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ドロティアとフランソワは空を飛びます どろちゃんの飛行日誌 飛行機から始まった貴族令嬢の社会改変  作者: アントノフ


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140貴族令嬢は、ロカ岬から暖かい島へ向かいます。

第140章 貴族令嬢は、ロカ岬から暖かい島へ向かいます


 1709年の新年行事が終わると、どろちゃんはまた英国へ向かいました。


 年末にエルレンフェルトへ来ていたアン女王と王配ジョージは、各国の帰国に合わせて先にロンドンへ送り届けています。今回は新年のご挨拶です。


 もう一つ、大事な箱も持ってきました。


 エルレンフェルトの池で6年間育て、選び続けてきた淡水真珠。その中から色、照り、形を合わせ、中央を少し大きくして左右へ少しずつ小さくなるように並べた一連です。留め具は国王御用達の宝飾店で仕上げてもらいました。


 新年のご挨拶を済ませ、アン女王へ真珠をお渡ししたあとも、どろちゃんには英国で回る場所が残っています。


          ◇ ◇ ◇


 まずはロンドンのお店です。


 アクセサリーを扱う店と、ピロシキやジャム入り紅茶を出す店。ここで2年以上働いてくれた人には、今年から年始の奨励品を渡すことにしました。


 茶葉と茶の実を組み合わせた小さなブローチです。葉は緑色の着色アルマイト。茶の実に見立てたところには、丸く磨いたカボションルビーを入れています。


「今年もよろしくお願いします。長く働いてくれて、ありがとう」


 どろちゃんが箱を一つずつ渡すと、受け取った人は蓋を開け、緑の葉と赤い石を見ました。


「こちらを、わたくしたちに?」


「うん。2年以上働いてくれた人の分です。店で付けてもいいし、お休みの日に使ってもいいよ」


 売るための商品ではなく、働いてくれた人へ渡すために作ったものです。年始の店内には、同じ意匠を胸元へ付けた人が少しずつ増えていきました。


 ロンドンで渡し終えると、次はエジンバラです。


 2号店を任せている人たちにも同じ箱を持って行きます。エジンバラ駅の店は、開業したころよりすっかり仕事に慣れ、列車の発着前後に客が集中する時間も、店員同士でうまく回せるようになっていました。


「お嬢様、こちらは車内販売の方の分でございます」


 店長が名簿を見せます。


 ちょうど駅へ戻ってきた列車の担当者には、その場でどろちゃんから渡しました。これから出る列車へ乗る人にも、発車前に会える人なら直接渡せます。


 鉄道は今日も動いています。


「会えなかった人の分は、お願いします」


「確かにお預かりいたします。勤務から戻り次第、お渡しいたします」


 店長のところへ残りの箱を預けました。


 年始の贈り物を渡すために、車内販売を止めてしまったら順序が逆です。列車の中では今日もピロシキと紅茶が売られています。


          ◇ ◇ ◇


 英国での用事を終えてエルレンフェルトへ戻ると、今度は大きな旅行の準備が進んでいました。


 行き先はテネリフェ。


 冬のエルレンフェルトから暖かいカナリア諸島へ向かう今回の募集先は、国際連盟の内部です。加盟国の駐在行政官や実務担当者、その随員や必要な関係者へ案内を出しました。


 康熙帝はまだヨーロッパに滞在しており、清国から来た随行員も一緒です。清国側と通商、港湾、鉄道規格、度量衡、外交窓口などについて話をしておきたい国はたくさんあります。


 正式な会議室だけでなく、同じ飛行機へ乗り、同じ島へ滞在すれば、食事の前後や移動の途中にも実務の話ができます。そのため各国側も、今回の参加を視察と協議を兼ねた出張として扱えました。


 冬なので希望者はかなり集まりました。


 ムリヤちゃんの貨物室には、長距離旅客用のMRJ座席パレットを必要な数だけ取り付けます。JAMCO製ラバトリーを組み込んだトイレパレットと、MRJから取り出して床ごと設備化したギャレーパレットも使います。


