184 貴族令嬢は、ムリヤちゃんの滑走路を探します。 神様滑走路を作る余地もない山ばかりの紀州です。
第184章 貴族令嬢は、ムリヤちゃんの滑走路を探します
みかんを食べ終えたあとも、どろちゃんは席を立たず、鞄から細長く折った紙を出しました。
「吉宗さん、もう1つお願いがあります」
「今度は何でしょう」
「和歌山に、ムリヤちゃんが降りられる土地を貸していただきたいんです」
「土地ですか。どのくらい要ります?」
どろちゃんは紙を開きました。中央は細長く、両端だけが広く描かれています。
「滑走路そのものは32町ほど欲しいです。前後の余裕も含めて、まっすぐ1里ほど取れると助かります」
32町(約3.5km)、1里(約3.9km)です。
「幅は?」
「中央は2町弱で足ります。両端はもっと広げてください。ムリヤちゃんが向きを変える場所と、滑走路から外れて止まる場所が要ります」
2町弱(約200m)。ムリヤちゃんの翼幅は50間弱(約88m)あるので、中央部にも翼端の余裕が必要です。
吉宗さんは、両端が膨らんだ線を見ました。
「犬の骨のような形ですね」
「そう見えますね。真ん中まで全部広くすると土地を使いすぎますから、両端に誘導路や駐機場所をまとめます。全部で200町歩くらいあれば足りると思います」
200町歩(約2km²)です。
「ずいぶん広い」
「舗装するのは、そのうち必要なところだけです。ロンドンでも、飛行場として確保した土地の全部を滑走路にはしていません。飛行機が通らないところは、畑や牧草地として使っています」
「ここでも耕せるのですね」
「はい。発着するときに人や家畜を入れなければ大丈夫です」
吉宗さんは、今度は土地の形ではなく、どんな場所なら使えるのかを聞きました。
「やはり、平らなところでなければ難しいですか」
「高さは技師さんたちに見てもらいます。滑走路を作るのは技師さんたちと神様、それにムリヤちゃんです。ムリヤちゃんの大きさ、重さ、脚の位置、必要な滑走距離を技師さんたちが条件にして、神様にお願いします」
「傾いていれば削る?」
「削ります。低ければ埋めます。大きな石が出れば、捨てずに砕いて基礎へ回すと思います」
それなら先に気にするべきものが変わる、と吉宗さんにも分かりました。
「人家は避ける。寺社や墓も避ける。用水も、切ってしまうと困るものは避けるか、通し直す」
「お願いします。道は残して構いません。滑走路を横切る道なら、飛行機が来るときだけ両側を閉めれば使えます」
「道と滑走路を交差させるのですか」
「ムリヤちゃんが来ない日の方がずっと多いですから。小さな川や水路も、技師さんが必要と判断すれば下へ通せます」
理子さんが紙をのぞき込みました。
「平らな場所を探すというより、動かして困るものが少ない場所を探すのですね」
「はい。地面をどう直すかは、そのあとです」
どろちゃんはもう1つ、鞄から大きめの折り地図を出しました。
それは、以前に日本周辺を航空測量したときの写真と測量成果から、どろちゃん側で作った地図です。海岸線、川、山地の形と距離を比べられるので、1里近い直線を探す基図にできます。
吉宗さんは家臣を呼び、紀州側の村絵図と土地の記録、それから水害後の復旧状況が分かるものを持ってこさせました。村、道、用水、田畑の持ち主、寺社や墓地は、紀州側の資料から航空測量地図へ重ねていきます。
「まず、この辺りならどうでしょう」
吉宗さんが和歌山城の西側を指しました。
西浜(現在の和歌山市西浜付近)です。
どろちゃんは航空測量地図へ定規を置き、南北に線を取ってみました。
「短いですね。32町の滑走路だけでぎりぎり考えるより、1里近く取れるところを探したいです。ここで無理に延ばすと、町や海岸の使い方まで変えることになります」
「海へ出して埋めれば、長くはできますね」
「できますけど、陸にもっとよい場所があるなら、先にそちらを探したいです」
次に見たのは、紀ノ川河口の北西側、右岸側(旧住友金属和歌山製鉄所側)です。
どろちゃんが測ると、使いやすい範囲は28町ほど(約3km)で止まりました。
「ここも足りません。それに北へ伸ばすと和泉山脈が近くなります」
吉宗さんは紀ノ川へ指を置きました。
「もう1つありますね。外国人が自由に動けるのは、この川より南です」
「はい。外国のお客さんを乗せる飛行場を右岸へ置くと、降りた時点で今の区域から外れてしまいます」
和歌山では、外国船の商人や旅人を港だけへ閉じ込めず、紀ノ川より南側では自由に動けるようにしています。紀ノ川と、その北に続く和泉山脈が自由行動区域の境目なので、飛行場のために制度まで動かすのは面倒です。
「長さが足りず、北には山があり、外国人の区域もまたぐ。ここを選ぶ理由は薄いですね」
