146貴族令嬢は、石畳に揺られます。テネリフェからエルレンフェルト エルレンフェルトからイスタンブール
第146章 貴族令嬢は、石畳に揺られます
テネリフェから帰ってきたムリヤちゃんは、途中でリスボンへ寄りました。
キャサリン王太后様とポルトガル側の人たちが降ります。
そのあと、エルレンフェルトへ帰りました。
これで、暖かい島への旅行は終わりです。
フランスから来ていた人たちも、いったんパリへ戻りました。
旅行へ行く人と、次の仕事をする人は同じとは限りません。
今度はイスタンブールです。
地中海とオスマン帝国の事情を知っている人が必要になります。
ルイ14世は、マルセイユから行政や港、地中海交易に詳しい人たちを鉄道でエルレンフェルトへ呼びました。
サヴォさんは、そのまま参加します。
清側は康熙帝を含めて12人。
そこへ必要な外交担当、実務担当、いつもの給仕さんが加わります。
ムリヤちゃんを出すほどではありません。
今度の飛行機は、久しぶりのチェブラーシカちゃんです。
◇ ◇ ◇
客室の座席を組み替えました。
普通の旅客座席なら38席あります。
そのうち6席を外します。
代わりに、エルレンフェルトで作ったVIP席を4席取り付けました。
VIP席は、こちらで一つずつ作っているものです。
たくさんあるわけではありません。
VIP席4席。
普通席32席。
ギャレーも使います。
いつもの給仕さんが、食事と飲み物を担当します。
操縦席は、左がどろちゃん。
右がフランソワさん。
その後ろの3席目には、オイゲンさんが座りました。
飛んでいるあいだは乗員です。
降りれば、いつもの護衛に戻ります。
「お嬢様、こちらもお願いいたします」
フランソワさんが、小さな革張りの箱を持ってきました。
「うん」
中には宝石があります。
大きな合成サファイア。
光によって色が変わるコランダム。
透明な炭化ケイ素の結晶。
どれも、まだ指輪や首飾りにはしていません。
ルースのままです。
使う側が、自分の好きな形にすればよいからです。
もう一つ、大事なものがあります。
お父様から、アフメト3世へ宛てた正式な国書です。
エルレンフェルト公国の国家元首から、オスマン帝国の国家元首へ。
その中には、どろちゃんについても書かれています。
次のエルレンフェルト国家元首であること。
オーストリア国鉄の持株会社を、どろちゃん個人が100%所有していること。
そして、ウィーンからイスタンブールへ鉄道を延ばす話について、どろちゃん本人が直接相談すること。
お父様の署名と印があります。
「これは自分で持つね」
「はい、お嬢様」
どろちゃんからすると、機内で預ける荷物はありません。
国書と宝石の箱は、大事に操縦席の鞄を置くスペースへ収めました。
◇ ◇ ◇
チェブラーシカちゃんへ燃料を入れます。
でも、満載にして短く飛び上がる必要はありません。
今日はウィーンで一度降ります。
そこで給油します。
荷物も人数も分かっています。
無理にSTOL性能を見せる理由はありません。
「滑走路、1200mくらい使おう」
『その方が楽だよ』
チェブラーシカちゃんが答えました。
「私もその方が好きです」
フランソワさんも同意します。
出力を上げました。
機体はゆっくり加速します。
いつもの短距離離陸より長く地面を走りました。
それでも、旅客機として見れば十分に短い距離です。
前脚が上がります。
主脚が地面を離れました。
イスタンブールへの最初の区間は、ウィーンです。
◇ ◇ ◇
ウィーンでは、給油の人だけが待っていたわけではありません。
お父様から預かった書類を受け取る人も来ています。
「こちらを、お父様からです」
「確かにお預かりいたします」
封を確認して渡します。
代わりに、どろちゃんも書類を受け取りました。
オーストリア国鉄からです。
ウィーンからイスタンブールへ鉄道を延ばすための書類。
オーストリア国鉄グループは、どろちゃんが持ち株会社の株を100%持っています。
どろちゃんが決めまたことは絶対です。
どろちゃんがオーストリア国鉄へ命じた時点で、こちら側の仕事は始まっています。
ただし、国境の向こうはオスマン帝国です。
線路は、勝手に外国へ伸ばせません。
だから今日は、その話をしに行きます。
燃料が入りました。
必要な確認も終わりました。
「じゃあ行こう」
『うん』
チェブラーシカちゃんは、もう一度離陸しました。
ウィーンからなら、1時間少しです。
◇ ◇ ◇
大きな水面が見えてきました。
マルマラ海です。
その先に、町があります。
