27貴族令嬢は、王様にお菓子を届けます。 いよいよルイ14世さんと交渉です。
第27章 貴族令嬢は、王様にお菓子を届けます
朝食が終わったあと、どろちゃんは食卓の端に置いてあった箱を、もう一度みんなの前へ持ってきた。
昨夜、神様から届いた箱だった。
一つは、フランス国王へ。
もう一つは、どろちゃんへ。
王様へ届ける方には、手をつけない。
どろちゃん用の方には、見たことのない小さな袋や箱が、種類ごとに一つずつ入っていた。ルマンド、バームロール、ホワイトロリータ、チョコリエール、セブーレ、キャメルライン。ほかにも、チューミー、サブロア、シナメル、ラシュクーレ、レザンヌ、クロアパイ、ミルファス、サブレー、ブランチュール、ミルネージュ、ラングレイス。寒い季節に売られるらしい袋入りのチョコレートもある。
どろちゃんには、袋の表も裏も読めた。
完全言語理解のおかげだった。
「これ、全部お菓子です」
家族の視線が集まった。
「全部?」
「うん。ものすごく遠い東の国で売ってるみたい」
「いつの?」
「それがね」
どろちゃんは一つを裏返した。
そこには、ずっと未来の日付が印刷されていた。
「この数字が、おいしく食べられる期限みたい」
「……ずいぶん先ね」
「うん」
家族の誰かが、正面の文字を指した。
「これは?」
「ブルボン」
どろちゃんは答えてから、もう一度その文字を見た。
BOURBON。
ローマ字で大きく書いてある。
「フランスの王様の家の名前と同じです」
少しだけ静かになった。
「だから神様が?」
「たぶん」
どろちゃんは、王様用の箱を見た。
「こっちは陛下にって書いてありました。だから開けません」
自分用のものだけを開けた。
全部を食べてしまうつもりはなかった。家族で少しずつ味見するだけである。
セブーレは割った。
キャメルラインも割った。
ルマンドは、少し困った。
「これ、崩れますね」
「崩れるわね」
「でも、おいしい」
薄い生地とクリームが、ぱらぱらと皿へ落ちた。
フランソアも少し食べた。
「これは、宮廷のお菓子なのですか?」
「違うみたいです。普通のお店で、普通の人が買うものです」
「これを?」
「うん」
そこが、どろちゃんには一番おもしろかった。
王様しか食べられない菓子ではない。
とても高価な宝物でもない。
ずっと未来の、はるか東の国で、普通の人がお店へ行って買う。
その袋に、BOURBONと書いてある。
どろちゃんは、少し考えた。
「土地って、取っても取られますよね」
父親が、朝食後のお茶を飲みながら顔を上げた。
「急に何の話だ」
「フランスの王様です。戦争してるから」
「またその話か」
「うん。今日は、その話もしてきます」
「返事を届けるだけではなかったのか?」
「最初はそのつもりでした」
フランソアが、少しだけ笑った。
どろちゃんが手紙だけ届けて帰ってきたことは、あまりない。
◇
王様への箱は、タドポール君へ積む前にもう一度確認した。
それほど大きくはない。
神様も、飛行機で運ぶことを考えたのかもしれない。
同じ菓子でも大きな包装のものがあるらしいが、入っていたのは小さな包装が多かった。種類を増やしながら、重さと体積を減らしたようにも見える。
どろちゃんはウィリアム3世から預かった返書も確認した。
こちらが、本来の任務である。
「お菓子の方が目立ちますね」
フランソアが言った。
「うん。でも、先に手紙です」
どろちゃんはきっぱり答えた。
外交の手紙を届けに行って、未来のお菓子を先に出すわけにはいかない。
天候を確認した。
風も見た。
前回までの航路記録もある。
既知の航路だからといって、空が毎回同じになるわけではない。そこを簡単に考えると、頭の中の技師さんたちに呆れられる。
『今日は前より楽そうだな』
「そうですね。でも、帰りもあります」
『その通り』
技師さんたちは、いつものように普通に話した。
飛行中の操作に入れば短い指示も来るが、いまはまだ出発前だった。
フランソアが後席へ乗る。
今回も、荷物と人の重さを確認してある。
タドポール君は離陸し、高度を取り、パリへ向かった。
◇
ルイ14世への返書は、先に渡された。
