはもう一つ。
Пчёлка(プチョールカ。ミツバチちゃん。)
「ミツバチちゃん」
どろちゃんは声に出して読みました。
An-14から続く、小さく働き者の飛行機の名前です。この機体はずっと大きくなっていますが、どろちゃんには同じ家族の飛行機に見えました。
「この子も、ミツバチちゃんでいいよね」
――いいと思うよ。
技師さんたちも賛成しました。
そこで、どろちゃんは格納庫を振り返りました。
「……だから、あんなに大きく作らされたのか」
――ぴったりだろう?
「最初から言ってよ」
――言ったら楽しみがなくなるじゃない。
「建てる方は楽しくないよ」
技師さんたちは笑っています。
◇ ◇ ◇
その朝、神様から届いたものは飛行機だけではありませんでした。
少し離れたところには、小さなクローラー式の運搬車があります。履帯で走り、後ろには荷台が付いていました。
車体には神様の文字がありました。
Самосвал(サマスヴァール。ダンプトラック。)
「サマスヴァール君」
そのままです。
――分かりやすいだろう。
「最近、名前がだんだん説明になってない?」
――覚えやすいよ。
サマスヴァール君は土砂を運ぶだけの機械ではありません。荷台には人も乗れます。工具や荷物と一緒に整備の人を運べますし、飛行機を格納庫から出し入れするときには牽引具を取り付けてトーイングカーとして使えます。
フランソワさんは荷台を見ました。
「私も乗れるのでしょうか」
「乗れるよ。馬みたいにまたがらなくていいし」
フランソワさんは長いスカートを少し整え、ステップへ足を掛けました。そのまま向きを変えて座れます。
「これは楽ですね」
「でしょう」
飛行場には、飛行機に乗る人だけが来るわけではありません。荷物を持つ人も、整備する人も、フランソワさんのような服を着た人も来ます。誰でも同じように馬へまたがれるわけではありません。
サマスヴァール君には、そういうところでも仕事がありました。
◇ ◇ ◇
サマスヴァール君には、もう一つ大切な仕事があります。
タドポール君は斜面を使って離着陸することがあります。着陸したあと、都合よく丘の上まで転がってくれるとは限りません。
坂の途中で止まれば、今までは人が集まりました。
「これからは楽になるね」
――台車を持っていけばいい。
タドポール君用の台車をサマスヴァール君へ積み、止まったところまで運びます。機体を台車へ載せて固定し、その台車ごとサマスヴァール君でゆっくり引き上げればよいのです。
人が翼や胴体を押しながら坂を上がる必要はなくなります。
「タドポール君も引っ張ってもらえるよ」
『ぼく、荷物みたいだね』
「飛んでるときは飛行機。地面では大事な荷物」
『それならいいかな』
どうやら納得したようです。
◇ ◇ ◇
さらに、黄色と黒の油圧ショベルがありました。
履帯で走り、前には排土板、後ろには長い油圧の腕があります。
車体には、
ZAXIS
ZX50U-5B
と書かれています。
どろちゃんには見覚えのある機械でした。ただし、そのことを周囲へ詳しく説明するつもりはありません。
「これも、使い方は分かるよ」
「お嬢様は、土を掘る機械までご存じなのですね」
「まあ、いろいろ」
そこにも名前があります。
Краб(クラープ。カニ。)
大きな腕とバケットを見ると、たしかにカニに見えなくもありません。
「カニさん」
――こっちはちゃん付けじゃないの?
