182貴族令嬢は、8年ぶりに吉宗さんと会います。
第182章 貴族令嬢は、8年ぶりに吉宗さんと会います
琉球で歌って、踊って、泡盛を飲んだ翌日。
どろちゃんたちは、夜明けと一緒には動きませんでした。
昨夜は琉球の人たちと遅くまで飲みました。飛行機を操縦する日なので、酒が完全に抜けるまで出発を遅らせます。
朝食を取り、水を飲み、少し休んでから琉球嘉手納空港へ戻りました。
「お嬢様、もう大丈夫ですか」
「うん。昨日のお酒はもう大丈夫。フランソワさんは?」
「わたくしも、もう大丈夫です」
「じゃあ、和歌山へ行こう」
ムリヤちゃんは嘉手納に残します。
今日使うのは、ムリヤちゃんの貨物室から降ろしてあった零式3座水上機です。
元の零式水上偵察機に似ていますが、中身はかなり変わっています。エンジンはR-1830-86ツインワスプ。1,200馬力級。プロペラはアメリカ式の定速プロペラです。
3座のうち、前がどろちゃん。2番目がフランソワさん。
3番目の席は、人を乗せません。
琉球から持っていく泡盛と黒砂糖を積みました。
「これ、割れないようにしてね」
「甕はきちんと固定しました」
「黒砂糖は?」
「こちらです。甕とは分けております」
「よし」
嘉手納には、水上機を運用するための常設の斜路があります。
水上機を陸上で扱うための台車へ機体を載せ、斜路から水へ下ろします。嘉手納は常設の水上機基地なので、ここでは専用の台車と斜路だけで水上機を出せます。
珊瑚礁の内側は外海より静かです。
どろちゃんは機体へ乗る前に、フロート、支柱、舵面、プロペラ、エンジン周りを見て回りました。
「燃料」
「確認しました」
「無線」
「使えます」
「地図」
「こちらに」
フランソワさんが折った地図を見せました。
嘉手納から和歌浦まで、およそ1,100km。
航路は、途中の島を1つずつ拾わず、最初に室戸岬を直接狙います。
室戸岬まで出れば、そのあとは紀伊水道へ入り、北へ上がれば和歌山へ着きます。
「室戸を先に見つける。そこから紀伊水道」
「はい」
「途中で分からなくなったら、海岸線と地図を合わせる」
「はい。そこは見ておきます」
「和歌山側には?」
「VOGから到着予定は伝えてあります」
嘉手納側の運航記録にも、零式3座、乗員2人、行先は和歌浦、3番目の席には泡盛と黒砂糖、と残しました。定期便ではないので路線便の番号は付けません。
「じゃあ、紙を落とさなくていいね」
「今回は、拾っていただく紙を落とす必要もありませんね」
どろちゃんは笑って操縦席へ乗りました。
エンジンが回ります。
フロートの下で水が細かく揺れました。
ゆっくり礁湖の中を進み、風向きを見て離水方向を決めます。
スロットルを開けると、水の抵抗が一気に大きくなりました。
機首が少し上がります。
速度が増えるとフロートが水面を滑り始めました。
「もう少し」
どろちゃんは水面を見ながら待ちました。
軽く操縦桿を引きます。
フロートが離れました。
嘉手納の水面が下へ落ちていきます。
後ろにはムリヤちゃんが残っています。
今日の飛行は2人だけです。
◇ ◇ ◇
琉球の島影が後ろへ遠ざかると、前はほとんど海になりました。
零式3座はタドポール君よりずっと遅い機体です。その代わり、長い距離を飛び、水へ降りられ、2人が並んで仕事をしながら荷物まで運べます。
「昨日まで大きな飛行機に乗っていたから、今日は静かだね」
「ムリヤちゃんと比べれば、何でも小さく感じます」
「それはそう」
フランソワさんは地図を開き、海岸へ近づくまでの時間を記録していました。
どろちゃんはエンジン音と計器を見ます。
R-1830-86への換装、定速プロペラ、重量の変化によって、改造後の零式3座は史実機とは性能条件が変わっています。そのため、最高速度や巡航速度を昔の数字から決めつけません。
今日必要なのは、和歌山まで安全に届くことです。
しばらくすると、前方に陸が見え始めました。
「見えた」
フランソワさんも前を見ます。
「岬が見えましたね」
「形を確認する」
どろちゃんは少し進路を変えました。
海へ大きく突き出した陸地。
地図と海岸線を合わせます。
「室戸岬」
「合っております」
「ここまで来たら楽」
「今度は陸を見失いませんね」
「うん。紀伊水道へ入ろう」
室戸岬から北東寄りへ進みます。