どろちゃんは、ウィリアム3世の返答について自分の解釈を先に話さなかった。
それは王と王の手紙である。
まずルイ自身が読むべきだった。
ルイはしばらく黙って文面を追った。
どろちゃんは待った。
フランソアも、その少し後ろで静かに立っている。
この場でも、彼女の顔を見て一瞬動きを止めた者がいたが、本人はいつものように気づいていた。どろちゃんは気づいていなかった。
やがて、ルイが手紙を閉じた。
「英国王は、話を続ける意思があるらしい」
「はい」
「医療についても、度量衡についても」
「はい」
「そして、グリニッジについてもな」
「はい」
「そなたは、ずいぶん大きなものを運んでくる」
「紙は軽いです」
「そういう意味ではない」
「あ」
どろちゃんは少し考えてから、頷いた。
「それから、もう一つあります」
ルイが眉を上げた。
「まだあるのか」
「はい。昨夜、神様が陛下にって送ってくださいました」
その言葉で、部屋の空気が少し変わった。
神様からの品。
しかも国王宛て。
粗末に扱うわけにもいかない。
だからといって、確認せず国王の口へ入れるわけにもいかない。
箱が運ばれてきた。
包装を見た者たちは、まず材質で困った。
紙とも布とも違う。
薄い。
妙に均一である。
印刷も細かい。
そして、正面には読める文字があった。
ルイが自分で読んだ。
「……BOURBON」
「はい」
「ブルボンではないか」
「はい」
どろちゃんは、それ以上何も言わなかった。
ルイは別の商品を手に取った。
そこにも同じ文字がある。
さらに別のものにも。
「全部か?」
「見たところ、全部です」
「どこの国のものだ」
「ずっと東です。私が知っている地図なら、日本という国です」
「日本」
「はい」
「そこにブルボンという菓子屋があるのか」
「大きなお菓子の会社みたいです」
「会社?」
「たくさん作って、たくさんのお店で売るところです」
ルイは、また袋を見た。
「王侯へ売るのか」
「違います」
「では貴族か」
「普通の人です」
「普通の?」
「はい。普通の市民が、普通のお店で買います」
ルイはしばらく答えなかった。
その沈黙は、怒っているというより、どう受け取ればよいのか考えている沈黙だった。
どろちゃんは袋を裏返した。
「ここには、日本の文字で商品の説明があります。原材料とか、量とか。それから期限も」
「期限?」
「いつまでおいしく食べられるかです」
どろちゃんは印字された数字を示した。
「この最初の4桁が年です」
ルイは数字を見た。
「……これは」
「私たちが今使っている数え方なら、ずっと先です」
それ以上、どろちゃんは未来について説明しなかった。
この菓子は神様が送ってきた。
だから、これはどろちゃんの予言ではない。
目の前にある品物の説明をしているだけだった。
◇
しかし、問題はその次だった。
「陛下がお召し上がりになる前に、確認いたします」
宮廷側の人間が言った。
当然である。
神様から届いたと言われても、出所が怪しすぎる。
どろちゃんが持ってきた。
未知の国の、未知の時代の、未知の材料で包まれた食品。
しかも、国王宛てである。
暗殺を警戒する側から見れば、ほとんど悪夢だった。
「私、朝に食べましたよ」
どろちゃんは言った。
「伯爵が朝に召し上がったものと、いまこの箱にあるものが同じである保証にはなりません」
「あ、それはそうですね」
どろちゃんは素直に引き下がった。
自分が選んだものを食べても、意味が薄い。
毒のない個包装をどろちゃんだけが知っていて、それを選んだ可能性を排除できない。
だから、開ける商品も個包装も、すべてフランス側が選ぶことになった。
「伯爵にも召し上がっていただきます」
「はい」
「そちらの方にも」
フランソアが頷いた。
「承知しました」
毒味役が最初に選んだのは、キャメルラインだった。
どろちゃんは包装を見て、少し嫌な予感がした。
中は4個だった。
毒味役が1個食べた。
どろちゃんが1個食べた。
フランソアが1個食べた。
残ったのは、1個だった。
ルイが、静かに箱を見た。
「これは余への贈り物ではなかったか?」
「そうです」
「なぜ余が食べる前に、残りが一つなのだ」
「フランス側が選びました」
どろちゃんは正直に答えた。