 その横には旅行中と滞在中に使う貨物も積みました。


 酒、米、小麦。そのほか、まとまった人数が来たときに必要量が増えるもの、各国の食事で使いやすいものを選びます。


 テネリフェ側には、以前ハプスブルク皇帝や王様たちが滞在したときに使った王侯用宿泊施設があります。航路が安全になってからホテルも増え、国際連盟の実務担当者を分宿させる準備も進んでいました。


 どろちゃんはムリヤちゃん側の準備と名簿の確認を済ませると、先にリスボンへ入りました。


 康熙帝たちは、別の経路で来ます。


          ◇ ◇ ◇


 そのころ、康熙帝、ルイ14世、サヴォさんは、パリから鉄道で西へ向かっていました。


 夜行寝台列車の見学と視察を兼ねた移動です。


 昼間の座席だけでは分かりにくいことがあります。寝台へ入ったときの揺れ、夜間の暖房、照明、食堂車や給仕の動き、途中駅での客車扱い、朝になったときの洗面や朝食。


 スペインを通り、マドリードからリスボンへ向かう区間ではルシタニア号にも乗ります。


 その間に、どろちゃんはリスボンで航空側の準備を続けていました。


 キャサリン王太后も、すでにリスボンへ戻っています。


 ポルトガルの王家に生まれ、英国王妃となり、今は故国へ戻っている人。どろちゃんがロンドンで買ったプレイストーの家の一帯には、王太后の終身財産に含まれる上位の荘園権があります。