「働き始めてから決める」
カニ君は五トンほどの油圧ショベルです。石を掘り出し、木の根を抜き、排水溝を掘れます。前の排土板を使えば、土を押して粗くならすこともできます。
その近くには、十トンほどあるロードローラーもいました。
Плоский(プロースキィ。平たい、平らな。)
「こっちは本当にそのままだね」
――仕事が分かる名前はいい名前だよ。
「神様、だんだん考えるの面倒になってない?」
返事はありませんでした。
◇ ◇ ◇
最後に、大きな円筒形のタンクがありました。
容量は一万リットル。十キロリットルです。
これまでの燃料缶とは大きさが違います。そばには給油用のポンプとホース、濾過器などもそろっていました。
中身は、これまで神様の機械へ使ってきた共通燃料です。見たところはほとんどケロシンのようで、タドポール君にも、ミツバチちゃんにも、カニ君にも、プロースキィ君にも、サマスヴァール君にも使えます。
「飛行機も、土を掘る機械も、同じなのですね」
フランソワさんが不思議そうに言いました。
「神様の機械は、これでいいみたい」
――細かいことは気にしなくていいよ。
「神様エッセンス?」
――その説明で十分だね。
説明する気がないところだけは、技師さんたちもたいへん簡単です。
◇ ◇ ◇
格納庫は先にできています。
けれど、飛行場はまだ完成していません。
ミツバチちゃんが置かれている場所は平らに見えますが、何度も離着陸する滑走路として使うなら、それだけでは足りません。
どろちゃんは、これまでタドポール君で領地の上を何度も飛びました。風の通り方も、雨のあとに水が残る場所も、霧が出やすいところも見ています。
その記録を使い、格納庫の前から伸ばせる広い牧草地を滑走路にすることにしました。
「八百メートル取ろう」
――幅も忘れないでね。
「分かってる」
滑走路の両端には、飛行機が向きを変えられる広さを取ります。横には駐機場所を設け、燃料を扱う場所は格納庫や火を使う場所から離します。
ただ草を短く刈れば終わる仕事ではありません。
まずカニ君で排水を作りました。
雨の水がどこへ集まり、どちらへ逃げるのかを確かめながら溝を掘ります。地中の大きな石や古い根株も掘り出しました。
盛り上がった部分は削り、低い場所へ土を移します。バケットで掘ったあと、今度は前の排土板を使います。カニ君がゆっくり進むと、土の山が押され、地面の起伏が少しずつ消えていきました。
人と馬だけで同じ仕事をするより、ずっと速く進みます。
「お嬢様。この機械、飛行場が終わったら畑でも使えませんか」
農地を管理している人が、早くも尋ねました。
「使うよ。排水も掘れるし、石も取れるから」
その返事を聞いて、周囲の人たちの顔が明るくなりました。
カニ君の次の仕事は、もう決まったようです。
◇ ◇ ◇
粗く地面を整えたあとは、プロースキィ君の出番でした。
十トンの重さで、ゆっくり何度も地面を通ります。
盛った場所は、見た目が平らでも一度締めると沈みます。掘り返した場所も同じです。
プロースキィ君が通ったあと、どろちゃんたちはもう一度高さを測りました。
「ここ、少し下がったね」
――印を付けておこう。
カニ君が戻り、土を入れます。排土板でならし、その上をもう一度プロースキィ君が通りました。
雨が降った翌日には、さらに歩いて確認しました。水が残るところはないか、車輪が沈みそうな場所はないか、昨日まで平らに見えたところが落ちていないかを見ます。
見つければ、また直します。
一度きれいに見えれば完成、ではありません。飛行機は同じ場所を何度も走りますし、晴れた日だけ使える滑走路でも困ります。
整地して、締めて、雨のあとに見て、また直す。
そうして、草の滑走路は少しずつ飛行場になっていきました。
◇ ◇ ◇
サマスヴァール君も、造成中ずっと働きました。
カニ君のところへ人と工具を運び、掘り出した小さな石や切った根を荷台へ載せます。必要な材料を格納庫から運ぶのも仕事です。
そして、ミツバチちゃんを移すときだけ、荷台の仕事をやめます。
牽引棒を取り付けました。
