第174章 貴族令嬢は、スエズ地峡を掘る許可をいただきます。 オスマントルコ許可をもらいスエズ運河を作り始めます。
第174章 貴族令嬢は、スエズ地峡を掘る許可をいただきます
国際連盟の会議が終わって数日後、どろちゃんはまた地図を広げていました。
今度は、地中海東部からエジプト、紅海までを一枚にした地図です。
フランソワさんが地図を見ました。
「また何かお考えでございますか」
「うん。今度は穴を掘りたい」
「どのくらいでございますか」
どろちゃんは定規を置きました。
「海から海まで」
フランソワさんが、少しだけ黙りました。
「それは、アフメト三世陛下へ先にお伺いするお話でございますね」
「だから行きます」
エジプトはオスマン帝国の領域です。
地図へ線を引いたからといって、外国人が勝手に掘り始めることはできません。
どろちゃんは先にトプカプ宮殿へ面会を願う文書を送りました。
工事の内容を簡単に書き、土地を取得する話ではなく、オスマン帝国内で運河を建設し運営する許可について相談したい、と明記します。
返事が来てから、チェブラーシカちゃんでイスタンブールへ向かいました。
正式な地点間輸送なので、エルレンフェルト航空の運航記録にも、エルレンフェルト発イスタンブール行きとして出発日とともに記録されています。
左席はどろちゃん。
右席はフランソワさん。
後ろには地図、測量資料、運河の断面図、鉄道の図面、それから契約案が入った箱を固定しました。
離陸前に脚、舵面、エンジン、燃料、無線、貨物の固定を確認します。
チェブラーシカちゃんも異常なしです。
「行こう」
『うん』
エンジン出力を上げ、滑走路から離れました。
イスタンブールでは、以前から使っている、後世にアタテュルク空港となる場所の長い滑走路へ降ります。
進入前に風と滑走路の状態を確認し、余裕を持って接地しました。
今日はハイラックスを積んでいません。
宮殿側から迎えの馬車が来ています。
前に石畳でお尻が痛くなった馬車とは違い、いまは新型馬車も使えます。
「今回は平気だね」
「お嬢様が作られたのでございますから」
「作ったのは工場の人だよ」
そんな話をしながらトプカプ宮殿へ入りました。
◇ ◇ ◇
アフメト三世陛下の前へ、最初に大きな地図を広げました。
「陛下、エジプトで工事をさせていただきたいのです」
「今度も鉄道なのだな」
「今度は運河です」
皇帝の視線が地図へ落ちました。
どろちゃんは南側を指しました。
「ここがスエズです」
そこから北へ指を動かします。
紅海側から、後世にビター湖と呼ばれる低地を通り、ティムサ湖に当たる低地の近くを抜け、さらに北へ。
指が地中海岸で止まりました。
そこは、後世ならポートサイドが造られる場所です。1709年には、まだ港町になる前の海岸と低地が広がっています。
「地中海側のここまで、上から掘ります。距離は百六十km前後です」
「どれほど深い穴を掘るのだ」
「船が通れる深さまでです。掘ったあと、埋め戻しません。そのまま海水を入れて水路にします」
どろちゃんは断面図を出しました。
地表から掘り下げた溝そのものを運河として残します。上へ構造物を載せて埋め戻す工事にはしません。
「二つの海を、同じ高さのままつなぐわけだな」
「はい。大きな閘門で船を上げ下げする方式にはしません」
スエズ地峡の低地と湖をつなぎながら、海面運河として通します。
ただし、最初から後世の巨大船を通す断面にはしません。
1709年の世界に、後世のSuezmax級タンカーや超大型コンテナ船はいません。
いま実際に航海している大型商船や軍艦を安全に通せる断面を基準にし、将来の拡幅と増深ができるだけの土地を先に確保します。
「最初の断面を必要な大きさに絞るのだな」
「最初から使わない大きさまで掘ると、工事費も時間も増えます。必要になったら広げます」
陛下はしばらく図面を見ました。
「船の通し方も考えてあるのだろう」
「そこが、もう一つあります」
どろちゃんは次の図面を開きました。
運河の両岸に鉄道があります。
右岸に一線。
左岸に一線。
合計二線です。
ただし、普通の鉄道とは幅が違います。
「軌間は2870mmです」
「二千八百七十?」
「標準軌1435mmのちょうど二倍です」
皇帝は図面を近くへ引きました。
線路の上には、低く、幅の広い電気機関車が描かれています。
「掘った水路では、船を左右から引きます」
海と海をつなげば、運河の中には水の動きができます。
地中海側と紅海側の水位は季節や潮で完全に同じではありません。