「見えてきました」
フランソワさんが地図と窓の外を見比べます。
城壁。
金角湾。
その向こうのガラタ。
ボスポラス海峡。
アジア側の岸。
歴史半島には、建物がぎっしり詰まっています。
大きなモスクの丸い屋根と尖塔がいくつも見えます。
アヤソフィア。
まだ建てられてから100年も経っていないスルタン・アフメト・モスク。
そして、その先のトプカプ宮殿。
「近いね」
「上から見れば、でございますね」
その通りでした。
近くに見えても、チェブラーシカちゃんを降ろす場所がありません。
城壁の内側は、長い時間をかけて使われ続けた町です。
建物がないところも、単なる空き地とは限りません。
墓地があります。
庭があります。
モスクに付属する土地があります。
市場があります。
ガラタ側も古い町です。
しかも坂があります。
どろちゃんは一度、市街地の上を大きく旋回しました。
それから西へ離れます。
町が少しずつ薄くなりました。
畑と草地が増えます。
海に近い広い平地。
後世、アタテュルク空港が造られるあたりです。
そこに、オスマン側が用意した着陸場所がありました。
約1km、続けて使える平らな地面。
人も馬も荷車も、近くへ入れないようにされています。
目印もあります。
「迎え、来てる」
フランソワさんが見つけました。
馬車が何台も並んでいます。
兵士もいます。
「降ります」
「はい、お嬢様」
チェブラーシカちゃんは、広い平地へ降りました。
◇ ◇ ◇
エンジンを止めます。
扉が開きました。
冷たい外気が入ってきます。
オスマン側の役人と軍人が、すでに待っていました。
飛行機がいつ来るのか。
何人乗っているのか。
どれくらいの場所が必要なのか。
先に知らせてあります。
ここからは、言葉が変わります。
ヨーロッパで使っている共通語は、そのままでは通じません。
フランソワさんにも、ルイ14世にも、康熙帝にも、オスマン側と直接話すには通訳が要ります。
迎えの役人の横には、そのための通訳も来ていました。
でも、どろちゃんだけは違います。
相手の言葉が、そのまま分かります。
自分で話せば、相手の言葉になります。
どろちゃん自身に最初から与えられたチートは、これだけです。
どろちゃんは、オスマン側の軍人へ直接頼みました。
「この飛行機の周りへ、人と馬と荷車を近づけないでください。見物するなら、少し離れたところからお願いします」
軍人は、すぐには返事をしませんでした。
横にいる通訳を見ます。
それから、もう一度どろちゃんを見ました。
「……こちらの言葉を、お話しになるのですか」
「はい」
発音も、言葉の選び方もおかしくありません。
外国から飛行機でやって来た少女が、通訳より先に普通に話しています。
通訳の人まで、少し困った顔をしました。
「どこで学ばれました」
「学んでないです。最初から話せます」
説明になっていません。
でも、本当にそうなのです。
軍人はまだ少し不思議そうな顔をしていましたが、今度はきちんと答えました。
「承知しました」
その返事を、通訳がほかの人たちにも伝えます。
兵士が機体の周囲へ配置されました。
オイゲンさんも降りると、いつもの護衛へ戻ります。
馬車は、すでに何台も並んでいました。
王侯用。
随員用。
荷物用。
御者も馬も、ずいぶん前から待っていたようです。
「宮殿までは、どのくらいですか」
どろちゃんが案内役へ聞きました。
「道の具合にもよりますが、20kmと少しですから、2時間以上は見ていただきたいかと」
「……2時間以上」
ウィーンから飛んできた時間より長いです。
その言葉も通訳を通って、ほかの馬車へ伝わりました。
ルイ14世が、少し嫌そうな顔をしました。
まだ、石畳を知りません。
◇ ◇ ◇
最初のうちは、まだ楽でした。
飛行機を降ろした広い平地から離れると、畑が続きます。
冬なので、緑一色ではありません。
低い畑。
果樹。
石垣。
ところどころに家があります。
荷車が走っています。
背中へ大きな荷物を載せたロバもいます。
道端では、野菜や果物を並べている人もいました。
馬車の窓から見ているだけでも、エルレンフェルトとはずいぶん違います。
屋根。
壁の色。
服。
荷物の積み方。
通る動物。
時々、マルマラ海が見えます。
海の方だけは開けています。
反対側には、町が少しずつ厚くなってきました。
「あれ、何だろう」
道沿いに、小さな露店があります。
大きな輪の形をしたパンが、いくつも重ねてあります。
どろちゃんには、巨大なプレッツェルの仲間に見えました。
「プレッツェルのお化けみたい」
