第198章 貴族令嬢は、ポテト会議を開きます。
第198章 貴族令嬢は、ポテト会議を開きます
会議当日の朝、エルレンフェルト駅へ最初の特別列車が入りました。
普段の旅客列車を止めないよう、到着時刻は少しずつずらしてあります。ホームで乗客を降ろした列車は、そのまま入換機に押され、新しく造った留置線へ移っていきました。
「一番線、入りました」
「次はネーデルラント側です」
駅員さんたちは、国王や元首が到着しても普段どおりの声で列車を動かしています。
ロンドンから来た列車にはアン女王が乗っていました。ドーバー海峡トンネルを通ってきたので、途中で船へ乗り換えていません。
「本当に、そのまま来られるのですね」
アン女王はホームへ降りてから、後ろへ続く客車を振り返りました。
「はい。今回は迎えに行かなくて済みました」
「少し残念そうですね」
「二十年くらい迎えに行っていましたから」
どろちゃんが答えると、アン女王は笑いました。
フランスからはルイ十四世と息子が到着し、イタリア王国からはサヴォさんが来ました。ネーデルラント側の元首と、五年間ずっと共同研究を続けてきたライデン大学の研究者たちもそろいます。
四本の特別列車は、予定どおり四本の留置線へ収まりました。
旧会議棟の前には、明るい色のジャガイモのポスターが貼られています。
「これか」
ルイ十四世が足を止めました。
「ずいぶん楽しそうな顔をしたジャガイモだな」
「病気で枯れた葉を大きく描くより、こっちの方が見てもらえます」
「それはそうだろう」
息子がポスターの題名を読みます。
「エルレンフェルト・ポテト会議」
「そのままですね」
「何の会議か、間違えないでしょ」
どろちゃんはそのまま皆を旧会議棟へ案内しました。
◇ ◇ ◇
会議室の中央には、数字を書いた表と、フランス、イングランド、エルレンフェルトの三か所で育てた比較写真が並んでいました。
端には、番号札を付けた候補のジャガイモも置いてあります。
最初に説明したのは、ライデン大学の研究者でした。
五年前に多数の系統を集め、交配を始めたこと。
同じ親から作ったものでも性質が大きく分かれること。
エルレンフェルトでは病気がほとんど出ないため、交配と増殖には使えても、病気への強さを判定する場所には向かないこと。
そのため、フランスとイングランドでも同じ番号の株を育て、病気が出る土地で比較してきたこと。
説明が進むにつれ、机の上の紙が一枚ずつ裏返されていきます。
「では、この番号はエルレンフェルトでは良く育ったのに、フランスでは落ちたのですね」
アン女王が一つの表を指しました。
「はい。逆の例もあります」
「だから一か所だけでは決められない」
「そのとおりです」
次に、古い種芋を何代も使ってきた系統の記録が出ました。
同じ株を芋で増やし続けるうち、葉が巻くもの、まだらになるもの、株全体が弱るものが少しずつ増える例があります。
昔からまとめて「カール」と呼ばれてきた症状です。
どろちゃんは、その表を見せてから言いました。
「今の私たちには、これを全部、原因ごとに分ける方法がありません。同じカールって呼ばれていても、たぶん一つじゃないです」
ルイ十四世が聞きました。
「治せないのか」
「一株ずつ治して元へ戻す方法は、今はありません。だから、五年前から別のやり方を準備しました」
次の紙を出します。
「交配した種から作り直して、病気の出る土地でも残ったものを選びます。それを一種類じゃなく、何種類か増やします」
サヴォさんが候補品種の一覧を見ました。
「一番成績の良いものだけに統一しないのですか」
「しません。今の病気に強くても、次の病気に全部一緒に弱かったら、また同じことになります。収穫時期や保存性も違うので、地域ごとに複数を使います」
ここまでは、五年間の研究結果です。
その次から、国王や元首が決めなければならない話になりました。
どろちゃんは、古い種芋系統から新しいものへ切り替える順番を描いた図を出しました。
「先に捨てません」
最初の一言だけは、はっきり言いました。
「新しい種芋を増やす畑を先に作ります。農家さんが次に植えられる量まで増えた地域から、古い系譜を順番に外します」
「全部を同じ年に替えるのではない?」
「そんな量は最初からありません。何年かかけて増やします。新しいものが届く前に古いものを捨てたら、病気を防ぐための政策で食料不足を作ることになります」
ルイ十四世は息子の方を一度見ました。
「これは、余の代だけでは終わらぬな」
「だから私も連れてきたのですね」
「そういうことだ」
息子はもう一度、配布計画の紙へ目を落としました。
ネーデルラント側からは、品種名と中身が混ざらないよう、増殖畑から農家へ渡るまで番号と記録を残す案が出ました。
イングランド側は、地域ごとに複数品種を配ることを確認しました。
フランス側は、古い系譜を外す時期を、新しい種芋の供給量と合わせて決めることにしました。
イタリア王国側も同じ方法へ参加します。
四か国で使う基本の考え方は、そこでまとまりました。
「では、古い種芋はどうします?」
研究係の使用人が確認しました。
「新しいものが十分に届いた区画から、種芋としては使わない。混ぜないように分けて、古い系譜は順番に廃棄します」
「そこは農家にも同じ説明を?」
「うん。捨てる話だけ先にしない。次に何を植えられるかと一緒に説明する」
アン女王が頷きました。
「それなら、反対される理由もかなり減るでしょう」
