153貴族令嬢は市場で20t買います。 イスタンブールのタイルはきれいですし、ヨーロッパでは作れません。燃料がないからね。
第153章 貴族令嬢は市場で20t買います
◇ ◇ ◇
翌朝、どろちゃんは朝食を終えるとすぐにフランソワさんを見ました。
「今日は買い物に行こう」
「はい、お嬢様」
給仕さんも行きたいと言い、プリンツ・オイゲンも当然のようについてきます。宮殿を出るころにはFEさんたちも加わり、買い物に出かける人数には見えないくらいの一団になっていました。
「買い物なんだけど」
「存じております」
「戦争しないよ」
「それも存じております」
オイゲンさんは涼しい顔です。
「こんなにたくさんで入れるの?」
「入ってから考えましょう」
その返事だけで、どろちゃんには少し嫌な予感がしました。
◇ ◇ ◇
グランドバザールへ入ると、その予感はすぐ当たりました。
通路は狭く、両側の店先には商品があふれ、人も途切れません。どろちゃんが一軒の店をのぞこうとして立ち止まっただけで、後ろにいた人たちまでまとめて止まりました。
「これ、みんなで歩くの無理だね。解散しよ」
「護衛は解散しません」
「じゃあ散って」
「はい」
オイゲンさんが手を上げると、FEさんたちは何人かずつ別の通路へ消えていきました。一人は少し前へ、一人は横の道へ、別の人はかなり後ろに残ります。オイゲンさん自身も人混みの向こうへ消えました。
どろちゃんは少しだけ背伸びしました。
「オイゲンさん、いなくなったね」
「いらっしゃいますよ」
「どこ?」
「わたくしにも見えません」
「じゃあ、買い物しよ」
どろちゃんはすぐに気にしなくなり、フランソワさんの手を引いて次の店へ向かいました。
◇ ◇ ◇
最初に足が止まったのは金銀細工の店でした。
細い鎖、透かし模様の飾り、花の形をした留め具、細かな粒を並べたような装飾が棚いっぱいに並んでいます。どろちゃんは石よりも金属の細工を近くで見たがり、店の人に留め方や曲げ方まで尋ね始めました。
相手がオスマンの言葉で説明すると、どろちゃんも同じ言葉でそのまま返します。途中から職人らしい人まで出てきて、指先で細工を示しながら話すようになりました。
「これ、きれい」
「お買いになりますか」
「うん。これと、こっちも」
「三つ目でございます」
「まだ三つだよ」
フランソワさんは箱へ入れられていく飾りを見ながら笑っています。
「この模様、あとで使いたいな」
「アルミニウムでございますか」
「うん。赤とか青とかにして、石をつけたらきれいだよ」
どろちゃんの頭の中では、もう着色アルマイトの台座になっているようでした。
金の飾りを見ていたところで、ふいに表情が止まります。
「あ」
「どうなさいました?」
「菱刈」
「菱刈?」
「薩摩から買おうと思ってたの、忘れてた」
フランソワさんは少し考えてから頷きました。
「戻りましたら書いておきます」
「お願い」
どろちゃんは安心すると、また金細工の箱へ手を伸ばしました。
◇ ◇ ◇
香辛料の店ではサフランを見つけました。
店の人が袋を開くと、どろちゃんは少し指に取って眺め、そのままいくつか別の香辛料も見せてもらいます。胡椒や香りの強い種、乾燥させた葉が次々に出てきて、給仕さんまで横から話に加わりました。
「サフラン、これくらいでいいかな」
「もう少しあってもよろしいかと」
「じゃあ、もう少し」
「お嬢様の『もう少し』は大きくなりがちでございます」
「今日は普通だよ」
その言葉を誰も信用していない顔をしていました。
乾燥フルーツの店では、干しぶどう、干しいちじく、干しあんず、ナツメヤシを少しずつ試食しました。どろちゃんは気に入るたびに買うので、フランソワさんの横に包みが増えていきます。
「これ、おいしい」
「では、こちらも?」
「うん」
「また増えました」
「食べものだから大丈夫」
給仕さんが笑いながら別の袋も受け取りました。
◇ ◇ ◇
そのあと、どろちゃんは大きなタイルの販売所で動かなくなりました。
そこは自分たちの窯と職人を持つ大きな製造元の店です。壁には大きな見本が何種類も組まれ、奥には帳場と在庫があり、まとまった注文を受けるための見本帳まで置かれていました。
青と白の幾何学柄を見たあと、どろちゃんは赤の入ったチューリップ柄へ移ります。さらに奥には、小さなタイルを何枚も組み合わせることで、一枚の大きな壁面装飾になる見本がありました。
「これ、すごい」
中央には神を褒める言葉が入り、その周囲を幾何学文様と植物の模様が囲んでいます。
どろちゃんはすぐに店の人を呼びました。
「これと同じもの、何組くらい作れますか?」
返事を聞くと、次は色について尋ねます。同じ青を揃えられるか、チューリップ柄をまとまった数で作れるか、何年かあとに一枚だけ割れた時でも同じものを注文できるか。店の人も、最初は若い外国人の客に説明する調子でしたが、質問が続くうちに製造側の人を呼びました。
どろちゃんは通訳を待たず、その人とも直接話し始めます。
「文字の入っているものは壁に使います。幾何学柄とチューリップ柄も欲しいです」
「どれほどの数量をご希望でしょう」
どろちゃんは壁の見本をもう一度眺めました。
「全部で20tくらい」
帳場の人が顔を上げました。
「20t、でございますか?」
「はい。最初はそのくらい」
フランソワさんも給仕さんも黙っています。
製造側の人は、改めて椅子を勧めました。
◇ ◇ ◇
どろちゃんは座ると、名乗り方を少し変えました。