 どろちゃんの頭の中では、今でも少しだけ大家さんです。


「王太后陛下、リスボンではまたお世話になります」


「年末には、あなたがエルレンフェルトまで迎えに来てくれましたね」


「はい。今度はこちらでお世話になります」


 列車が着く日は、どろちゃんも王太后と一緒に駅へ向かいました。


          ◇ ◇ ◇


 長い列車がホームへ入りました。


 出迎えの中心に立つのはキャサリン王太后です。


 康熙帝、ルイ14世、サヴォさんが列車を降り、随行員がその後ろへ続きます。どろちゃんは王太后の少し後ろで一行を迎えました。



 一行は人数が多いため、全員が宮殿へ入る形にはしません。王侯と主要な人たちの一部は宮殿へ入り、随行員や実務担当者は街のホテルへ分宿します。


 荷物を分けたあと、どろちゃんも一行と一緒に港へ向かいました。


 リスボン港には大西洋を行き来する船が入り、倉庫へ荷物が積まれ、荷車が行き交っています。鉄道が伸びてきたことで、内陸から来る貨物も以前より増えました。


 康熙帝は船だけを見ていません。


 岸壁。


 倉庫。


 荷車。


 線路。


 船から降ろした荷物が、次にどこへ行くのかを順番に見ています。


 ルイ14世とサヴォさんも、倉庫の位置や荷役の様子を見ながら歩きました。


 どろちゃんの目には、積み替えの回数が先に入ります。


 船から降ろす。


 倉庫へ運ぶ。


 荷車へ積む。


 駅でまた降ろす。


 貨車へ積む。


 最近実用段階へ入った海上コンテナなら、この途中をかなり減らせます。


 ただし、箱だけでは足りません。


 箱を載せられる貨車。


 持ち上げるクレーン。


 埠頭まで来る線路。


 船側にも、同じ箱を積みやすい場所が要ります。


 どろちゃんは港を歩きながら、使えそうな岸壁と線路の位置を見ていました。


          ◇ ◇ ◇


 夕刻には、宮殿のバルコニーから港が見えました。


 康熙帝はルイ14世、サヴォさん、キャサリン王太后と、昼に見たものの話を続けています。


 康熙帝がリスボンまで来ていると聞いたスペイン国王も、夕刻に宮殿へ到着しました。


 港を実際に見たあとですから、話はすぐ具体的になります。


 どの岸壁へ線路を入れるか。


 倉庫をどこへ置くか。


 船をどれだけ早く回せるか。


 ルイ14世が、少し離れたところにいたどろちゃんを呼びました。


「ブルジェ侯爵、こちらへ来い。昼に港を見たであろう」


「はい、陛下」


「船と港をもっと良くする話をせよ」


 どろちゃんは昼間に見た港を頭の中でもう一度並べました。


「まず、海上コンテナです。箱の大きさと四隅の固定位置をそろえてあります。鉄道線路を埠頭まで引けば、貨車で来た箱をクレーンでそのまま船へ積めます」


 康熙帝が尋ねました。


「箱の中身を港で出さぬのか」


「出さなくていい荷物は、そのままです。北京で箱へ入れたものを、鉄道と船を使って別の国まで同じ箱で運ぶこともできます」


「船も箱に合わせるのか」


「はい。今はまだ専用に積みやすい船が少ないので、これから増やしていくことになります」


 昼に見た荷役作業がありますから、話は図だけで説明するより早く通じました。


 スペイン国王は、今度は船底の話をしました。


 暖かい海へ長く出る木造船では、フナクイムシが船材を傷めます。船底へ銅板を張れば、フナクイムシだけでなく付着生物も減らせます。


 どろちゃんは、そこで別の問題を思い出しました。


「銅板を張るなら、鉄の部品も考えないといけません」


「鉄?」


「船には釘やかすがい、舵まわりの金具、それに調理用のかまどみたいな鉄製品があります。木の船でも、金属が銅だけになるわけではありません」


 海へ入った船の木材は、塩を含んだ水で湿ります。


 とくに銅板と鉄製の釘や金具が直接触れたり、金属部材を介してつながったところでは、湿った木材や海水が電解質になります。銅と鉄の組み合わせでは鉄の方が先に傷みやすくなります。釘やかすがいが細くなれば、銅板そのものがきれいでも船体の方が困ります。


