02用具置き場のタドポール君 アントノフA-13M型JETエンジン搭載モーターグライダーです。
大きな箱を、いつまでも寝室に置いておくわけにはいきません。
そこでどろちゃんは、軒先に付いている荷揚げ用の小さなクレーンを使うことにしました。
このクレーンは、大きな衣装箱や家具を、窓から出し入れするためのものです。
箱は窓から吊り出され、ゆっくりと芝生へ下ろされました。
子爵家は草原の高台にありますから、窓の下に通行人はいません。いるのは、庭師と、驚いた使用人と、少し離れた場所で草を食べている馬だけです。
「もう少し右です」
窓からどろちゃんが指示しました。
「そちらから見てではなく、箱から見て右です」
使用人たちは少し困りましたが、無事に箱を芝生へ下ろしました。
箱の中身は、庭の端にある用具置き場へ移されました。
そこには古い農具や馬具、壊れた椅子、用途の分からない木枠などが入っていましたが、どろちゃんは全部出してもらいました。
その日のうちに、用具置き場は作業場になりました。
どろちゃんは、説明書を開きました。
表紙には、こう書かれています。
А-13М/Ан-13М
(アー・トリナッツァチ・エム/アン・トリナッツァチ・エム。)
Реактивный мотопланёр
(リアクチーヴヌィ・マタプラニョール。)
Вариант с крылом А-11
(ヴァリアーント・ス・クルィローム・アー・アヂーンナツァチ。)
A-13M/An-13M
ジェット・モーターグライダー
A-11 主翼装備型
元になった A-13 は、短い翼を使い、空中で素早く向きを変えることに向いた機体です。
けれど、箱に入っていたのは、その短い翼ではありませんでした。
A-11 の、長くて細い主翼です。
速く回ったり、急に向きを変えたりすることより、少ない高度を大切に使い、風に乗って長く滑ることに向いています。
「曲技飛行型じゃなくて、こっちなんだね」
どろちゃんが言うと、頭の中から返事がありました。
――十五歳の初飛行に、曲技飛行用の翼を渡すほど無責任ではないよ。
――後席も付けておいたよ。後ろ向きだけれどね。
――前を見るための鏡も付けてあるよ。
「どうして後ろ向きなの?」
――その方が面白いと思うよ。
この点については、技師たちの意見が一致していたようです。
説明書によると、翼を広げた幅は十六メートルあまり。胴体は六メートルほどあります。
一見すると小さな機体ですが、屋敷の中へ入る大きさではありません。
ただし、左右の翼は取り外せます。
胴体と翼を分ければ、荷車で運ぶことができます。
どろちゃんは最初、箱には機体の半分ほどしか入っていないと思っていました。
ところが、部品を番号順に並べてみると、そうではありません。
主翼の骨組みも、胴体も、尾翼もあります。操縦装置も、脚も、座席も、小型ジェットエンジンもそろっています。
まだ羽布が張られていない。
操縦ケーブルが通されていない。
各部が運搬用に分解されている。
それだけでした。
「ひと月あれば、できるね」
どろちゃんが言いました。
――急がなくていいよ。
――左右を間違えないようにね。
――操縦索の端末処理は、最後にもう一度見よう。
――塗料が乾くまでは、触らない方がいいよ。
――それから、作業台の上へお茶は置かないでね。
最後の注意だけは、全員一致でした。
どろちゃんは毎朝、朝食を済ませると作業場へ行きました。
主翼へ羽布を張り、張力を整え、縫い、接着し、保護塗料を塗ります。
滑車へ操縦ケーブルを通し、操縦桿と舵面の動きを合わせます。
接合部を組み、外し、もう一度組みます。
家の人たちは、病み上がりのお嬢様が、変わった工芸品を作っているのだと思っていました。
どろちゃんの手は十五歳の少女のものでしたが、その手を導く知識は、一人分ではありません。
説明書の途中には、少し変わった項目がありました。
Авиационные бензиновые двигатели переносить в этот мир нельзя.
(アヴィアツィオーンヌィエ・ベンジーナヴィエ・ドヴィーガチェリ・ピリナスィーチ・フ・エータト・ミール・ニリズャー。)
航空用ガソリンを使う発動機は、この世界へ移送できません。
どろちゃんは、その理由を読みました。
航空用ガソリンには、発動機の中で燃料が都合の悪い燃え方をしないよう、鉛を含む薬品が加えられていました。
けれど、燃やされた鉛は消えません。
空へ出て、土へ落ち、川へ入り、人や動物の身体へ入ります。
神様は、アントノフの技師たちに言いました。
Технику полёта можете взять. Яд брать нельзя.
(チェーフニク・パリョータ・モージェチェ・ヴジャーチ。ヤート・ブラーチ・ニリズャー。)
飛ぶための技術は持っていってもかまいません。
けれど、毒まで持っていってはいけません。
技師たちは困りました。
軽くて使いやすいレシプロエンジンは、飛行機を作るうえでたいへん便利です。
特に An-2 を作った人々には、言いたいことがたくさんありました。
それでも、神様の決定は変わりません。
自動車を作ることは禁止されていません。
内燃機関を考えることも禁止されていません。
ただし、燃料へ有機鉛化合物を混ぜようとすると、神様が止めます。
その近道だけは、使えないのです。
だからタドポール君には、航空用ガソリンを使うレシプロエンジンではなく、小さなジェットエンジンが付いていました。
説明書の最後には、組立方法とは関係のない文章がありました。
В следующий раз доставим станки и материалы.
(フ・スリェードゥユシチー・ラース・ダスターヴィム・スタンキー・イ・マチリアールィ。)
次は、工作機械と材料も届けるよ。
「次があるんだ……」
どろちゃんは、用具置き場を見回しました。
タドポール君だけで、もうほとんど満員です。
旋盤やフライス盤まで届いたら、どう考えても入りません。
家の人たちは、お嬢様が用途不明の大きな道具を組み立てていると思っていました。
ところが、ひとつだけ違っていました。
それは道具ではなく、この世界で最初に空を飛ぶ機械だったのです。
◇ ◇ ◇
第二章の小さな説明
この世界の文明段階は、キティホークの初飛行より二百年以上前に相当し、飛行機という分類も言葉もまだありません。
タドポール君は、史実の A-11、A-13、A-13M をもとにした架空機です。本作では、小型ジェットを備えた機体へ、滑空に向く A-11 系の長い主翼を組み合わせ、さらに前後二座へ改造しています。
有鉛ガソリンには、四エチル鉛(TEL)や四メチル鉛(TML)などの有機鉛化合物が使われました。ノッキングを防ぐ効果はありましたが、燃焼後の鉛は広く環境へ放出されます。
史実では、製造初期から重い中毒事故が起きていました。それでも使用が広がったため、本作の神様は文明や発明を止めるのではなく、便利さの代金を毒として社会全体へ負わせる分岐だけを止めています。