「私もそう思います」
吉宗さんが地図の南東へ目を移しました。
「貴志川沿いなら、長く取れませんか」
貴志川沿い(現在の和歌山電鐵貴志川線沿線)です。貴志付近から紀ノ川方向へ北東―南西に取ると、1里近い線そのものは引けます。
どろちゃんは両端を見て、定規を置いたまま首を振りました。
「長さは取れます。でも、こちらから上がっても、反対から上がっても山が近すぎます。離陸のたびに急いで高度を取る場所にはしたくありませんし、着陸も山を越えてから急に下りることになります」
「山を削れば?」
「滑走路だけでは済まなくなります。両側の進入路まで大きく変えるなら、別の場所を選んだ方がいいです」
有田川沿い(旧吉備町付近)も見ました。東西に取っても、まとまった直線は28町ほど(約3km)です。
「ここも届きませんね」
「御坊まで下がったらどうでしょう」
煙樹ヶ浜(現在の御坊市)に定規を当てると、18町ほど(約2km)でした。
「ムリヤちゃんには短いです」
吉宗さんは、今度は海南の東側から山の方へ指を動かしました。
「加茂郷から山へ上げて、黒沢の方まで平らにするのは?」
加茂郷から山地を越えて黒沢方面(現在の黒沢牧場方面)です。
「神様なら平らにはできます。でも、山の上で滑走路の向きまで地形に縛られます。そこがいつも横風を受けやすい向きだったら、山を大きく削ったあとで使いにくい飛行場が残ります」
「工事ができるかだけで決める場所ではないのですね」
「神様ができるからって、山を何でも削ればいいわけではありません」
吉宗さんは、ここまで定規を当てた場所を地図の上でたどり直しました。
「西浜は短い。河口の右岸も短く、川の北へ出る。貴志川の方は長さが取れても山が近い。有田と御坊は足りない。黒沢まで山を削るのは大きすぎる。そうすると、ほかに1里近く取れるところはありますか」
「あります」
どろちゃんが定規を移したのは、紀ノ川の少し上流でした。
船戸から、田井ノ瀬の少し西まで。紀ノ川左岸(現在のJR和歌山線沿い)の低地です。
「ここなら取れます」
吉宗さんも航空測量地図をのぞき込みました。
「城からも近いですね」
「はい。それに紀ノ川の南側です。外国のお客さんが来ても、今の自由行動区域の中に降りられます」
和歌山で1里近い直線が取りにくい理由は、地図を広げるとよく分かります。海から直接急峻な山地になるところが多く、まとまった平地も中規模の河川が作った小さな三角州や扇状地に限られます。広大な平野はありません。長い直線を引くと、途中で山、川、町のどれかに当たります。
紀ノ川左岸のこの区間は、その中では例外的に長さを取りやすい場所でした。
吉宗さんは紀州側の記録も開きました。
「この辺りなら、大水のあと、まだ田へ戻せていない土地がかなりあります。田の土が流されて、川から来た石が残ったところもあります」
「そこを優先していただけますか」
「大きな石もありますよ。田へ戻すなら、石を出したあとに土を入れ直さないといけません」
「滑走路なら、その石を基礎に使えます。技師さんたちが大きさを見て、砕くものとそのまま使うものを分けると思います。低いところへ盛る材料にもできます」
「田としては困る石が、飛行場では材料になるわけですか」
「はい。表土が流されていることも、滑走路には同じ意味を持ちません」
ただし、大水で荒れた土地だから自由に使ってよい、という話にはしませんでした。
「持ち主がいる土地は、買うか長く借りるか、きちんと決めてください。費用は私が出します」
「将軍直轄地の中でも?」
「私がお願いして作る飛行場ですから。使いにくくなった田でも、持ち主がいるなら、その人の土地です」
「分かりました。所有者と境界を調べます。寺社と墓地も外します」
「お願いします。周りの田へ水を送っている用水も確認してください。残す道は残して、滑走路を横切るなら発着時だけ閉める形で大丈夫です」
犬の骨のような形を描いた最初の紙を、どろちゃんは航空測量地図の横へ置きました。
「中央に1里ほどの帯を取って、幅は2町弱。両端を広げて、全体で200町歩くらいを目安にしてください。境界は四角にそろえなくていいです。人家や墓地を避けて曲がって構いません」
「滑走路の中心線だけは、まっすぐ残す」
「はい。最後の位置は技師さんたちが現地を見て決めます」
理子さんは、紀州側の記録にある水害後の田と、どろちゃんの飛行場の形を見比べました。
「舗装しないところは、田へ戻せたらまた使えるのですね」
「使えます。飛行機が動く時間だけ、人や牛や馬に出てもらえばいいです。背の高い木は困りますけど、低い作物なら問題になりにくいです」
「では、田を全部なくす話にはならないのですね」
「はい」