周囲の人間が、少し気まずそうな顔をした。
どろちゃんは続けた。
「大きい袋もあるみたいです。でも、神様が送ってきたのは小さい方でした」
「なぜだ」
「飛行機で運ぶからじゃないでしょうか」
「神はそこまで考えるのか」
「たぶん」
しばらく待った。
もちろん、食べた直後に何も起こらないから安全、というだけでは足りない。
宮廷側は慎重だった。
その間にも別の商品がいくつか選ばれた。
全部ではない。
そんなことをしていたら、国王が食べる前に贈り物がなくなる。
チューミーもある。
サブロアもある。
シナメルもある。
ラシュクーレも、レザンヌも、クロアパイも、ミルファスも、サブレーも、ブランチュールも、ミルネージュも、ラングレイスもある。
ほかにも、どろちゃんが朝に味見したものがいくつもあった。
「全部をここで試しますか?」
どろちゃんが尋ねた。
「いや」
宮廷側の者が答えた。
「残りはこちらで預かる」
「それがいいと思います」
「伯爵は異論がないのか」
「ありません。陛下へのものですから」
家には、自分の分がある。
それは言わなかった。
聞かれていないからである。
やがて、ルイにも菓子が渡された。
キャメルラインの最後の1個も、ようやく国王のところへ行った。
ルイは食べた。
ゆっくり噛んだ。
「……悪くない」
どろちゃんは少し笑った。
「普通の人が買うお菓子です」
「それは先ほど聞いた」
「はい」
「三百年も先に?」
「神様が送ってきたものを見る限りでは」
「はるか東で?」
「はい」
「ブルボンの名で?」
「はい」
ルイは、机の上に並んだ包装を見た。
軍事地図ではない。
条約文でもない。
王冠でもない。
色の違う、小さな菓子の袋が並んでいる。
その全部に、BOURBONという文字がある。
◇
「陛下」
どろちゃんは、少しだけ姿勢を直した。
「私、思うんですけど」
「今度は何だ」
「もう、戦争では十分有名じゃないですか?」
周囲が少し静かになった。
ルイはどろちゃんを見た。
「そなたは、余に戦争をやめろと言いに来たのか」
「その話もしたいです」
「その話も、か」
「はい」
どろちゃんは一度、言葉を探した。
「陛下って、今までのフランスの王様より、ずっと強い王様ですよね」
「そう思っている」
返事は早かった。
どろちゃんは頷いた。
「私もそう思います」
「では、何が問題なのだ」
「陛下が強いのか、フランスが強いのか、分からなくなります」
ルイの顔から、少しだけ表情が消えた。
「違いがあるというのか」
「あります」
どろちゃんは続けた。
「陛下と同じくらい強い王様じゃなくても、この国は同じように動きますか?」
ルイは答えなかった。
「陛下は、今までの王様と比べられますよね」
「できる」
「じゃあ、これからの王様も、陛下と同じくらい上手にできると思いますか?」
沈黙が長くなった。
どろちゃんは、未来の王の名前を出さなかった。
誰がどうなるとも言わない。
いま目の前にあるフランスだけを見て話した。
「イングランドでは、王様を処刑したことがあります」
ルイは僅かに眉を動かした。
「知っている」
「そのあと王様を戻して、また別の王様を追い出しています」
「それも知っている」
「オランダの方でも、王様から離れて国を作った人たちがいます」
「それで?」
「そういう考え方が、もうこの世界にあるということです」
どろちゃんは机の端に指を置いた。
「フランスには、たくさん人がいます。お金を持っている人も、勉強した人も、商売している人もいます。でも、その人たちが国のことを決める場所は、そんなに多くないですよね」
「身分には秩序がある」
「はい。でも、税金を払う人と、決める人がずれていくと、ずっとそのままで大丈夫でしょうか」
「そなたは、身分をなくせと言うのか」
「いま全部なくせとは言ってません」
どろちゃんはすぐに答えた。
「急に全部変える方が危ないです」
これは本当にそう思っていた。
仕組みを壊してから考えるのは、機械でも国家でも怖い。
「陛下が強いうちに、少しずつ変えた方がいいと思います」
「なぜ余が、自分の力を弱くする仕組みを作る」
「陛下のためじゃありません」
「では誰のためだ」