左に四国、右に紀伊半島へ続く海岸を見ながら、紀伊水道を北へ上がりました。
ここからも、海岸の形、岬、河口、山の並びを地図と照らしながら位置を確かめます。
フランソワさんが指を置きました。
「このあたりまで来ました」
「和歌浦はもう遠くないね」
「はい」
どろちゃんは高度を下げ始めました。
◇ ◇ ◇
和歌浦が見えました。
片男波の砂州が海と内側の水を分けています。
着水地点は片男波の陸側です。
内側にはおよそ1,200m使える静かな水面があります。大きな波もほとんど入りません。
「ここなら降りやすい」
「桟橋も見えます」
「吉宗さんたちも?」
「人が集まっております」
事前に到着時刻は伝わっています。
どろちゃんは水面を1度見てから回り込みました。
風向き、舟の位置、水面の障害物、岸との距離を全部見てから進入します。
フロートが水へ触れました。
ザアッ。
少し跳ねます。
どろちゃんは操縦桿を大きく動かさず、そのまま速度が落ちるのを待ちました。
機体が水面を滑り、やがて静かな水上機へ戻ります。
「着いた」
「8年ぶりですね、お嬢様」
「長かったね」
エンジンを使ってゆっくり桟橋へ寄せます。
岸から綱を受け取り、機体を直接つなぎました。
今日は陸へ引き上げません。
零式3座は、このまま和歌浦の水に浮かせておきます。
どろちゃんが先に降りました。
桟橋には、見覚えのある2人がいます。
「吉宗さん」
「本当に久しぶりです。和歌浦まで来てくれて、うれしいですよ」
「理子さん」
「本当に、お久しぶりです」
吉宗さんにとって、どろちゃんは8年前に理子さんを直接診察し、産後の感染から命をつないでくれた医師です。今は互いに国を背負う立場になりましたが、その恩と親しさはそのまま残っています。
どろちゃんは、まず理子さんを見ました。
立っています。
自分で歩いています。
顔色も普通です。
8年前、鹿児島で会ったときの理子さんは、産後の感染で高い熱を出し、起きて食事を取ることも難しい状態でした。
傷を見て、洗浄して、抗生物質を使い、何日も経過を見ました。
熱が下がり、自分で食べられるようになったところまで確認して別れました。
「お元気で、本当によかったです」
どろちゃんは、それだけは肩書きより先に、素直な気持ちのまま言いました。
理子さんが笑います。
「先生にそう言っていただけると、私もうれしいです」
「もう先生と呼ばなくても大丈夫ですよ」
「私にとっては、あのときのお医者様ですから」
「そうですか。理子さんにとっては、8年たっても先生なんですね」
「消えません」
吉宗さんも笑いました。
「私も、あの時のことは忘れていません。理子がこうして元気でいられるのは、あなたが診てくれたからです」
「覚えていてくださるのはうれしいですけど、病気の方はもう戻ってこなくていいです」
「ええ。もう2度と、あの時のような思いはさせたくありません」
フランソワさんも桟橋へ上がりました。
3番目の席から泡盛の甕と黒砂糖を下ろしてもらいます。
「琉球のお土産です」
どろちゃんが言いました。
「これは琉球のお酒ですか。わざわざ持ってきてくれたのですね」
「泡盛です。かなり強いですよ」
「昨夜も琉球で飲んでいたのでしょう。今日の飛行は大丈夫だったのですか」
「飲みました」
「それなら、朝早く出ずに時間を置いたのですね」
「ちゃんと抜けてから出ました」
吉宗さんは1度うなずきました。
「そこは医師というより、飛行機を飛ばす人として当然の用心なのでしょうね」
「飛行機乗りとしての用心の方ですね」
「どちらでも、用心してくれたならこちらは安心です」
◇ ◇ ◇
長い挨拶を桟橋で続けることはしませんでした。
吉宗さんが昔から使っている、紀州東照宮に近い店へ移ります。
今日は、旧知の客を少し良い食事でもてなすための席です。店側も、普段の料理から少し上等な材料を選んでいます。
部屋へ入ると、まだ料理は全部そろっていませんでした。
茶が出ます。
4人が座りました。
そこで、吉宗さんがどろちゃんを見ました。
見ている時間が少し長いです。
「どうしました?」
「桟橋で見たときから気になっていたのですが、8年前とほとんど変わっていませんね」
「服は違いますよ」
「服のことではなくて、顔も姿も、という意味です」
理子さんも、どろちゃんとフランソワさんを見比べています。