「長年使ってきた種芋だから、嫌がる人はいると思います。でも、次の年に植えるものを持って行ってから話す方がいいです」
会議では、その方針で四か国が共同して種芋の更新を進めることが決まりました。
本会議のあと、ライデン大学の研究者たちは別室へ移り、国際連盟加盟国の代表へ同じ研究結果を説明しました。
病気は国境で止まりません。
種芋も国境を越えます。
四か国だけで古い系譜を入れ替えても、周囲から同じものがまた入ってくれば、長い時間をかけた研究の効果が薄くなります。
そのため、参加を希望する国には比較試験の記録と増殖方法、系統を混ぜないための記録方法まで公開することになりました。
◇ ◇ ◇
昼食には、会議室に置いてあった候補系統と同じ番号のジャガイモが出ました。
「これは何番です?」
ルイ十四世の息子が皿を見ました。
「二百十一番です」
「資料を食べているのですか」
「食べられる資料です」
どろちゃんが答えると、アン女王が隣の皿を見ました。
「では、こちらも研究ですか」
「味が悪かったら、農家さんが作っても売れませんから」
「それは重要ですね」
国王や元首が、塩を振ったジャガイモを食べながら番号を見比べました。
五年前、畑の隅で花粉を付けて小さな袋へ種を分けたときには、こんな会議になるとは誰も思っていませんでした。
その日の午後も、会議は続きました。
午後の議題は、方針そのものから実施方法へ移りました。増殖畑を置く場所、切り替えを始める地域、種芋の鉄道輸送と保管に使う倉庫、農家へ渡す説明書の共通部分まで、四か国は実際に動かす順番と担当を一つずつ決めていきました。
◇ ◇ ◇
それから数年かけて、新しい種芋は少しずつ増えました。
最初は増殖用の畑だけだったものが、次の年には周辺の農家へ広がり、さらに次の年には別の地域へ移っていきます。
一種類だけではありません。
早く収穫できるもの、保存しやすいもの、収量の多いもの、病気の出る土地で比較的よく残ったもの。
それぞれの土地へ、性質の違う複数の系統が入りました。
新しい種芋が十分に届いた地域では、古い系譜を種芋として使うのをやめました。畑と倉庫では札と帳面を使い、新旧の系統が混ざらないようにしました。
ライデン大学と各国の農業担当者は、同じ番号の系統を別の土地でも育て続けました。
病気そのものがなくなったわけではありません。
葉が巻く株も出ます。
まだらになる株もあります。
疫病が局地的に広がる年もありました。
それでも、一つの系統だけを広い範囲で作っていたころとは違います。
弱い株が出れば、その系統を種芋から外せます。
一つの品種が悪くても、別の品種が残ります。
新しい種芋を増やす系統も、各地で維持されるようになりました。
数年後には、ジャガイモの病気による損失は、広い地域の食料事情を揺らすほどのものではなくなっていました。畑ごとの被害は残っても、地域全体では平年の収量の揺れに埋もれる程度まで小さくなっています。
大きな飢饉は起きませんでした。
どろちゃんが心配していた、ジャガイモ一つの不作から食料価格も人口も大きく崩れる未来は来ませんでした。
ある日、どろちゃんはタドポール君でエルレンフェルトへ戻る途中、窓の下に広がる畑を見ました。
同じジャガイモ畑でも、区画によって葉の色や花の時期が少しずつ違います。
一つに揃えなかった結果でした。
「ちゃんと、ばらばらだね」
後席で後ろ向きに座っていたフランソワさんも、窓の外を見ました。
「そのために、何種類も残したのですから」
「うん」
タドポール君は翼を少し傾けました。
下では、その年のジャガイモが、いつもどおり畑いっぱいに育っていました。
しばらくすると、タドポール君が、いつものプライマリーの歌を歌い始めました。
どろちゃんも小さな声で一緒に歌います。
タドポール君はプライマリーの歌を歌いながら、いつものようにエルレンフェルトの空を飛んでいきました。
――完――
ロンドン本領の終端ホーム二階、ロシア語の看板がかかったピロシキとジャム入り紅茶の店。
おめかししたどろちゃんと、とびっきりきれいなフランソワさんが、テラス席でゆっくりお茶を楽しんでいます。
一階ホームには、初期型ユーロスターが2編成。パリ北駅行きと、ライデン・ユトレヒト行きの併結編成が発車を待っていました。
見た目は十代後半の二人ですが、実年齢は三百歳を超えています。そんな二人にとっても、国境をまたぐ列車を眺めながら飲むジャム入り紅茶は、少し特別な時間なのかもしれません。
ここまで『ドロティアとフランソワは空を飛びます どろちゃんの飛行日誌 飛行機から始まった貴族令嬢の社会改変』をお読みいただき、ありがとうございました。
ずいぶん長いお話になりました。
飛行機から始まり、工場、鉄道、医学、通信、農業、外交まで、どろちゃんが気になったものへ次々と手を伸ばしていきました。
そして最後に残った仕事は、ジャガイモでした。
病気そのものを完全になくすことはできなくても、品種を増やし、種芋を入れ替え、広い地域の食料を揺るがすほどの被害にならないところまで持っていく。最後は、そんな地味ですが大切な仕事で終わります。
その帰り道、タドポール君はいつものプライマリーの歌を歌い、どろちゃんも一緒に歌いながら飛んでいきました。
この二人なら、この先もたぶん、何かを見つけては首を突っ込み、調べて、作って、飛んでいると思います。
198章までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