「ゆっくりね」
――急ぐ理由は一つもないよ。
サマスヴァール君が動き出すと、白いミツバチちゃんも静かについてきました。
格納庫の入口を通ります。
「入った」
――だから寸法を教えたんだよ。
「余裕もある」
――翼端を壁へ当てる格納庫は、ぴったりとは言わないからね。
石造りの左右の壁の間へ、白い機体が収まりました。頭上には木造トラスと羽布の屋根があり、LEDの白い灯りが翼を照らしています。
どろちゃんは、ようやくこの建物が本当に格納庫になったのを見ました。
◇ ◇ ◇
滑走路の横には、小さな塔も建てました。
上からは滑走路全体、駐機場所、格納庫前を見ることができます。
ただし、この塔で大勢の飛行機へ指示を出すわけではありません。飛行機を操縦できるのは、まだどろちゃん一人です。
今のところは、飛行場監視塔と気象観測室です。
塔から少し離れた、建物の風が当たりにくい場所には吹き流しを立てました。さらに神様から届いた無線式の気象観測装置を設置します。
屋外のセンサーが測った風、気温、湿度、気圧などが、塔の中の画面へ送られてきます。
フランソワさんは、外の装置と机の画面の間を見ました。
「線がありません」
「無線だからね」
「数字が飛んでくるのですか」
「そう」
「便利ですね」
「便利だよ」
固定無線機とアンテナも塔へ入りました。それとは別に、手で持てる小型無線機も何台かあります。
「一台は町の領主館へ置こう」
「何をお話しになるのです?」
「帰る時刻とか。荷車をこっちへ回してほしいとか。フランソワさんを迎えに来てとか」
「私を、ですか」
「必要なときはね」
フランソワさんは少し考えてから、うなずきました。
「それは便利です」
飛行場の無線通信で最初に必要になるのは、難しい航空用語ではありません。いつ帰るのか、誰が来るのか、何を運ぶのか。その程度でも、伝令の馬を毎回走らせなくて済みます。
◇ ◇ ◇
飛行場の駐機場所は、格納庫のすぐ前だけではありません。
天候や作業内容によっては、少し離れた場所へミツバチちゃんを置くこともあります。
そういうときにもサマスヴァール君が働きます。
「フランソワさん、乗って」
「はい」
フランソワさんはスカートを整えて乗り込みました。整備の人も二人乗ります。
荷台には工具箱と小さな荷物があります。
サマスヴァール君は草地をゆっくり走り、離れたところに止めてあるミツバチちゃんへ向かいました。
「馬車を毎回出すより早いね」
「私はこちらの方が乗りやすいです」
「スカートでも平気でしょう」
「はい。そこはたいへん助かります」
飛行場が広くなると、飛行機だけ速くても仕方がありません。
地面の上で、人と荷物も動かなければならないのです。
◇ ◇ ◇
そのころ、町外れのエルレンフェルト機械工場では、もう一機の飛行機も製作中でした。
こちらは、完成した機体が神様から届いたわけではありません。
神様から届いたのは、図面とエンジン、主要計器、それからまだ領地では作れない電子機器です。
翼も、胴体も、脚も、操縦系統も、燃料系統も、こちらで作ります。
図面にある機体はOKA-38系。
どろちゃんは、
Аист(アーイスト。コウノトリ。)
と呼んでいます。
「コウノトリちゃん」
この飛行機は、ミツバチちゃんほど多くの人や荷物を運びません。その代わり、短い草地から離陸し、短い場所へ降りることを重視します。
条件がよければ牧草地を使えます。十分に幅があり、直線が続き、轍や石や障害物の少ない馬車道も、緊急時には候補になります。
遠くへ大量の荷物を運ぶのはミツバチちゃん。
医師を一人急いで送りたい、薬を少し届けたい、手紙や小さな部品を運びたい。そういう仕事は、コウノトリちゃんの方が向いています。
しかも、燃料は領地で作れるエタノールです。
エンジンそのものは神様製ですが、最初からその燃料に合わせてあります。
「全部を神様からもらわなくても飛べる飛行機になるね」
どろちゃんが言うと、工場長は製作中の胴体を見ました。
「それなら、次の機体も作れます」
「うん。エンジンと計器が来ればね」