「私も、先ほどからそう思っていました。お2人とも、ほとんどお変わりになっていません」
「やっぱり分かりますか?」
「分かります」
どろちゃんは32歳です。
フランソワさんは35歳です。
誕生日は2人とも12月1日。フランソワさんの方が、ちょうど3歳上です。
けれど、見た目は2人とも17歳から19歳くらいにしか見えません。
8年前に会った人なら、変化の少なさはもっとはっきり分かります。
吉宗さんが聞きました。
「理子を治した薬を知っている人ですから、こういうことも聞きたくなります。長生きする薬まであるのですか」
「あります」
吉宗さんが少し身を起こしました。
「本当にあるのですか。それなら、2人も使ったのかと思いました」
「でも、私たちは飲んでいません」
「では、誰が飲んだ」
「アン女王陛下です」
理子さんも聞いています。
どろちゃんは茶を置きました。
「アン女王陛下には、神様から本人専用のエリクサーが届いたんです。身体に悪いところがたくさんあったので、それを根本から直して、壊れ始める前くらいの若い身体まで戻しました。記憶や、女王様として生きてきた時間まで若返ったわけではなくて、身体の方です」
「それなら、あなたたちも同じ薬を使ったのかと思いましたが、違うのですか」
「私たちは持っていません。あれはアン女王陛下への報酬ですから」
「報酬というのは、約束を果たしたことへの神様からの返礼、という意味ですか」
「4か国の元首が神様と約束して、戦争や海賊行為や奴隷化や誘拐で、人がむだに死んだり連れていかれたりする世界を変えることにしたでしょう。その約束を実行した元首には、それぞれ神様から個別の報酬が来たんです。アン女王陛下の分が、あのエリクサーでした」
「なるほど。では、2人が若いままなのは、そのエリクサーとは別の仕組みなのですね」
「別の仕組みみたいです」
どろちゃんはフランソワさんを見ました。
フランソワさんも、自分の手を少し見ます。
「私たちは、高いところへ行きすぎた方みたいです。それも、戦争や海賊行為や奴隷化や誘拐を止める仕事で、何年も飛び回りましたから」
「高いところ?」
「飛行機です」
吉宗さんは少し考えました。
「飛行機で高いところへ上がった回数や時間が、身体の歳の取り方にまで影響している、ということですか」
「回数だけではないと思います。高度と、そこにいた時間が積み重なっているみたいです。着陸しても消えません。この世界、昔の偉い人が考えた『高いところほど偉い』を、変なところで本気にしているみたいなんです」
「なるほど。この世界そのものが、本当に『高いところほど偉い』という扱いをしているのですか」
「そういう扱いをされている感じです」
「理屈だけ聞くと、ずいぶん単純です。けれど、実際に人の身体へ出るなら笑ってばかりもいられませんね」
「単純なんですけど、少し困ります」
「若いままでいられるなら得ばかりにも聞こえますが、そう簡単な話でもないのですか」
「暦の上の歳は増えていきますから」
理子さんが笑いました。
どろちゃんは続けました。
「私たちだけではありません。ルイ十四世陛下も、大家さんも、かなりおかしいです」
「大家さん?」
「キャサリン王太后です。ロンドンの家の土地の関係で、私の中では大家さんなんです」
「王太后を、心の中では大家さんと呼んでいるのですか。それは本人には聞かせない方がよさそうですね」
「本人には、たぶん言っていません」
フランソワさんが静かに付け足しました。
「お嬢様が、そう呼んでいらっしゃるだけです」
「それは、そのまま心の中だけに置いておいた方がよさそうです」
「はい」
どろちゃんは素直に返事をしました。
吉宗さんは茶碗を置きました。
「それにしても、8年です。私がまだ紀州にいたころから、外の世界が大きく変わったとは聞いています。実際には、どのくらい変わったのですか」
「かなり変わりました」
「『かなり』だけでは、今の私には見当がつきません。順番に聞かせてもらえますか」
「では、順番にお話ししますね」
どろちゃんは少し考えました。
「いちばん大きいのは、戦争で人とお金と船と工場を壊さなくなったことです。昔なら何年もかけて集めた税金と金属と木材を軍隊へ入れて、町を焼いて、橋を壊して、若い人を死なせて、それでまた作り直していたでしょう」
