189 貴族令嬢は、大使候補さんの剣術を見ます。
第189章 貴族令嬢は、大使候補さんの剣術を見ます
新滑走路南のニュータウンを見たあと、一行は警備施設へ寄りました。
大使公邸として使う家が決まったので、門の警備についても顔合わせをしておきます。
「この者を、公邸の警備に付ける予定です」
警備側の責任者が1人の兵士を紹介しました。服装も装備もほかの警備兵と同じで、兵士はフランス軍式に敬礼します。ところが、顔を見た大使候補が少し首を傾げました。
「薩摩の生まれだそうですね」
「はい。今はフランス国籍です」
返事はナーロッパ語です。
吉宗さんも興味を持ったようでした。
「日本語も話せるのですか」
兵士が一度だけどろちゃんの方を見ます。
「話して大丈夫ですよ」
どろちゃんが言うと、兵士の表情が少し変わりました。
「話せもす。鹿児島の言葉になりますが」
大使候補の後ろで、郎党の1人が笑いました。
「日本語で話せるんやったら、それが一番ありがたいです」
「はい。じゃっどん、鹿児島の言葉が出もす」
「それはかまいません。こっちも紀州の言葉ですから」
ナーロッパ語で話している間は出身地が分かりませんでした。日本語に戻った途端、紀州と薩摩の違いが出てきます。
「ご用があれば、いつでん呼んでくいやんせ」
「これは助かりますな」
大使候補は笑いました。警備施設の奥では、ちょうど剣の訓練をしていて、刃を落とした金属剣を持った兵士たちが2人ずつ向かい合っています。
「こちらでは、これで稽古をするのですか」
大使候補が足を止めました。
「警備の訓練ではよく使います」
教官が答えます。
大使候補は腰に小太刀を1本だけ差しています。郎党4人も同じです。大小を揃えて歩く武芸者の一行には見えません。
「日本の剣も似ていますか」
教官に尋ねられて、大使候補は首を振りました。
「私のは、もっと軽いです。稽古なら木刀を使います」
「木の剣で?」
「はい」
教官が木刀を1本用意させました。
さっき紹介された警備兵が、刃引きの剣を持って前へ出ます。
「少し試してみますか」
大使候補は木刀を受け取り、重さを確かめました。
「このくらいなら」
吉宗さんが横から声をかけます。
「無理はするなよ」
「承知しております」
2人が二メートルほど離れました。
どろちゃんが両方を見ます。
「始めてください」
警備兵が先に前へ出ました。
金属剣が動いた瞬間、大使候補は正面で受け止めませんでした。
木刀を短く当てて剣筋を外し、自分の身体も横へ抜きます。
警備兵が向きを変えるより先に、大使候補の木刀がほぼ真横から首筋へ来ていました。
「そこまで」
どろちゃんが言いました。始まってから二秒も経っていません。
警備兵は自分の剣を見てから、大使候補を見ました。
「押された感じがしなかった」
「押しておりませんから」
大使候補は木刀を下げました。
「もう一度」
今度は教官が前へ出てきます。
「私がお願いします」
さっきの動きを全部見ています。
教官は距離を少し変え、最初から警戒して構えました。
「よろしいですか」
「お願いします」
始まっても、教官は簡単には前へ出ず、大使候補も動きません。先に間合いを詰めたのは教官でした。
金属剣が入ってきたところで、大使候補の木刀が触れます。今回も正面で受け止めず、剣を外へ流しながら身体を横へ抜きました。
そのまま教官の後ろへ回り、振り返ろうとした教官の膝裏へ蹴りを入れます。姿勢を崩した教官は、床へ片膝をつきました。
そこから倒れたところへ、大使候補が木刀を両手で持ち直します。
首のところで止まりました。
「そこまで」
どろちゃんが言いました。
教官は倒れたまま、首元の木刀を見ました。
「……これは、先ほどの偶然ではありませんな」
「偶然で二度できれば、ありがたいのですが」
大使候補は木刀を引いて、一歩下がりました。
教官も起き上がります。
「力では、こちらの方が上だと思います」
「その通りです」
大使候補がすぐに答えました。
「私は小柄です。剣を押し合えば負けます。ですから、押し合わないように習いました」
教官は、さっき自分の剣が外へ流された方向を手でなぞりました。
「剣を止めようとしたのではないのですね」
「止めたら私の方が負けます」
それを聞いて、最初の警備兵も頷いています。
大使候補は教官の持っている剣を見ました。
「その剣を、少し貸していただけますか」
「どうぞ」
教官が刃引きの金属剣を渡します。
受け取った瞬間、大使候補の腕が少し下がりました。