一機だけの特別な飛行機ではありません。同じ図面と治具があれば、工場でもう一機を作れる。そのことの方が大切でした。
◇ ◇ ◇
風防を作るところでは、風防磨きのおばさんが図面を見ていました。
ライデン大学のグライダーへ送る風防ガラスを作った人です。
すでに曲面ガラスも作れます。水滴型に近い、もっと丸い風防を作ろうと思えば、それもできます。
「お嬢様。こちらも丸くいたしますか」
「できる?」
「できます。型は新しく要りますが」
どろちゃんは図面を見ました。
少し考えてから、首を振ります。
「こっちは平らなままでお願いします」
「この形を残すのですね」
「うん。コウノトリちゃんは、この顔がいい」
「承知しました」
平面ガラスを何枚かに分け、細い枠へ入れます。
作れないから平らにするのではありません。
丸くできる工場が、あえて平面を選びました。
できることが増えると、作り方を選べるようになります。
◇ ◇ ◇
飛行場がほぼできた日、どろちゃんはミツバチちゃんの前に立ちました。
滑走路は整いました。格納庫があり、燃料もあります。吹き流しも立ち、気象観測装置も無線機も動いています。
「じゃあ、飛べるね」
――飛行機はね。
「私も飛べるよ」
――タドポール君ならね。
「……そういうことか」
――今日は、ミツバチちゃんを覚えよう。
どろちゃんは操縦席へ上がりました。
◇ ◇ ◇
最初の日は、エンジンをかけませんでした。
座席を合わせ、ペダルへきちんと足が届くことを確かめます。
操縦桿を動かし、スロットルやプロペラの操作、燃料系統、フラップ、トリム、電気系統、消火装置などの位置を、一つずつ手で確かめました。
技師さんが突然言います。
――右のエンジンに異常。
どろちゃんは手を伸ばしました。
――それは左。
「あ」
――もう一度。
また最初からです。
別の技師さんが言います。
――離陸を中止する。
手を動かします。
――今度は片方のエンジンが止まった。
「待って、こっち?」
――そう。
「似たようなのが多い」
――地上で迷っておけばいいんだよ。
午前中、ミツバチちゃんは一メートルも動きませんでした。
昼食のとき、フランソワさんが尋ねました。
「午前中の飛行はいかがでした?」
「いっぱい飛んだよ」
「飛んでいらしたのですか」
「頭の中で」
「ああ」
フランソワさんは納得しました。
◇ ◇ ◇
翌日、初めてエンジンを始動しました。
周囲の人を離し、プロペラの近くへ誰も入らないことを確かめます。消火器を置き、車輪止めも確認しました。
――急がなくていいよ。
「はい」
一基ずつ始動します。
低い音が始まり、大きなプロペラが回り始めました。回転が上がると、一枚ずつの形は見えなくなり、周囲の草が風で揺れます。
もう一基も始動します。
左右の音が重なりました。
どろちゃんは計器を見比べます。回転や温度、圧力におかしな差がないことを確かめ、しばらくそのまま待ちました。
――よさそうだね。
「じゃあ、少し動くよ」
車輪止めを外してもらいます。
出力をほんの少し上げると、ミツバチちゃんがゆっくり動き出しました。
「動いた」
――飛行機だからね。
「大きいものが動くとうれしい」
――前も見てね。
「はい」
格納庫前をゆっくり走り、止まります。
右へ曲がり、左へ曲がり、もう一度止まります。ブレーキの感触を確かめ、左右のエンジン出力を少し変えたときに機首がどう動くかも試しました。
速く走る必要はありません。
今日は、地面の上でミツバチちゃんを思った場所へ動かし、思った場所で止められればよいのです。
◇ ◇ ◇
さらに次の日、初めて滑走路へ入りました。
塔の気象モニターを見ます。
窓から吹き流しも確認します。
「ほぼ正面からの風」
――いいね。
ミツバチちゃんを滑走路の中央へ合わせました。
八百メートル先まで、緑の帯が伸びています。
作っているときには長かったのに、操縦席から見ると不思議と短く感じました。
「走るよ」
――どうぞ。
出力を上げます。
ミツバチちゃんが加速しました。
歩くより速くなり、馬車より速くなります。