土地が決まれば、造成の時間は神様の仕事になります。
「技師さんたちに現地を見てもらって、神様へお願いする条件を決めます。そこまで済めば、滑走路そのものは1晩です」
「1晩?」
「朝には使えるようになります」
吉宗さんは、航空測量地図と紀州側の記録をもう1度見ました。
「では、こちらは1晩で済まない方を先にやります。所有者、寺社、墓地、用水、道を調べて、使える範囲を決めましょう」
「お願いします」
◇ ◇ ◇
どろちゃんは航空測量地図を畳みかけて、もう1つ話があったことを思い出しました。
「吉宗さん、土地のお願いとは別に、お誘いがあります」
「まだ続きがありますか」
「エルレンフェルトへいらっしゃいませんか。幕府の方も何人か一緒に」
吉宗さんは、今度は地図ではなくどろちゃんを見ました。
「ヨーロッパへ、ということですね」
「はい。今は琉球に見学旅行の皆さんが残っています。この旅行が終わったら、ムリヤちゃんで皆さんをエルレンフェルトまでお送りします。その次にムリヤちゃんがアジアへ来る便で、和歌山にも寄れます」
「そのとき、ここから乗れるようにしておく」
「滑走路ができていれば、そうできます。吉宗さんと、海外の制度や港、鉄道、工場を見ておいた方がよい幕府の方を連れてきてください。警護の方も乗れます」
「エルレンフェルトだけですか」
「フランスにも行けます。エルレンフェルトからなら近いですし、鉄道も飛行機もあります」
吉宗さんは少し考えてからうなずきました。
「誰を連れて行くか、こちらで考えておきます。土地の方も、それまでに調べられるところまで進めましょう」
「土地の確認だけは急ぎすぎないでください。工事は決まってから1晩ですから」
「急ぐ場所が逆ですね」
「土地の持ち主との買い取りや借地の話、それに寺社や墓地、水路の確認には時間をかけてください」
◇ ◇ ◇
帰る前に、どろちゃんとフランソワさんは吉宗さんと理子さんへ、食事のお礼を改めて言いました。
「今日はごちそうさまでした。太刀魚も鮎も、お味噌もおいしかったです」
「みかんもでしょう」
理子さんが言いました。
「みかんもです」
「そこは大事なのですね」
「大事です」
和歌浦へ戻ると、零式3座水上機は朝と同じように桟橋につながれ、片男波の陸側の静かな水面に浮いていました。
琉球へ戻る前に燃料を補います。小姓の1人が燃料缶を運ぶのを手伝ってくれました。
「これは、こちらでよろしいですか」
「はい。ありがとうございます。重いので、足元だけ気をつけてください」
フランソワさんと小姓が缶を運び、どろちゃんは給油口のところで量を見ます。給油を終えると蓋を締め、漏れがないことを確かめました。
「助かりました。ありがとうございます」
「どうぞお気をつけて」
どろちゃんは乗り込む前に、朝から水へ浮かせたままだったフロートと支柱を見て回り、プロペラと舵面も確認しました。フランソワさんは買い物に使う空き箱と、荷物を固定する帯を3番目の席へ用意します。
エンジンを始動し、桟橋から離れました。
最初の寄り道は、有田川左岸の港です。
水上機なので、港の水面へそのまま降りられます。どろちゃんは船の出入りを見て空いているところへ着水し、岸へ寄せました。
「ここで鱧の天ぷらを買います」
「料理長さんへのお土産でございますね」
「うん。まず、できあがったものを食べてもらいたい」
港で鱧を揚げてもらい、自分たちの分とは別に、料理長さんへ渡す分を包んでもらいました。長く機内へ置くので、油を切ったあと冷蔵箱へ入れます。
有田川から湯浅までは短い飛行です。もう1度水へ降り、今度は湯浅の町で買い物をしました。
紀ノ川より南は外国人が自由に動ける区域です。どろちゃんとフランソワさんは、その範囲にある有田や湯浅へそのまま寄れます。
第183章の食事で気に入った湯浅の醤油と金山寺味噌を買い、料理長さんに見せる分も含めて多めに包んでもらいます。スダチも見つけて箱へ入れました。
「醤油は割れないように別にしてください」
「承知いたしました」
フランソワさんが瓶を布で包み、金山寺味噌の容器と離して固定します。3番目の席には、和歌山へ来るときに積んでいた泡盛と黒砂糖の代わりに、鱧の天ぷら、醤油、金山寺味噌、スダチが並びました。
「料理長さん、最初にどれを見ると思う?」
「鱧ではございませんか。お嬢様が完成した料理までお持ち帰りになることは、そう多くございませんから」
「じゃあ、鱧から渡そう」
湯浅を離水すると、どろちゃんは紀伊水道へ機首を向けました。
フランソワさんが3番席の荷物をもう1度見てから前へ戻ります。
「すべて固定しております」
「ありがとう。じゃあ、琉球へ戻ろう」
零式3座水上機は高度を上げ、紀伊半島の西岸を離れていきました。