湖も入り、蒸発もあります。
流れの向きも強さも、ずっと一方向で一定にはなりません。
そこへ風まで加わります。
帆船だけに任せれば、風向と流れが悪い日に、ある方向へほとんど進めない船が出ます。
「比較的狭い水路では、両岸の電気機関車を一台ずつ同じ速度で走らせます。船を真ん中へ保ちながら引きます」
「片側だけ強く引けば」
「船首の向きも少し直せます。船の舵も使いますけど、左右の張力を合わせます」
比較的狭い水路では、一隻の船へ両岸から牽引索を取ります。大型船なら前後にも分け、船が一方へ寄りすぎないよう張力を管理します。
海面下にある低地へ海水が入り、広い湖になる区間では片岸の電気機関車一台で牽引します。船は片岸からの牽引索と自分の舵を使って進路を保ちます。
線路を置く地面は砂地です。先に路盤を締め固め、必要な場所は地盤改良と排水処理を行い、その上へコンクリートの基盤を造ってレールをスラブ軌道として固定します。船を横から引く力を繰り返し受けるので、軌道の位置を保つことも重要です。
鉄道の給電方式も、いつもの路線とは少し違います。
架線柱は各線の外側、つまり運河から離れた側に並べます。そこから片持ちの腕を伸ばし、二本の架線を線路上へ出します。運河側を空けておけば、牽引索の取り回しや船の通行を邪魔しません。
「架線は二本です。二本とも上を通します」
図面には、一本の軌道に二本の架線が並んでいます。
「電気はレールへ戻さないのだな」
「はい。塩水のすぐ横で使います。砂も来ますし、海から塩も来ます。錆びるレールを大電流の帰線にしたくありません」
二本の架線間で往復の電路を閉じます。走行レールは車輪を支えて案内するために使います。
百六十km前後の線路を端から低電圧の大電流で送る方式にはしません。すでに長距離鉄道で使い始めている25kV級交流の技術を基礎にし、二本の架線を地上から絶縁した電路として使い、給電区間を分けます。中間には開閉・給電設備を置き、電気機関車側で必要な電圧へ落として主電動機へ送る計画です。最終的な給電所の間隔と電圧降下は、船を曳くときの負荷を測ってから決めます。
車輪とレールの接触状態が砂や錆で変わっても、主電力の帰路には影響しません。漏れた電流が周囲の金属設備へ回り、電食を起こす要因も減らせます。
「両岸を合わせれば、架線は四本になる」
「はい。右岸に二本、左岸に二本です」
さらに図面をめくります。
今度は客車があります。
「その線路は牽引専用ではないのだな」
「人も乗せます。客車を電気機関車で引きます」
次は貨車です。
屋根のない、幅広い無蓋貨車。
「荷物も運びます。貨車も電気機関車で引きます。運河を通る船から積み替える貨物もありますし、工事中は掘った土や資材も運びます」
もう一枚。
無蓋貨車の上に、小舟が載っています。
陛下は、今度は少し長く図面を見ました。
「小舟なら、船そのものを鉄道へ載せるのだな」
「小さい船なら、その方が速いことがあります。水路を順番に進ませるより、無蓋貨車へ載せて丘を越えさせた方が早いところは、そのまま運びます」
貨車へ載せるのは、小舟、沿岸船、工事用の舟艇など、安全に陸送できる大きさのものです。
そのため、2870mmの広い軌間は横から船を牽引するときの安定だけでなく、幅のある貨物や小舟を載せるときにも使えます。
◇ ◇ ◇
どろちゃんは地中海側の海岸へ、鉛筆で四角をいくつも描きました。
「ここ、町も作ります」
「運河だけでなく、港町まで一緒に造るのだな」
「運河が完成する前から人が来ます」
地中海から来た船が、新港で荷を下ろします。
貨物を鉄道へ積み、スエズまで運び、紅海側で別の船へ積み替えます。
逆方向も同じです。
旅客も郵便も通せます。
高価で軽い貨物、急ぐ荷物、人だけ先に移動したい場合には、運河が全通する前から需要があります。
地中海側の新港には、埠頭、貨物駅、操車場、倉庫、荷役場、旅客駅、税関、検疫施設、診療所、車庫、発電と給電の設備が要ります。
働く人が増えれば住宅、食堂、市場、宿、道路まで必要になります。
海辺の砂地へ人を集めるので、飲み水の供給も工事の最初から考えなければなりません。
井戸だけへ頼らず、ナイル側から淡水を運ぶ水路または配管の経路も測量対象へ入れます。
「港だけ作って、あとから家が勝手に増える形にはしたくないです。先に道路と倉庫と住宅の場所を分けます」
「ここには新しい町ができそうだな」
「たぶん、すぐ町になります」
