第197章 貴族令嬢は、ポテト会議を待ちます。会議の準備完了です。
第197章 貴族令嬢は、ポテト会議を待ちます
エルレンフェルト・ポテト会議はまだ始まっていませんが、町の人たちには、もう何の会議が開かれるのか分かるようになりました。ブレテンボードへポスターが貼り出されたからです。
「これでどうです?」
フランソワさんが刷り上がった一枚を机の上へ広げると、どろちゃんは椅子から身を乗り出しました。
「いい。これなら遠くからでも見える」
ポスターは空色と明るい黄色を大きく使い、葉の緑とジャガイモの皮の色を合わせた、明るく目立つ仕上がりです。中央には葉と白い花に囲まれたジャガイモが大きく描かれ、少し楽しそうな顔をしています。
「重要首脳会議なのに、笑っているジャガイモでよろしいのでしょうか」
「何の会議か一秒で分かるでしょ」
「それは、ものすごく分かります」
「病気の葉っぱを真ん中に大きく描いたら、誰も見たくなくなるし。新しい品種を作る会議なんだから、元気な方でいいの」
フランソワさんも、二枚の下絵から明るい方を選びました。
「文字はもう少し大きくしますか」
「ポテト会議は一番大きく。大学の説明会は、その下でちゃんと読めるくらい」
「国名は四つ並べますね。紋章も付けますか」
「その方が分かりやすい」
文字はナーロッパ語です。このあたりではドイツ語で書けば、そのまま普通に読めます。大きな題名は「ERLENFELDER KARTOFFEL-KONFERENZ」。その下には「Im alten Konferenzgebäude zu Erlenfeld」と入れ、旧会議棟で開くことも示しました。
さらに、フランス、イングランド、ネーデルラント、イタリア王国の四か国会議であることを並べます。議題は長い説明文にはせず、病気に強い種芋、古い種芋系統の更新、収量の多い新しい品種の配布、と短くしました。
「全部廃棄、という文字は入れないのですね」
「ポスターでいきなり脅かさなくていいよ」
「会議では?」
「そこはちゃんと言う。隠しても、あとで農家さんが困るだけだから」
ポスターの下の方には、もう一つ大切な案内があります。本会議そのものは四か国の首脳級で行いますが、研究内容を四か国だけのものにはしません。毎日、その日の本会議が終わったあと、同じ旧会議棟の別室で、ライデン大学の研究者が国際連盟加盟国の代表へ説明会を開きます。
「ジャガイモの病気は、国境で止まりませんからね」
「種芋も普通に国境を越えて売られるし、四か国だけ新品種にしても、周りから昔のものが入ってくる」
「ですから、加盟国にはその日のうちに説明した方がよいと思います」
「うん。結果だけ後から手紙で送るより、質問もできるしね」
ライデン大学は五年間の共同研究者として、今回は国際連盟加盟国への説明を担当します。
説明会では、最初の三年に多数の品種を集めて交配し、その違いを見てきたことから始めます。二年前から耐病性と収量を同時に選ぶ方向へ変えたこと、エルレンフェルトでは病気が出ないので交配と増殖には向く一方、耐病性の判定には向かず、フランスとイングランドで比較試験をしていることまで順番に示します。
そのあとで、古い種芋を長くつないだ系統では、弱り方や病気が次の作付けへ持ち越される場合があることを説明します。いま確認できるのは、畑で現れる症状と、系統ごとの栽培結果です。その記録を使って、複数の新しい品種を十分に増やしてから、地域ごとに古い系統を順番に置き換える必要がある、というところまで持っていきます。
「毎日、最初から全部やるのですか」
「その日の本会議で進んだところまでを順番に説明しよう。途中の日から来た人には、それまでの資料を渡せば追いつけるようにしておく」
研究経過、病害試験、種芋更新の方法と、説明内容も本会議の進行に合わせて組み替えることにしました。
説明会の時間割も入口へ別紙で貼りました。本会議終了後に短い休憩を取り、そのあとライデン大学の研究者が図表を使って説明します。質問が長くなれば翌日に持ち越してもよく、説明済みの資料は毎晩まとめて置くことにしました。
◇ ◇ ◇
ポスターがブレテンボードへ貼られると、さっそく人が止まりました。
同じポスターを何枚も刷り、駅前、旧会議棟の入口、国際連盟本部へ向かう通り、宿泊棟の近くへ貼りました。町のあちこちに同じジャガイモの絵が現れると、会議名をまだ覚えていない人にも「あのジャガイモの会議」で通じるようになりました。
「正式名より先に、絵で覚えられましたね」
「それでいいよ。会議が終わったあとも、『あのポスターの品種』って言えば思い出してもらえるかもしれないし」
農家や駅員、市場の人まで、自分たちの食べ物に関係する会議だと一目で分かることを、どろちゃんたちは大切にしました。
「新しいジャガイモを配る会議なんですね」
「古い種芋を替える話もするらしい」
掲示を読んだ人たちは、議題をすぐ自分たちの畑や食卓へ結び付けました。国境線や通貨の会議より生活との距離が近く、畑で作る人にも市場で売る人にも直接関係があります。
「新しい品種は、いつから配られるんだろう」