それでも今日は、離陸するところまで速度を上げません。
――少し左。
「戻します」
――戻しすぎない。
「はい」
舵へ当たる風が、少しずつ強くなってきます。
どろちゃんは、もっと速くしたくなりました。
「もう少し行けるよ」
――行けるから、今日はここまで。
「まだ滑走路あるよ」
――今日の練習は飛ぶことじゃないよ。
どろちゃんは出力を下げました。
まっすぐ走らせたまま速度を落とし、十分に遅くなってからブレーキを使います。
止まりました。
前にはまだ滑走路が残っています。
「飛ばなかった」
――うん。
「成功?」
――予定どおり。
もう一度走りました。中心を保ち、決めたところで出力を戻し、減速して止まります。反対側からも同じことをしました。
三回終わったところで、技師さんが言いました。
――今日はおしまい。
「まだ明るいよ」
――明るいうちに点検できるね。
「そう来るか」
◇ ◇ ◇
エンジンを止め、機体を点検しました。
燃料の残量を記録し、脚やタイヤ、プロペラ、操縦系統を見ます。漏れているものがないか、緩んでいるところがないかも確かめました。
点検を終えるころ、サマスヴァール君がやってきました。
荷台にはフランソワさんと工具箱が乗っています。
「お嬢様」
「はい」
「領主館へ、今日は飛ばなかったとお伝えしておきますか」
「うん。飛ばない練習だったって言って」
「そのように申し上げます」
少しして無線機から声が返ってきました。
『承知しました。夕食にはお戻りになりますか』
「戻ります」
飛行場の無線通信は、今日も夕食の確認で終わりました。
◇ ◇ ◇
塔の壁には、大きな地図があります。
どろちゃんがタドポール君で飛ぶたびに書き足してきた地図です。
お姉様のいる伯爵領、おばあさまのいる男爵領、ライデン大学、ロンドン、パリ、ウィーン。
どこも、まったく知らない土地ではありません。タドポール君で上から見ましたし、実際に降りた場所もあります。風や地形を調べ、周辺には将来使える土地も確保してきました。
ミツバチちゃんを使うなら、場所によってはさらに排水を作り、石を除き、地面を締める必要があります。
けれど、行き先を一から探すところから始めなくてよいのです。
どろちゃんは地図を見ました。
「ずいぶん増えたね」
――何が?
「行けるところ」
最初は、自分の丘から飛ぶだけでした。
次は家族のところへ行きました。
大学へ行き、海を越え、王様のいる町へ行きました。
今では、格納庫があります。滑走路があり、燃料設備があり、気象観測と無線があります。人と荷物を運ぶサマスヴァール君もいます。
坂の途中で止まったタドポール君も、もう人力で大勢が押し上げなくてよくなります。台車へ載せれば、サマスヴァール君が引き上げてくれます。
離れたところに止めたミツバチちゃんへも、人と荷物を一緒に運べます。
工場では、神様からエンジンと計器を受け取りながら、自分たちの手でコウノトリちゃんを作り始めています。
飛行機が一機増えただけではありません。
飛行機を使い続けるためのものが、まとめて増えました。
「なんだか、一段どころじゃなく進んだね」
――そうだね。
「前は、飛べるだけだったものね」
――今は、運べるようになろうとしている。
どろちゃんは格納庫の前に止まっている白いミツバチちゃんを見ました。
「でも、まだ飛んでない」
――今日はそれでいいよ。
夕方の風で、吹き流しが静かに伸びています。
空へ行くために必要なのは、飛行機だけではありません。
地面を整え、人を動かし、燃料を置き、天気を見て、機械を直し、帰る場所を作る。
どろちゃんの飛行は、ようやくそこまで大きくなりました。
◇ ◇ ◇
第二十九章の小さな説明
【An-28「ミツバチちゃん」】
本章で届くAn-28は、どろちゃんたちが「ミツバチちゃん(プチョールカ。ミツバチちゃん。)」と呼ぶ双発輸送機です。本作ではAn-14から名前を引き継ぐ形にしています。