「陛下の子どもや、その次の人たちです」
どろちゃんは、少し考えて言い直した。
「陛下ほど強くなくても、王様を続けられるようにするためです」
ルイはじっとどろちゃんを見た。
「それは余の王権を弱める話ではないのか」
「逆になることもあると思います」
「どういう意味だ」
「困った時に、王様に『違います』って言える人がいなくなる方が危ないです」
どろちゃんは、難しい言葉を使わなかった。
「みんなが陛下の顔を見て、陛下が喜ぶことだけ言うようになったら、陛下も間違いに気づけません」
ルイは黙っている。
「それは、次の王様でも同じです」
「余に諫言する者ならいる」
「いるうちは大丈夫です」
どろちゃんは頷いた。
「でも、それを人に頼らないようにした方がいいです。決まりにしておくんです」
「決まり?」
「お金をどう使ったか分かるようにする。税金を変える時には、払う人の話も聞く。地方の人の話も、いつでも王様のところへ届くようにする。裁判は、王様が嫌いな人でも同じ手順でやる」
どろちゃんはそこで止まった。
一度に全部言うと、話が大きくなりすぎる。
「そして、戦争を減らす」
ルイの目が細くなった。
「結局そこへ戻るのだな」
「はい」
どろちゃんは素直に認めた。
「陛下、スペインの王様になった方は大切なお孫さんですよね」
「そうだ」
「だから助けたいのは分かります」
「ならば」
「でも、フランスのお金を、これからずっと外国の王冠のために使いますか?」
ルイの表情が変わった。
どろちゃんは急がなかった。
「陛下には、お子さんも、その先の家族もいます。フランスの中に残るものへお金を使った方が、その人たちが楽になります」
「何を作れという」
「道路とか、運河とか、学校とか、病院とか、研究所とか」
「ずいぶんあるな」
「まだあります」
「まだあるのか」
「あります」
どろちゃんは、少しうれしそうになった。
「鉄をたくさん作れるところも要ります。電気を作るところも。もっと先なら、鉄の道も」
「鉄の道?」
「そこは、まだ大変なので後です」
「今は作れないのか」
「作ろうと思えば、仕組みは分かります。でも、レールが作れません」
「鉄ならあるだろう」
「良い鉄を少し作るのと、同じ強さの鉄を何千本も作るのは違います」
「ほう」
「1本だけ弱いレールが混ざったら、そこで折れます。ずっとつながっているので」
どろちゃんは、少しだけ手を横へ動かした。
「剣なら、良いものだけ選べます。でも鉄道は、弱いところが一つあると困ります」
「では、どうする」
「製鉄所からです」
「鉄道を作るために、製鉄所を作るのか」
「はい」
「そなたは話が大きい」
「私もそう思います」
ルイは少し笑った。
◇
「しかし」
ルイは、机の上のBOURBONを見た。
「そなたは、戦争よりも、こういうものを残せと言いたいのか」
「お菓子を作れ、という意味ではないです」
「分かっている」
「でも、名前が残るって、こういうこともあるんだなって」
どろちゃんは一つの袋を指した。
「陛下が今、どこかの土地を取っても、その土地が三百年後もフランスかどうか、誰にも分かりません」
「それはそうだ」
「でも、絵とか音楽とか、学問とか、学校とか、道具の決まりとかは、外国の人も使います」
「外国人が?」
「はい」
「敵国もか」
「いいものなら」
どろちゃんは少し笑った。
「外国の人にフランスを好きになってもらった方が、占領するより安いと思います」
部屋のどこかで、誰かが息を飲んだ。
ルイは、すぐには怒らなかった。
「そなたは、余に何を目指せと言っている」
「フランスを、一番にすることです」
「戦争をやめてか」
「戦争じゃないところで」
「何の一番だ」
「芸術も。学問も。技術も。学校も」
どろちゃんは少し考えた。
「世界中の人が、良いものを勉強しようと思ったらフランスへ来るようにするんです」
「パリへ?」
「はい」
「余の治世に?」
「はい」
「余が始めた、と?」
「はい」
そこは、ルイにとって悪い話ではなかった。
むしろ、かなり良い。
どろちゃんは、それを見て続けた。
「陛下はもう、戦争で強い王様だって、みんな知ってると思います」
「当然だ」