「古い種芋の更新も書いてある。うちの畑が対象になるか、会議が終わったら聞いてみよう」
少し離れたところで聞いていた研究係の使用人たちは、顔を見合わせました。
「やっぱり、古い種芋のところを読みますね」
「そこは気になるよ」
「農家向けの説明文、もう少し柔らかくした方がよさそうです」
フランソワさんも頷きました。
「『長年使ってきた種芋を、新しい系統へ順次更新します』くらいから始めましょう。ただし、最後まで曖昧にはできません。新しい種芋が十分に届いたあとには、古いものを混ぜない区画も必要になります」
「名前だけ新品種にして、中身が古いのが混ざったら、研究した意味がなくなるもんね」
「ですから、農家向けには、捨てる話と同じくらい、次に何を植えられるのかを先に示しましょう」
会議が始まる前から、研究結果をどう農家の言葉へ直すかという仕事まで見えてきました。
◇ ◇ ◇
旧会議棟では、四か国首脳用、随員用、技術者用、国際連盟加盟国の説明会用に資料を分けて箱へ入れていました。同じ図でも、使う場所によって説明の細かさが違います。
「この三か所比較は、首脳用にも入れますか」
「入れる。エルレンフェルトだけ見たら全部元気なのに、フランスとイングランドへ出したら差が出るのが一目で分かるから」
「泥はね防止シートの比較は?」
「技術者用でいいかな。聞かれたら持っていく」
「カールは?」
「ライデン大学の説明会。首脳会議では『古い種芋系統に病気が蓄積することがある』までで十分」
「細かな分類名を最初から並べない?」
「並べたら、ポテト会議じゃなくて病気分類の講義になるよ」
机の端には、候補系統の実物も番号札付きで並べました。洗いすぎると畑から来た感じがなくなるので、土だけ軽く落としています。形の違う芋を横に並べると、資料の数字だけを見るより、何種類も残そうとしている理由が伝わります。
「試食もしますか」
「昼食で出そう。候補ごとに分けておけば、形だけじゃなく味も比べてもらえる」
試食する系統は番号札と昼食側の記録を対応させ、会議資料と混ざらないように準備しました。
議題が食べ物なので、資料そのものを食べられるのは、これまでの首脳会議にはなかった特徴でした。
駅の方でも、新しく増やした四本の留置線を最後に確認しました。普段の二面四線と貨物用ホームはそのままです。空の客車を一編成ずつゆっくり入れ、停止位置と分岐器の動きを確かめます。
「四線とも大丈夫です。これで、特別列車を隣のドイツ領の駅へ毎回回さなくて済みます」
「帰る時間が変わっても、すぐ出せるね」
「機関車の手配だけしておけば大丈夫です」
どろちゃんは線路の向こうを見ました。場所がないと言っていた駅に、本当に四本増えています。旅客ホームは増えていないので、普段の利用客から見れば大改造には見えませんが、国王や元首を迎える側には大きな違いです。
◇ ◇ ◇
会議前日の夕方、旧会議棟の大きな会議室には、まだ国王も元首もいません。机の上にはフランス、イングランド、ネーデルラント、イタリア王国の席札が並び、その横にライデン大学の研究者席と、どろちゃんたちの席があります。別室には国際連盟加盟国向け説明会の机が揃い、壁際には追加資料の箱も積まれました。
「忘れ物、ない?」
研究係の使用人が帳面を開きました。
「五年分の原記録は、必要なものだけ別室へ移しました。候補品種の一覧、フランスとイングランドの比較、古い種芋系統の説明図もあります」
「新しい種芋を十分増やすまで廃棄を始めないことは?」
「最初と最後に入れています」
「複数品種にすること」
「入っています」
フランソワさんも進行表を閉じました。
「旧会議棟側は終わりました。駅の四線も使用できます。宿泊側も確認済みです」
「ポスターの掲示も終わっています」
フランソワさんの報告を聞き、どろちゃんは進行表の最後の欄まで確認しました。準備項目はすべて埋まっています。
窓から駅の方を見ると、新しい留置線が夕方の光の中に並び、ブレテンボードには明るい色のジャガイモのポスターが見えます。五年前には畑の隅で花粉を付け、種を小さな袋へ分けていただけだった仕事が、いまでは国王や元首を四か国から呼ぶ会議になりました。
これまでなら、どろちゃんが航空機で迎えに行っていました。今回はロンドンからの特別列車がドーバー海峡トンネルを通ってきます。トリノからの列車はアルプスのベーストンネルを抜けてバーゼルへ上がり、フランスとネーデルラントからも、それぞれ列車がエルレンフェルトへ向かいます。
「私、今回は迎えに行かなくていいんだよね」
「はい。皆様、列車でこちらまで来られます」
どろちゃんは窓の外の線路を見ました。二十年ほど続けてきた要人の送迎が、今回は必要ありません。ドーバー海峡トンネルもアルプスのベーストンネルも、長距離移動の形を確実に変えていました。
どろちゃんは、もう一度だけ会議室を見回しました。資料も、種芋の見本も、各国の席も揃っています。研究者も駅員も給仕も、それぞれ明日のための仕事を終えていました。
「あとは、来るのを待つだけだね」
「はい」
エルレンフェルト・ポテト会議は、まだ始まっていません。準備だけが、全部終わりました。