「それは分かります。戦になれば、積み上げたものまで一度に失いますからね」
「今は、その分を農地、港、鉄道、工場、学校、病院、上下水道、通信へ入れ続けられます。去年作ったものを今年壊さないので、その上へ次を足していけるんです」
「なるほど。壊して作り直す費用が消えて、その分が毎年そのまま積み重なっていくのですね」
「はい。しかも15年近く、ずっと積み上げています。分野によっては、普通の進み方なら100年とか200年とか、ものによっては300年近くかかるところまで、一気に進んでいます」
「300年ですか。8年ぶりに話を聞く私には、同じ時代の話とは思えないほどです」
「全部が同じだけ進んでいるわけではありません。服も食べ物も町の習慣も昔のままのところは多いです。でも、鉄道、港、工場、衛生、医療、農業、通信みたいに、大勢で仕組みを作るところは速いんです」
理子さんが聞きました。
「国ごとに、それほど大きな工場を作っているのですか」
「そこも変わりました。国際連盟の加盟国同士なら、人は国境を越えて動けますし、品物には関税を掛けません」
吉宗さんが眉を上げました。
「加盟国どうしでは、関税を取らないのですか。それは商いの仕組みそのものが変わりますね」
「加盟国の間では、です。国境そのものはありますし、国も政府も別です。でも、隣の国へ物を売るたびに関税を取って止めることはしません」
「それなら、自国の工場を守れないと言う人も出るでしょう。そこはどう折り合いをつけているのですか」
「そういう意見は出ます。でも今の工業には、もっと大きな問題があるんです」
「その大きな問題というのは、何ですか」
「普通なら300年くらい先でやっと持てる規模の設備を必要とする産業を、加盟国全部が1つずつ持とうとしたら、お金も技師も足りません」
どろちゃんは卓の上へ指で丸をいくつか描きました。
「同じ種類の大工場を国境ごとに小さく何個も作るより、1か所か数か所へ資本と技師を集めて、ちゃんとした設備を作ります。その代わり、できた製品は加盟国の中へ関税なしで動かします」
「つまり、作る国と使う国が別でも構わず、加盟国全体で1つの産業を支えるようになっているのですか」
「そうです。研究する大学が別の国にあることもあります。材料を作るところ、部品を作るところ、組み立てるところが国境をまたぐことも普通になっています」
「そこまで経済がつながると、国境は何を分けるものとして残るのですか」
「政治と法律と行政の境目です。経済まで全部そこで切らないんです」
吉宗さんは少し黙ってから言いました。
「日本の関所とは、ずいぶん考え方が違いますね。こちらでは止めること自体が役目になっているところがあります」
「かなり違いますね。人と荷物を止めるほど損が大きい世界になってきましたから」
「関税で止めず、資本と技師を集められることも、ヨーロッパがここまで早く変わった理由なのですね」
「それだけではありませんが、大きい理由の1つです。戦争を止めて、海賊行為を止めて、奴隷化や誘拐を止めて、国境でも余計に止めない。人と資本と技術が、壊されずに次の仕事へ回りますから」
「その変化は、港や工場だけではなく、農村の暮らし方にまで及んでいるのですか」
「仕組みはかなり変わりました。加盟国では、小作農みたいに土地を借りて収穫の一部を納める形は、制度として成り立たなくなっています。農業も産業として人を雇って、働いた本人へ通貨で賃金を払います」
「農業なら、米や収穫物で払う考え方もありそうですが、そこも通貨に統一しているのですか」
「米をお金の代わりにはしません。収穫は年ごとに変わりますし、1人が食べられる量にも限りがありますから、それを経済全体の物差しにすると伸びなくなるでしょう」
「では、通貨の値打ちは金の量で支えているのですか」
「金の量でも保証しません。金が増えなければ工場も鉄道も増やせない、という仕組みにはしていないんです。賃金も品物の値段も投資も税も、通貨で計算します」
「そうすると、農村でも『土地に縛られた農民』ではなく、農業という仕事に雇われて賃金を受け取る人になるのですね」
「農業で働く人、という感じです。作物を作る仕事ですから、ほかの産業と同じように賃金を受け取ります」
「ただ、雇う側が農業だけ極端に安い賃金へ下げようとすることはありませんか」