後世のポートサイドは、この世界では一世紀以上早く、最初から計画都市として生まれることになります。
まだ名前はありません。
サイード・パシャに由来する後世の地名を、1709年のどろちゃんが口にすることもありません。
今はただ、地中海側の新港です。
◇ ◇ ◇
皇帝は、ここまで聞いてから椅子へ深く座り直しました。
「費用は、どれほどを余に求める」
「陛下には求めません」
「何?」
「建設費は、全部わたしが出します」
部屋にいたオスマン側の財務担当者が顔を上げました。
陛下も、すぐには返事をしませんでした。
「VOGが事業者になるのだな」
「わたし個人で行います」
「四か国共同銀行も入れないのだな」
「はい。ドロテーヤ・フォン・エルレンフェルト個人の事業です」
どろちゃんは契約案を出しました。
「その代わり、運用益を分けていただきたいです」
最初の比率は、どろちゃん九、オスマン帝国側一。
「建設費をわたしが回収できるまでは、純利益の九割をわたし、一割を陛下側です」
「回収したあとは」
「五割ずつです」
財務担当者が契約案を取り、すぐに数字の定義を確認しました。
「建設費とは、どこまでを含めますか」
「運河、水路の護岸、両岸の2870mm軌間鉄道、電気機関車、架線と給電設備、両端の港、運河運営に直接必要な設備までです。帳簿は共同で確認してください」
「では、毎年の維持費は」
「事業の維持管理費として帳簿へ出します。そのうえで残った運用上の純利益を分けます。建設費を回収したかどうかは、最初の建設費の記録と、わたし側へ分配された累計額で確認します」
ここを曖昧にすると、永遠に「まだ建設費を回収していません」と言えてしまいます。
反対に、維持管理費まで最初の建設費へ足し続ければ、五対五へ移る日が来ません。
最初に数字を分けます。
「運用益には、何が入る」
財務担当者が続けました。
「運河の通航料です。それから、両岸鉄道で船を牽引する料金。鉄道の旅客運賃、貨物運賃、無蓋貨車で小舟を運んだ料金も入れます」
財務担当者の手が止まりました。
「運河が完成する前の鉄道輸送も?」
「入ります」
皇帝が、どろちゃんを見ました。
「つまり、地中海側の港とスエズを鉄道で結んだ時点から、そなたの九割が始まるのだな」
「はい。運河工事のために作る鉄道ですけど、旅客や貨物にも使いますから」
ここが、この契約の少し妙なところでした。
運河が一本の船も通していないうちから、地中海と紅海のあいだで乗り継ぐ人や貨物が鉄道へ乗れば収益が出ます。
その九割は、建設費を回収するまでどろちゃん側へ入ります。
条文には最初から書いてあります。
隠してはいません。
それでも、鉄道だけでどれほど需要が出るのかは、実際に動かしてみるまで誰にも分かりません。
「先に鉄道が稼ぎ始めるのだな」
「たぶん、そうなります」
どろちゃんは普通に答えました。
◇ ◇ ◇
利益だけ分けて、責任を曖昧にはしません。
「わたしには、維持管理の義務を付けてください」
「そなたの側にも、義務を明記するわけだな」
「五割をずっといただくなら、壊れたあと知らないとは言えません」
運河の浚渫、法面や護岸の修理、航路幅と水深の維持、係留設備、両岸鉄道の軌道、二線式の架線、給電設備、電気機関車、客車と貨車、港湾設備まで、船が安全に通れる状態を維持する責任はどろちゃん側です。
「では、余の側は何を負う」
「防衛と保安をお願いします」
運河はオスマン帝国の領域を通ります。
どろちゃんが自分の軍隊を置いて、国土の中に別の国のような場所を作るつもりはありません。
沿線の警備、盗賊や破壊行為への対応、港と運河区域の治安、武装集団が施設を襲ったときの排除、外国軍が運河を奪おうとしたときの防衛は、オスマン帝国側の義務です。
「主権は陛下側です。わたしが買う土地ではありません。わたしは工事をして、運河と鉄道を運営して、直し続けます」
「余は守る」
「はい」
陛下は契約案をもう一度読みました。
「建設費を回収した後は五対五へ移る」
「はい」
「余は建設費を出さず、一割を受け取り、回収後は半分を受け取る。その代わり、最初から最後まで領域の防衛と保安を負う」
「そうです」
「そなたは全額を出し、回収までは九割。その後も半分を受け取る代わり、維持を続ける」
「はい」
契約の形が見えてきました。
◇ ◇ ◇
もう一つ、契約で確定するものがあります。
このスエズ運河の建設と運営を行う権利です。
「この運河を造って運営するのは、そなた個人ということだな」