「だから亜鉛を付けます。鉄よりも錆びやすい金属です」


「今度は亜鉛が減るのか」


「はい。鉄製部品と電気的につながるように取り付けて、亜鉛に先に腐食してもらいます。入渠したときに減り方を見て、なくなる前に交換します」


 康熙帝が少し考えました。


「船を守るために、先に壊す部品を置くのだな」


「そうです。交換する場所を最初から決めておけば、釘や金具を船の中から探して交換するよりずっと簡単です」


 銅板は船底を生物から守ります。


 その銅と一緒に使われる鉄は、別の理由で傷みます。


 そこで、さらに先に減る亜鉛を消耗品として加えます。


 港の話から船底の電気化学まで来ました。


 夕食の席へ移っても、船と港の話は続きました。


          ◇ ◇ ◇


 翌日は、リスボンから西へ向かいました。


 行き先はロカ岬です。


 40kmほどありますから、一行をまとめて運ぶのは鉄道です。


 リスボンの大きな駅の端に、4両編成の電車が待っていました。


 車両は、幹線で新型車が増えたあとに第一線を退いた初期の電車です。


 どろちゃんは乗る前に、車体に残った銘板を見ました。


「これ、ストラスブール―サヴェルヌ線が開通したころの車両ですね」


 製造年。


 製造番号。


 最初に使われた線区。


 履歴が残っています。


 軌間は今と同じ1435mmです。役目を終えて別の線へ移るときも、車輪をレールへ載せたまま運んでこられます。


 どろちゃんが銘板を見ている間にも、乗客は順に車内へ入りました。


 康熙帝も、ルイ14世も、サヴォさんも乗ります。


 発車すると、床下でリレーや接触器がバチン、バチンと切り替わりました。


 速度が上がるにつれ、吊り掛け駆動の主電動機と平歯車の音が、低いグオーンという唸りになって車内へ伝わってきます。


「ずいぶん元気な音だな」


 車内の誰かが笑いました。


 古い車両ですが、40kmほどの観光線を走る仕事には十分です。


 窓の外では、市街が減り、丘陵が増え、やがて大西洋側の明るい空が見えるようになりました。


 加速のたびに聞こえていた機械音は、終点で降りると消えました。


 代わりに聞こえるのは風と、はるか下から上がってくる波の音です。


          ◇ ◇ ◇


 目の前に大西洋が広がっています。


 ユーラシア大陸の西の端。


 海の向こうに陸地は見えません。


 各国の代表たちの反応は、それぞれでした。


 しばらく何も言わず水平線を見ている人。


 崖の縁へ近づいて下をのぞき込み、海面までの高さを見た途端に何歩か後ろへ戻る人。


 内陸で育ち、港で船や海を見たことはあっても、陸地の見えない水平線を長い時間眺めたことのない人もいます。


 港では倉庫、帆柱、岸壁、その向こうの船が先に目へ入ります。


 ここでは西を向けば、その先を遮るものがありません。


 康熙帝も、しばらく西を見ていました。


 清国はいま、ユーラシア大陸の東側に大きく広がる国です。その皇帝が、北京からロシアとヨーロッパを越え、大陸の反対側に近い場所まで来ています。


 地図では知っています。


 この海の向こうにも土地があり、船が行き来し、人と物が動いています。


 それでも、大陸がここで切れ、その先が水平線まで全部水になる景色は、地図とは別のものです。


 康熙帝は説明を求める前に、かなり長いあいだ海を見ていました。


 サヴォさんにとって海そのものは珍しくありません。自分の国から見えるのは地中海です。


 ただ、島や対岸、沿岸都市や航路の気配が濃い地中海と、ロカ岬から西へ開ける大西洋では印象が違います。


「こちらは、ずいぶん何も見えないな」


 サヴォさんが水平線を見ながら言いました。


 海をよく知る人だからこそ、地中海と外洋の違いが先に目についたようでした。


 しばらくそれぞれに海を見たあと、地理の話が始まります。


「では、この大陸の一番東はどこになる」


「ロシアのずっと北の方です。東へ突き出した岬があります。北緯66度04分45秒、西経169度39分07秒くらいです」


「西経なのか」


「180度を越えますから」


 西の端に立って東の端を聞いたのに、答えが西経になります。


「南は?」


「南は今度行けますよ。北緯1度15分58秒、東経103度30分39秒くらいです。赤道のすぐ北です」


 マレー半島の先です。バタヴィア方面へ飛ぶ航空路を使えば、今のムリヤちゃんなら現実に寄れる場所になっています。


「北はどうだ」


「北も行けます。かなり寒いですけど」


 東端も北端もロシア側の遠い地域。南端は赤道近く。


 ロカ岬から海を眺めながら話すと、大陸そのものの大きさがよく分かります。


 ヨーロッパだけの最東端を決めようとすると、ヨーロッパとアジアの境界をどこへ置くかという話が先に必要になります。どろちゃんはそちらにはあまり興味がなく、大陸そのものの端を話していました。


          ◇ ◇ ◇


 ロカ岬からリスボンへ戻った一行は、その日も一泊しました。


 王侯は宮殿へ。


 随行員や実務担当者は、それぞれのホテルへ戻ります。


 どろちゃんは翌朝の乗客名簿と荷物の割り当てを確認していました。


 そこへ、キャサリン王太后が来ました。


「わたくしもテネリフェへ参ります」


 どろちゃんは一度だけ瞬きをしました。


「大家……王太后陛下もですか」


「今、何か別の呼び方をしかけませんでしたか」


「していません」


 危ないところでした。


 王太后の分の座席と宿泊先を追加します。


 テネリフェ側は王侯を何人も同時に受け入れた経験があります。国際連盟関係者のホテル割り当てもすでに進んでいましたから、変更するのは王太后一人分です。


 どろちゃんは名簿を開きました。


 康熙帝。


 ルイ14世。


 サヴォさん。


 キャサリン王太后。


 清国随行員と、国際連盟の実務担当者たち。


 最後に王太后の名前を書き足して、座席表をもう一度確認しました。


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