「重いですね」
両手で持ち直し、一度だけ振ってみます。
剣の重さに身体を持っていかれ、足が半歩動きました。
「これは駄目です」
本人が笑いました。
「私は文官ですし、身体も小さい。これを振り回して戦ったら、自分の方が先に疲れます」
剣を教官へ返すと、今度は腰の小太刀を鞘ごと外しました。
「代わりに、こちらを持ってみてください」
教官が受け取ります。
「……軽い」
「軽いでしょう」
大使候補が頷きました。
「でも、よく切れますよ」
教官は鍔元を少しだけ抜いて刃を見て、すぐに鞘へ戻しました。
「これで戦うのですか」
「はい。私は大きな人と力比べをしても勝てませんから」
教官は小太刀を返しました。
「だから、あの動きなのですね」
「そういうことです。私には、このくらいの刀の方が合っています」
横で見ていた吉宗さんが笑いました。
「そうか。役所仕事ばかり見ていたが、武士でもあるのだったな」
「武士ではございますので」
「それでも、刀は1本でよいのか」
「2本持ち歩いて書類が速くなるなら、そういたします」
一瞬置いて、郎党4人が笑いました。
「なるほど。そこは変わらぬな」
「役目が先でございます」
大使候補は小太刀を腰へ戻しました。
◇ ◇ ◇
「そろそろお昼ですね」
どろちゃんが時計を見ました。
吉宗さんが旧会議棟の方を見ます。
「お昼は、どこかへ移るのですか」
「いいえ。今日はここでも会議がありますから、みんなこちらで食べます」
「皆さん、同じものを食べるのですか」
「はい。仕事のお昼ご飯は、ずっとそうです」
大使候補が食堂の方を見ました。
「では、私どもも?」
「もちろんです」
一行は旧会議棟へ戻りました。
午前中に見た会議室では、まだ話し合いが続いています。先に終わった部屋からは人が出てきて、書類を抱えたまま食堂へ向かっていました。
食堂では、国も身分もばらばらです。
常駐代表、事務局の職員、通訳、警備関係者。午前中に会議をしていた人たちが同じ列へ並びます。
吉宗夫妻も、大使候補夫妻も、郎党4人も、どろちゃんたちも同じです。
「席は決まっておるのか」
「空いているところへどうぞ」
「本当に、普段の仕事場の昼食なのですね」
「毎日、宴会をしていたら午後の仕事ができませんから」
今日の昼食も、午後に仕事へ戻れる普通の料理でした。
大皿を囲む宴席はありません。料理を受け取り、それぞれ席へ運びます。
午前中に条約原本を見ていた人と、通信室で電文を扱っていた人と、さっき剣を振っていた人が、同じ食堂で同じ昼食を食べています。
吉宗さんは周りを見ながら席につきました。
「大きな建物を見たときより、こちらの方がよく分かる気がします」
「何がです?」
「ここが役所だということだ。昼になれば皆、飯を食って、また仕事へ戻る」
「そういう場所ですよ」
どろちゃんも隣へ座りました。
大使候補は、何事もなかったように郎党4人と食べ始めています。
さっきまで教官の首へ木刀を止めていた人には見えません。
「午後は、何を見るのでしょう」
奥さんが尋ねます。
「まだいくつかあります。食べてから決めましょう」
そこへ、料理長さんが自分で食堂へ入ってきました。
給仕に任せず、両手で大きな皿を持っています。
「お嬢様」
「はい?」
「日本からのお客様がお見えになると伺って、用意していたものがあります」
どろちゃんが皿を見ると、緑色の大きな葉でひとつずつ包まれていました。吉宗さんもすぐに気づきます。
「これは、葉で巻いてあるのですか」
「はい。日本の寿司という料理を聞きまして、こちらで作れる方法を考えました」
料理長さんは、少し緊張しています。
「皆様の昼食は同じものですが、こちらだけは日本のお客様に味を見ていただきたくて」
「何の葉です?」
大使候補の奥さんが尋ねました。
「アセ、と教わりました。暖竹の葉です」
吉宗さんの顔が変わりました。
「そこまで用意してくださったのですか」
「何度か試しました」
料理長さんが、1つの包みを開きます。
葉の中にはご飯があり、その上に鯖の切り身が載っていました。
「鯖は塩水でよく洗いました。炊いた米の上へ置いて、この葉で巻き、桶へ入れて発酵させています」
「酢は?」
「入れておりません」
料理長さんが答えました。
葉をほどくと、発酵した香りがふわりと広がります。
ご飯には酸味が出て、見た目は酢飯で作った鯖寿司にも近くなっていました。
日本から人が来ると聞いて、料理長さんが何度も試して用意した、渾身の一皿です。