「加盟国には最低賃金もあります。基準は、その国が普通の兵士を雇ったときに、税や控除のあとで本人に残る手取りと大きく離れないくらいです。農業だけ別にして安く使う、という扱いにはしません。賃金は働いた本人へ払います」
理子さんが小さくうなずきました。
「8年間で、お2人が変わらない間に、町の方が変わったのですね」
「本当に、そんな感じです」
吉宗さんは、今度は少し考えてから聞きました。
「そうすると、北の蝦夷地で聞く変化も、その仕組みの延長なのですか」
「はい。あそこは分かりやすいです」
「松前がすでに引き、VOGが入っているところまでは聞いています。その後が、こちらには十分伝わっていません」
「VOGが入ってから、かなり変わりました」
「私は断片的な報告しか聞いていません。実際には、どこまで変わっているのですか」
「もう食べ物を外から持っていくだけの土地ではありません。食料は自給を越えて、外へ売っています」
「これまでは食料を入れる側だと思っていました。今は蝦夷地から外へ食料を出すところまで来ているのですか」
「出しています。石狩は農業の中心になっていますし、米も作っています」
吉宗さんが、そこで本当に驚きました。
「米まで作っているのですか。津軽や下北でも簡単ではないのに、かなり条件を作り込んでいるのでしょうね」
「はい。ですから品種だけではなくて、水の引き方、排水、土の改良、苗の作り方までまとめて変えています」
「寒い土地だから諦めるのではなく、寒い土地で成り立つように仕組み全体を変えているのですね」
「寒いからこそ、できる条件を全部そろえるんです。できない年がある前提で、ほかの作物も作ります」
どろちゃんは続けました。
「石炭も外へ出しています。室蘭と苫小牧は工業の町になっています。鉄鉱石は足りないので外から入れて、そこで鉄と鋼を作ります。港があって、鉄道で内陸とつながっています」
「鉄鉱石は外から運び、石炭と港のある蝦夷地で鉄を作るのですか。国際連盟の産業の分け方が、そこでもそのまま使われているのですね」
「はい。石炭がありますし、港もありますから。全部をその土地だけでそろえる必要はないでしょう。さっきの国際連盟の話と同じで、足りないものは運びます」
「港と工場だけではなく、もう鉄道も動いているのですね。そうなると、炭鉱や農地まで全部つながりますね」
「走っています。農地だけ、炭鉱だけ、港だけではありません。鉄道、港、工場、農業、輸出がつながって、1つの地域として動いています」
吉宗さんは茶を飲みました。
「仮に幕府が、今の蝦夷地をそのまま治めることになったら、実際には何が必要になりますか。土地を受け取れば済む話ではなさそうです」
どろちゃんは少し考えてから答えました。
「土地だけ受け取るなら、地図の上ではできます。でも、今の日本の役所と技術者とお金の仕組みでは、あそこをそのまま動かすのは難しいと思います」
「そこまで仕組みが大きくなっているのですか。こちらが知っている蝦夷地とは、もう別の地域ですね」
「鉄道を止めず、港を動かして、炭鉱と製鉄を回して、農業生産を落とさず、輸出の契約も続けて、増えた人を行政で扱わないといけません。どれか1つだけならできても、全部つながっていますから」
「つまり、昔の蝦夷地という土地だけを受け取る話ではなく、鉄道も港も産業も人も含めた大きな仕組みを丸ごと引き受ける話になるのですね」
「はい。名前は蝦夷地でも、中身はもうかなり違います」
吉宗さんは、しばらく黙っていました。
「8年という時間を、こちらは国内のことで過ごしていました。その間に外では、そこまで積み上がっていたのですね」
「戦争をしない8年は、かなり長いですよ」
そのころ、廊下の向こうでは次の料理を運ぶ足音がしていました。
けれど、料理がそろう前に、吉宗さんにはもう1つ聞きたいことができていました。
「話を聞いているうちに、かえって分からなくなってきました。8年前は外国から来た医師で、VOGの大株主でもある人だと思っていましたが、今のあなたは、いったいどんな立場になっているのですか」
どろちゃんはフランソワさんを見ました。
「それをちゃんとお話しすると、かなり長くなりますよ」
「ここまで聞いたのですから、長くなっても構いません。今のあなた自身のことを、改めて聞かせてください」