「じゃあ、次は別の一番を取った方がいいです」
「簡単に言う」
「簡単じゃないです」
どろちゃんは首を振った。
「だから、陛下が強いうちにやるんです」
また同じところへ戻った。
強い王がいる。
だから、その強さを戦争だけに使わない。
強い王だからこそ、次の王が弱くても壊れない制度を作れる。
強い王だからこそ、貴族にも役人にも商人にも、新しい決まりを受け入れさせられる。
強い王だからこそ、戦費を別のところへ回せる。
「陛下がいなくなってから、誰かが変えようとしても大変だと思います」
「余が死ぬ話を、本人の前でするのか」
「あ」
どろちゃんは止まった。
「すみません」
「よい」
ルイは苦笑した。
「王も死ぬ」
「はい」
「その後もフランスは残る」
「はい。だからです」
ルイは、また英国王の返書へ目をやった。
戦争を続ける道もある。
講和を探る道もある。
そして今、16歳の伯爵令嬢が、机の上に三百年以上先の菓子を並べて、戦争ではない方法でフランスを一番にしろと言っている。
おかしな場面だった。
だが、BOURBONという文字は、そこにあった。
◇
「では、そなたは具体的に何を求める」
ルイが言った。
どろちゃんは少し考えた。
「まず、戦争を終わらせる話を本気で始めてください」
「条件がある」
「もちろんです。何でも相手に渡せとは言いません」
「それから?」
「戦費が減ったら、全部別の戦争に使わないでください」
「……そなたは先回りするな」
「すみません」
「続けよ」
「フランスの中に使ってください。道路、運河、港、学校、研究、医療。それから、科学院にもっと仕事をしてもらいます」
「仕事?」
「標準です」
ルイは少し笑った。
「また尺度か」
「大事です」
「分かった。続けよ」
「同じ長さ、同じ重さ、同じ力で話せるようにします。工房も研究所も軍も、同じ規格を使うようにします」
「軍もか」
「軍にも便利です。でも戦争だけのためじゃないです」
「それから?」
「国のお金を、もう少し分かるようにします」
ここは慎重に言った。
「誰にだ」
「陛下に、です」
「余には報告が来る」
「全部、本当に比べられますか?」
ルイは少し黙った。
「地方ごと、役所ごと、やり方が違うと、数字が来ても比べにくいです」
「それも標準化するというのか」
「はい」
「そなたは何でも標準化するな」
「数字が違うと、分からないので」
ルイは、また少し笑った。
どろちゃんは続けた。
「それから、税金を払う側の人の話を聞く場所を増やしてください」
「議会を作れというのか」
「急に大きいものを作らなくてもいいです」
「では何だ」
「地方ごとでもいいです。商人でも、農民でも、職人でも、困っていることをまとめて上へ出せる仕組みを作るんです」
「請願ならある」
「もっと普通にします」
「普通に?」
「特別な勇気がなくても、悪い報告を出せるようにします」
どろちゃんは、そこで一度止まった。
「陛下にとって耳の痛いことを言う人が、敵にならない仕組みです」
ルイの顔が少し固くなる。
「それは難しいな」
「はい」
「余だけの問題ではない」
「はい。役人も、貴族も、軍人も同じです」
「そなたの領地ではできているのか」
「全部はできてません」
どろちゃんは即答した。
「だから難しいって分かります」
ルイは、どろちゃんをしばらく見た。
それから、小さく頷いた。
「余にだけ難題を押しつけているわけではない、ということか」
「はい」
「よろしい」
◇
その日のうちに、戦争が終わるわけではない。
そんな簡単な話ではなかった。
王が一人「やめた」と言えば終わる戦争なら、最初からこれほど大きくなっていない。
同盟国もある。
王位継承の問題もある。
領土もある。
面子もある。
軍も動いている。
だから、どろちゃんは「今日で戦争終了」とは言わなかった。
ただ、ルイが「講和の条件を具体的に検討せよ」と命じれば、世界は少し動く。
その一言を出せる人が、いま目の前にいる。
そして、その人はまだ強い。
弱くなってからでは遅い。
「陛下」
「何だ」
「もう一つだけ」
「今日は何個あるのだ」
「これで最後です」
「信用してよいのだな」
「たぶん」
「言え」