「はい。ただ、その権利は排他的な事業免許にしてください」
皇帝が顔を上げました。
「ほかの者へ同じ運河事業を認めない、という意味だな」
「それだけではありません。わたしから、この権利を誰にも売れないようにしてください。譲渡も、担保に入れることも、別の人や会社へ貸すこともできないようにしたいです」
「そなた自身の権利を、そこまで縛るのだな」
「はい。そこが大事です」
どろちゃんは契約案の事業者欄を指しました。
「この権利を第三国や外国の会社が手に入れたら、その国が『自分たちの権利を守る』と言って軍艦を送る理由にできます。運河の権利を保護するという名目で、陛下の国と戦争を始める口実にされたくありません」
部屋にいたオスマン側の役人たちも黙りました。
「だから、事業免許はドロテーヤ・フォン・エルレンフェルト個人だけに与えてください。売却、譲渡、再許諾、担保設定はできない。誰かが譲り受けたと主張しても、その人には何の権利も生じないようにします」
「分かった。その条項は余からも命じよう」
「ありがとうございます。もう一つあります」
どろちゃんはスエズとシナイ半島を指しました。
「運河と両岸鉄道、それから地中海側の新港まで、できるだけ早く陛下の直轄地にしてください。地方の役所や有力者の権利が途中に何重にも入ると、あとで外国がそこへ入り込む余地が増えます」
皇帝は地図を見たまま、少し考えました。
「この工事をエジプトの地方行政へ任せたままにはしない。スエズ、シナイ、運河予定地、両岸鉄道の用地、地中海側の新港を帝国中央政府の直轄管区へ移す。手続はすぐ始めさせる」
「お願いします。住んでいる人の道や放牧地や井戸まで取り上げる必要はありません。行政と防衛を中央で直接持っていただければいいです」
「行政官、守備、税関は中央から置く。この水路はエジプト一地方だけの道ではない」
「はい」
皇帝は契約案へ目を戻しました。
「通航する船については、どうする」
「料金を払ってもらえば、どこの商船でも使えるようにしたいです」
どろちゃんは地図を見ました。
この運河の事業権を持つことと、通航する船を自国船だけに限ることは別です。世界中の船が通れば、その方が収益も増えます。
オスマン帝国側も同じです。
通航船が増えれば、一割の時期にも収入が増え、建設費回収後はその半分が入ります。
「分かった。余の側でも法と権利関係を確認させる」
「ありがとうございます、陛下」
直轄化の方針が決まると、皇帝は実務へ話を進めました。
「測量には帝国中央から工事担当と行政官を付ける。土地を使っている者の権利まで、地図の線だけで消すな」
「はい。既存の道、水路、集落、墓地、放牧地、井戸も全部確認します」
「水も要るのであろう」
「はい。町を作るなら飲み水が要ります。そこも現地で調べます」
「ならば、その調査も同じ者たちに手伝わせよう」
「お願いいたします」
皇帝の許可を受けたあと、測量杭の位置は現地で決めます。
土地を使っている人、既存の道、水路、集落、墓地、放牧地、井戸を、一つずつ確認します。日常の通行や放牧、井戸の利用も、工事に必要な範囲を越えて変えないよう測量図へ記録します。
掘ってよいかどうかという一番大きな答えと、工事区域を誰が直接管理するかという答えまで出ました。
◇ ◇ ◇
数日かけて、オスマン側の法律家、財務担当、港湾担当、軍の担当者が契約文を詰めました。
どろちゃん側からも、会計と土木の人が入りました。
最後まで詰めたのは、故障や災害が起きたときの責任分担でした。
「維持管理を怠った場合はどうする」
「直します」
「それでは条文になりません」
「ですよね」
故障や災害で一時的に通れなくなった場合の復旧責任。
通常の浚渫を怠って浅くなった場合。
鉄道が壊れて牽引できなくなった場合。
保安上の理由でオスマン側が一時閉鎖する場合。
戦闘で施設が損傷した場合。
どちらの責任で、どこから費用を出すかを分けます。
意図的に通航を妨げ、相手の利益だけを減らすような運用も禁止しました。
どろちゃんは、最後の紙を最初から読みました。
建設費はどろちゃん個人が全額負担し、建設費回収までは運用純利益を九対一、回収後は五対五で分けます。鉄道旅客、貨物、小舟輸送、船舶牽引、運河通航を同じ収益計算へ入れます。どろちゃん側には維持管理義務、オスマン帝国側には防衛と保安義務があり、帝国の主権はそのままです。