「何でございますか」
フランソワさんには、オスマン側の売り声は分かりません。
でも、パンは見えます。
「輪っかのパン」
「あれは分かります」
「帰りに食べてみたい」
「まず宮殿へお着きになってくださいませ」
「はい」
監視されています。
その少し先では、別の食べ物を売っていました。
大きな丸い天板。
その上に、薄い生地を何枚も重ねたものがあります。
店の人が大きな刃物で四角く切ります。
切ったところから、白いチーズと緑の葉が見えました。
ほうれん草です。
生地の一枚一枚が油を吸って、つやつやしています。
「ラザニアみたい」
「先ほどの輪っかとは、ずいぶん違いますね」
「ラザニアに、オリーブオイルをさらに足したみたい」
どろちゃんには、かなり美味しそうに見えました。
「これも帰りに」
「はい。宮殿へ着いてからでございます」
「はい」
今度も監視されています。
◇ ◇ ◇
道は、少しずつ混んできました。
馬車。
荷車。
騎馬。
歩く人。
荷を背負った動物。
こちらの一行は馬車が何台も続いています。
御者は前の車との間を見ながら進みます。
広いところでは追い越せます。
狭くなると、そうはいきません。
向こうから荷車が来れば、どちらかが寄せます。
路肩が崩れているところもあります。
穴もあります。
車輪を落とさないよう、御者が少し蛇行します。
そのたびに客室も揺れます。
がたん。
ぐらっ。
また、がたん。
「まだ土の道なんだよね」
「はい、お嬢様」
「これから石畳?」
「そのようでございます」
先が少し不安になりました。
◇ ◇ ◇
しばらくすると、前方に線のようなものが見えてきました。
町の家並みではありません。
城壁です。
まだ遠いのに、横へ長く続いています。
近づくほど、高さが分かってきます。
一枚の壁だけではありません。
塔。
壁。
その外側の空間。
場所によっては、その向こうにも防御施設が見えます。
空から見たときは地図の線のようでした。
地上から近づくと、完全に建造物です。
「これ、攻めるの嫌だね」
どろちゃんが言いました。
フランソワさんも窓の外を見ます。
「門へ行くしかございませんね」
「うん。壁を見ながら」
道も、門へ集まっていきます。
人も荷車も増えました。
馬車の速度が落ちます。
城壁が、もう窓いっぱいに見えるところまで来ました。
石の積み方まで見えます。
補修した色の違うところもあります。
その足元を、毎日の荷車と人が通っています。
戦争のための壁ですが、今は町の入口です。
門を抜けました。
◇ ◇ ◇
そして石畳になりました。
最初の一回で分かりました。
がたん。
「いた」
もう一回。
ごとん。
道そのものは立派です。
雨で泥沼になりにくい。
大勢の人と荷車が通れます。
ただし、長い年月を馬の蹄と鉄輪で使っています。
石の高さは完全には揃っていません。
沈んだところ。
角が丸くなったところ。
車輪の通る筋だけ低くなったところ。
補修して新しい石を入れたところ。
そこを馬車が走ります。
がたん。
ごとん。
どん。
王様の馬車でも同じです。
皇帝の馬車でも同じです。
サヴォさんの馬車でも同じです。
どろちゃんの馬車でも同じです。
10分ほどすると、座り直す人が増えました。
20分ほどすると、もう一度座り直します。
クッションがあっても、揺れそのものは消えません。
しかも、道は平らではありません。
町の中へ入るほど、上り下りが増えます。
上りでは馬の速度が落ちます。
御者が声をかけます。
下りでは、前の馬車へ近づきすぎないよう間を取ります。
横から荷車が出てくれば、さらに速度を落とします。
狭いところでは、一台ずつ通ります。
御者も楽ではありません。
客も楽ではありません。
窓の外には、木造の家が増えました。
張り出した上階。
小さな店。
水場。
モスクの壁。
細い路地。
坂の上に、また別の屋根が見えます。
少し開けると、遠くに海が見えます。
次の角を曲がると、もう見えません。
イスタンブールは、窓の外で何度も姿を変えます。
でも、どろちゃんの関心はだんだん窓の外から座席へ移っていました。
「フランソワさん」
「はい、お嬢様」
「とってもお尻が痛いの」
【小さな説明】
【イスタンブールという名前】
この町は、時代によって名前が何度も変わっています。
紀元前7世紀ごろ、ギリシア人が築いた都市はビュザンティオン(Byzantion)と呼ばれました。