どろちゃんは、少し考えてから言った。
「陛下より弱い王様が来ても、陛下が作った国が壊れないようにしてください」
「余より弱い王か」
「来ると思います」
「なぜだ」
「陛下が強すぎるからです」
ルイは一瞬、何も言わなかった。
それから笑った。
「その言い方は、嫌いではない」
「よかったです」
「だが、余より弱い王のために、余が仕事を増やされるのだな」
「はい」
「そなたは遠慮がない」
「すみません」
「もうよい」
ルイは机の上の菓子を見た。
「このブルボンは、置いていけ」
「もちろんです。陛下への贈り物です」
「残りは調べさせる」
「はい」
「食べられるものは食べる」
「期限がありますから」
「それも聞いた」
「油の入ったものは、ずっと保存しない方がいいです」
「余は保存すると言っていない」
「あ、はい」
フランソアが、少し下を向いた。
笑うのを隠しているようだった。
どろちゃんは気づかなかった。
◇
帰りの準備をしながら、どろちゃんは少しだけ考えた。
未来を知っていることを、そのまま使うのは簡単だった。
何年に何が起きる。
誰がどうなる。
どの王が失敗する。
でも、もう未来は同じではない。
ウィリアム3世は生きている。
薬もある。
飛行機も飛んでいる。
科学院では未来の知識が動き始めている。
だったら、昔覚えた年表を読み上げても仕方がない。
いま見えるものから考えるしかない。
イングランドでは王が処刑された。
王政は戻った。
また王が追い出された。
海の向こうでは共和国も生まれている。
フランスでは、ルイ14世という非常に強い王が国を動かしている。
だったら問題は、「この王がいなくなったあとでも同じように動くか」である。
そこまでなら、未来を知らなくても考えられる。
「帰ったら、鉄のことも考えないと」
どろちゃんが言った。
「もう鉄道ですか?」
フランソアが尋ねた。
「まだです」
「まだ?」
「レールが作れないので」
「鉄は作っているではありませんか」
「鉄は作れます。でも、レールは怖いです」
どろちゃんは首を振った。
「ずっと並べるから、一か所だけ弱くてもだめなんです」
「では、先に製鉄所ですね」
「うん。高炉だけじゃだめです」
「また大きくなりましたね」
「うん」
フランソアは少し笑った。
タドポール君のところへ戻る。
パリには、神様から届いた未来のお菓子が残った。
その袋には、三百年以上先の日付と、BOURBONという文字があった。
そしてフランス国王は、戦争以外で世界の一番になるという話を、考え始めていた。
――小さな説明――
●ブルボンのお菓子
この章では、神様が未来の日本からフランス国王向けにブルボンのお菓子を送っています。これは物語上の出来事です。どろちゃん用には別に各種類一つずつ届いているため、国王への贈り物を家族が先に開けているわけではありません。
●BOURBONの文字
日本語の商品表示は1702年のフランス人には読めませんが、BOURBONというアルファベット表記はルイ14世にも読むことができます。商品の細かな日本語表示は、完全言語理解を持つどろちゃんが読んでいます。
●毒味
国王の口に入る未知の食品なので、宮廷側が慎重になるように描いています。どろちゃん自身に試す個包装を選ばせると、安全なものだけを選んだ可能性を排除できないため、フランス側が開封する商品と個包装を選びます。すべての商品をその場で試すと贈り物そのものがなくなってしまうため、一部を抜き取り、残りはフランス側へ預けています。
●フランスの制度について
どろちゃんは「未来にフランス革命が起きる」と予言して制度改革を迫っているわけではありません。イングランドの内戦、国王処刑、王政復古、名誉革命、ネーデルラントの共和国など、1702年の時点ですでに観察できる事例と、現在のフランスの制度を比較して考えています。
●鉄道とレール
どろちゃんは電動機や水力発電の知識を持っていますが、それだけでは鉄道は作れません。長距離に大量に並べるレールでは、一部の材料不良が路線全体の故障点になり得ます。そのため、均質な鋼を大量に製造し、圧延し、検査する製鉄・製鋼体制が必要になります。これは今後の課題です。