タドポール君が少人数と小さな荷物を高速で運ぶ機体だったのに対し、ミツバチちゃんは人員やまとまった貨物を運ぶ役目を担います。ただし、大きな飛行機を受け取っただけでは運用できないため、本章では初飛行より先に地上設備と訓練を整えています。
【先に作られた格納庫】
技師さんたちはAn-28が届く前から必要寸法を知っていたため、格納庫の建設を先行させています。
左右の壁は石造りですが、大きなスパンへ重い屋根を載せず、上部には木造トラスと梁を組み、その上へ羽布張りの軽いテント状屋根を設けています。内部照明は神様製のバッテリーとLEDで、燃料や航空機を扱う建物の中へ油灯を持ち込まなくても作業できます。
【サマスヴァール君】
小型クローラーダンプの名前は「サマスヴァール(サマスヴァール。ダンプトラック。)」です。
土砂や工具を運ぶだけでなく、人も乗せられます。飛行場では整備員、使用人、荷物を離れた駐機場所まで運ぶ地上輸送車として使い、必要なときには牽引具を取り付けてミツバチちゃんを格納庫から出し入れします。
また、斜面の途中で止まったタドポール君を専用台車へ載せ、台車ごと引き上げる回収車にもなります。
またがって乗る車両ではないため、フランソワさんのような長いスカート姿でも比較的乗り降りしやすいことも、この時代の飛行場では重要な利点です。
【カニ君とプロースキィ君】
ZAXIS ZX50U-5B「カニ君(クラープ。カニ。)」は、排水溝の掘削、石や根株の除去、土の移動、粗整地に使われます。
その後を十トンクラスのロードローラー「プロースキィ君(プロースキィ。平たい、平らな。)」が転圧します。転圧や降雨後に沈下した場所は再び補修し、必要なら再転圧するため、牧草地を単に刈っただけではなく、継続使用を前提にかなり丁寧に飛行場を造成しています。
カニ君は飛行場完成後も、農地開墾、排水、用水路、農道整備などで使われます。
【共通燃料と十キロリットルタンク】
神様由来の液体燃料は、外見や性質がほぼケロシンに近い架空の共通燃料です。
タドポール君、An-28、油圧ショベル、ロードローラー、クローラーダンプなど、神様由来の機械は同じ燃料を使えます。本章では十キロリットルの貯蔵タンクと給油設備が加わり、航空機だけでなく飛行場の作業機械も同じ燃料設備から給油できます。
【塔、吹き流し、気象観測、無線】
飛行場の塔は、現段階では現代的な航空交通管制塔ではありません。操縦できるのがどろちゃん一人だけだからです。
主な役目は滑走路や駐機場所の監視と気象観測です。吹き流しとは別に、神様製の無線式気象観測装置を設置し、屋外のセンサーから塔内のモニターへ情報を送ります。
固定無線機とアンテナも置かれ、ハンディ無線機の一台は町の領主館へ置かれます。飛行場と領主館の間で、帰着予定、迎え、荷物、人員、天候などの日常連絡を行います。
【OKA-38系「コウノトリちゃん」】
エルレンフェルト機械工場では、本章の時点ですでに「コウノトリちゃん(アーイスト。コウノトリ。)」の製作が始まっています。
神様から届くのはエタノール仕様のエンジン、主要計器、必要な電子機器、図面です。翼、胴体、脚、操縦系統、燃料系統、風防などは領地側で製作します。
神様から完成機を受け取るAn-28とは違い、主要な精密部品の供給を受けながら領地工場で繰り返し作れる機体です。
風防は、曲面ガラスが作れないため平面にするのではありません。エルレンフェルトではすでにライデン大学のグライダー用風防ガラスを製作しており、より丸い風防も作れます。それでもコウノトリちゃんでは機体らしい外観を残すため、多面の平面ガラスを採用しています。
【地上訓練】
どろちゃんはミツバチちゃんを受け取っても、すぐに離陸しません。
最初に操縦席の配置と非常時の操作を覚え、その次にエンジン始動、低速走行、旋回、制動を練習します。さらに滑走路で方向を保ちながら加速し、あらかじめ決めた速度と位置で出力を戻して停止する練習をします。
この段階では飛ぶことが目的ではないため、意図せず浮き上がるところまで加速しません。「飛ばずに思いどおり動かして止める」ことが、最初の訓練です。