「先に言っておきますね。わたし、VOGの幹部なんです」
店の人たちは、すぐには頷きませんでした。
店主らしい人が、どろちゃんを見ます。
「失礼ですが、それを確認できるものはございますか?」
「あ、そうだよね」
どろちゃんは振り返って、少し離れたところにいるオスマン側の案内役を呼びました。
案内役は店主としばらく話しました。
トプカプ宮殿の賓客であること。
アフメト三世に正式に迎えられていること。
VOGの幹部として活動している人物であること。
そこまで確認して、店主はようやく態度を変えました。
「失礼いたしました」
「いいですよ。知らない人に言われて、すぐ信用したら危ないです」
給仕さんが少し笑いました。
どろちゃんは文字入りの見本を指します。
「いま国連本部に、加盟してきたムスリムの人たちがお祈りできる部屋を作ろうと思っています。ここのタイルを使いたいんです」
「正式な注文書は、後ほどいただけますでしょうか」
「はい。宮殿から出します」
これでようやく、店の人が数量を書き始めました。
「これを何組か。幾何学柄とチューリップ柄は、もう少し多くお願いします」
20tの注文については、納期、梱包、支払い方法を改めて書面にすることになりました。
その話がまとまってから、どろちゃんはもう一つ切り出します。
「それと、鉄道がストラスブールまでつながったら、一緒に会社を作りませんか?」
「会社を?」
「はい。こちらにも出資してもらって、ストラスブールでこのタイルを扱います。見本を置いて注文を受けて、作るのはこちら。割れた時の補修品も、同じ柄で送ってください」
「そのお話も、正式な書面を拝見してからでよろしいでしょうか」
「もちろんです」
どろちゃんは、店の壁を見ながら続けました。
「ここの職人さんが作るから、この色と模様になるんです。向こうに窯を作るより、ここで作ったものを運んだ方がいいです」
店主は今度は慎重に頷き、輸送の話へ移りました。
「鉄道が開通するまでの輸送は、どのようになさいますか?」
「普通の荷なら船でマルセイユへ。急ぐ時は、250tくらい積める別の手段があります」
店の人は少し首をかしげました。
「今回は20tなので、どうするかあとで決めます」
その言葉を聞いたフランソワさんが、ほんの少しだけ横を向きました。
◇ ◇ ◇
話が終わって外へ出ると、少し離れたところにオイゲンさんがいました。
「あ、いた」
「ずっとおりました」
「全然見えなかった」
「それでよろしいのです」
どろちゃんは満足そうに紙を見せました。
「タイル買ったよ」
「どのくらいですか?」
「20tくらい」
オイゲンさんは紙を見て、それからどろちゃんを見ました。
「ずいぶん大きな買い物になりましたね」
「きれいだったから」
「理由はよく分かりました」
その返事が本当に分かっている人のものなのか、どろちゃんには分かりませんでした。
◇ ◇ ◇
大きな注文を終えたあとは、ケーキ屋さんへ入りました。
ナッツをたっぷり使った焼き菓子が並んでいて、どろちゃんは迷わず一つ選びます。フランソワさんも同じものを頼み、給仕さんも別のものを選びました。
「おいしい」
「香ばしいですね」
「ナッツ買って帰ろう」
「今、ナッツのケーキを召し上がっておりますが」
「食べたら欲しくなった」
食べ終わると、本当にナッツ屋さんへ行きました。
ピスタチオ、くるみ、アーモンドを選び、また包みが増えます。
その先では大きな輪のパンが焼かれていました。
「あ、おばけプレッツェル」
「シミットでございます」
「知ってる。これも買う」
さらに少し歩くと、今度はボレキです。
「ラザニアもある」
「ボレキでございます」
「それも知ってる。これも」
フランソワさんはもう訂正するだけにして、止めませんでした。
◇ ◇ ◇
帰るころには、別々の通路に散っていたFEさんたちが少しずつ戻り、オスマン側の案内役も合流しました。オイゲンさんは歩きながら何人かに短く声をかけています。
どろちゃんはその様子を気にするより、片手にシミットの包みを持ち、もう片方でフランソワさんの袖をつまんで歩いていました。
「楽しかったね」
「はい、お嬢様」
「明日も来る?」
フランソワさんは、今日増えた包みを見ました。
「20t以上お買いにならないのでしたら」
「たぶん」
「では、明日になってから考えましょう」
給仕さんが横で笑いました。
金銀のアクセサリー、サフラン、乾燥フルーツ、ナッツ、シミット、ボレキ。そして20tのタイル。
朝よりずっと荷物と予定を増やして、みんなでまたぞろぞろとトプカプ宮殿へ帰りました。
◇ ◇ ◇
宮殿へ戻ると、どろちゃんはアフメト三世にも今日の買い物を話しました。
「タイルを20tほど買いました」
アフメト三世は少し驚いた顔をしました。
「ずいぶん買われましたね」
「国連本部に、ムスリムの人がお祈りできる部屋を作るんです。そこに使います」
今度は、アフメト三世の表情がやわらぎました。
「それは、よい使い方です」
「文字の入ったものは壁に使います。幾何学柄とチューリップ柄もたくさん買いました」
「完成したところを、ぜひ見てみたいものです」
「完成しましたら、ぜひ見にいらしてください」
どろちゃんは気軽に言いました。
タイルの製造元とは、鉄道がストラスブールまで開通したあと、共同で販売会社を作る話も始めています。
アフメト三世は、その話にも興味を示しました。
今日の買い物は、どうやら20tでは終わらないようでした。