スエズ地峡で運河を建設・運営し、両岸鉄道による船舶牽引を行う排他的な事業免許は、ドロテーヤ・フォン・エルレンフェルト個人に与えられます。売却、譲渡、再許諾、担保設定は禁止され、第三者が譲り受けたと主張しても権利は生じません。
スエズ、シナイ、運河予定地、両岸鉄道の用地、地中海側の新港はオスマン帝国中央政府の直轄管区へ移され、行政、守備、税関を中央政府が直接担当します。
「これでいいです」
皇帝が署名し、続いてどろちゃんも署名しました。
契約書の事業者欄には、ドロテーヤ・フォン・エルレンフェルト個人の名と印だけがあります。VOGと四か国共同銀行は、この事業の当事者には入っていません。
地図には、スエズから地中海まで一本の線が残りました。
その両側には、2870mm軌間の鉄道が一本ずつあります。
地図の線にはまだ水がなく、新港も町もこれからです。地中海側の新しい町には、名前すらありません。
それでも、この日から測量と工事の準備を始められます。
後世ならスエズ運河と呼ばれる水路は、1709年のこの世界では、ドロテーヤ・フォン・エルレンフェルト個人とアフメト三世の契約から始まることになりました。
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第174章の小さな説明
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【この世界のスエズ運河】
本章では、1709年の船舶と交通量に合わせて、後世のスエズ運河より小さな初期断面から建設を始めます。
現実のスエズ運河も海面式で、地中海と紅海の間を閘門なしで結んでいます。本作では1709年の大型商船・軍艦を初期設計船型とし、後世のSuezmax級船舶を最初から通す幅や水深にはしません。交通量と船型が大きくなれば、浚渫、拡幅、増深を段階的に行います。
地中海と紅海をつなぐと、潮汐、水位差、蒸発などの影響で運河内に流れが生じます。帆船の運航を風と流れだけに任せると方向や時間によって通航条件が大きく変わるため、比較的狭い掘削水路では両岸の電気機関車を一台ずつ使って牽引します。海面下の低地へ海水が入り、広い湖になった区間では片岸の電気機関車一台で牽引し、船は舵を併用します。
【2870mm軌間と二線式架線】
両岸の牽引鉄道は、一岸一線、合計二線です。各線の軌間は標準軌1435mmの二倍である2870mmとしています。
船から斜め方向の牽引力を受けるため電気機関車を低く幅広くできること、小舟や大型資材を無蓋貨車へ載せやすいことを理由にした専用広軌です。客車と貨車も電気機関車が牽引し、運河沿線の鉄道として使います。
砂地は締め固めと必要な地盤改良・排水処理を行い、コンクリート基盤上のスラブ軌道とします。架線柱は各線の外側に置き、片持ちの腕で二本の架線を線路上へ出して運河側を空けます。
給電は各線とも二本の架線で往復回路を閉じ、レールを帰線に使いません。塩水、塩分を含む飛沫、砂、錆の多い環境で、走行レールを主電力回路の一部にしない設計です。
【排他的事業免許と譲渡禁止】
スエズ地峡で運河を建設・運営し、両岸鉄道による船舶牽引を行う事業免許は、ドロテーヤ・フォン・エルレンフェルト個人に排他的に与えられます。同種の運河事業を第三者へ許可せず、この免許自体の売却、譲渡、再許諾、担保設定も認めません。
これは事業収益を独占するためだけの条項ではありません。第三国や外国企業が事業権を取得し、その権利の保護を名目としてオスマン帝国へ軍事介入する口実を作らせないためです。第三者が権利を譲り受けたと主張しても、契約上の権利は生じません。
【スエズ・シナイの直轄管区】
本章では、運河の建設決定と同時に、スエズ、シナイ半島、運河予定地、両岸鉄道用地、地中海側の新港をオスマン帝国中央政府の直轄管区へ移す手続きを開始します。行政官、守備、税関はイスタンブールから直接置き、運河と鉄道を地方行政の権限変更から切り離します。
現地の集落、道路、水路、墓地、放牧地、井戸などは測量して記録し、中央直轄化を理由に住民の日常利用まで一律に取り上げる設定にはしていません。
【地中海側の計画都市】
後世のポートサイドは1859年のスエズ運河工事開始とともに形成されます。本作では運河全通前から、地中海側新港―スエズ間の鉄道による旅客・貨物・郵便・小舟の乗り継ぎ輸送が始まるため、港と鉄道を中心にした計画都市が一世紀以上早く生まれます。
1709年には「ポートサイド」という後世の名称を人物は使いません。本文中では「地中海側の新港」としています。