のちにローマ帝国領となり、330年、コンスタンティヌス1世が帝国の新しい首都として整備すると、コンスタンティノポリス(Constantinopolis/コンスタンティノープル)の名が広く定着します。
395年のローマ帝国東西分裂後は東ローマ帝国の首都。
1204年から1261年までは第四回十字軍が建てたラテン帝国の首都となり、その後は再び東ローマ帝国の首都になります。
1453年、メフメト2世が町を攻略してからはオスマン帝国の首都です。
ただし、1453年を境にある日突然「コンスタンティノープル」から「イスタンブール」へ名前が切り替わったわけではありません。
オスマン帝国の公文書や貨幣では、コンスタンティノープルに由来する「コンスタンティニイェ(Kostantiniyye)」が長く使われました。
一方、「イスタンブール」「スタンブル」に近い呼び方も中世から存在し、オスマン時代には市民の日常語として広く使われています。
したがって1709年には、
「公的な文書ではコンスタンティニイェ」
「日常の町の呼び名としてイスタンブール」
が同時に存在していても不思議ではありません。
1923年からはトルコ共和国の都市となり、20世紀前半には国際的な表記も Istanbul へ統一されていきました。
本作では、同じ町の名前が章ごとに変わって読みにくくなるのを避けるため、基本的に「イスタンブール」で統一しています。
【イスタンブールの地形と風】
イスタンブール周辺のヨーロッパ側は、北に黒海、南にマルマラ海を置く、東西に延びた陸地です。
その東端を、黒海とマルマラ海を結ぶボスポラス海峡が南北に切っています。
この地形のため、地上では北寄りと南寄りの風が卓越しやすくなります。
代表的なのが、北東から吹く冷たいポイラズと、南西から吹く暖かいロドスです。
風が完全に南北二方向だけから吹くわけではありませんが、航空機から見ると南北に近い軸がかなり重要になります。
この章でチェブラーシカちゃんが降りた場所には、後世、イェシルキョイ空港、さらにアタテュルク空港が造られます。
アタテュルク空港には17L/35Rと17R/35Lという、ほぼ南北方向の滑走路が2本並びました。
別方向の05/23滑走路もありますが、主要な長い滑走路は南北方向です。
さらに後世、黒海側に造られる新しいイスタンブール空港でも、16/34、17/35、18/36系統の、ほぼ南北方向の滑走路が並びます。
どろちゃんが1709年に「ここは飛行機を降ろしやすい」と見ている土地は、後世の航空でも同じ地形と風を利用することになります。
【プレッツェルのお化け】
道端でどろちゃんが見つけた大きな輪のパンは、シミットです。
現在のイスタンブールでもよく見られる、輪の形をしたパンですが、オスマン時代から非常に古い歴史があります。
1590年のイスタンブールの公定価格記録には、135ディルヘムのシミットを1アクチェで売るという規定があります。
135ディルヘムは約433gです。
現在よく見るシミットより、かなり大きなものです。
17世紀にはシミットを焼く店が多数記録され、18世紀にもシミットを扱う専用系統の窯や販売所が町の各地にありました。
焼いたものを店先だけでなく街頭の売り場へ運んで売るため、道を歩いていて見かけてもおかしくありません。
現代のプレッツェルそのものではありません。
ただし、初めて巨大な輪状パンを見たどろちゃんには、
「プレッツェルのお化け」
に見えました。
【ラザニアみたいなボレキ】
もう一つ、どろちゃんが馬車の窓から気にしたのがボレキです。
薄い生地を重ね、その間にチーズや野菜などを入れて焼く食べ物で、現在のトルコにも非常に多くの種類があります。
17世紀半ばのイスタンブールには、すでにボレキを専門に扱う職人や店が多数あったことが記録されています。
1682年の記録にも、シミットやボレキを焼く専用の窯が確認できます。
ほうれん草も当時のイスタンブールで普通に使われていた野菜です。
17~18世紀の市場価格表や宮廷厨房の記録にも登場します。
ただし、1709年の街頭で現在の「ス・ボレイ」とまったく同じ名称・製法・具材のものが売られていた、とまで確認できる史料はありません。
本作では、当時すでに存在したボレキ屋、薄い生地を重ねる調理法、チーズやほうれん草など当時利用されていた材料を組み合わせ、街頭で切り売りされる層状のボレキとして描いています。
表面だけでなく生地の間にも油脂が入り、切り口には何層もの生地が見えます。
どろちゃんの前世の記憶では、
「ラザニアにオリーブオイルをさらに足したみたい」
でした。




